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第一章 イリス
第一話
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私イリスが16歳のときに同い年のジルと婚約してから早いもので一年がたちました。
ジルは学校を二年飛び級して16歳で卒業し、この国で最も権威のある研究所の見習い研究員をしています。そして、私の方はジルとは別の学校で料理や裁縫のような花嫁修業をしております。
あと一年でジルの見習い期間が終わり、私も晴れて卒業を迎えますので、教会で式を挙げて一緒に暮らすことになっています。
あまり似かよったところのない私たちがなぜ婚約することになったかといいますと、ひとえにジルの人となりのためといえるでしょう。
ジルとのお見合いの話を持ってきたのは二歳年上の私の姉と姉の婚約者です。二人は昨年結婚しましたので姉夫婦と呼ばせてもらいます。
姉夫婦はジルと同じ学校の学生で、ジルが二年飛び級したので最終学年は同級生として過ごしていました。
ジルは優秀な学生でしたがとにかく無口で愛想がなく、あまり多くの人とは関わらない性格のようでした。しかし友達がまったくいないというわけでもなく、もう一人同じタイミングで飛び級をしていた学生がいて彼とはずっと親しくしていたようです。
──彼は今外国に留学中だと以前ジルが教えてくれました。
そしてその彼がそれはそれは明るく人懐っこい性格だったこともあり、ジルの寡黙さはより際立って見えていたそうです。
卒業間近となり、ジルのご両親はあることを心配し始めました。ジルはすでに研究所に入ることがほぼ決まっていましたので、その心配は日に日に大きくなっていきます。
同じ年頃の異性と過ごす学生時代に浮いた話を一切聞かない。浮いてこないだけで沈んだままの何かが少しくらいはあるんじゃないかと探ってみてもまったく一つも網にかからない。研究員は多忙だというし、研究所にはそもそも女性が少ないので職場での出会いも望みにくい。
このままでは息子は一生を独身のままで過ごすのではないか。
姉夫婦はジルのお父様と同じ職場で働くことが決まっていました。すでに婚約者同士であった二人の存在はお父様の不安に拍車をかけます。
そしてお父様は姉夫婦に頼みました。
「息子によさそうなお嬢さんを紹介してもらえないだろうか」
先方からジルの肖像画が送られてきたとき、姉夫婦はものすごく微妙な顔をしました。
ジルは茶色い髪と目をしていて、少年っぽさのほうが強いけれど精悍な顔立ちは物語の騎士を思わせます。姉は言いました。
「顔は間違ってないけど、表情がね」
肖像画のジルはわずかにですが微笑んでいました。このごくごく少量の笑いですらもジルには見られないものだそうです。
でも私の肖像画も少々修正が入っていますからお互い様です。うっすら見えるソバカスも消してもらいましたし、肌のキメも三割増しくらいで良くしてもらいました。ただ、髪と目の紫色だけは見たままを描くようにお願いしました。色さえ合っていればあとはお化粧で修正した顔に近付ければいいのです。
とはいえ容姿だけで好印象を持ってもらえる自信はありませんので、心を込めた手紙も添えました。
──親愛なるジルさま
冬の背中は遥か遠く、目の前には花が咲き誇る季節となりました。
ジルさまは、いかがお過ごしですか。
私はお見合いのお話を頂いてから春の訪れる喜びに夢中で跳び跳ねる子羊のような心踊る毎日を送っております。
ジルさまはどんな方でしょうか。
私はお菓子が好きです。マカロン、フィナンシェ、マドレーヌ。ショコラのバランスのとれた甘さとほろ苦さ。
自分にも甘すぎないように苦すぎないように、ショコラのような生き方がモットーです。
明日が来るのが待ち遠しかった小さな頃と同じ気持ちでお会いできる日を心待ちにしております。
温かい気持ちを込めて。イリスより──
丁寧に思いをつづりました。私もジルと同じで浮いた話一つない人生を歩んできたのです。姉もなんだかんだ言いながら紹介してくれたのですから、ジルは悪い人ではないのでしょう。せっかくの良いお話を逃したくない気持ちがありました。
さて、姉夫婦はジルが笑わないと言っていましたが、初めてあったときから今もジルはよく笑いますし、よくしゃべります。
このジルの性格の変化は私の持つ紫色が関係しているのだろうと思います。
──私は壁に飾られたスミレの花を眺めました。これはお見合いのときにジルが贈ってくれた花束をドライフラワーにしたものです。
ジルや姉夫婦の通っていた学校には変わった風習がありました。
卒業間近に一人一つずつ花の種が与えられます。この花の種は見た目はどれも同じですが、魔法がかけられた特殊なものだそうです。
私も姉が持ち帰った種を見せてもらいましたが真ん丸い半透明の種で、向こう側がうっすらと透けて見えるのにどうやって花が咲くのだろうと驚いた覚えがあります。
この花は正式には卒業花と名付けられていますが、別名「運命の花」と呼ばれています。そして、こう言われています。
運命の花は、運命を咲かせる。
姉の婚約者はバラの花を咲かせました。姉の名前はローズ。バラという名前を持つ姉は義兄の運命の人なのでしょう。
姉が咲かせた花もバラでした。姉は「私は自分自身で運命を切り開くのよ」と笑っていましたが、義兄のものとまったく同じバラは二人が同じ運命のもとにあると思わせました。
そんな風に運命の花は、運命の相手や運命の仕事を見せるとされています。
お見合いの前日に姉が、卒業式でジルの花が話題になっていたと教えてくれました。
「最後だから女の子たちが突撃したのよ」
実はジルは大変人気があるのだそうです。私と同じだと思っていたのにそこは違うのかと少しばかり衝撃を受けました。
女の子たちに運命の花を咲かせたか聞かれたジルは無表情で、
「ああ」
とだけ答えたそうです。どんな花が咲いたのか畳みかけて聞こうとした女の子たちを制したのはジルと親しい彼でした。
「運命の人に渡すんだよね。だから何が咲いたかはそれまで内緒ね」
それは制したというのか煽ったというのか。ジルは彼の肩をかなり強めに叩いただけでそれ以上は何も言わなかったそうです。
「明日きっと持ってくるわよ。というか持ってこないんだったら来るなって感じよ」
姉は楽しそうでしたが目は笑っていませんでした。もちろん花がもらえたらいいなとは思いましたが、たとえもらえなかったとしても私は構いません。でも、姉がものすごく怒りそうな気がします。
だからご両親と一緒にお見合いの場に来たジルがスミレの花束を持っていたときは嬉しいというよりホッとしてしまいました。後ろで姉が、
「イリスと同じ紫色ね」
と低い声で呟いたのが聞こえて、本当に花があってよかったと思いました。
お見合いは終始和やかに進みました。自分で言うのもどうかとは思うのですが、運命の人というのがジルを後押ししたのでしょう。いろいろな話をしてくれて声をあげて笑うこともあって、それはそれは姉を驚愕させました。
私は普段のジルを知りませんので、ただとても素敵な人だなと思いました。
そして、私とジルは晴れて婚約者となったのです。
ジルと婚約したことはあっという間に私の友人たちの知るところとなり、学校に行った途端お見合いの一部始終を事細かに白状させられることになりました。その輪の中には私の知らない顔もありましたのでジルは本当に人気があるのだなと改めて思わされました。
ジルは学校を二年飛び級して16歳で卒業し、この国で最も権威のある研究所の見習い研究員をしています。そして、私の方はジルとは別の学校で料理や裁縫のような花嫁修業をしております。
あと一年でジルの見習い期間が終わり、私も晴れて卒業を迎えますので、教会で式を挙げて一緒に暮らすことになっています。
あまり似かよったところのない私たちがなぜ婚約することになったかといいますと、ひとえにジルの人となりのためといえるでしょう。
ジルとのお見合いの話を持ってきたのは二歳年上の私の姉と姉の婚約者です。二人は昨年結婚しましたので姉夫婦と呼ばせてもらいます。
姉夫婦はジルと同じ学校の学生で、ジルが二年飛び級したので最終学年は同級生として過ごしていました。
ジルは優秀な学生でしたがとにかく無口で愛想がなく、あまり多くの人とは関わらない性格のようでした。しかし友達がまったくいないというわけでもなく、もう一人同じタイミングで飛び級をしていた学生がいて彼とはずっと親しくしていたようです。
──彼は今外国に留学中だと以前ジルが教えてくれました。
そしてその彼がそれはそれは明るく人懐っこい性格だったこともあり、ジルの寡黙さはより際立って見えていたそうです。
卒業間近となり、ジルのご両親はあることを心配し始めました。ジルはすでに研究所に入ることがほぼ決まっていましたので、その心配は日に日に大きくなっていきます。
同じ年頃の異性と過ごす学生時代に浮いた話を一切聞かない。浮いてこないだけで沈んだままの何かが少しくらいはあるんじゃないかと探ってみてもまったく一つも網にかからない。研究員は多忙だというし、研究所にはそもそも女性が少ないので職場での出会いも望みにくい。
このままでは息子は一生を独身のままで過ごすのではないか。
姉夫婦はジルのお父様と同じ職場で働くことが決まっていました。すでに婚約者同士であった二人の存在はお父様の不安に拍車をかけます。
そしてお父様は姉夫婦に頼みました。
「息子によさそうなお嬢さんを紹介してもらえないだろうか」
先方からジルの肖像画が送られてきたとき、姉夫婦はものすごく微妙な顔をしました。
ジルは茶色い髪と目をしていて、少年っぽさのほうが強いけれど精悍な顔立ちは物語の騎士を思わせます。姉は言いました。
「顔は間違ってないけど、表情がね」
肖像画のジルはわずかにですが微笑んでいました。このごくごく少量の笑いですらもジルには見られないものだそうです。
でも私の肖像画も少々修正が入っていますからお互い様です。うっすら見えるソバカスも消してもらいましたし、肌のキメも三割増しくらいで良くしてもらいました。ただ、髪と目の紫色だけは見たままを描くようにお願いしました。色さえ合っていればあとはお化粧で修正した顔に近付ければいいのです。
とはいえ容姿だけで好印象を持ってもらえる自信はありませんので、心を込めた手紙も添えました。
──親愛なるジルさま
冬の背中は遥か遠く、目の前には花が咲き誇る季節となりました。
ジルさまは、いかがお過ごしですか。
私はお見合いのお話を頂いてから春の訪れる喜びに夢中で跳び跳ねる子羊のような心踊る毎日を送っております。
ジルさまはどんな方でしょうか。
私はお菓子が好きです。マカロン、フィナンシェ、マドレーヌ。ショコラのバランスのとれた甘さとほろ苦さ。
自分にも甘すぎないように苦すぎないように、ショコラのような生き方がモットーです。
明日が来るのが待ち遠しかった小さな頃と同じ気持ちでお会いできる日を心待ちにしております。
温かい気持ちを込めて。イリスより──
丁寧に思いをつづりました。私もジルと同じで浮いた話一つない人生を歩んできたのです。姉もなんだかんだ言いながら紹介してくれたのですから、ジルは悪い人ではないのでしょう。せっかくの良いお話を逃したくない気持ちがありました。
さて、姉夫婦はジルが笑わないと言っていましたが、初めてあったときから今もジルはよく笑いますし、よくしゃべります。
このジルの性格の変化は私の持つ紫色が関係しているのだろうと思います。
──私は壁に飾られたスミレの花を眺めました。これはお見合いのときにジルが贈ってくれた花束をドライフラワーにしたものです。
ジルや姉夫婦の通っていた学校には変わった風習がありました。
卒業間近に一人一つずつ花の種が与えられます。この花の種は見た目はどれも同じですが、魔法がかけられた特殊なものだそうです。
私も姉が持ち帰った種を見せてもらいましたが真ん丸い半透明の種で、向こう側がうっすらと透けて見えるのにどうやって花が咲くのだろうと驚いた覚えがあります。
この花は正式には卒業花と名付けられていますが、別名「運命の花」と呼ばれています。そして、こう言われています。
運命の花は、運命を咲かせる。
姉の婚約者はバラの花を咲かせました。姉の名前はローズ。バラという名前を持つ姉は義兄の運命の人なのでしょう。
姉が咲かせた花もバラでした。姉は「私は自分自身で運命を切り開くのよ」と笑っていましたが、義兄のものとまったく同じバラは二人が同じ運命のもとにあると思わせました。
そんな風に運命の花は、運命の相手や運命の仕事を見せるとされています。
お見合いの前日に姉が、卒業式でジルの花が話題になっていたと教えてくれました。
「最後だから女の子たちが突撃したのよ」
実はジルは大変人気があるのだそうです。私と同じだと思っていたのにそこは違うのかと少しばかり衝撃を受けました。
女の子たちに運命の花を咲かせたか聞かれたジルは無表情で、
「ああ」
とだけ答えたそうです。どんな花が咲いたのか畳みかけて聞こうとした女の子たちを制したのはジルと親しい彼でした。
「運命の人に渡すんだよね。だから何が咲いたかはそれまで内緒ね」
それは制したというのか煽ったというのか。ジルは彼の肩をかなり強めに叩いただけでそれ以上は何も言わなかったそうです。
「明日きっと持ってくるわよ。というか持ってこないんだったら来るなって感じよ」
姉は楽しそうでしたが目は笑っていませんでした。もちろん花がもらえたらいいなとは思いましたが、たとえもらえなかったとしても私は構いません。でも、姉がものすごく怒りそうな気がします。
だからご両親と一緒にお見合いの場に来たジルがスミレの花束を持っていたときは嬉しいというよりホッとしてしまいました。後ろで姉が、
「イリスと同じ紫色ね」
と低い声で呟いたのが聞こえて、本当に花があってよかったと思いました。
お見合いは終始和やかに進みました。自分で言うのもどうかとは思うのですが、運命の人というのがジルを後押ししたのでしょう。いろいろな話をしてくれて声をあげて笑うこともあって、それはそれは姉を驚愕させました。
私は普段のジルを知りませんので、ただとても素敵な人だなと思いました。
そして、私とジルは晴れて婚約者となったのです。
ジルと婚約したことはあっという間に私の友人たちの知るところとなり、学校に行った途端お見合いの一部始終を事細かに白状させられることになりました。その輪の中には私の知らない顔もありましたのでジルは本当に人気があるのだなと改めて思わされました。
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