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第25話 カルヴィンの救済 -4-
西の領主館の執務室に通されたノアはカルヴィンを前に身構えていた。
昨夜、侯爵家の秘書だという人物が訪ねてきた。当主からの面会の申し入れだった。
カルヴィン・ボークラーク侯爵。豊かで広大な領地をもつ上級貴族。
そして、エリーゼの夫。
一度だけとはいえ、妻に手を出した間男を許しはしないだろう。断罪されるなら、せめて実家には迷惑が掛からないようにしたい。火事の後始末で父親は過労で倒れ、母親も心労がたたり寝込んでいる。妊娠中の妻はとりあえず親元に帰したが、先行きを心配して精神的に不安定になっているようだ。
ノアの正面のソファに座ると、カルヴィンは切り出した。
「まずは火災のお見舞いを申し上げる。大変な目に遭われたな」
ノアは虚を突かれた。てっきり罵られるのだと覚悟をしていたのに。
「もったいないお言葉です」
「失礼ながらそちらの経済状況を調べさせてもらった。今後の見通しは明るくないようだが、間違いないかな?」
「はい。侯爵閣下の仰る通りです。考えうるかぎりの手を打ちましたが、万策尽きました。幸い貯蔵庫は無事でしたので在庫を売り払い、せめて従業員に退職金を支払いたいと思っています」
「あくまで提案の一つとして聞いてもらいたいのだが、どうだろうか、蒸留所をボークラーク領に移転するのは?」
「え? それはどういう……」
「私の領地に新しく建て直さないか? ここは穀倉地帯でウイスキーの材料の大麦もたくさん栽培されている。万年雪の山もあり、雪解け水が美味しいと他領にも評判だ。素人意見で申し訳ないが、蒸留酒を作るにはいい条件が揃っていると思う。建築費用はもちろん支援しよう」
ノアは戸惑いを隠せなかった。
「いや、願ってもいないお話ですが、どうしてそこまでしていただけるのでしょうか」
「将来、儲けが出ると踏んでいるからだよ。先行投資だ。慈善事業をやるつもりはないから、いくつか条件を提示させてもらうが」
カルヴィンは契約書をノアの前に差し出した。
土地の使用料は売上の8%、事業を拡大する際は雇用創出のため領地の人材を雇うこと、輸出にはボークラーク家の貿易商を通す等、記載されていた。ノアに不都合どころか、賃料など経費面では以前より有利といえる。
「知っていると思うが、隣国のケンドル共和国は今、蒸留酒が大変な人気で品薄状態なんだ。国内で流通させるよりも輸出した方がはるかに高値がつくだろう。ケンドルの商会にはツテがあるから、貯蔵庫の在庫を捌く際も力になれると思う」
「どうしてですか?」
「条件に何か問題でもあるだろうか?」
「違います。私にはあなたにここまでよくしていただける理由がありません」
「妻に頼まれたんだ。君を助けて欲しいと」
「待ってください! 本当にそれだけなんですか? 私とリゼのことは知っているんですよね? それなのにどうして」
「僕は妻に弱いからね。エリーゼの願いはなんでも叶えると決めているんだ。彼女は君の再出発を望んでいる。だから出資する。それだけの話だ」
ノアには返す言葉もなかった。
執務室の外の廊下にはエリーゼが立っていた。
「ノア、どうだった?」
「ありがとう、リゼ。君と閣下のおかげで家族や従業員を路頭に迷わせずに済みそうだ。感謝するよ」
「そう、よかったわ」
胸に手を当て、ホッと安堵の表情を浮かべる。
ノアはエリーゼの頬に触れようと手を伸ばした。しかし、そのまま手を下ろす。
「リゼを奪って連れて帰りたかったけど、君の旦那には勝てる気がしない。完敗だよ」
エリーゼはクスッと笑う。
「あなたがほかの男性に負けを認めるところを初めて見たわ」
ノアはただ肩をすくめてみせた。
「君は今は幸せなんだね」
「ええ。あなたも幸せになって」
エリーゼは立ち去るノアの背中を見送った。
昨夜、侯爵家の秘書だという人物が訪ねてきた。当主からの面会の申し入れだった。
カルヴィン・ボークラーク侯爵。豊かで広大な領地をもつ上級貴族。
そして、エリーゼの夫。
一度だけとはいえ、妻に手を出した間男を許しはしないだろう。断罪されるなら、せめて実家には迷惑が掛からないようにしたい。火事の後始末で父親は過労で倒れ、母親も心労がたたり寝込んでいる。妊娠中の妻はとりあえず親元に帰したが、先行きを心配して精神的に不安定になっているようだ。
ノアの正面のソファに座ると、カルヴィンは切り出した。
「まずは火災のお見舞いを申し上げる。大変な目に遭われたな」
ノアは虚を突かれた。てっきり罵られるのだと覚悟をしていたのに。
「もったいないお言葉です」
「失礼ながらそちらの経済状況を調べさせてもらった。今後の見通しは明るくないようだが、間違いないかな?」
「はい。侯爵閣下の仰る通りです。考えうるかぎりの手を打ちましたが、万策尽きました。幸い貯蔵庫は無事でしたので在庫を売り払い、せめて従業員に退職金を支払いたいと思っています」
「あくまで提案の一つとして聞いてもらいたいのだが、どうだろうか、蒸留所をボークラーク領に移転するのは?」
「え? それはどういう……」
「私の領地に新しく建て直さないか? ここは穀倉地帯でウイスキーの材料の大麦もたくさん栽培されている。万年雪の山もあり、雪解け水が美味しいと他領にも評判だ。素人意見で申し訳ないが、蒸留酒を作るにはいい条件が揃っていると思う。建築費用はもちろん支援しよう」
ノアは戸惑いを隠せなかった。
「いや、願ってもいないお話ですが、どうしてそこまでしていただけるのでしょうか」
「将来、儲けが出ると踏んでいるからだよ。先行投資だ。慈善事業をやるつもりはないから、いくつか条件を提示させてもらうが」
カルヴィンは契約書をノアの前に差し出した。
土地の使用料は売上の8%、事業を拡大する際は雇用創出のため領地の人材を雇うこと、輸出にはボークラーク家の貿易商を通す等、記載されていた。ノアに不都合どころか、賃料など経費面では以前より有利といえる。
「知っていると思うが、隣国のケンドル共和国は今、蒸留酒が大変な人気で品薄状態なんだ。国内で流通させるよりも輸出した方がはるかに高値がつくだろう。ケンドルの商会にはツテがあるから、貯蔵庫の在庫を捌く際も力になれると思う」
「どうしてですか?」
「条件に何か問題でもあるだろうか?」
「違います。私にはあなたにここまでよくしていただける理由がありません」
「妻に頼まれたんだ。君を助けて欲しいと」
「待ってください! 本当にそれだけなんですか? 私とリゼのことは知っているんですよね? それなのにどうして」
「僕は妻に弱いからね。エリーゼの願いはなんでも叶えると決めているんだ。彼女は君の再出発を望んでいる。だから出資する。それだけの話だ」
ノアには返す言葉もなかった。
執務室の外の廊下にはエリーゼが立っていた。
「ノア、どうだった?」
「ありがとう、リゼ。君と閣下のおかげで家族や従業員を路頭に迷わせずに済みそうだ。感謝するよ」
「そう、よかったわ」
胸に手を当て、ホッと安堵の表情を浮かべる。
ノアはエリーゼの頬に触れようと手を伸ばした。しかし、そのまま手を下ろす。
「リゼを奪って連れて帰りたかったけど、君の旦那には勝てる気がしない。完敗だよ」
エリーゼはクスッと笑う。
「あなたがほかの男性に負けを認めるところを初めて見たわ」
ノアはただ肩をすくめてみせた。
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