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公爵邸に来て、初めての夜会だった。
侍女たちが朝から張り切っていた。髪を結い上げて、ドレスを着せて、首元に真珠のネックレスをかけようとした。
リリアーナは首輪に触れた。
「これはそのままでいいです」
侍女が少し困った顔をした。
「でもお嬢様、今夜のドレスには真珠の方が——」
「これでいいんです」
侍女は「……かしこまりました」と言って、真珠をしまった。
鏡の前に座って、リリアーナは自分の顔を見た。
髪が輝いていた。肌に艶があった。頬に血の気があった。
同じ顔のはずなのに、ベルテ家の地下室で見ていた顔とは、全然違った。
首輪だけが、いつも通りそこにあった。
「……綺麗ですよ、お嬢様」
侍女が言った。
リリアーナは鏡を見たまま、少し間を置いた。
「ありがとうございます」
夜会の会場は、広く明るかった。
シャンデリアの光が満ちていた。正装した貴族たちが行き交い、笑い声と音楽が混ざり合っていた。
クライドがリリアーナの隣に立っていた。
濃紺の礼服を着て、背筋をまっすぐに伸ばして。いつも通りの、石のように平らかな目で、会場を見渡していた。
リリアーナはその隣で、静かにしていた。
知らない顔ばかりだった。誰もリリアーナを知らないし、リリアーナも誰も知らない。ただ、視線を感じた。
値踏みするような、好奇心のある、あるいは少し意地の悪い視線が、ちらちらとこちらへ向いていた。
クライドの婚約者として、初めて社交界に出てきた娘。
それがどんな娘なのか、皆が見ていた。
クライドの目が離れた隙をみて、一人の令嬢が近づいてきた。
薄黄色のドレスを着た、笑顔の令嬢だった。社交用の、丁寧な笑顔だった。
令嬢の視線が、リリアーナへ向いた。
「アルスター様の婚約者のリリアーナ様ですわね。初めまして、お噂はかねがね」
「初めまして。…お噂、といいますと」
リリアーナが静かに聞いた。
令嬢は扇で口元を隠して、くすりと笑った。
「私、アルスター様が嘆いていらっしゃったと以前聞いてしまいましたの。姉君の方をご所望だったと。夜会でイザベラ様が嘆いていらっしゃいましたわ」
令嬢の目が、リリアーナを見た。
反応を確かめる目だった。
リリアーナは令嬢を見た。
少しの間、何も言わなかった。
それから、静かに笑った。
「クライド様の本音でしたから、仕方ないことです」
「まあ」
令嬢が目を丸くした。
「随分と、さっぱりしておられますのね」
「事実ですので」
令嬢は少し拍子抜けしたような顔をして、「……そうですの」と言って、その場を離れた。
リリアーナは前を向いていた。
穏やかな顔をしていた。
飲み込んだわけではなく、ただ事実として受け止めているように見えた。
離れた場所での会話を終えたクライドが、リリアーナの元へ戻る。
去っていく令嬢をちらりとみて、かすかに眉をひそめる。
「……リリアーナ」
「はい」
「何が言われたか」
「いいえ。たいしたことは」
リリアーナは静かに言った。
「顔合わせの時の印象のお話でした。気になさらないでください」
クライドは何も言えなかった。
夜会が終わって、馬車に乗った。
二人とも、しばらく無言だった。
石畳を進む馬車の音が続いた。
クライドはリリアーナを見た。
窓の外を見ていた。夜の街並みが流れていくのを、静かに眺めていた。
「……疲れたか」
「いいえ」
リリアーナは答えた。
「綺麗な会場でした」
「そうか」
「あの令嬢は、意地悪のつもりでおっしゃったんでしょうか」
「……おそらく」
「そうですか」
リリアーナは窓の外を見たまま言った。
「でもお姉様の方が、もっと上手でしたよ」
クライドは黙った。
馬車が石畳を進む音が続いた。
侍女たちが朝から張り切っていた。髪を結い上げて、ドレスを着せて、首元に真珠のネックレスをかけようとした。
リリアーナは首輪に触れた。
「これはそのままでいいです」
侍女が少し困った顔をした。
「でもお嬢様、今夜のドレスには真珠の方が——」
「これでいいんです」
侍女は「……かしこまりました」と言って、真珠をしまった。
鏡の前に座って、リリアーナは自分の顔を見た。
髪が輝いていた。肌に艶があった。頬に血の気があった。
同じ顔のはずなのに、ベルテ家の地下室で見ていた顔とは、全然違った。
首輪だけが、いつも通りそこにあった。
「……綺麗ですよ、お嬢様」
侍女が言った。
リリアーナは鏡を見たまま、少し間を置いた。
「ありがとうございます」
夜会の会場は、広く明るかった。
シャンデリアの光が満ちていた。正装した貴族たちが行き交い、笑い声と音楽が混ざり合っていた。
クライドがリリアーナの隣に立っていた。
濃紺の礼服を着て、背筋をまっすぐに伸ばして。いつも通りの、石のように平らかな目で、会場を見渡していた。
リリアーナはその隣で、静かにしていた。
知らない顔ばかりだった。誰もリリアーナを知らないし、リリアーナも誰も知らない。ただ、視線を感じた。
値踏みするような、好奇心のある、あるいは少し意地の悪い視線が、ちらちらとこちらへ向いていた。
クライドの婚約者として、初めて社交界に出てきた娘。
それがどんな娘なのか、皆が見ていた。
クライドの目が離れた隙をみて、一人の令嬢が近づいてきた。
薄黄色のドレスを着た、笑顔の令嬢だった。社交用の、丁寧な笑顔だった。
令嬢の視線が、リリアーナへ向いた。
「アルスター様の婚約者のリリアーナ様ですわね。初めまして、お噂はかねがね」
「初めまして。…お噂、といいますと」
リリアーナが静かに聞いた。
令嬢は扇で口元を隠して、くすりと笑った。
「私、アルスター様が嘆いていらっしゃったと以前聞いてしまいましたの。姉君の方をご所望だったと。夜会でイザベラ様が嘆いていらっしゃいましたわ」
令嬢の目が、リリアーナを見た。
反応を確かめる目だった。
リリアーナは令嬢を見た。
少しの間、何も言わなかった。
それから、静かに笑った。
「クライド様の本音でしたから、仕方ないことです」
「まあ」
令嬢が目を丸くした。
「随分と、さっぱりしておられますのね」
「事実ですので」
令嬢は少し拍子抜けしたような顔をして、「……そうですの」と言って、その場を離れた。
リリアーナは前を向いていた。
穏やかな顔をしていた。
飲み込んだわけではなく、ただ事実として受け止めているように見えた。
離れた場所での会話を終えたクライドが、リリアーナの元へ戻る。
去っていく令嬢をちらりとみて、かすかに眉をひそめる。
「……リリアーナ」
「はい」
「何が言われたか」
「いいえ。たいしたことは」
リリアーナは静かに言った。
「顔合わせの時の印象のお話でした。気になさらないでください」
クライドは何も言えなかった。
夜会が終わって、馬車に乗った。
二人とも、しばらく無言だった。
石畳を進む馬車の音が続いた。
クライドはリリアーナを見た。
窓の外を見ていた。夜の街並みが流れていくのを、静かに眺めていた。
「……疲れたか」
「いいえ」
リリアーナは答えた。
「綺麗な会場でした」
「そうか」
「あの令嬢は、意地悪のつもりでおっしゃったんでしょうか」
「……おそらく」
「そうですか」
リリアーナは窓の外を見たまま言った。
「でもお姉様の方が、もっと上手でしたよ」
クライドは黙った。
馬車が石畳を進む音が続いた。
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