蕎麦売りは夜に鷹を抱く

佐竹梅子

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追想・雪どけに微笑む

「そんな! 丁稚奉公だとおっしゃったではありませんか!」

 貧しい身なりだが、品のある声が空に響く。
 その声を押しやった長身の男は少年の手を引くと、奪うように馬に乗った。

 ◆ ◆ ◆

 寂れた漁村の医者夫婦のもとに、ざらめは生まれた。もっとも当時は男児らしい地味な名前であったが、もはやその名を知るものは誰一人としていない。当のざらめも、いっそ忘れてしまった名だった。
 齢九つのざらめ少年。その両親――特に父親はお人好しで、診療をただで済ませてしまうことが多かった。そもそもが寂しく貧しい寒村だ。みな、もとより治療費を払えるような生計は立てられていなかった。

 父も母も、そこそこの生まれの人であったが、この村に腰を落ち着けてからどんどんとその生活は不自由になっている。人を助けたいという想いは立派である。しかし、それを尊ぶような時代ではなかったのだ。

 そして、漁村から遠く離れた色街では、遊郭のほかに陰間茶屋が流行していた。本来は役者見習いなどを抱えるのだが、その流行に目をつけた商人をはじめとした輩たちは、生まれの上下に関わらず見目の良い少年を買い集め、茶屋を開いた。
 そこで目をつけられたのが、かのざらめ少年であった。

「よもや茶屋とは……われわれは丁稚奉公とうかがっておりましたのに」
「そんなにかわらねえさ、むしろ行儀見習いとしてなら上等だぜ? 芸事だって習えるんだからな!」

 ざらめ少年の両親は、借金を肩代わりするという商人の言葉を真に受けた。代償は、一人息子を奉公へ出すこと。大店の丁稚だと聞かされていた。であれば息子の生活にも未来が見えてくる――そんな破格の取り引きに、夫婦は飛びついてしまったのだ。

「おら、いくぞ」

 すがるように止める両親を押しのけて、長身で大柄の男は威圧感たっぷりに少年の手を引いた。そうして軽々と馬に乗ってしまうと、もう振り返ることすら許されずに、少年は色街へと連れ去られていく……。

 ◆ ◆ ◆

 ざらめが働くことになった茶屋はそこそこの利益をあげているらしく、陰間たちの教育に遊女を招いていた。彼に『ざらめ』と名付けのも、その女の一人である。昼に溶けた雪が、宵に再び凍てつく……少年が茶屋を訪れたのは、そんなこごえる日だった。

 まだ九つであったざらめは下働きをしながら行儀作法、そして芸事を習わされる。そのうち十を迎える頃には、性技も仕込まれた。客の悦ばせ方、男根の受け入れ方、よがり方……まだ性のなんたるかも知らないままに、ひたすら覚えていく。

 そうして、初めて客を迎えたのが十一を少し過ぎた頃だった。
 生きていくため、ざらめはその人生を受け入れた。そのせいか、本来の名を忘れ、やがては両親の顔さえ思い出せなくなっていった。

 雪のように白い肌、齢を重ねるごとに憂いを増す横顔、健気でいじらしい奉仕……それらが客の評判となりはじめた頃、ざらめは十三になった。
 そのうちに、陰間の兄たちによる嫌がらせは、いびりの域を越え始めていた。納屋に閉じ込められ客の予約に遅れるのは、まだ可愛いものだ。その極めつけが、井戸での絞首未遂である。

 ざらめは、ほどなくして茶屋から逃亡した。三日三晩、飲まず食わずに逃げ惑った。やがて、どこかも分からずに彷徨う路地にて――一人の女性に出会った。彼女は綺麗な小袖を着て、美しい簪を髪に挟み……小脇にむしろを抱えていた。

「あんた、陰間だろ? 分かるよ、そういう空気は一生消せないんだ」
「……お姐さん、は」
「似たようなもんだよ。まあいいさ、今日はあたしも店仕舞。うちへおいで」

 そうしてざらめは寝食を与えられ、まるで彼女の弟のように可愛がられた。
 かの女は、とても美しい人であった。いや、品こそはさほど持ち合わせていないようだが、それでもその所作が、生き様が美しいと感じた。

「私も、なります。……夜鷹に」

 恩を返すため、なにが出来るかとざらめは必死に考えていた。結局は、この答えしか見つけられず、ざらめもむしろを持って春をひさいだ。
 いや、それだけではなく……ざらめは彼女になりたいとさえ思っていた。

 夜鷹として生き始め、十五になる頃。ざらめは大店の旦那のお気に入りとして、二日に一度は買われていた。陰間茶屋で仕込まれた性技と、憧れの彼女から盗み見てきた所作……そして彼自身の色艶で魅了する。

「なあ……ざらめ、身請けしてやろうか」
「え?」

 処理行為を終え、着物を整えていると、そんな言葉が投げられた。

「お前を囲うくらいの部屋はある。もう姐さんにも恩は返したんだろ?」

 ◆ ◆ ◆

 ――街はずれにある、境内の大銀杏の下。そこでおち合おう。

 可愛がってくれた旦那の好意に応えるべく、ざらめはそこに在った。お姐さんと慕う彼女にも、身請けは喜ぶべきだと勧められたのだ。さわさわと秋の風が、色付いた葉を撫でていく。
 しかし、いつまで待っても、男はこなかった。それどころか、人通りすらほとんどない。ようやく通りかかったと思えば、暗闇でも分かるほど顔を赤くした酔っ払いだ。

「うおっ、そんなとこにぼーっとつっ立って幽霊かと思ったぜ。ほんとに幽霊でも待ってんのか?」
「…………待っていました、あなたのようなお客を」

 ――私を、使いませんか?

「あ、あ……っ」

 銀杏の太い幹に手をつきながら、背後から突かれる。腰を妖艶にくねらせながら、男の射精を促すべく動く。

「は、っ……締まりはよくても、声が男だな」

 ぱん、と腰を叩かれる。

「ああっ……おやめくだ、……さ」

 乱暴に抱かれ、その痛みと辛さで、ざらめは今日のことを必死に忘れた。

 その後、商売道具ともいえる通和散を求めに訪れた色街で……あの旦那の姿を見つけた。彼は遊郭の前で、楽しそうに遊女と戯れていた。

(やはり、おなごには敵わないのですね……)

 身請けを反故にされたことについては、さほどの喪失感はない。ただ、こうも性別というものが越えられないのかと思うと、それはそれで寂しさを覚える。
 それからは一層、声色も、動きも、艶やかに演じるように努めた。

 ◆ ◆ ◆

 夕方には宿場へ向かいたいものだが、雨が二人の足を止めた。どうしようもなくて、しまきとざらめは茶屋の一室を借りる。とはいえ、恋人たちが使うことに問題もないのだが。

「……あの、せっかく色街へ来たのですから、出かけていらして構いませんよ」
「出かける……?」

 窓にかけられた障子をするりと開けて、雨を見上げるざらめ。しまきは怪訝な声をあげて問い返した。

「みな……私の具合はいいといいますが……やはり最後は、おなごの肉体に帰りました。……それだけは敵わないと、知っておりますから」
「馬鹿だな」

 間髪入れずに、しまきの呆れた声が戻る。それには多少の溜息も含まれていて、ざらめは思わず彼の顔を見た。

「昔なにがあったかは聞かないが。その男どもは、馬鹿だよ」

 障子に手をかけたざらめの背後から、しまきは巻き付くようにその体を包む。しまきの心の臓が、ざらめの背中に触れていた。どく、どく、と、落ち着いた鼓動が温かい。

「ざらめは体だけじゃなくて、ここもいいのにな」

 回された手が、胸元をとんとんと優しく叩いた。

「こんなに心が別嬪なお人も、なかなかいないぞ。なあ?」
「しまき様……しまき様こそ、私に甘すぎませんか」
「そうか。それじゃ、お互い様だな」

 雨が一層強く降り始める。まるで、過去のしがらみを洗い流すように。
水滴がふき込む前に、ざらめは深く深く、窓を閉めた。


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