男女比5対1の女尊男卑の世界で子供の頃、少女を助けたら「お嫁さんになりたい!」と言って来た。まさか、それが王女様だったなんて……。

楽園

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13話 王女の確信と届かぬ賞賛

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(リリアーナ視点)
 
 離宮のサロンで、私は侍女長からの朝の報告を受けていた。
 窓の外は、学園の喧騒《けんそう》が嘘のように静まり返っている。だが、私の心は穏やかではなかった。
 侍女長が、昨夜からのアルトの動向を報告する、その一言一句を、私は完璧な「王女」の仮面に隠しながら聞いていた。
 
 ……食べて、くれたかしら。
 昨夜、あの離宮で彼と再会した後、私は侍女に命じて、温かい食事を旧寮の彼の部屋の前に届けさせた。
 
 彼が、あの旧寮で満足な食事も摂らず、図書館の地下書庫のようなカビ臭い場所で冷たい携帯食ばかり口にしていると知り、いても立ってもいられなかったのだ。
 
 十年前、私を助けてくれた時の彼は、確かに小さかった。だが、その瞳には強い光が宿っていた。
 先日の実技訓練や、図書館のガラス越しに見た彼は、あの頃の面影を残しつつも、あまりにも痩せて、どこか危うげな雰囲気をまとっていた。
 
 ……彼が、あの頃の光を失ってしまうのではないか。
 そんな恐怖が、私を突き動かした。
「――以上です。アルト様は、今朝未明、旧寮の裏口に、例の保温容器を返却されておりました」
 
 侍女長の淡々とした声に、私は張り詰めていた息を、小さく、深く吐き出した。
「……中身は?」
「はい。すべて召し上がられた様子で、綺麗に洗われておりました」
 
「……そう。よかった……」
 私は、心の底から安堵していた。
 指先まで温かい血が戻ってくるのが分かる。
 王女という立場を笠に着た、強引な「施し」だ。
 昨夜の私の冷たい態度を考えれば、拒絶されても、床に叩きつけられていてもおかしくなかった。
 
 『餌付け』だなんて、思っていないわよね……?
 いえ、もしそう思われても構わない。
 彼が体を壊してしまうより、ずっといい。
 彼が、私の差し出したものを受け入れてくれた。
 
 その事実だけで、今はただ嬉しかった。
「……それで? その後の、講義室での様子は?」
 気持ちを切り替え、私は次の報告を促す。
 侍女長は、わずかに眉をひそめた。
 
「はっ。本日午前、『魔法史』の講義にて、少々、騒ぎが」
 その報告を聞き、私の胸に強い痛みが走った。
 レオナルドが、教師を唆し、アルトを公衆の面前で辱めようとしたのだ。
 
 教師が、教科書に答えのない『大災厄』の原因について、アルトに推察を求めたのだ。それはレオナルドが唆したのだ、とすぐに分かった。
 ……また、あの男レオナルドなのね。
 私の婚約者候補筆頭である公爵家の嫡男。
 
 家柄と魔力だけが取り柄の、中身のない男。
 彼の、嫉妬深く、自分より「異質」な存在をいたぶることでしか自尊心を満たせない卑小さが嫌になる。
 
 そんな男が、私の夫の最有力候補……。
 そして、そんな男が支配する教室に、アルトがいる。
 
 アルト……きっと、困ったことでしょう……。
 彼が目立ちたくないことも、厄介事を避けたいことも、私は知っている。
 彼が「分かりません」と答えて、クラス中のみんなから笑い浴びせられる光景が目に浮かんだ。
 
 私が、彼を「推薦」という形で引っ張り出してしまったせいだ。
 罪悪感で胸が痛んだ。
 だが、侍女長の次の報告は、私の予想を遥かに上回るものだった。
 
「――教師の執拗な詰問に対し、アルト様は、以下のように『推察』を述べられました」
 侍女長が、記憶したまま言葉を無感情に読み上げる。
「『……あれは、純粋な物理現象です』」
「……え?」
「『古代魔法文明は、魔力を過信し、大規模な質量兵器を衛星軌道上に展開していた。それが、何らかの理由……制御不能により、地上に落下した』……以上でございます」
 
 シン……。
 サロンが、静まり返った。
 侍女長は「……推薦入学者の発言としては、あまりに常軌を逸した戯言《たわごと》かと。教師も、他の生徒も、理解が追いつかず、彼を『不気味』なものとして……」と、自分の意見を付け加えた。
 
 私の手が、興奮で震えているのを感じる。
 ……戯言? 違う、違うわ……!
 衛星軌道? 質量兵器?
 言葉の意味は、完全には分からない。
 だが、その発想が、この世界の誰とも違う!
 
 王家に伝わる、ごく一部の禁書。
 王位継承者である私ですら、閲覧に厳しい制限がかかる、あの最重要機密。
 『大災厄』は、神の怒りでも、魔力の暴走でもなく、天から「星ではない何か」が落ちてきたことが原因である、と示唆する、曖昧な記述。
 
 彼は、それに極めて近い「答え」に、独力で辿り着いている……!
 レオナルドや他の男たちが、教科書の暗唱や、家柄の自慢、女に媚びることしかできないというのに。
 
 彼は、あの嘲笑のど真ん中で、たった一人、この世界の「真理」の一端を語った。
 ……ああ、アルト……!
 やはり、彼は特別だ。
 
 私を救った、あの禁忌の「力」だけじゃない。
 その「頭脳」までもが、常識に囚われていない。
 その「知識」は、一体どこから……?
 彼が夜ごと図書館の地下書庫で読み漁っている、あの古い文献から導き出したというの?
 
 一人きりで!? この学園の誰の助けも借りずに?
 ……もっと知りたい。彼と、話がしたい。
 なぜ、あなたはそんな事を知っているの?
 なぜ、あなたは、私に本当のことを教えてくれないの?
 
 10年前、私を助けた時、何を思っていたの?
 会いたい。
 あの離宮での、冷たい「尋問」ではなく。
 「王女」と「没落貴族の男」としてではなく。
 
 ただ、あなたと、対等に話がしたい。
 この学園で、私の疑問に、私の好奇心に、本当の意味で応えられるのは、きっと、あなただけなのに。
 私は、侍女長に命じた。
 
「……侍女長。今夜の『食事』は、特別なものにしなさい」
「……と、申されますと?」
「彼は今日、あの陰湿な講義で、ひどく頭を使ったはずですわ。……栄養のあるものを。肉料理と、甘いデザートも付けなさい」
 
「……はっ。しかし、よろしいのですか?」
 侍女長が、初めてわずかな懸念をにじませた。
「『施し』は、相手をより頑なにする可能性も……。特に、アルト様のような誇り高い方を」
「構いません」
 
 私は、きっぱりと言った。
 これが、今の私にできる、精一杯の「称賛」であり、「応援」だ。
 彼が今日、たった一人で成し遂げた「思考の勝利」を、私だけは知っている、と伝えたかった。
 
 たとえ彼が、これを「屈辱」や「監視」、あるいは「珍妙な芸へのご褒美」と誤解したとしても。
 私は、彼が、あの古い寮で、孤独に知識を磨き続けているその努力を、決して無下にはさせない。
 
 アルト……あなたは、本当に、他の男とは、まるで違うわ。
 その時の私は、彼が豪華な食事を見て、どんなに困惑し、あるいは怒りに震えているかなど想像もせず、ただ、彼への募る想いと尊敬の念を、夜空に浮かぶ月に向けていた。
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