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第一章 織宮の忍び
四、不気味な気配
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朝霧がまだ川面に貼りついている時間帯だった。
その薄白い霧を裂くようにして、一人の町忍が編笠を深くかぶり、橋の上を足早に歩いてくる。通りすがりの旅人を装ったまま、すれ違いざま、わずかに身を寄せた。
「……今朝も、二人。川から上がった」
囁きは風よりも小さく、しかし確実に亥助の耳へ落ちた。
編笠の忍びはそのまま一瞥もくれず、通りの角へと消えた。
亥助はわずかに顔をしかめ、帯に差した短刀の位置を直す。
「またか……」
低い声には、怒りよりも焦りが滲む。
その隣で太一が大きく息を吐いた。昨夜ほとんど眠れなかったのだろう、目の下に疲労の影が濃い。
「姿が見えねえ。痕跡も少ねえ。殺し慣れた手つきだ……まったく、どうなっていやがる」
「……苛立つのはわかるが、声を落とせ」
亥助は周囲を横目で確認しながら告げる。
「敵は影だ。俺たちが気づく前に斬られる」
太一は唇を噛んだ。
川から上がった二人は、いずれも優秀な仲間だった。それが二晩続けて死体で戻る。この町のどこかに、確実に“何者か”が潜んでいる。
少し離れた位置で、ミヲが不安げに二人の顔を見比べていた。
まだ齢十四。だが身のこなしは軽く、耳も良い。経験は足りないが、町忍としての素養は確かだ。
「……亥助殿」
ミヲの声は細く、少し震えていた。
「これから会う戦忍の方々が力を貸してくだされば……事は片付くのでしょうか?」
返ってくる沈黙は重い。
やがて亥助は、面を向けぬまま短く答えた。
「わからぬ。きゃつらは……人を斬り殺すことしか出来ん奴らだ。ならずものと変わらん」
その語気には嫌悪すら混じっている。
太一も同意するように鼻を鳴らした。
「事態が収まるどころか、異物が混ざるだけ動きにくくなるというものだ。町の織り目に土足で踏み込まれてみろ。……上役は何を考えているのか」
ミヲは黙り込み、指先をぎゅっと握った。
年長の町忍たちは、戦忍を警戒し、嫌い、恐れている。
“戦忍は鬼だ”──そんな噂話さえ子供の頃から耳にしてきた。
どのような人物なのか…。想像すればするほど、鬼のような大男たちが脳裏に浮かび、背筋が落ち着かない。
亥助は彼女の不安を察したのか、少しだけ声を和らげた。
「ミヲ、怯える必要はない。戦忍がどうあれ……ここは俺達の持ち場だ。俺たちは俺たちのやり方で立ち向かう。あくまで奴らは“応援”だ」
太一も腕を組み、眉間をほぐす。
「そうだ。町は俺たちの領分だ。戦忍に仕切らせる筋合いはねぇ」
しかし言葉に反して、空気は重い。
町忍が殺され続けるこの状況では、戦忍の介入は避けられなかった。
それでも町忍の誇りが邪魔をし、素直に頼る気にもなれない。
ミヲは通りの先を見つめた。
その向こうからやってくる戦忍は──どんな姿をしていて、どんな声で、どんな目をしているのだろう。
胸の奥がきゅっと鳴る。
そして三人は、それぞれの思惑を抱えたまま、戦忍との接触地点へ向かって歩き出した。
****
合流地点の古井戸は、朝の薄霧に沈んでいた。
井戸端にはすでに三つの影──山村亥助、太一、そして編笠を深くかぶったミヲが立っていた。三人とも町人の姿に紛れているが、その立ち方、呼吸の浅さは緊張を隠しきれていない。
「……来ぬな」
亥助が低く呟き、井戸の縁を指先で叩く。
「まあ、この事態だ。腰を抜かして山に戻ったかもしれん」
太一が鼻で笑った。
ミヲだけは黙っていた。
想像していた“戦忍”は、鬼のような体格の男たち。肩幅が倍はあって、目つきは獣のようで──そう思い込んでいた彼女は、遠くの小道に三つの細い影が現れた時、「違う」とまず感じた。
むしろ、自分とあまり変わらぬ年の少年たちで、しかも華奢だ。あれが待ち人であるはずがない、と一歩退く。
少年たちの方も、相手に気づいて立ち止まった。
先頭の魁が軽く周囲を確認し、その横で谷河内はあからさまに眉間に皺を寄せる。澄真はというと──
知らない人間の気配にぴくりと肩を揺らし、無意識に魁の背に半歩隠れた。
「……無視してやがるのか?」
谷河内がボソッと漏らす。
町忍の三人は、目の前の三人をただの村人としか思わず、こちらに注意すら払っていない。
太一は亥助に何か囁き、ミヲはそっと別の道の様子を窺っていた。
見かねた谷河内が、苛立ちを隠さず一歩踏み出す。
「おい」
その声に、町忍の三人が同時に振り返った。
亥助は怪訝な顔をし、太一は僅かに目を細める。ミヲは驚いたように編笠を押さえた。
「……何か用でも?」
太一が探るような声音で言う。
魁は苦笑し、あらかじめ取り決められていた合言葉を口にした。
「“水脈は西へ”」
聞いた瞬間、亥助と太一の表情が硬直した。
ミヲは目を丸くし、編笠の下で唇を震わせながら、合言葉の続きを声に出す。
「…“影は東へ返る”」
「……おい。お前たちがそうなのか……?」
訝しげに見る太一を一瞥し、魁が一歩前へ進んだ。
朝霧を吸い込むように息を整え、静かに名乗る。
「我ら三名、城下の大事に手を貸すよう命じられ馳せ参じた。──名は望月魁悠」
その名が落ちた瞬間、太一の眉が跳ね上がる。
「望月?……宗玄様と同じ氏では?」
「望月宗玄は、俺の父親だ」
淡々とした口調だったが、町忍の側に走った衝撃は大きかった。
亥助と太一は目を見合わせ、ミヲでさえ編笠の奥で息を呑んでいるのが分かる。
亥助は顎に手を当て、ゆっくりと納得したようにうなずいた。
「……なるほど。正直なところ、我々の窮地に子供などを寄越した上役に腹が立っていたが……貴殿が来られたのであれば話は別だ」
そう言い、改めて姿勢を正す。
「俺は山村亥助。こっちは太一、そして……」
「…ミヲです」
魁は軽く頷き、すぐ背後を振り返る。
「──お前らも名乗れ」
谷河内が渋々前に出て、肩をすくめながら言う。
「谷河内喜助。ガキに見えて申し訳なかったが、これでも齢十九だ」
その隣では、澄真が小さく身を縮めていた。
視線は地面に落とされ、魁の袖をそっと掴んだまま動かない。
町忍の三人が不審そうに彼を見つめると、澄真はさらに魁の背へ隠れる。
編笠の隙間から、ミヲがじっとその華奢な影を観察していた。
「……」
魁は浅く溜息を吐き、代わりに名乗った。
「これは結城澄真。故あって面を被っているが、詮索は無用に願いたい」
戦場で被る狐面ではなく、猫の面を被った澄真は、無言のまま軽く頭を下げる。
味方である町忍び相手といえど、いたずらに素顔は見せない方がいいという魁の意向だった。
「──この通り少々人見知りだが、腕は確かだ。頼っていい」
(……そうは見えないけど)
ミヲは心の中でそっと呟いた。
そのあまりに淡い雰囲気からは、とても“腕が確か”などとは思えない。
亥助と太一も同じようで、互いに肩をすくめてみせた。
魁は気に留める様子もなく、すぐに本題へ踏み込む。
「早速になるが、事情を聞きたい」
「ああ……ここでは話せん」
亥助が周囲へ視線を巡らせ、声を落とす。
「ついてきてくれ」
そう告げると、三人の町忍はすばやく町の裏道へ歩き出した。
魁、谷河内、そして澄真も、互いの距離を慎重に保ちながら後を追う。
六つの影が、迷路のような城下町の奥へ静かに消えていった。
****
裏路地は朝霞の名残を吸い込んだまま、冷たく静まり返っていた。
町忍三名の背中は迷いなく進み、澄真たちはその後に影を重ねるように続く。
その間、澄真はずっと魁の袖をつまんでいた。
肩を寄せ合うほどの距離。足音も息遣いも、互いに触れ合いそうなほど近い。
魁は澄真に視線だけを向け、小声で問いかけた。
「……どうした?」
澄真はハッとし、慌てて袖から手を離した。
だが視線は落としたまま、喉がひくりと動く。
「……見られるの……少し怖い。 ……けど、それより……」
魁が片眉を寄せる。
「ん?」
「なんだか……ビリビリする」
「びりびり?」
その言葉に割って入ったのは、後ろからひょいと顔を出した谷河内だった。
「俺も感じるぜ。あいつらの敵意をびっっっしびしにな!!」
声が思った以上に響き、魁は眉間に深い皺を寄せる。
「声が大きい。……谷河内、いい加減にしろ。ここは町忍の持ち場だ。俺達の介入が面白くないのは当然だろう」
「……っ」
谷河内は一瞬むっとしたが、魁の真剣な目に根負けしたように深呼吸する。
「……わかったよ! もう何も言わねえ!──それに、いつまでも尖ってたらアイツらと同じになっちまうしな」
魁はその言葉に、ほんのわずか表情を緩ませた。
しかし、その横で──
澄真だけはまだ、不安げな表情で視線を地面に落としていた。
握りしめた拳が、かすかに震えている。
その震えが“敵意への警戒”なのか、
もしくは——もっと別の、澄真だけが感じ取っている何かなのか。
魁は問いかけようとしたが、言葉は喉で留まり、結局前を歩く町忍の背に意識を戻した。
六人は無言のまま、さらに城下の奥へと足を進めていく。
****
案内された先は、町外れの古い蔵だった。
湿った空気がよどみ、静まり返った空間に、十名近い町忍たちが集っている。
彼らの中央。
布をかけられた二体の遺体が、丁寧に並べられていた。
町忍たちの表情は一様に沈み、どこか擦り切れてもいた。
太一が口を開く。
「こうして……ほぼ毎日、犠牲者が出ている。
昨夜も見回りに出た仲間が戻らず、夜明けと同時に捜したら……この有り様で」
声には怒りも、悔しさも、疲労も混じっている。
魁は深く頭を下げた。
「検分させてもらっても?」
亥助がうなずく。
「頼む」
魁はまず二人の遺体に手を合わせ、それから片方の着物をそっとめくった。
その横で、亡骸と親しかったらしい町忍の男が、ぽつりと洩らす。
「……そいつは、もうじき祝言を挙げるはずだったんだ……」
重い言葉が、蔵の奥に落ちていく。
誰も口を挟まない。町忍たちの喪失の深さが、静けさに滲んだ。
澄真はもう一人の遺体の傍にしゃがみ込み、じっと観察している。
そのときだった。
「……ん?」
魁の小さな声だったが、周囲の空気がぴたりと止まった。
魁の顔を、亥助が覗き込む。
「どうした?」
魁は血痕に指を滑らせ、周囲の土をつまんでみる。
そして遺体の腕を持ち上げ、爪の間を覗き込んだ。
「……この傷、斬られたものじゃない。刺突だ。それも……」
魁は眉をひそめる。
「同じ角度、同じ深さ、同じ向き。二人とも“寸分違わず”同じ刺し方をされている」
「……偶然ってわけじゃねえな」
「偶然どころか、人間業とは思えない“正確さ”だ。刺突点も、急所を外さず、ほぼ同じ位置……まるで、同じ型で突きを繰り返したような」
魁は遺体の手元を見て、さらに目を細めた。
「……しかも、争った形跡が極端に少ない。襲われた瞬間に“反応できなかった”のか……」
「暗殺の手練れか?」
「おそらく。しかもこれは、“見せつけるための殺し”だ。技術を誇示するように、綺麗すぎる」
町忍たちの背筋に冷気が走り、ミヲは顔色を悪くしながら口を開く。
「……じゃあ、犯人は……」
「少なくとも、素人ではない。型に狂いがない……これは、“訓練された刃”の仕事だ」
そのとき。
澄真が、じっと遺体を見つめたまま、小さく呟いた。
「魁……これ……」
澄真の指先が示すのは、遺体の足首。
そこには、よく見なければ分からないほど微細な、二つの痕跡。
「……踏み込みの跡か?」
「うん……。たぶん……犯人、“左足から”入ってる」
魁の瞳が鋭く光る。
「……左足からの踏み込み……? この刺しの角度で?」
町忍たちには意味が分かっていないが、魁だけは震えるほどの違和感を覚えた。
(この刺し型……左から踏み込んでこの角度で急所を貫くのは……普通の剣士では逆に“やりにくい”はずだ)
魁は息を呑み、澄真を見た。
(まさか……俺達の側の“型”……?)
澄真は言葉には出さず、ただ目を伏せる。
「──太一、例の紙を」
亥助に促された太一が、机の上に広げたのは町の地図だった。
川沿いの区域にいくつもの印が付けられている。
「……この二十日ほどで、犠牲者は八名。全て町忍であり、うち六名は“情報収集”に長けた者達だった」
蔵に重たい沈黙が落ちた。
魁が頷き、地図へ身を寄せる。
「殺された場所は?」
「川沿いの三つの橋付近が多い。遺体が流されて見つかるのは別の場所だ。夜間に見回りに出た者や、人混みに紛れて接触しようとした者も……」
語尾は悔しさに滲んだ。
魁は地図に指先をすべらせながら、淡々と問う。
「敵の人数、あるいは特徴は掴めていないのか?」
亥助が歯噛みする。
「……全く掴めん。町忍の者がここまで何も得られんのは異常だ。気配も足跡も、遺留物もほぼ無し。まして切り口は鋭いのに乱れがない。……まるで“影”が人を殺しているようだ」
谷河内が腕組みしながら首を傾げる。
「影、ねえ……気味悪ぃな。どんな奴らなんだよ」
「姿を見た者がいない。 ただひとつだけ、昨夜やられた仲間が最期に残した“跡”がある」
「跡?」
太一が机の下から布に包まれた木板を取り出した。
血で汚れたそれには、爪で引っ掻いたような鋭い線が刻まれている。
魁が目を細める。
「……これは、“形”だな」
「形?」
魁は指でその線をなぞりながら言う。
「……この刻み方。死の間際に仲間へ何かを知らせようとした“合図”だ。 忍びのいくつかの流派には、最期に“敵の特徴”を残す習わしがある」
場の空気がぐっと硬くなる。
「分かるのか?」
「断定はまだしない。だが……」
魁は木板から指を離し、僅かに息を吐いた。
「この線の引き方は、“左から右へ斜めに切り下ろす”癖がある、と言いたいように見える。それも、ただの癖ではなく……剣の“型”そのもの」
魁は静かに続ける。
「……織宮の剣だ。この町を狙っているのは、同じ“織宮の者”である可能性が高い」
蔵にいた十名ほどの町忍全員の顔色が、一瞬で変わった。
疑念、怒り、嫌悪、そして恐怖。
「……あんた、今……何て言った?」
「聞こえたはずだ」
「まさか……内通者……?いや、そんな……」
場の空気は混乱寸前。
そんな中、澄真だけが面の奥でじっと黙り、遺体の傷を反芻している。
「……同じ…刀の匂い」
誰にも届かないほどの微かな声で。
魁だけがその言葉に、横目で気付いた。
(……やはり、お前も感じていたか)
太一がまず反応した。
顔色がさっと血の気を失い、それから逆に血が昇る。
「……同じ織宮だと? 俺達を殺してるのが、味方だと? 冗談じゃねぇ!!」
「落ち着け太一!!言っているのは“可能性”の話だろう!」
しかし太一は怒りを飲み込めない。
犠牲になった仲間の名を思い出すだけで、胸の奥が焼けるのだ。
「八人も殺されてるんだぞ!?それをやったのが、外の賊じゃねぇ、“俺達を知っている誰か”の仕業ってのか!」
「太一殿」
魁の、低く通る声が、蔵の中に響いた。
太一が言葉を止める。
「お気持ちは当然だ。怒りも疑念も……痛いほど理解する。 だが、今ここで焦っても、何も解決しない」
魁は静かに太一の目を見る。
太一の肩が僅かに震えた。怒りだけではない──不安だ。
魁は続ける。
「まずは事実を確かめたい。剣の癖が“織宮のものに似ている”というだけで、犯人が内からとは限らない。模倣や、攪乱の可能性も」
町忍達の呼吸が、少しだけ整う。
魁は横へ手を伸ばし、澄真の肩へ軽く触れた。
“下がらなくていい”という、ほんの短い合図。
澄真は小さく頷く。
「澄真。何か感じたな?」
蔵の全員の視線が、一斉に澄真へ向く。
澄真はびくりと肩を震わせたが、面をつけたまま俯き、かすれた声で答えた。
「……刀の……匂いがした。似てるけど……全部、同じじゃない。“人”の斬り方じゃない……気がする」
「人の斬り方じゃない?どういう……」
澄真は言葉を探しながら、胸の前で指をひらひらと動かした。
「角度が……変。斬る時、身体ってこう動くのに……」
と、自分の身体で小さく軌道をなぞってみせる。
「……これは違う。届かない方向で“切れてる”。変」
蔵にざわ、と動揺が広がる。
「届かない方向……?あり得ん。そんな姿勢、剣が振れんだろう」
「“普通は”な」
魁は腕を組んで静かに言う。
「だが、もし相手が“二人以上”なら? あるいは──“動きが常人と違う者”なら?」
ざわり、と町忍達の目が揺れた。
「……二人組、か……?」
「もしくは……身体を鍛え抜いた異形か」
魁は淡々とまとめる。
「いずれにせよ──まだ断言はできない。だからこそ、今は情報を集める。敵の動き。足跡。聞き込み。地形。 町忍の力が要る」
亥助が深く息をつく。
「わかった。 では、街の状況を順に説明しよう。“消える殺気”のことも、昨夜あった不審者の影も……全部話す」
「助かる」
谷河内も気を落ち着け、壁にもたれる。
澄真はまだ緊張の色を濃く残していた。
****
亥助が壁際の棚から、簡易の地図を広げた。
紙は使い込まれて端が柔らかくなっており、何度も仲間達の指でなぞられた跡がある。
「……これが城下の通りと、毎夜の“犠牲が上がった場所”だ。 見ての通り……点が散らばっていて、規則性がない。追跡しようにも、線が繋がらん」
太一が赤墨で記された小さな点を、悔しげに指先でなぞる。
「毎度“消える”んだ。気配を感じ、追っても……角を曲がればいなくなる。本当に生きた人間か疑うほどに」
澄真は地図にしゃがみ込み、面越しにじっと覗き込んだ。
指で一点一点を触るようになぞり──わずかに首を傾げた。
その仕草に、魁が澄真に視線を移す。
「……何か気付いたか?」
「うん……いや……うーん……変な感じするだけ」
「変ってなんだよ」
と、谷河内。
「ばらばらに見える。でも……全部“歩いてる道”が似てる。なんかこう……ぐにゃ、って……」
言葉にしづらい感覚。
だが魁はすぐに理解の糸口を掴む。
「“回遊している”……ということか?」
澄真はぽんと手を叩いた。
「それ!ずっと同じところ歩いてるみたいに。でも、遠くのを選んだり……変なの」
ミヲが地図をのぞきこむ。
「……同じ場所を……巡っている……?」
「いや、だとしたら……行く方向が毎度違いすぎる」
「だが、“人が死ぬ位置”は違っても……“敵が現れた瞬間”の目撃情報は、奇妙に重なっていたな」
太一がはっとする。
「……そうだ。“黒い影”を見たのは、全部この通りの傍……」
地図の上、一本の細い道が浮かび上がる。
澄真の感覚が、線を描き始めていた。
「その細道……なんなんだ?」
「城下の外れの、古い路地だ。抜け道にもなるが……夜は人が入らん」
亥助の言葉に、魁が顔を上げる。
「まずはそこを調べたい。敵の正体が何であれ……動線を押さえるのが先だ」
太一が静かに頷く。
怒りはまだ奥底で燻っているが、任務に頭が向いている。
「……今から向かうか?」
「いや、まだだ」
魁は迷いなく言葉を続けた。
「遺体から判断するに──敵は“夜に動く”。日が沈むまで、敵は現れん。いま急ぐより……地の利を詳しく教えてほしい」
亥助は短く息を吐く。
「分かった。町の構造、旧い抜け道、閉ざされた屋敷……全部案内する。 それから──昨夜影を見た者の話も聞かせよう」
そこで魁は振り返り、澄真を見やる。
「澄真。……さっきの“変な感じ”、まだするか?」
澄真は面の奥で、きゅっと眉を寄せる。
「……うん。なんか…この町、ちょっとだけ変」
「変?」
「空気の色が違う。町の全部じゃなくて…どこかが、少しだけ冷たい。うまく言えないけど……」
その言葉に、魁は小さく息を飲んだ。
澄真はときどき──誰よりも早く“異変”を嗅ぎとる。
──その時。
蔵の扉の外で、かすかな“軋み”が響いた。
風の音にしては鋭く、足音にしては軽い。
亥助が即座に合図を送り、町忍が入口へ散る。
魁達も構える。
澄真は──面を押えたまま、小さく呟いた。
「……今の……寒かった」
小さな一言。
それが、最初の“予兆”だった。
その薄白い霧を裂くようにして、一人の町忍が編笠を深くかぶり、橋の上を足早に歩いてくる。通りすがりの旅人を装ったまま、すれ違いざま、わずかに身を寄せた。
「……今朝も、二人。川から上がった」
囁きは風よりも小さく、しかし確実に亥助の耳へ落ちた。
編笠の忍びはそのまま一瞥もくれず、通りの角へと消えた。
亥助はわずかに顔をしかめ、帯に差した短刀の位置を直す。
「またか……」
低い声には、怒りよりも焦りが滲む。
その隣で太一が大きく息を吐いた。昨夜ほとんど眠れなかったのだろう、目の下に疲労の影が濃い。
「姿が見えねえ。痕跡も少ねえ。殺し慣れた手つきだ……まったく、どうなっていやがる」
「……苛立つのはわかるが、声を落とせ」
亥助は周囲を横目で確認しながら告げる。
「敵は影だ。俺たちが気づく前に斬られる」
太一は唇を噛んだ。
川から上がった二人は、いずれも優秀な仲間だった。それが二晩続けて死体で戻る。この町のどこかに、確実に“何者か”が潜んでいる。
少し離れた位置で、ミヲが不安げに二人の顔を見比べていた。
まだ齢十四。だが身のこなしは軽く、耳も良い。経験は足りないが、町忍としての素養は確かだ。
「……亥助殿」
ミヲの声は細く、少し震えていた。
「これから会う戦忍の方々が力を貸してくだされば……事は片付くのでしょうか?」
返ってくる沈黙は重い。
やがて亥助は、面を向けぬまま短く答えた。
「わからぬ。きゃつらは……人を斬り殺すことしか出来ん奴らだ。ならずものと変わらん」
その語気には嫌悪すら混じっている。
太一も同意するように鼻を鳴らした。
「事態が収まるどころか、異物が混ざるだけ動きにくくなるというものだ。町の織り目に土足で踏み込まれてみろ。……上役は何を考えているのか」
ミヲは黙り込み、指先をぎゅっと握った。
年長の町忍たちは、戦忍を警戒し、嫌い、恐れている。
“戦忍は鬼だ”──そんな噂話さえ子供の頃から耳にしてきた。
どのような人物なのか…。想像すればするほど、鬼のような大男たちが脳裏に浮かび、背筋が落ち着かない。
亥助は彼女の不安を察したのか、少しだけ声を和らげた。
「ミヲ、怯える必要はない。戦忍がどうあれ……ここは俺達の持ち場だ。俺たちは俺たちのやり方で立ち向かう。あくまで奴らは“応援”だ」
太一も腕を組み、眉間をほぐす。
「そうだ。町は俺たちの領分だ。戦忍に仕切らせる筋合いはねぇ」
しかし言葉に反して、空気は重い。
町忍が殺され続けるこの状況では、戦忍の介入は避けられなかった。
それでも町忍の誇りが邪魔をし、素直に頼る気にもなれない。
ミヲは通りの先を見つめた。
その向こうからやってくる戦忍は──どんな姿をしていて、どんな声で、どんな目をしているのだろう。
胸の奥がきゅっと鳴る。
そして三人は、それぞれの思惑を抱えたまま、戦忍との接触地点へ向かって歩き出した。
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合流地点の古井戸は、朝の薄霧に沈んでいた。
井戸端にはすでに三つの影──山村亥助、太一、そして編笠を深くかぶったミヲが立っていた。三人とも町人の姿に紛れているが、その立ち方、呼吸の浅さは緊張を隠しきれていない。
「……来ぬな」
亥助が低く呟き、井戸の縁を指先で叩く。
「まあ、この事態だ。腰を抜かして山に戻ったかもしれん」
太一が鼻で笑った。
ミヲだけは黙っていた。
想像していた“戦忍”は、鬼のような体格の男たち。肩幅が倍はあって、目つきは獣のようで──そう思い込んでいた彼女は、遠くの小道に三つの細い影が現れた時、「違う」とまず感じた。
むしろ、自分とあまり変わらぬ年の少年たちで、しかも華奢だ。あれが待ち人であるはずがない、と一歩退く。
少年たちの方も、相手に気づいて立ち止まった。
先頭の魁が軽く周囲を確認し、その横で谷河内はあからさまに眉間に皺を寄せる。澄真はというと──
知らない人間の気配にぴくりと肩を揺らし、無意識に魁の背に半歩隠れた。
「……無視してやがるのか?」
谷河内がボソッと漏らす。
町忍の三人は、目の前の三人をただの村人としか思わず、こちらに注意すら払っていない。
太一は亥助に何か囁き、ミヲはそっと別の道の様子を窺っていた。
見かねた谷河内が、苛立ちを隠さず一歩踏み出す。
「おい」
その声に、町忍の三人が同時に振り返った。
亥助は怪訝な顔をし、太一は僅かに目を細める。ミヲは驚いたように編笠を押さえた。
「……何か用でも?」
太一が探るような声音で言う。
魁は苦笑し、あらかじめ取り決められていた合言葉を口にした。
「“水脈は西へ”」
聞いた瞬間、亥助と太一の表情が硬直した。
ミヲは目を丸くし、編笠の下で唇を震わせながら、合言葉の続きを声に出す。
「…“影は東へ返る”」
「……おい。お前たちがそうなのか……?」
訝しげに見る太一を一瞥し、魁が一歩前へ進んだ。
朝霧を吸い込むように息を整え、静かに名乗る。
「我ら三名、城下の大事に手を貸すよう命じられ馳せ参じた。──名は望月魁悠」
その名が落ちた瞬間、太一の眉が跳ね上がる。
「望月?……宗玄様と同じ氏では?」
「望月宗玄は、俺の父親だ」
淡々とした口調だったが、町忍の側に走った衝撃は大きかった。
亥助と太一は目を見合わせ、ミヲでさえ編笠の奥で息を呑んでいるのが分かる。
亥助は顎に手を当て、ゆっくりと納得したようにうなずいた。
「……なるほど。正直なところ、我々の窮地に子供などを寄越した上役に腹が立っていたが……貴殿が来られたのであれば話は別だ」
そう言い、改めて姿勢を正す。
「俺は山村亥助。こっちは太一、そして……」
「…ミヲです」
魁は軽く頷き、すぐ背後を振り返る。
「──お前らも名乗れ」
谷河内が渋々前に出て、肩をすくめながら言う。
「谷河内喜助。ガキに見えて申し訳なかったが、これでも齢十九だ」
その隣では、澄真が小さく身を縮めていた。
視線は地面に落とされ、魁の袖をそっと掴んだまま動かない。
町忍の三人が不審そうに彼を見つめると、澄真はさらに魁の背へ隠れる。
編笠の隙間から、ミヲがじっとその華奢な影を観察していた。
「……」
魁は浅く溜息を吐き、代わりに名乗った。
「これは結城澄真。故あって面を被っているが、詮索は無用に願いたい」
戦場で被る狐面ではなく、猫の面を被った澄真は、無言のまま軽く頭を下げる。
味方である町忍び相手といえど、いたずらに素顔は見せない方がいいという魁の意向だった。
「──この通り少々人見知りだが、腕は確かだ。頼っていい」
(……そうは見えないけど)
ミヲは心の中でそっと呟いた。
そのあまりに淡い雰囲気からは、とても“腕が確か”などとは思えない。
亥助と太一も同じようで、互いに肩をすくめてみせた。
魁は気に留める様子もなく、すぐに本題へ踏み込む。
「早速になるが、事情を聞きたい」
「ああ……ここでは話せん」
亥助が周囲へ視線を巡らせ、声を落とす。
「ついてきてくれ」
そう告げると、三人の町忍はすばやく町の裏道へ歩き出した。
魁、谷河内、そして澄真も、互いの距離を慎重に保ちながら後を追う。
六つの影が、迷路のような城下町の奥へ静かに消えていった。
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裏路地は朝霞の名残を吸い込んだまま、冷たく静まり返っていた。
町忍三名の背中は迷いなく進み、澄真たちはその後に影を重ねるように続く。
その間、澄真はずっと魁の袖をつまんでいた。
肩を寄せ合うほどの距離。足音も息遣いも、互いに触れ合いそうなほど近い。
魁は澄真に視線だけを向け、小声で問いかけた。
「……どうした?」
澄真はハッとし、慌てて袖から手を離した。
だが視線は落としたまま、喉がひくりと動く。
「……見られるの……少し怖い。 ……けど、それより……」
魁が片眉を寄せる。
「ん?」
「なんだか……ビリビリする」
「びりびり?」
その言葉に割って入ったのは、後ろからひょいと顔を出した谷河内だった。
「俺も感じるぜ。あいつらの敵意をびっっっしびしにな!!」
声が思った以上に響き、魁は眉間に深い皺を寄せる。
「声が大きい。……谷河内、いい加減にしろ。ここは町忍の持ち場だ。俺達の介入が面白くないのは当然だろう」
「……っ」
谷河内は一瞬むっとしたが、魁の真剣な目に根負けしたように深呼吸する。
「……わかったよ! もう何も言わねえ!──それに、いつまでも尖ってたらアイツらと同じになっちまうしな」
魁はその言葉に、ほんのわずか表情を緩ませた。
しかし、その横で──
澄真だけはまだ、不安げな表情で視線を地面に落としていた。
握りしめた拳が、かすかに震えている。
その震えが“敵意への警戒”なのか、
もしくは——もっと別の、澄真だけが感じ取っている何かなのか。
魁は問いかけようとしたが、言葉は喉で留まり、結局前を歩く町忍の背に意識を戻した。
六人は無言のまま、さらに城下の奥へと足を進めていく。
****
案内された先は、町外れの古い蔵だった。
湿った空気がよどみ、静まり返った空間に、十名近い町忍たちが集っている。
彼らの中央。
布をかけられた二体の遺体が、丁寧に並べられていた。
町忍たちの表情は一様に沈み、どこか擦り切れてもいた。
太一が口を開く。
「こうして……ほぼ毎日、犠牲者が出ている。
昨夜も見回りに出た仲間が戻らず、夜明けと同時に捜したら……この有り様で」
声には怒りも、悔しさも、疲労も混じっている。
魁は深く頭を下げた。
「検分させてもらっても?」
亥助がうなずく。
「頼む」
魁はまず二人の遺体に手を合わせ、それから片方の着物をそっとめくった。
その横で、亡骸と親しかったらしい町忍の男が、ぽつりと洩らす。
「……そいつは、もうじき祝言を挙げるはずだったんだ……」
重い言葉が、蔵の奥に落ちていく。
誰も口を挟まない。町忍たちの喪失の深さが、静けさに滲んだ。
澄真はもう一人の遺体の傍にしゃがみ込み、じっと観察している。
そのときだった。
「……ん?」
魁の小さな声だったが、周囲の空気がぴたりと止まった。
魁の顔を、亥助が覗き込む。
「どうした?」
魁は血痕に指を滑らせ、周囲の土をつまんでみる。
そして遺体の腕を持ち上げ、爪の間を覗き込んだ。
「……この傷、斬られたものじゃない。刺突だ。それも……」
魁は眉をひそめる。
「同じ角度、同じ深さ、同じ向き。二人とも“寸分違わず”同じ刺し方をされている」
「……偶然ってわけじゃねえな」
「偶然どころか、人間業とは思えない“正確さ”だ。刺突点も、急所を外さず、ほぼ同じ位置……まるで、同じ型で突きを繰り返したような」
魁は遺体の手元を見て、さらに目を細めた。
「……しかも、争った形跡が極端に少ない。襲われた瞬間に“反応できなかった”のか……」
「暗殺の手練れか?」
「おそらく。しかもこれは、“見せつけるための殺し”だ。技術を誇示するように、綺麗すぎる」
町忍たちの背筋に冷気が走り、ミヲは顔色を悪くしながら口を開く。
「……じゃあ、犯人は……」
「少なくとも、素人ではない。型に狂いがない……これは、“訓練された刃”の仕事だ」
そのとき。
澄真が、じっと遺体を見つめたまま、小さく呟いた。
「魁……これ……」
澄真の指先が示すのは、遺体の足首。
そこには、よく見なければ分からないほど微細な、二つの痕跡。
「……踏み込みの跡か?」
「うん……。たぶん……犯人、“左足から”入ってる」
魁の瞳が鋭く光る。
「……左足からの踏み込み……? この刺しの角度で?」
町忍たちには意味が分かっていないが、魁だけは震えるほどの違和感を覚えた。
(この刺し型……左から踏み込んでこの角度で急所を貫くのは……普通の剣士では逆に“やりにくい”はずだ)
魁は息を呑み、澄真を見た。
(まさか……俺達の側の“型”……?)
澄真は言葉には出さず、ただ目を伏せる。
「──太一、例の紙を」
亥助に促された太一が、机の上に広げたのは町の地図だった。
川沿いの区域にいくつもの印が付けられている。
「……この二十日ほどで、犠牲者は八名。全て町忍であり、うち六名は“情報収集”に長けた者達だった」
蔵に重たい沈黙が落ちた。
魁が頷き、地図へ身を寄せる。
「殺された場所は?」
「川沿いの三つの橋付近が多い。遺体が流されて見つかるのは別の場所だ。夜間に見回りに出た者や、人混みに紛れて接触しようとした者も……」
語尾は悔しさに滲んだ。
魁は地図に指先をすべらせながら、淡々と問う。
「敵の人数、あるいは特徴は掴めていないのか?」
亥助が歯噛みする。
「……全く掴めん。町忍の者がここまで何も得られんのは異常だ。気配も足跡も、遺留物もほぼ無し。まして切り口は鋭いのに乱れがない。……まるで“影”が人を殺しているようだ」
谷河内が腕組みしながら首を傾げる。
「影、ねえ……気味悪ぃな。どんな奴らなんだよ」
「姿を見た者がいない。 ただひとつだけ、昨夜やられた仲間が最期に残した“跡”がある」
「跡?」
太一が机の下から布に包まれた木板を取り出した。
血で汚れたそれには、爪で引っ掻いたような鋭い線が刻まれている。
魁が目を細める。
「……これは、“形”だな」
「形?」
魁は指でその線をなぞりながら言う。
「……この刻み方。死の間際に仲間へ何かを知らせようとした“合図”だ。 忍びのいくつかの流派には、最期に“敵の特徴”を残す習わしがある」
場の空気がぐっと硬くなる。
「分かるのか?」
「断定はまだしない。だが……」
魁は木板から指を離し、僅かに息を吐いた。
「この線の引き方は、“左から右へ斜めに切り下ろす”癖がある、と言いたいように見える。それも、ただの癖ではなく……剣の“型”そのもの」
魁は静かに続ける。
「……織宮の剣だ。この町を狙っているのは、同じ“織宮の者”である可能性が高い」
蔵にいた十名ほどの町忍全員の顔色が、一瞬で変わった。
疑念、怒り、嫌悪、そして恐怖。
「……あんた、今……何て言った?」
「聞こえたはずだ」
「まさか……内通者……?いや、そんな……」
場の空気は混乱寸前。
そんな中、澄真だけが面の奥でじっと黙り、遺体の傷を反芻している。
「……同じ…刀の匂い」
誰にも届かないほどの微かな声で。
魁だけがその言葉に、横目で気付いた。
(……やはり、お前も感じていたか)
太一がまず反応した。
顔色がさっと血の気を失い、それから逆に血が昇る。
「……同じ織宮だと? 俺達を殺してるのが、味方だと? 冗談じゃねぇ!!」
「落ち着け太一!!言っているのは“可能性”の話だろう!」
しかし太一は怒りを飲み込めない。
犠牲になった仲間の名を思い出すだけで、胸の奥が焼けるのだ。
「八人も殺されてるんだぞ!?それをやったのが、外の賊じゃねぇ、“俺達を知っている誰か”の仕業ってのか!」
「太一殿」
魁の、低く通る声が、蔵の中に響いた。
太一が言葉を止める。
「お気持ちは当然だ。怒りも疑念も……痛いほど理解する。 だが、今ここで焦っても、何も解決しない」
魁は静かに太一の目を見る。
太一の肩が僅かに震えた。怒りだけではない──不安だ。
魁は続ける。
「まずは事実を確かめたい。剣の癖が“織宮のものに似ている”というだけで、犯人が内からとは限らない。模倣や、攪乱の可能性も」
町忍達の呼吸が、少しだけ整う。
魁は横へ手を伸ばし、澄真の肩へ軽く触れた。
“下がらなくていい”という、ほんの短い合図。
澄真は小さく頷く。
「澄真。何か感じたな?」
蔵の全員の視線が、一斉に澄真へ向く。
澄真はびくりと肩を震わせたが、面をつけたまま俯き、かすれた声で答えた。
「……刀の……匂いがした。似てるけど……全部、同じじゃない。“人”の斬り方じゃない……気がする」
「人の斬り方じゃない?どういう……」
澄真は言葉を探しながら、胸の前で指をひらひらと動かした。
「角度が……変。斬る時、身体ってこう動くのに……」
と、自分の身体で小さく軌道をなぞってみせる。
「……これは違う。届かない方向で“切れてる”。変」
蔵にざわ、と動揺が広がる。
「届かない方向……?あり得ん。そんな姿勢、剣が振れんだろう」
「“普通は”な」
魁は腕を組んで静かに言う。
「だが、もし相手が“二人以上”なら? あるいは──“動きが常人と違う者”なら?」
ざわり、と町忍達の目が揺れた。
「……二人組、か……?」
「もしくは……身体を鍛え抜いた異形か」
魁は淡々とまとめる。
「いずれにせよ──まだ断言はできない。だからこそ、今は情報を集める。敵の動き。足跡。聞き込み。地形。 町忍の力が要る」
亥助が深く息をつく。
「わかった。 では、街の状況を順に説明しよう。“消える殺気”のことも、昨夜あった不審者の影も……全部話す」
「助かる」
谷河内も気を落ち着け、壁にもたれる。
澄真はまだ緊張の色を濃く残していた。
****
亥助が壁際の棚から、簡易の地図を広げた。
紙は使い込まれて端が柔らかくなっており、何度も仲間達の指でなぞられた跡がある。
「……これが城下の通りと、毎夜の“犠牲が上がった場所”だ。 見ての通り……点が散らばっていて、規則性がない。追跡しようにも、線が繋がらん」
太一が赤墨で記された小さな点を、悔しげに指先でなぞる。
「毎度“消える”んだ。気配を感じ、追っても……角を曲がればいなくなる。本当に生きた人間か疑うほどに」
澄真は地図にしゃがみ込み、面越しにじっと覗き込んだ。
指で一点一点を触るようになぞり──わずかに首を傾げた。
その仕草に、魁が澄真に視線を移す。
「……何か気付いたか?」
「うん……いや……うーん……変な感じするだけ」
「変ってなんだよ」
と、谷河内。
「ばらばらに見える。でも……全部“歩いてる道”が似てる。なんかこう……ぐにゃ、って……」
言葉にしづらい感覚。
だが魁はすぐに理解の糸口を掴む。
「“回遊している”……ということか?」
澄真はぽんと手を叩いた。
「それ!ずっと同じところ歩いてるみたいに。でも、遠くのを選んだり……変なの」
ミヲが地図をのぞきこむ。
「……同じ場所を……巡っている……?」
「いや、だとしたら……行く方向が毎度違いすぎる」
「だが、“人が死ぬ位置”は違っても……“敵が現れた瞬間”の目撃情報は、奇妙に重なっていたな」
太一がはっとする。
「……そうだ。“黒い影”を見たのは、全部この通りの傍……」
地図の上、一本の細い道が浮かび上がる。
澄真の感覚が、線を描き始めていた。
「その細道……なんなんだ?」
「城下の外れの、古い路地だ。抜け道にもなるが……夜は人が入らん」
亥助の言葉に、魁が顔を上げる。
「まずはそこを調べたい。敵の正体が何であれ……動線を押さえるのが先だ」
太一が静かに頷く。
怒りはまだ奥底で燻っているが、任務に頭が向いている。
「……今から向かうか?」
「いや、まだだ」
魁は迷いなく言葉を続けた。
「遺体から判断するに──敵は“夜に動く”。日が沈むまで、敵は現れん。いま急ぐより……地の利を詳しく教えてほしい」
亥助は短く息を吐く。
「分かった。町の構造、旧い抜け道、閉ざされた屋敷……全部案内する。 それから──昨夜影を見た者の話も聞かせよう」
そこで魁は振り返り、澄真を見やる。
「澄真。……さっきの“変な感じ”、まだするか?」
澄真は面の奥で、きゅっと眉を寄せる。
「……うん。なんか…この町、ちょっとだけ変」
「変?」
「空気の色が違う。町の全部じゃなくて…どこかが、少しだけ冷たい。うまく言えないけど……」
その言葉に、魁は小さく息を飲んだ。
澄真はときどき──誰よりも早く“異変”を嗅ぎとる。
──その時。
蔵の扉の外で、かすかな“軋み”が響いた。
風の音にしては鋭く、足音にしては軽い。
亥助が即座に合図を送り、町忍が入口へ散る。
魁達も構える。
澄真は──面を押えたまま、小さく呟いた。
「……今の……寒かった」
小さな一言。
それが、最初の“予兆”だった。
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