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アンアームド・エンジェルの失言
3.
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「白虎」
朱色の鳥居に背を預けながら、乾いた唇でその名前を呼ぶ。探るように辺りに目を走らせると、参道へと続く砂利道の奥で傾きかけている石柱が視界に入った。改めて業者に修理を頼むのも良いが、予算如何では直属上司の財政が逼迫する可能性もある。要相談、と答えを出して、相談できるような関係ではない現状を思い出した。
思考と、現在がうまく結び付かない。意志や焦りだけが先走り、その後から現実を思い出すという微妙な時差がある。ここ最近は、常にそんな感じだった。
憂いを帯びた圭吾の目があちこち傷んでいる神社の次の問題点を見つける前に、視界の隅で空気が歪む。その姿を象る孤高の動物霊は、先日交わした盟約により絶対服従の存在となった。白く艶のある毛並みには、霊だと言われても俄には信じがたいほどの存在感がある。上質な毛布のように柔らかなそれは、どうしたって正反対の剛毛な動物霊を連想させた。
彼に向ける上司の信頼は、乗り越えることなどできない程に分厚い。自分自身の立ち位置が、役目が、明確だった筈の頃は羨むような気持ちはなかったが、足元さえ覚束ない今となっては、心を蝕む嫉妬心はいくらでも湧いてきた。決して敵うことはないのだと結論を出さなければ、その先に選択肢を見出だすことさえ不可能だった。
「聞けない類いの命令はあるか?」
端的で、曖昧な質問。
〝いいえ。マスターのおっしゃることには全て従います〟
即答で返された応えに目を伏せて、圭吾はシニカルに笑った。
「僕を殺せと命じても?」
〝マスター……〟
意図がわからないその問いに、答えあぐねて白虎が耳を伏せる。余裕さえ伺えるようなおどけた口調で、圭吾は軽やかに口を開いた。
「ごめん、ちょっとからかっただけだよ。僕らの契約対象になっているのは、生きた心臓だ。それをふいにするような意地悪な命令はしないから安心しろ」
たちの悪いジョークを聞かされた後のような、白々しい空気。笑みの形を崩さない圭吾の唇が、流行りの歌のサビだけを口ずさむような無責任さで指示を出す。
「土屋先輩を見張ってくれ。僕のところに戻るのは夜でいい。報告は一日に一回で構わないが、何か異常があればその都度知らせてくれ」
〝……見張る?〟
どこか不適切な言い方のような気がして、白虎は言われたことをそのままおうむ返しにしたが、当の本人は特に違和感を覚えていないようだった。
――けれど、目には見えない歯車が、確実に狂い始めている。
圭吾と主従関係となって日の浅い白虎さえ、僅かに軋むその音を拾い上げていた。けれど圭吾が、歪んでゆくその場所を離れようとしないのだ。手を伸ばしたかったその先に、確かに届くはずだったその人に、心を残したまま動けずにいる。
あの日、必要不必要で判断したくないと背を向けた恭介のことを思い出す。預けてもらえるものと思っていたその背を、抱えたかった圭吾の両腕が何ひとつ持つことを許されないまま見捨てられていた。同じ秘密を抱えた筈の者同士が、今も尚一人きりだった。
見張るという行為を自ら行うことのできる距離にいるくせに、その実圭吾の足は、この四日間件の人物に近づくことさえしていない。柔らかな声。軽やかな仕草。白虎が確認できるマスターのそれら全てには何の束縛もないようでいて、言葉にしがたい重みや柵を感じられた。
訂正されることのなかったその一言をどうにか飲み込み、滑りの悪い喉元を撫でるように前足で擦る。白虎は考えることをやめ、言葉の通り恭介を見張ることにした。くるりと尾を翻し、傍にいるべき主人の元を離れる。
マスターの命令は絶対だ。
誰に言われるまでもなく、白虎はそのことをよく理解していた。
朱色の鳥居に背を預けながら、乾いた唇でその名前を呼ぶ。探るように辺りに目を走らせると、参道へと続く砂利道の奥で傾きかけている石柱が視界に入った。改めて業者に修理を頼むのも良いが、予算如何では直属上司の財政が逼迫する可能性もある。要相談、と答えを出して、相談できるような関係ではない現状を思い出した。
思考と、現在がうまく結び付かない。意志や焦りだけが先走り、その後から現実を思い出すという微妙な時差がある。ここ最近は、常にそんな感じだった。
憂いを帯びた圭吾の目があちこち傷んでいる神社の次の問題点を見つける前に、視界の隅で空気が歪む。その姿を象る孤高の動物霊は、先日交わした盟約により絶対服従の存在となった。白く艶のある毛並みには、霊だと言われても俄には信じがたいほどの存在感がある。上質な毛布のように柔らかなそれは、どうしたって正反対の剛毛な動物霊を連想させた。
彼に向ける上司の信頼は、乗り越えることなどできない程に分厚い。自分自身の立ち位置が、役目が、明確だった筈の頃は羨むような気持ちはなかったが、足元さえ覚束ない今となっては、心を蝕む嫉妬心はいくらでも湧いてきた。決して敵うことはないのだと結論を出さなければ、その先に選択肢を見出だすことさえ不可能だった。
「聞けない類いの命令はあるか?」
端的で、曖昧な質問。
〝いいえ。マスターのおっしゃることには全て従います〟
即答で返された応えに目を伏せて、圭吾はシニカルに笑った。
「僕を殺せと命じても?」
〝マスター……〟
意図がわからないその問いに、答えあぐねて白虎が耳を伏せる。余裕さえ伺えるようなおどけた口調で、圭吾は軽やかに口を開いた。
「ごめん、ちょっとからかっただけだよ。僕らの契約対象になっているのは、生きた心臓だ。それをふいにするような意地悪な命令はしないから安心しろ」
たちの悪いジョークを聞かされた後のような、白々しい空気。笑みの形を崩さない圭吾の唇が、流行りの歌のサビだけを口ずさむような無責任さで指示を出す。
「土屋先輩を見張ってくれ。僕のところに戻るのは夜でいい。報告は一日に一回で構わないが、何か異常があればその都度知らせてくれ」
〝……見張る?〟
どこか不適切な言い方のような気がして、白虎は言われたことをそのままおうむ返しにしたが、当の本人は特に違和感を覚えていないようだった。
――けれど、目には見えない歯車が、確実に狂い始めている。
圭吾と主従関係となって日の浅い白虎さえ、僅かに軋むその音を拾い上げていた。けれど圭吾が、歪んでゆくその場所を離れようとしないのだ。手を伸ばしたかったその先に、確かに届くはずだったその人に、心を残したまま動けずにいる。
あの日、必要不必要で判断したくないと背を向けた恭介のことを思い出す。預けてもらえるものと思っていたその背を、抱えたかった圭吾の両腕が何ひとつ持つことを許されないまま見捨てられていた。同じ秘密を抱えた筈の者同士が、今も尚一人きりだった。
見張るという行為を自ら行うことのできる距離にいるくせに、その実圭吾の足は、この四日間件の人物に近づくことさえしていない。柔らかな声。軽やかな仕草。白虎が確認できるマスターのそれら全てには何の束縛もないようでいて、言葉にしがたい重みや柵を感じられた。
訂正されることのなかったその一言をどうにか飲み込み、滑りの悪い喉元を撫でるように前足で擦る。白虎は考えることをやめ、言葉の通り恭介を見張ることにした。くるりと尾を翻し、傍にいるべき主人の元を離れる。
マスターの命令は絶対だ。
誰に言われるまでもなく、白虎はそのことをよく理解していた。
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