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変わってしまった私達
しおりを挟む最初に感じたのは、何とも言えない寒さだった。冷たい風が吹き抜けるような、体の芯から冷え込むような、そんな空気に包まれた気がしたのは、確か婚約を交わしてから数ヶ月も経った頃だった。
チャールズとの日々は、最初はとても温かかった。彼の目が私を見つめると、心の中がふわりと優しさで満たされるような気がして、毎日がとても特別なものに思えた。彼の言葉一つ一つが私を大切に思ってくれている証しのように感じられたし、私もその期待に応えたいと思っていた。だからこそ、婚約をしたその日も、心から幸せを感じていた。
けれど、だんだんと、私の目の前のチャールズが違って見えるようになっていった。何も変わっていないはずなのに、どうしても彼の冷たさが感じられるようになった。最初は、きっと彼が忙しいからだと思った。
ある日、チャールズが帰宅するのが遅くなった夜、私は彼に「どうしてこんなに遅くなったの?」と聞いた。すると、彼は少しだけイラっとしたような顔をして、「仕事が長引いただけだ。そんなに気にすることじゃないだろ?」と答えた。その言い方に、私はちょっとだけショックを受けた。「でも、毎回遅くない?」と聞くと、彼はため息をつきながら、「君は本当に細かいな」と言って、何もかも無視するように歩き去った。
仕事に追われる日々、上流社会のイベントや義理を果たさなければならない時間が彼を占めて、私にはその間にひとしきり待つ時間しか残されていないと、私は自分を納得させた。
それでも、誕生日も、記念日も、私が大切にしてほしいと思ったその日さえも、チャールズは私を気にすることなく過ぎていった。彼が何か大切にしてくれたことがあっただろうか。今となっては、それすら思い出せない。
次第に彼の言動は私を追い詰めていった。例えば、私が「今度の週末は、少しだけ遠出したいな」と言うと、彼はすぐに「そんなこと、今は無理だろ。君はいつも気まぐれだな」と言ってきた。私はそれが「気まぐれ」だなんて思っていなかったのに、彼の一言で、自分が何もできないような気がしてきた。
彼が帰宅するたび、私は一番にその声を聞きたくて、顔を上げては微笑んでいたけれど、彼の目は私を見ても、どこか遠くを見ているようで、何か私には届いていないような気がしてならなかった。最初の頃の温かさはどこにも見当たらなくて、ただ「おかえり」と言った時の彼の返事が無機質に感じられるようになった。
その日も、私は待っていた。チャールズが帰る時間を指折り数えて。でも、彼が家に入ると、ほんの一瞬だけ私に目を向けると、すぐに自分の部屋へと足早に向かっていった。私には、どこか冷たい背中が、何よりも辛かった。
ある日、エリザベスが庭で花を育てていると、チャールズが無言で庭にやってきた。
「そんな無駄なことをするのはやめろよ」と、冷たい声で言われた。
エリザベスは一瞬、言葉を失った。彼が花を育てることに興味がないのは知っていたけれど、そんなに否定的な態度を取られるとは思っていなかった。
「私がやりたいことなんだけど…」と、しどろもどろに答えると、チャールズは少しだけ笑った。「君は僕の言うことがきけないのか?」
その言葉が、エリザベスの心に深く刺さった。彼は無意識に、自分の意見や行動を常に彼の期待に合わせるべきだと思っていた。
「君がそれをする必要があるなら、いいけれど。」
そう言って、チャールズは私に微笑みもせずに、すぐに自分の書斎に戻っていった。その言葉に、心の中で何かが崩れていく音がした。
その瞬間、私はふと、彼がもう私を愛していないのだろうか、という考えが頭に浮かんだ。あまりに冷たく、無関心に感じられる言葉と態度に、私は自分の胸が痛むのを感じていた。
そして、その後、私は自分の心に問いかけるようになった。彼に求めているのは、愛情なのか、ただの義務感なのか。それとも、私の存在がもはや必要ではないのだろうか。どんどんと冷えていくその日々の中で、私は次第に自分の心が冷めていくのを感じていた。
このままでいいのだろうか。それとも、何かを変えなければならないのだろうか。
けれど、私はその時にはまだ答えを出すことができなかった。ただ、ひとつだけ確かなことがあった。それは、彼がもはや私を大切にしていないこと、それだけだった。
あの日、私は心のどこかで、チャールズが私を大切に思っているのだと信じたかった。どんなに冷たくされたり、無視されたりしても、あの微かな温かさを取り戻せるはずだと、そう思っていた。
その日も、私は一週間前に約束したことを心の中で思い出していた。
「今度の土曜日、君と一緒に時間を過ごすよ。」
チャールズがそう言った時、私はどれほど嬉しかったことか。彼が私と二人きりで過ごす時間を持つと言ってくれた。その一言だけで、私は心から安堵した。忙しさに追われていた彼が、私を少しでも大切に思ってくれるのだと、そう信じて疑わなかった。
でも、当日。土曜日の朝から、私は期待に胸を膨らませていた。何を着ようか、どうすれば彼が喜ぶだろうかと考えながら、身支度を整えていた。今度こそ、あの冷たい無関心な態度を打破して、二人だけの時間を取り戻せるのだと、私は信じていた。
けれど、午後になると、チャールズからの連絡は一向にない。
私は何度も時計を見ては、彼からの電話を待った。予定通りに会えるのだろうか、もしかしたら何かあったのだろうかと思って、不安な気持ちが胸を占めていった。電話もなければ、家のドアも開くことはない。
そして、午後三時を過ぎた頃、ようやくチャールズから連絡が来た。
「エリザベス、今日の約束をキャンセルしなければならない。急な仕事が入ったんだ。」
その一言が、まるで私の心を引き裂くようだった。彼の声は平然としていて、まるで何の問題もないかのように軽く告げられた。
「でも、今週末は忙しいって言ったじゃない。」私は声を震わせながら言った。「あの日、私たち、二人だけの時間を持つって約束したじゃない。」
しばらく沈黙が続いた。無理にでも言い訳を探すように、彼は何度かため息をついた後、ようやく口を開いた。
「本当にすまない。だが、これは避けられなかったんだ。君も分かるだろう?」
分からない。私にはまったく分からなかった。彼の言葉は、私の心に届くことなく、空虚な響きを残すだけだった。私は自分の気持ちがどんどん冷たくなっていくのを感じた。約束が、どうしても守られなかったその瞬間から、私の中で何かが壊れていった。
「でも…」私は声を詰まらせた。「あなただけが忙しいわけじゃない。私だって、予定を調整して楽しみにこの日を待ってたのよ。」
「分かっている。」チャールズはそう言って、何もかもが終わったような空気を漂わせた。「しかし、今回は仕方ないんだ。」
その言葉が、私にとって決定的なものとなった。これまでにも何度か、彼の無関心さや冷淡さに胸を痛めたことがあったけれど、今回ほどまでに彼の心が遠くに感じられたことはなかった。
そのまま電話を切ると、私は何もする気力が湧かなくなった。彼との約束が破られたことで、私の中で何かが完全に壊れてしまったような気がした。
夕方、彼が帰宅するのを待っていたけれど、その足音が近づいてくるたびに、胸の奥で何かがひしひしと締め付けられるのを感じた。心の中ではすでに、何か大きな決断をしなければならない時が来たのだと感じていた。
「もう、いい。」
その一言が、彼に届くことはなかっただろう。帰宅したチャールズは謝ることもなく一瞬だけ私を見つめた後、自分の部屋へと向かっていった。
その背中を見送りながら、私は確信した。もう、彼と一緒に歩んでいくことはできない。私の心が、完全に彼から離れていったのだということを。
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