レビラト・シンデレラ

湖町はの

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 ――姉上には、僕がきちんと相応しい相手を探して差し上げますよ。
 
 ソニアの弟、アレン・エルナトの最期の言葉だ。
 
「爵位を持たない相手と結婚させたところで、なんのメリットもないでしょう?」
 
 アレンは左肩に鳥と猫を混ぜ合わせたような、おぞましい生物を乗せていた。彼が魔法で造り出した不幸ないのち。
 
「貴族の結婚は、双方の利点があってはじめて成立するんです」
 
 指先が、異形の喉をなでる。
 
「愛し合うふたりがなんの損得も考えずに、ただ結ばれるなんて」
 
 ぐるぐると鳴る音に共鳴するような嘲笑。
 
「そんな、おとぎ話みたいなことがあるはずないんですよ」
 
 唇の端を歪めて微笑む表情は、ソニアによく似ていた。

 
 そんな彼は、式の数日前に死んだ。正しく言えば、彼が死んだから式は挙げられたのだ。
 
 ソニアが十三歳になる頃に当主であったセドリック・エルナトと、その妻エミリアが事故で亡くなったため、アレンは幼くして男爵家を継いでいた。
 成人していないアレンに公務を行う能力はなく、遠縁のポルックス子爵家の次男、ルーカス・ポルックスが代理を務めていたが、アレンの死と日を同じくして姿をくらませた。

 
 斯くして、唯一遺されたエルナトの直系であるソニアと婚姻を結んだエドワードは、エルナト男爵となった。
 
 愛する二人にとってはおとぎ話のように転がり込んできた幸運だ。

 二人の幸福を祝う者は、アレン・エルナトを殺したのはルーカス・ポルックスであると言った。失踪したタイミングも、残されていたアレンの遺体も、全てがルーカスが犯人であると語っていた。

 だが、二人の幸福を嗜虐的に観察した者は、アレン・エルナトを殺したのは――。


 
 ◆ ◆ ◆

 
 
 黒が一面を覆っている。なにも見えない、完全な暗闇だった。
 
「……エドワード?」
 
 暗闇の中でソニアは彼の名前を呼ぶ。そして空を見上げた。
 空といっても何も見えないせいで本当にそこが空であるのかはわからない。どちらにせよ相当深い場所まで落ちたらしいことは確かだ。
 
(想像が当たってしまうなんて)
 
 御者の悲鳴と馬のいななきが頭の中で反復するように響く。その音を最後に記憶が途切れているので、馬車が谷底へと落ちたのだと考えてまず間違いはないはずだ。
 なのに、不思議と痛みが無い。視界が黒に囚われている以外は至っていつも通り。
 
(大丈夫……大丈夫よ)

 言い聞かせるソニアの頭の上で、九官鳥がけたたましく羽ばたいた。金の羽根が舞う。
 
《 呪われた男爵令嬢 》
《 ソニア・エルナトの周りの人間はみんな死んだ! 》
《 不幸になった! 》
《 ソニアに魅入られたエドワードもきっと――! 》
 
 首を掴む。空色の目が恨めしそうに見上げてくるのを睨み付け、力を込めて圧し折った。
 指輪が指に食い込む。彼の瞳と同じ宝石の嵌め込まれた、指を飾る冠。闇の中で冷たいその輝きに唇を落とした。
 
「わたしが無傷なんだもの……エドワードだって、無事よ」
 
 確かめなければ。彼を探さなければ。言い聞かせて、恐る恐る手を伸ばす。なにかに触れたのでなぞると、どうやら馬車の窓らしい。硝子は無くなっている。
 横転しているであろう馬車の中で立ち上がった。文字通り右も左もわからないせいで、平衡感覚がうまくつかめずよろめく。
 
「あっ……」
 
 柔らかいなにかを踏んづけたのに背筋が冷えたが、どうにか外に這い出す。履いていたヒールは折れてしまっていたので脱ぎ捨てて、ふらつきながらあてもなく走り出した。
 
「エドワード……エドワード! どこ? どこにいるの?」
 
 エドワードは暗闇が嫌いだ。太陽と月の重なる夜には、これ以上暗くなるのが怖いと言って目を閉じないものだから、ソニアも付き合って一晩中お喋りをしながら夜を明かしたこともある。
 
(可哀想なエドワード。きっとはぐれて、どこかで泣いている)
 
「はやく、はやく見つけないと……」
 
 走っても走っても、どこにも行けない気がして、それでも必死で走った。どこからか聞こえる水の音を頼りに、走る。
 
《 ねぇ ソニア 》
《 気づいてるんでしょう? 》
《 同じ馬車の中にいたんだよ 》
 
「エドワード! おねがい、返事をして……! エドワード……っ」
 
 喉を潰し二度と話せないようにしてしまったはずの鳥が、大きな声で嗤うのをかき消すように大声を張り上げる。
 
《 このにおいはなに? 》
 
「エド、ワード……!」
 
《 アレンの部屋 》
《 エドワードの爪の間 》
《 ねぇ 》
 
 ――ソニア。
 
「これ、は……」
 
 座り込む。冬の森の、深い谷底で。真っ暗な世界で、ひとり。
 ちがう。一人じゃない。闇の中で、ソニアに寄り添うようにエドワードが座っている。ガリガリと、音がしている。
 
「エドワード、だめよ。傷に、なっちゃうから……」
 
 彼は腕に爪を立てていた。闇の中で光る白い肌。
 肌が薄いのか、頻繁になにかに引っ掛けたような赤い線を作って、気になるのかそれを爪先で掻きむしるのが癖だった。
 
「手当て、しないと……ね?」
 
 ――大丈夫だよ、もう止まってるから。
 
 立ち上がって薬箱を取りに行こうとするソニアの袖を、エドワードが引く。
 
「だめよ、痕になっちゃう」
 
 ――でも、ソニアもよく触ってるでしょう?
 
 右の腿を指して、彼は片肘を付いた。
 
「そうね……わたしも、たまに気になって触っちゃうときがあるわ。でもわたしのはもう消えないし、それに」
 
 エドワードの肘を伝う――赤。
 
「そんな風になるまで引っ掻いたりは、しないのよ」
 
 爪の中で、赤が固まってしまっている。少し深めに切り揃えた薄い爪の中を丁寧に洗えば、水が薄桃色に濁って流れていった。
 
《 アレンが着ていた白いシャツ 》
《 エドワードの白い爪の間 》
 
「えど、わーど」
 
 ソニアが呼ぶと、エドワードは微笑んだ。
 
《 姉上 》
 
 その姿が、ぐにゃぐにゃ、歪んで、変わる。シャム猫と、鳩の混ざった異形へと。
 
「嫌……ちがう、ちがう……ッ」

 異形が笑う。
 
《 姉上 この色は 》
 
《 ソニア 》

 空色の瞳が見つめてくる。声がする。さっきまでより、ずっと近くから。喉の、奥から。
 

 このにおいは、この色は――血だよ。ソニア。
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