青いアネモネ

櫟 真威

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津田山邸に戻った私は、しばらく部屋でぼんやりしていた。
鷲尾が可愛いワンピースを着せてくれたのも、少しでも華やいだ気分になるようにしてくれたのだろう。
夫、いや元夫も「出会った頃のよう」と云ってくれていたし。

職場に離婚したことを知らせないと。
扶養家族から夫を外してもらわないと。
通帳の名義変更もしないと。
……もう羽生田とおるじゃ、ないもんな。

ようやくそこで涙が出てきた。
ワンピースを汚したくないので涙が流れる前に脱いでハンガーにかける。
淡いピンクのキャミソール姿でぺたりと座る。
座布団カバーは多江にもらった端切れでパッチワークのようにして縫った。
手触りが格段にいい。
ティッシュで鼻を押さえてぐすぐすやっていると、鷲尾が上がってきた。
ドアがないのは本当に不便です。

「ごめ……今、は、一人に……」

「もう届けは出してきた」

わざわざ報告に来てくれたのだろうか。
真面目だな。
鷲尾は私を抱き締める。
スーツに鼻水がついてしまう。
私は慌てる。

「職場への届けも、扶養家族変更の手続きも、通帳の名義変更もしてやるから委任状を書け」

「ぐす……っ……さすが、仕事、早い……」

「そして婚姻届も書け」

「は?」

涙が引っ込んだ。
鷲尾は至極真面目な顔をしている。

「お前は今日から鷲尾とおるだ」

「え、でも」

鷲尾は私の唇に吸い付いた。
その手が胸に触れた時、自分が下着姿だったことを思い出し慌てる。
しかし鷲尾は容易に開放する気はないようで、抱き締める手に力が入った。
深いキス。
もう息継ぎができない、なんてことはない。
鷲尾の手が指が、素肌に触れる。
私はおずおずと受け入れた。
畳の上に寝かされる。
鷲尾がのし掛かり、私を見下ろした。
私、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
鷲尾の手が、胸をやんわり揉みしだく。
首筋に口づけを受けた。
目を閉じて鷲尾の温もりを感じる。

「旦那様がお呼びですよ、お二方」

多江さんが階下から声を張った。
鷲尾は動きを止め、それからそっと私から離れた。
でも今、舌打ちしましたよね?

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

「お前の旦那の行方を探しながら、養子縁組の準備もしていたんだ」

津田山は書類をいろいろ広げていた。
私と鷲尾は並んで座る。
私は普段使いのブラウスとスカートを着て神妙にしていた。
なぜ養子に。
鷲尾は明らかにむっとしていた。

「残念だがとおるは俺と結婚する。
養子にはなれない」

「養子になってから結婚すればいいだろ。
どのみち、半年は入籍できないんだし」

「あっ」

鷲尾が声をあげた。
失念していたらしい。
しっかり者の鷲尾にしては珍しい。
でも。

「津田山さんも鷲尾さんも、私なんて身内にして大丈夫なんですか」

「ご主人様って呼びなさい。
お父様でもいいけど」

「お前があんなバカ男に操を立てるからだろうが。
こちとらどんだけ耐えたと思ってるんだ」

あれ。
なんだか会話が成立していない。
多江は楽しそうにそのやり取りを眺めている。
徳嶋も縁側で煙管で煙草をのみながら多江と目配せしている。 
夫婦だなぁ。

「ま、折角だから旦那様に付き合ってあげなさいな、とおるさん。
なんだかんだ、あなたに甘えたいのよ。
もとい、甘やかしたいのよ」

「風呂で背中流してほしいらしいよ」

夫婦揃って楽しそうに私に報告する。

「入浴介助ですか、職業柄慣れていますが」

ぶは、と津田山が吹き出した。

「では早速今夜頼もうかな」

「構いませんよ」

「俺は構う!」

鷲尾が青くなって反対する。
なにも裸でする訳でもないのに、心配性だなぁ。
それに、津田山は夫にすげなくされた私を慰めようと色々してくれているのだ。
それがわからない私ではない。
養子縁組と婚姻届はやりすぎのような気もするけれど。

庭のクレマチスがもうすぐ花開く。
夏が近いのだ。
きっと蝉が喧しかろう。


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