レビラト・シンデレラ

湖町はの

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 白は次第にその濃度を増していった。どんどん激しく変わり、視界を、道を悪くする。
 
「はぁ……」
 
 ソニアは揺れる馬車にため息を吐いた。エドワードの言う通り、雪が降ったってなにも良いことが無い。
 
「もうすぐ着くね」
 
 エドワードの顔色も悪い。もとより降り積もる雪にも似通う白い頬から仄かな血色も失せ、蒼白に変わっている。
 
「気分が悪いの?」
 
 寒さから身を守る肉のない華奢な身体を抱き寄せてみると、さっきよりも冷えてしまっている気がした。
 
「ん……そう、だね」
 
「酔っちゃった? それとも寒い?」
 
 あまり足しにはならないだろうが、とコートを脱ごうとすると止められた。寒さのせいではないらしい。
 
「ソニア。僕は……」
 
 骨張った非力な腕が、胴を締め付けるように巻き付いてくる。
 
「うん」
 
 ソニアの柔い胸に顔をうずめてはいるが、エドワードには下心など微塵もない。子が母に甘えるようなものなのだ。
 
「こわいんだ……こわいよ、ソニア」
 
 星の輝きを思わせる玲瓏な声を震わせて、エドワードは静かに涙を流した。
 彼はいつも、嗚咽を押し殺して泣く。子どものように泣きじゃくったって、突き放したりする気はソニアにはないというのに。
 
「なにが、怖いの?」
 
「ソニアが、いなくなっちゃう……」
 
 馬車が奈落の底へ落ちていくことを心配しているのだろうか。それなら、指輪のサイズと同じくお揃いだ。
 
「大丈夫よ、ゆっくり走れば落ちたりしないわ」
 
「でも……いくらゆっくり走ったって、いつかは着くんだ」
 
 話がかみ合わない。彼が心配しているのは転落のことではないらしい。
 
「どこに?」
 
「あのひとの、ところ……そしたら、ソニアは、僕のそばからいなくなる」
 
 車輪の音に紛れてしまいそうな小さなその音を聞き逃さぬようにと、ソニアは耳を澄ませた。
 
「あのひとって言うのは……あなたの、お兄様のこと?」
 
 尋ねると、エドワードはたどたどしく首肯して窓の外へ目をそばだてる。
 雪に埋もれてほとんどなにも見えないと言うのに、怯えたようにまたソニアの胸に顔を押し当てた。
 
 このままこの道を走っていけば、辿りつくのは北の最果て。彼の兄である、ギルバート・アルファルドが住む屋敷だ。
 エドワードは必要ないと言ったが、貴族間の婚礼において当主への挨拶は当然守られるべき慣例。本来なら神前での儀式の前に赴くべきであったその場所へ今更ながら向かっているのだ。
 
 ――ギルバート・アルファルド。
 彼もまた若くして爵位を得て伯爵となっている。エドワードとは双子の兄弟だと聞かされた。
 
 ソニアの頭上で、また九官鳥たちが騒ぎ立てる。
 
《 アルファルド伯爵はエドワード様とそっくりで、でも……お顔に痛々しいキズがあるのよ 》
 
《 そう、”傷の伯爵様”。左頬に、醜く引きつれた痕 》

《 人が嫌いで、爵位を継いでからはずーっと北の森に籠っておられるの 》
 
《 とくに女性がきらいよ。そう、丁度貴女みたいな 》
 
「――金髪と、水色の目の女」
 
 ソニアは喧しい鳥たちの囀りを掻き分け、エドワードの心を鎮めるための情報を探し出した。
 
「ギルバート様は、そういう女が嫌いなんですって。見つけると、あなたと同じアメジストの瞳で睨み付けてくるそうよ」
 
 だから、大丈夫。あなたの兄はわたしなんかに興味を持たないわ――寝物語を読み聞かせるようにそう語って見せても、エドワードは顔を上げない。
 
「ねぇ、なにがそんなに心配なの? わたしはキズモノなの。アルファルド伯爵の目に留まるはずなんてないわよ」
 
 ソニアは言いながら右脚へ視線を落とした。

 
 ソニアの身体にも、消えない傷がある。父と母が亡くなった事故のときに負った傷だと、後から医師に聞かされた。
 ソニアには事故のときの記憶が残っていないので、いつの間にか負わされた身に覚えのない、憎い刻印だ。
 
 身体に傷があると言うのは理由はなんであれ、見目の良さを重視する貴族社会において大きな汚点だ。それが目立つ場所であればあるだけ、キズモノとして忌避される。

 
「……あのひとの顔にも、傷がある」
 
「そうね。でも、自分の容貌を棚上げして美しい女を娶るぐらいの権力が伯爵様にはあるはずでしょう? わざわざわたしを欲しがる理由なんてないわ」
 
 エドワードはまだ泣き止んではくれなかった。
 ソニアの胸元は涙で濡れて少し冷たくなってしまっている。
 
「それに、わたしは”魔法”だって大して使えない」
 
「兄さんだって、そうだよ。ほとんど使えない」

 
 ”魔法”――かつてこの国が戦乱に包まれていた時代に一部の人間にだけ発現した特殊能力。
 
 その力で戦乱を治めるのに貢献した一族の末裔たちは、功労の大きさに準じて爵位を与えられ、貴族としての贅沢を赦されている。
 結界が張られ、平穏の保たれている現在では魔法を使えないからといって困ることはないが――結界の維持を司り、“守護星“と称される四つの貴族の家に生まれた人間にとって、魔法の才を持たないことは無価値の烙印を押されるのに等しい。

 不運なことに、ギルバートとエドワードの生まれ落ちたアルファルド伯爵家は、“北の守護星“だ。
 エドワードも、魔法の原動力たる魔力はあまり豊富で方ではない。長男でありながらそのエドワードよりも劣る才しか持たないとなれば、その扱いは察して余りある。

 
「そうなの」
 
(無価値な、キズモノ)
 
 ソニアはギルバートの境遇に自分を重ねてしまいそうになるのを必死で堪えて、冷静な声を出した。
 
「うん……魔力のコントロールも、下手で。よくいろんなものを壊して叱られてた。お父様も、兄さんより僕のほうが優秀だって、言ってくれた」
 
 エドワードは、美しい瞳を隠すように瞼を伏せて、唇を引き結んだあとに少し歪める。
 
 彼が、時折みせる暗鬱な笑み。
 ソニアは彼のそんな笑い方が――嫌いだった。
 
「だから……」
 
 エドワードの言葉が詰まる。揺れる背中をさすりながら次の言葉を辛抱強く待っていると、また、小さな声がした。吹雪に吹き飛ばされてしまいそうな声だった。
 
「怖いんだ」
 
 繰り返す。
 
「ギルバートは、僕が嫌いで……僕を、妬んで。いつも、僕のものを欲しがった」
 
 お母様がくれた鉢植え、お父様がくれた万年筆。執事がくれた手紙。――兄に奪われたものを指折り数えるエドワードの声は、悲しみと苛立ちに上擦っていった。
 
「好きだった……女の子」

 最後の、十本目の指を折ったエドワードは、ソニアを縋るように見つめる。
 
「……大丈夫。大丈夫よ」
 
 ――ギルバートがエドワードを妬んだように。
 いくら愛情を注いでもらえても、一番目は自分じゃない。そんな妬みを、エドワードもまた、半身へ抱いているのだろう。

 ソニアは彼に、自分に言い聞かせるように繰り返した。エドワードではなく、彼の片割れに同調してしまう心情を隠すように。
 
「本当に……?」
 
「ええ、本当よ」
 
 エドワードの濡れた目元をハンカチで拭ってやっていると、彼はソニアの腕をつかんで、指に唇で触れた。永遠を誓う指輪のはまった指に。
 
「ねぇ、ソニア……誓って。僕以外の物に、ならないって……ずっと、永遠に僕のそばにいて」
 
 神へ祈るような声に、ソニアは神前での儀式のときよりも、ずっと真剣に、心からの言葉で誓った。
 
「ええ、ずっと、ずっと一緒にいるわ。大好きよ、エドワード」
 
 永遠に――死がふたりを分かつまで。
 
 誰に聞かせるでもないその誓いが、雪の中で静かに響いた。
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