名残の空に、君を呼ぶ

KotoRi

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第一章 織宮の忍び

三、幼馴染の距離

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 山の夜は底冷えし、吐く息が焚き火の明かりに淡く白く散った。
 三人は獣道から少し外れた窪地に腰を下ろし、小鍋を火にかけている。澄真が持ってきたのは、携帯用に固めた乾燥味噌と、小さな鍋だけだ。

 狐面を外した澄真の横顔を、炎が静かに照らしていた。
 翠の瞳が火の赤をひとしずく映して揺れる。そのささやかな光景に、魁は薪を組みながらふと動きを止める。一瞬だけ、呼吸が遅れた。
 悟られまいと、彼はすぐに視線を鍋へ戻して火の具合を確かめる。

 澄真は味噌を溶かしながら、小さく鼻歌を歌っている。その無邪気な調子は、戦の緊張をほどくようだ。

 谷河内は疲れ切った表情で、半分寝転がるように座り込みながら鍋を覗く。

「腹減った……。澄真、まだかー……?」
「ん。もういいかな」
「味噌汁の匂いなんて、久々だな……。いいもん持ってきたな、お前」
「兵糧丸だけじゃ飽きるからね」

 澄真が穏やかに笑ったとき、鍋の中で“ちゃぽん”と何かが揺れた。
 湯気の向こうで、魁と谷河内が同時に眉を寄せる。

 小さくて笠の柔らかそうな…“正体不明”のキノコ。

 まず谷河内が、ためらいがちに口を開いた。

「……澄真。このキノコ、どこから持ってきたんだ?」
「さっき歩いてた時に生えてた。色んなのあったけど、これ、笠ぷにぷにで美味しそうだったから」

 その言葉の“無防備さ”に、谷河内は額を押さえた。

「……美味しそう、だけで判断したのかよ……」

 彼の声は、ただ心底疲れたように響く。

 魁も鍋を覗き込み、眉間を指で押さえて絶望的に唸った。

「……澄真。お前、去年の春、笑い茸を煮て食って──」
「あー!」

 澄真の顔がぱあっと明るくなる。

「笑って笑って止まらなくて、腹が痛くなって、吐いて、失神したやつ!……なぁ、あれって、いつだったっけ?」
「……今、言ったろう。去年の春だと」

 魁は肩を落とし、深く深く息を吐いた。

 谷河内も呆れたように湯気の向こうの澄真を見上げる。

「お前は都合の悪いことだけ綺麗に忘れるんだな……」
「あは、便利だろ」
「便利じゃねぇよ!これも毒だったらどうすんだよ!俺たち全滅だぞ!」
「澄真。山で拾うものは、毒かどうか分からないものが多い。判別できない物は鍋に入れるな。……頼むから」
「え、うん……? でも匂い変じゃないし、触った感じも平気だったよ」

 無邪気な返答に、二人とも言葉を失う。
 この男が、戦場では誰より冷静で鋭いのが信じられない。

「まぁまぁ、俺が先に食べて平気だったら大丈夫ということで」
「違う!そういう問題じゃ──」

 魁の怒声が終わるより早く、澄真はさりげなく椀を取り、汁をひと口、すすった。

 焚き火の音まで止まった気がした。

 三秒。
 五秒。
 十秒……。

 澄真は椀を置き、ほっと息をつく。

「……おいし」

 谷河内は力が抜けたように仰向けに転がり、頭を抱えた。

「ダメだ…。こいつといると寿命が縮む…」

 魁は鍋の中身を見つめ、静かに首を振る。

「……頼むから、もう少し慎重になってくれ。お前一人だけの体じゃないんだ」
「え?」
「……俺たちも、一緒にいる」

 澄真はぽかんと目を瞬かせ、次の瞬間、ふわりと笑った。
 焚き火の光が、その笑顔に柔らかく揺れる。

「そっか。じゃあ次は、もっとじっくり選ぶよ」
「次があるのか……」

 谷河内が苦笑混じりに呟くと、魁もわずかに口元を緩めた。

 澄真は木椀を差し出しながら、にこにこしたままだ。

「はい。二人とも、どうぞ」
「……はあ。食うけどよ」
「……俺が先に味を見る」

 夜風が火を揺らし、三人の影をひとつに重ねていった。
 戦の帰り道とは思えない、静かで緩やかな時間だった。


*******


  森はすっかり冷え込み、焚き火の赤い残り火だけが、夜気の底でゆらゆらと揺れていた。
 魁は見張りの番で、闇の奥へ耳を澄ましていたが、かすかな足音に気づく。

 猫が落ち葉を踏むような細い気配。

「魁」と、その気配から聞き慣れた声がした。

 魁が振り向くと、栗色の髪に寝癖をつけたままの澄真が、半分ほどしか開いていない目をこすりながら近づいてくる。

「……起きたのか」
「ん。──見張り、とっくに俺の番。どうして起こさなかったの?」

 澄真はとことこ歩いてきて、当然のように魁の隣に腰を下ろす。

「起こそうとしたが、間抜け面でよく寝ていたからな」
「それでも起こしてよ。……同い年なんだから、子供扱いするなよ」
「子供扱いではなく、“ぐっすり寝ていた”と言っている」
「同じだよ……。……あ、飴ある?」
「ない」
「そっかー……」

 澄真は木の幹にぽてんと背中を預け、月を見上げた。
 まぶしそうに、でも楽しげに目を細める。

「夢の中ですっごく大きな猫が、俺の頭に乗ってきてさ。重くて起きた」

 魁は小さく噴き出す。

「お前らしい夢だな」
「重いけど可愛かった。まんまるで……あ、でも頭の上は困るよ」
「猫に言ってくれ」

 澄真はくすくす笑い、眠気の残る声で続けた。

「──今日の任務でさ、」
「ん?」
「魁の剣、好きだなって思った。綺麗で、まっすぐで……“ぴたっ”て決まるの。今日もさ、見てて気持ちよかった」

 魁は短く息をついた。

「……そうか」
「俺のは、こう……狐みたいってよく言われる。ひょいひょいしてるって。俺、ひょいひょいかな」
「間違ってないな」
「やっぱりかー」

 澄真は笑って、少し体勢を整えた。

「そういえば、納屋の角を飛んだ時…」
「お前が勝手に突っ走ったところだな」
「勝手じゃないよ。ちゃんと考えたの。裏から二人来てたろ?」
「気づいていたなら、なおさら声をかけろ」
「声出したら気づかれるだろ。飛び出した方が早いし」
「お前は無鉄砲が過ぎる」
「魁だって、考え無しに人の前に立つことあるだろ」
「……」

 言い淀む魁に、澄真は笑う。
 魁はため息をついたが、ほんのわずかに口元がゆるんだ。

「でもさ、今日の魁の動き、よかったなぁ。俺が納屋のところで仕掛けた後、絶対反対側に回ってくれると思ってたんだよ」
「お前がそう動くと読めていたからだ」
「だよね!俺も同じだよ。昔から。魁がパって動くと、“あ、これ俺の出番だな”ってわかるんだよ」

 澄真は空中に戦いの軌跡を描くように、手をふわりと動かした。

「俺、魁と組むの楽しいよ。言わなくても通じるし。なんだか……安心する」
「安心、ね」
「うん。俺が変な動きしても、魁はすぐに合わせてくれるだろ」
「勝手な想像だ」
「違うの?」
「……違わないが」

 澄真は嬉しそうにニコッと笑った。

「じゃあさ、次の任務も魁と組む」
「勝手に決めるな」
「えー、だって魁も俺と組むの好きでしょ?」
「そんなことは言ってない」
「言わなくてもわかるよ?」
「わかるわけない」
「わかるのー」

 澄真は笑いながら立ち上がり、伸びをした。途端、ふら、と身体が揺れる。

「おい」
「だいじょーぶだって」

 全然大丈夫そうではないが、魁は余計なことは言わなかった。
 言えば言うほど、澄真はへらっと笑うだけだと知っているからだ。

「じゃ、見張り交代。起きてるし」
「起きたばかりの顔で言うな」
「うん。でも起きてるよ。ほら、ちゃんと立ってるし」

 月明かりの中、ほんの一瞬だけ澄真の横顔を見つめる。

「……頼む」
「任せて!」

 澄真は胸を張って、夜の見張りに立った。

 幼馴染みの距離は、近すぎず、遠すぎず。
 けれど確かに“ここにある”と、夜風だけが静かに知っていた。


******


 夜の気配がようやく薄れ、森の端が白み始めたころだった。

 焚き火はすでに消え、冷えた空気の中で、澄真は木に背を預けたまま──
 緩みきった顔で、すやぁ……と実に気持ちよさそうに眠っていた。

 静かな寝息。
 頬はゆるゆる。
 口元にはうっすら笑みさえ浮かんでいる。

 その光景を、魁と谷河内が揃って覗き込んでいた。

「……置いて行くか?」

 谷河内が本気とも冗談ともつかない声でつぶやく。

 魁は額に手を当て、深く長い溜息を吐いた。

「……いや、こんな所で一人にすれば迷子になる。そうなれば捜索の仕事が増えるだけだ」
「だよなぁ……ったく。敵襲が無かったからよかったものの……」

 谷河内はぼやきつつ、澄真の肩をがしっと掴んだ。

「おいこら澄真! 起きろ!!」

 容赦なく揺さぶる。

「ん、んぁ……?」

 澄真の翠の瞳がきょろりと開き、次の瞬間──

「雷!?」

 とんでもない方向に飛び起きた。

「違ぇよ!!」

 言うが早いか、谷河内の手刀が澄真の頭に落ちる。

「ぎゃん!!」
「朝だよバカ!!」
「え……? なんで!? 今まで夜だったのに!」
「お前が寝ちまったからだよ!」
「ね、寝てないよ?」
「分かりきった嘘つくなバカ!!」
「さっきから何回バカって言うの!?!?」

 森の朝に、二人の声が妙に明るく響いた。

 魁はふたりのやり取りを見ながら、もう一度だけ、静かに溜息をついた。

 ──これも、いつもの朝だ。


****


 朝露の残る草を踏みしめながら、三人は荷をまとめた。
 忍び装束を裏返し、粗布を纏った村人姿へと変えていく。

 谷河内は手早く着替えを済ませ、背伸びをひとつ。
 隣では──澄真が、着替えたはいいものの、着物の合わせが緩んでいた。

 帯はねじれ、袖は片方だけ裏返ったまま。

 魁は何も言わず、当然のように澄真の前へ歩み寄った。

「じっとしていろ」

「うん」

 澄真は当たり前のように身を任せた。
 魁は衿元を整え、裾を直し、帯をきゅっと締め直す。
 その手つきは慣れたもので、まるで“いつもの朝の習慣”の延長のようだった。

 その光景だけで、二人がどう育ってきたのかが分かる。
 私生活が壊滅的な澄真と、しっかり者で世話焼きの魁。
 幼い頃からずっと、こうして魁が面倒を見てきたのだろう。

 谷河内はそれを見て、肩をすくめ、深く長い溜息をついた。

「……おい魁。甘やかしすぎじゃないのか?」

 二人が同時にきょとんとする。

「なにがだ?」と魁。

「なにって……いや、お前ら……」

 谷河内は指先で二人を指し示すが、言葉が続かない。

「なんの話?」と澄真が小首を傾げる。

 その顔は本当に分かっていない。

「…………もういい……」

 谷河内は手を振り、呆れと諦めと、どこか微笑ましさの混じった顔をした。

 三人は荷を担ぎ、次の任務地へと歩き出す。
 朝の山道に、三人の足音が続いていった。


****


 森の端に朝靄が薄く漂い、三人の影だけが長く伸びていた。
 出立の時刻、魁は足を止めると、袖の内から小さな巻物を取り出す。白い鳩が一羽、まるで待っていたように彼の肩へ舞い降りた。

「なんだその鳥?」

 谷河内が不思議そうに目を細める。

「可愛いなぁ。魁に懐いてるね」

 澄真は鳩の顔を覗き込み、無防備な笑みを浮かべた。

 魁は淡々とした手つきで鳩の足に書状を括りつける。

「懐いているわけじゃない。望月で試している情報の伝達手段だ」
「鳩が、か?」
「そうだ。帰巣性を使う」

 鳩の頭をひと撫でし、「頼んだぞ」と静かに声をかけると、鳥は軽やかに空へ羽ばたいた。朝の光を反射しながら、小さな影が高く昇っていく。
 澄真はその軌跡を追い、目を細めた。

「今の、どこへ飛んでいくの?」
「昨日の報告と、今朝の予定を書き記した。あれは望月の屋敷へ真っ直ぐ行って、書を届ける」
「へえ!鳥って賢いんだな!」

 谷河内が興奮気味に笑う。
 魁はその調子に乗るでもなく、ただ空を見上げたまま言った。

「鳩の方が……すぐ迷子になる澄真よりは確実だ」
「なんで皆して俺のことバカにするの!!」

 澄真が口を尖らせると、谷河内は腹を抱えて笑い出した。

「拗ねた拗ねた」
「拗ねてない!」

 そう言いながら、澄真はとことこと前へ歩き出す。その背中を追いながら、三人の足取りは自然とそろっていった。


 やがて、城下町へ続く街道に入る頃、谷河内が声を落としてぼやいた。

「しかしよ……町方まちかたの連中と一緒の任務ってのが気に入らねぇ。向こうのやつら、妙に俺らに冷てぇし」

 魁は短く息を吐いた。

「我々と壁があるだけで、町忍まちしのびは優秀だ。あいつらの情報網は戦忍より広い。城下の人間、商家の動き、旅人の顔ぶれまで把握している」
「なのに俺たちにはその情報が回ってこねぇ。そういうとこが気に入らねぇんだよ」

 谷河内は不満を隠さず、歩みを速める。

「向こうも向こうで、戦忍を信用してないってことだよ」

 澄真がぽつりと口を挟む。
 魁は頷き、その横顔がわずかに険しい。

「それが今回の隙にもつながったのかもな。暗殺された町忍は既に数人。探索を進めていた連中が次々やられている」

 澄真の表情が引き締まる。

「伊織先生、心配してた……“町の影が殺されるってことは、敵が町そのものに紛れてる”って」
「だから俺たちが呼ばれた」

 魁の声は低く静かで、しかし芯があった。

「城下での戦いは逃げ場がねぇから苦手なんだよなぁ……」

 谷河内が肩を回す。

「大丈夫。魁が策立ててくれるから」

 澄真が迷いなく言う。

「当たり前だ。俺の役目だ」

 谷河内は呆れたように横目で二人を見る。

「はぁ……お前ら、距離感どうなってんだ? 澄真は頼りにしすぎ。魁は甘やかしすぎだろ」

「どこが?」
「どこがだ?」

 二人が同時にまったく同じ反応を見せ、谷河内は天を仰ぐ。

「……もういい……」

 風が、三人の足音をそっと撫でる。
 森を抜けた先には、城下町の屋根が遠く霞んで見えた。

 町忍の殉職が続き、誰が味方で誰が敵か分からぬ町の闇へ向かって、
 三人は並んで歩き出した。
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