ハズレ職業【フリーター】を授かった少年は、王都で騙されて多額の借金を背負う。しかし、修復スキルでガラクタを修復して最下層の泥底から成り上がる

ninjin

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第33話 終幕

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 ヴァレリウス、その名がシュペーアーの口から発せられた瞬間、会場を支配していた熱気は、絶対零度まで急降下した。

 トビーの頭の中で完璧に描かれていた、緻密な勝利の絵図は、まるでガラス細工のように音を立てて崩れ落ちた。これは完全に計算外だった。シュペーアーの2重の裏切り、そして【あのお方】が、この泥底の王を決める場に自ら降臨するという事態は、トビーのすべてのシナリオを根底から覆す。

 トビーは跪いたまま、微動だにできない。彼が流した一筋の汗は、顎の先から冷えた木の床へと滴り落ち、僅かな音を立てた。

 黒い仮面の奥、ヴァレリウスの視線がトビーを捉える。その視線は、獲物を値踏みするのではなく、既に仕留めた獲物をただ眺めているかのような、絶対的な無関心と冷酷さを帯びていた。そして、ヴァレリウスがゆっくりと口を開いた。彼の声は、囁きのように静かでありながら、会場全体を支配する力を持っていた。

「アウレリア」

 その呼びかけは、凍った湖の底から響いてくるような、感情のない冷徹な音色だった。

 「エドワードの、ワシに対する挑戦について、本当の評価を教えてくれ」

 そのたった一言が、直前までトビーの巧みな話術に翻弄され、最高顧問という新たな地位に甘美な高揚感を覚えていたアクネラ――真の名をアウレリア――の意識を一瞬で引き戻した。彼女の思考は、まるで強制的に電源を落とされた機械のように停止し、ヴァレリウスの服従者としての原初の恐怖を呼び起こされた。

「お、お久しぶりでございます、ヴァレリウス様」

 黄金の蜘蛛と恐れられた、妖艶で傲慢な女の面影はそこにはなかった。豪華なドレスを纏った彼女は、まるでか弱い少女のように表情を強張らせ、素早く床に深く跪き、小刻みに震え始める。

 「私ごときに、意見を述べさせてもらえること、光栄の極みでございます」

 アウレリアは、震える声で言葉を紡いだ。

 「エドワードさんの力は、確かに見事なものです。彼は、一般職業である話術士の力を極限まで磨き上げ、上級職にも匹敵するほどの力を発揮しました。その手腕に、私でさえも思わず、このまま配下になっても良いとさえ感じました」

 彼女はそこで一呼吸置き、喉の奥から絞り出すように本質を述べた。

 「しかし……所詮、一般職です。どんなに巧みに操ろうとも、その力はヴァレリウス様の足元には及びません」

 アウレリアはさらに身体を丸め、その美しい頭を深々と垂れる。

 「私たち泥底の支配者という肩書は、ヴァレリウス様から与えられた地位でございます。私たちは、ヴァレリウス様の圧倒的な強さという太陽の下でしか存在できない、影に過ぎません」

 ヴァレリウスは、膝を折って怯える二人の支配者を見下ろす。その空間に満ちる冷たい威圧感は、トビーがこれまでに体験したどの暴力よりも、魂を凍らせるものだった。

 ヴァレリウスの登場により、会場内は目に見えない絶対的な権力の磁場が形成されている。それは、トビーの計算も、話術も、策略も、すべてを無効化する、格の違い、すなわち王都の闇を統べる実質的な支配者としての絶対的な強者感だった。

 アウレリアの震える告白を受け、ヴァレリウスは満足げに小さく頷いた。その冷徹な視線は、次いでベルゼブブへと向けられる。

 「マルクス。貴様はどうだ? 貴様の評価を述べろ」

 ヴァレリウスの姿を直視した時からマルクスは、トビーがかけた話術の影響が水で流れるように消え去り、その絶対的な威厳の前に、ただの弱い老人に成り下がっていた。彼の体はガクガクと震え、椅子に座りながらも、今にも崩れ落ちそうだった。

 マルクスは発言を求められ、何とか口を開こうとする。しかし、顎の震えが激しすぎて言葉にならない。

 「あ、あ、あ、ヴァ、ヴァレリウス……さま……」

 マルクスが無理やり声を発しようと顎をガクガクと震わせたその瞬間、口の中からガタッと音がして、入れ歯が勢いよく宙に飛び出した。

 「フガ、フガフガフガ!」

 空気を切って飛んだ入れ歯は、絨毯の上に落ち、マルクスの口からは意味不明な音だけが漏れる。さきほどまでトビーと対等に渡り合っていた貫禄は完全に消え失せ、彼はただ老いぼれたよぼよぼの老人の姿を晒した。

 ヴァレリウスは、その情けない失態を前に、眉1つ動かさなかった。ただ、深く、呆れたような溜息を吐く。

 「もうよい、マルクス」

 その声には、怒りさえ含まれていなかった。ただの無関心な一言だった。マルクスは、その一言を聞くと、安堵と恐怖がないまぜになった嗚咽を漏らし、目に涙を流しながら床に頭を深く下げた。ヴァレリウスは、闇の王の座からトビーを見下ろす。その声は、場にあるすべての空気を凍らせた。

 「エドワード。お前が何かを企んでいるのは、最初からわかっていた。だが、ワシは敢えてお前を泳がせ、自由を与えていた。どうしてワシを裏切ったのだ?」

 ヴァレリウスの恫喝に対し、トビーの動揺は隠せない。彼は、ヴァレリウスの質問を無視し、自ら抱えていた疑問をぶつけた。

 「お前は……いつからそこにいたのだ?」

 その問いに答えたのは、トビーの脇に立つシュペーアーだった。彼は心底楽しそうな、裏切者の笑みを浮かべる。

 「その質問は私が答えましょう」

 シュペーアーは、もはやトビーを軽蔑の眼差しで見ている。

 「あなたが馬車でこの場へ運ばれた直後、私はすぐにヴァレリウス様に報告にいったのです。すると、ヴァレリウス様もぜひとも子供の演劇を観てみたいとおっしゃいましたので、私がご招待申し上げたのです」

 シュペーアーは一歩前に進み出た。

 「エドワード様、あなたは実に素晴らしい才能の持ち主です。緻密な計算を行い、人を、環境を、すべてを演出の道具として使いこなす様は、まさに神業でしょう。しかし、ヴァレリウス様の御前では、それは子供の演劇会となってしまうのです」

 シュペーアーの残酷な言葉は、トビーの胸を突き刺す。


 「王都の全ては、ヴァレリウス様の影響下にあると言っても過言ではありません。あなたがどんな手を使おうとも、誰も、ヴァレリウス・オーガスタス・アイゼンブラント公爵――すなわち、現国王の兄に畏怖しない者などいないのです。あなたがどうあがいても勝てる相手ではなかった」

 トビーは、自分がヴァレリウスの手のひらの上で、ただ踊らされていた道化であったことを悟った。しかし、トビーの瞳の奥、妹を助けるという魂の火はまだ消えていなかった。彼は、震える膝をどうにか踏ん張り、最後の悪あがきを開始する。

 「……俺を、殺すのか? ヴァレリウス!」

 トビーは声を絞り出した。

 「俺は、まだまだ利益を生み続けるぞ。あのアルトというガキをうまく使えば、錬金術のようにゴミを金に変えることができるのだ!俺は、お前の金庫番として使えるはずだ!」

 ヴァレリウスの表情は動かない。静かに言い返す。

 「あのガキは使えるな。だが、お前はもう必要ない」
 「まて!アイツを最大限に活かして使えるのは俺だけだ。お前の威圧による先導には、致命的な弱点があるだろう!」

 トビーは最後の交渉を挑む。

 トビーの最後の切り札、すなわち【威圧による先導の弱点】の指摘に対し、ヴァレリウスは微動だにしなかった。その声は深海の氷のように冷たいままだ。

 「ワシの職業である先導者アンフィーラーに、弱点などない」

 その断言は、トビーの必死な言葉を無価値なものとして切り捨てた。だが、トビーはここで引けば死ぬ。彼は既にヴァレリウスへの敬意を捨て去っていた。

 「嘘をつけ!」

 トビーは血が滲むほど拳を握りしめた。

 「威圧によって服従した者は自分の意思で行動ができなくなり、自身の力を最大限に引き出すことができなくなる!それが先導者アンフィーラー、の致命的な欠陥だ!」

 トビーは、なりふり構わず、ヴァレリウスの最も強固な支配構造を揺さぶりにかかる。

 「アルトはまだ成長過程だ。アイツは感情によってさらに進化する。俺の話術士のスキルなら、アイツの心を操り、奴を最高の道具としてまだまだ成長させて、お前に最大限の利益を与えることができるはずだ」

 トビーは、自分の利用価値を冷静かつ最大限に提案する。

 「お前には野望があるのだろう。王都を裏で支配するなど、その野望を叶えるための布石でしかないはずだ。俺なら、お前の究極の野望を果たすための手伝いをすることができる。だから、俺を死ぬまで使い続けろ!」

 ヴァレリウスは、トビーの必死な訴えに、初めて小さく、冷笑的な笑みを浮かべた。その笑みは、トビーが勝利を確信した時のものよりも遥かに冷酷で恐ろしい。

 「フッ……確かにワシの野望を成就するには、まだまだ資金と手駒が不足だ。あのアルトという少年は使える。その評価は正しい」

 ヴァレリウスはトビーの主張を一部認めながら、その言葉の端々には嘲りが含まれていた。

 「だが、ワシの情報によると、アルトは借金を返し終えれば、お前の元を去る契約を交わしているはずだろう。お前の嘘の戯言が、このワシに通用すると思っているのか? 身の程を知れ、エドワード!」

 ヴァレリウスは激しく恫喝した。トビーは顔から動揺を拭い去り、狂気を帯びた眼差しで言い返す。

 「ヴァレリウス、俺を舐めるな。アルトの心は、既に掌握済みだ。あのガキにとって、俺は王都で唯一、心の底から慕う兄なんだ。アイツは一生、俺の金のなる木として生き続ける運命にあるのだ!」

 トビーの、友を完全に道具として断言する言葉を聞いたヴァレリウスは、再び大声で冷たく笑った。その笑い声は、王都の闇の底で響く不協和音のようだった。

 「アッパレだ。お前は、ワシをもお前の劇場に引きずり込むつもりだな。だが、覚えておけ。所詮、お前の職業はありふれた一般職。ワシのようなレア職業の前に、お前の劇場はただの砂上の楼閣だ」

 ヴァレリウスは、冷笑を止めることなく、部屋の奥の暗闇に向かって声を発した。

 「おい。もう姿を見せてもいいぞ」

 その声に呼応するように、部屋の隅の影から、一人の少年が涙目で顔を歪ませながら、よろめきつつ姿を現した。

 「ぼ……僕は、本当にお前のことを王都でできた唯一の友達だと思っていたんだぞ。トビー……また僕を騙していたのか」

 そこに立っていたのは、トビーの最も重要な道具であり、トビーの復讐の鍵である、アルトだった。ヴァレリウスの言葉と、トビーの冷酷な本性を同時に突きつけられたアルトは、心底からの絶望に打ちひしがれ、その場に立ち尽くしていた。
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