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アンリミテッド・スノーマンの情景
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町外れの田舎道ほど、足元に注意が必要なルートはない。ネオンに包まれた繁華街とはまるでかけ離れた薄暗い世界で、明らかに本数の足りていない街頭が夜道をどうにか照らしていた。電信柱と一体化するように括り付けられているその照明には、いかにも後付けで設置したということが伺えるお座なりさがある。広範囲を照らすのに適してはいない豆電球じみた光は、まるで誘い込まれるように近くを飛び回る羽虫専用のスポットライトだ。
そのおこぼれをありがたく頂戴しつつも、何となく重い足取りで鳴海は石段を大股で降りていた。
〝何叱られた子供みてェな顔してんだ〟
普段なら無駄に明るい声で喋り続けるその口が、恭介の神社を出て以降一度も開いていない違和感を見過ごさずに犬神は声を投げる。
「……言ったって、わかんないもん」
それこそ拗ねているような言い方になってしまったことを恥じながら、覇気のない声で言い返す。探るように、背後の気配を確認した。行きにべっとりとつきまとわれた嫌な感じは、もうなくなっている。
気づかれないようホッと息をついて、鳴海はハイカットのスニーカーで地面を蹴った。
〝わかんなくはねーかもしれねェだろ。何が不満なんだよ〟
「だって……ワンちゃんは、俺のワンちゃんじゃないのに」
〝……あ? 何だって?〟
「わざわざ俺の面倒まで見なくたっていいのにさ! ってこと!」
早歩きになって犬神を追い越しながら、まるで追い掛けてくれることを期待している子供のような仕草だと気付き居たたまれなくなる。恭介の負担になりたくなくて、戦力の頭数に入らないことを決めたのは自分なのに。足手まといになるのは嫌だなんて――想定できた筈の展開を受け入れられず、駄々を捏ねている自分を悟られたくはなかった。
〝んなもん、難しく考えなくていーんだよ〟
繊細な人間特有の感情の機敏など悟る術もなく、犬神は大雑把にまとめたコメントを無責任に投げ遣った。
くすりと笑って、鳴海は後ろに組んでいた手をほどく。そのまま伸ばしかけた指は、結局触れる前に拳を作った。何故だか、いつものように気軽に、犬神の毛並みを撫で回すことはできなかった。
「俺、ワンちゃんのそういうとこ好きだよ」
〝ああ、そうかよ〟
何を褒められたのかもよくわからないまま、犬神は居心地が悪そうに顎の下を掻く。
「……ねぇ、そういえばさ。逆、ってどういう意味?」
〝何の話だ〟
「さっき、烏丸さんが言ってたじゃん。神社に居れば悪いものから守ってもらえるよねって俺が言ったら、逆だって」
〝ああ……〟
聞き返しても反応の悪かった烏丸のことをふいに思い出して、鳴海は気になっていた話を蒸し返した。
〝由来によって様々だとは思うが、神社は基本的に、悪いものをそこに閉じ込めるために造られる場合が多いからな〟
「閉じ込める? ……だって、奉ってるのは神様でしょ?」
イメージとまるで真逆のことを言われて、鳴海は大きな目を更に丸くさせる。
〝奉られて、ちやほやされた結果神様になったけど、もともとは悪霊だったってパターンも多いぜ。疫病だ何だで災厄をもたらす霊魂を鎮めるために、ご馳走や祝詞で気ィ良くしてもらって、その居心地のいい場所に留まってもらう――つまり、現世に出てって悪いことをしようっていう憂さ晴らしに繋がるような発想を、根こそぎ削ぐんだ。神社に張られている結界ってのはその村を守るためってェよりは、まさにその神社から悪いものが外に出ていかないように張られている場合の方が多い。だからどこも、入りやすい分、出にくいんだ。烏丸の言う逆ってのは、そういうことを差してんだろ〟
気まぐれな猫ががわざわざ意味深な言い方をしたせいで、この子供にいらぬ興味を持たせてしまったようだ。話しても面白みのない民俗学を語る羽目になり、犬神はとんだとばっちりだとほぞを噛む。
〝まぁ……とにかく、そんな昔話今はどうでも〟
「どうしよう、ワンちゃん」
いつの間にか、鳴海を追い越してしまったようだ。護衛はともかく、彼の進路に関しては彼の指示を仰げる位置にいなければならない。下がるつもりで振り仰ぐと、顔面蒼白の鳴海が立ち竦んでいた。
「俺……悪いもの、恭ちゃんのとこにつれてっちゃった……」
震える唇が、独り言のような弱々しさで犬神に告げる。
〝何……だって……?〟
「変な気配に追っかけ回されてたんだよ! たから怖くって、恭ちゃんのところに逃げ込んだの! 神社なら、守ってくれるって先入観があったから……!」
浅はかだった自分の思考回路に嫌気がさす。心配を掛けたくないと、何も話さずに恭介をあの神社へ置いてきた。
そのことが、完全に裏目に出てしまった。
「引き返さなきゃ! 恭ちゃんのところに……! ワンちゃんだけでも先に戻っ……」
〝落ち着け鳴海! よくわかんねェけど、それってお前も危険だってことだろ……!? 恭介が心配な気持ちもわかるが、あそこには烏丸も……〟
「烏丸さんは大人だし頼りになるけど! だって、あの人は……!」
雑木林をぐるりとかき混ぜるような影が、鳴海と犬神を飲み込んだ。
「あの人は、戦えないでしょ!?」
〝鳴海!!〟
影を真っ二つに斬るように、大きな風が目の前を横切った。反射で鳴海を背後に庇いながら、犬神は即席の結界を張る。気を付けなければならない方向がまるでわからないため、半円の光を作り、自分達を覆うように地上の全方位を囲った。
「ワンちゃん……!」
〝いいか、俺が許可を出すまでそこを動くんじゃねェぞ!〟
眼球をぐるりと動かして、周囲の気配を探る。風の音、葉の擦れ合う音。視界に映るもののみならず、些細なノイズにさえ神経を研ぎらせた。
「――甘いよ」
揺蕩う空気を劈くように真一文の閃光が放たれ、振り向く間もなく鳴海の肩を貫いた。
〝鳴海!〟
呻き声をあげながら肩を抑える鳴海を背に庇い、犬神がじりじりと後ろへ下がる。現状を把握しようにも頭が追い付かない。
犬神の作った結界は、脆弱なものではなかったはずだ。いざという時に反撃に出られるよう余力こそ残していたものの、まるでそこに最初から何もなかったみたいに、抵抗ひとつなく貫かれてしまうだなんて。
「それは、」
透き通る声が、場違いの透明感を含んで静寂に落とされた。
「俺が半分人間だからじゃないか?」
正解を与えるかのように短く言い置いて、新たな閃光が犬神の右前足を貫いた。
〝……!?〟
刃物のような鋭い勢いで自身を突き刺した筈のその光が、何の感覚も残さず消えている。
「なぁ、影響ねェだろ? それはお前が物の怪で、俺が生きているからさ」
ちらりと視線を動かして、たった今灯篭を薙ぎ倒した影を見遣る。ゆらり。靄の晴れた一瞬で、理不尽な敵意を向けてきただろう人物の顔が見えた。
〝てめェかよ……! 智也ァ……!!〟
「……ワンちゃんの、知り合いなの?」
〝少なくとも俺が知ってる頃は、人に害悪を齎すような特技を持っちゃいなかったけどな……おい、誰に魂売って、こんな一発芸ができるようになったんだ?〟
烏の濡れた羽のような、重々しい艶を含んだ黒髪が僅かに揺れた。片目を覆うほどに長い前髪から見えた右目は、一瞬ぞくりとするほど冷酷だった。糸目と言っていい程細い眼差しからは、緋色に燃える片目だけで気圧されるほどの霊気を放っている。
若草色の着物の袖をはためかせながら、智也と呼ばれた青年は食えない笑みを浮かべた。
「俺も知らなかったんだがな。生きた人間の霊気と、死んだものの霊気というのは互いに干渉できないらしいぞ」
左手に集まる目映い程の赤い光が、徐々に帯状になり犬神の鼻先へと向けられた。
「俺は犬神を倒せねェが、」
智也が凪ぎ払うように真横に振りかざすと、その動きに倣って光も同じ弧を描く。
「そのガキを俺が殺すことを、お前には止められない」
後ろ足で鳴海を蹴飛ばして、咄嗟に塀の陰に隠す。正面から波動を受けた犬神を素通りするかのように、その衝撃は丸ごと後ろの塀に打ち付けられた。
〝鳴海……!〟
「だ、大丈夫……!」
傾いた盾の下から気丈な声は聞こえたものの、それを鵜呑みにはできなかった。犬神の足元には、夥しい血痕が飛び散っている。先程負った鳴海の怪我が、決して浅いものではないことを物語っていた。
倒壊直前の壁に隠れるようにして鳴海は、片手で素早く文字を打つ。右肩は痺れるような激痛が走り使い物にならなかったが、指先だけで事足りる動作には、左手が残っていれば充分だった。必要最低限のことしか送信できなかったが、察しの良いあの友人ならこの現状を把握してくれるに違いない。
「ね……ワンちゃん」
〝心配すんな! 俺が必ずお前を守る!〟
「違うよ……俺のことはいいから、恭ちゃんのところに行ってあげて」
らしくない程力のない声があまりに痛々しくて犬神は勢い怒鳴り返したが、そうではないのだと、穏やかに首を振られる。
〝……は?〟
「俺らが足止めされてるってことは、恭ちゃんにも同じだけ……ううん、それ以上の脅威があるってことでしょ?」
二度目の衝撃波が、鳴海を庇う塀に当てられた。ついにその形の殆どを保つことができなくなり、コンクリートだった筈の立派なそれは、見る影もなく瓦礫へと化す。
「お願い。恭ちゃんを……守ってあげてよ」
〝お前を置いて行けっていうのか!?〟
理解するのに、一拍遅れた。この少年は自分を見殺しにして、主の元へ急げと言っているのだ。
「当たり前じゃん! こういう時に守れなかったら、全然意味がないでしょ!? 一体何のために、恭ちゃんと盟約を交わしたんだよ!?」
〝少なくとも、ダチを見捨てるためにではねェよ!〟
「わからず屋!」
〝どっちが!〟
言い争っている間にも、ゆらり。続けて揺らめく赤い光が、次の攻撃まで間がないことを示唆していた。
〝くそっ……!〟
犬神が自身の霊力で、散らばった瓦礫を巻き上げる。
「目眩ましのつもりか? 無様だな」
わざとらしく肩を竦めて、智也は再度光の帯を作る。彼の鋭いナイフのような閃光は、粒の荒い石をかき集めたところで防ぎようがないことは犬神も承知の上だった。
だが、もう後ろにいる少年を充分守れるような壁もない。悪足掻きと笑われようが、浅慮だと罵られようが、僅かでも障壁となるものを作らねばならなかった。
「ワンちゃん……っ!」
〝くそ……!〟
何もかもから守ることができなかった、五歳の恭介が頭をよぎる。あの頃から結局のところ、自分などには守りたいものも守れないままなのか。
智也が手を振りかざす。禍々しい赤が残酷無比に鳴海へと向けられた――その一瞬前。
〝胸くそ悪ィことしてんじゃねーぞ!〟
懐かしい声が、薄暗い路地裏に響き渡った。視線をあげる前に、大きな灯籠が智也に向けて投げつけられる。寸でのところでそれを避けながら、智也は隠しきれない苛立ちを見せた。
「鳴海さん、大丈夫ですか……!?」
〝おっ前……拓真か!?〟
犬神が細い目をドングリのように見開きながら、声のした方を振り返る。
(たっくん、だけじゃない)
鳴海はそのすぐ後ろで立ち竦みながら、歓喜に震える胸を押さえた。凡そ拓真は使いもしないような、口の悪い言葉。
聞き間違えじゃない。絶対に自分は間違えたりなんかしない。あの日、あんなに容易く鳴海の心を奪っていったくせに、さよならも言わせてくれなかった冷たい男。
〝おい……久々に挨拶に来てみりゃあ、随分元気そうじゃねェか? なぁ、鳴海〟
出血の止まらない肩を指差して意地悪そうに笑う色男。唐紅の着物を着崩して悪ぶったって、その目を見ればどんなに純朴な性格か一発でわかる。出会ったあの頃と同じように彼は、ハーフアップのように片方だけ下ろした前髪以外は、頭の後ろで無造作に結っている。
「……いち君」
本人が欠片も歓迎してないだろうその名前を口にした瞬間、完全に力の抜けた鳴海の膝が地面についた。
そのおこぼれをありがたく頂戴しつつも、何となく重い足取りで鳴海は石段を大股で降りていた。
〝何叱られた子供みてェな顔してんだ〟
普段なら無駄に明るい声で喋り続けるその口が、恭介の神社を出て以降一度も開いていない違和感を見過ごさずに犬神は声を投げる。
「……言ったって、わかんないもん」
それこそ拗ねているような言い方になってしまったことを恥じながら、覇気のない声で言い返す。探るように、背後の気配を確認した。行きにべっとりとつきまとわれた嫌な感じは、もうなくなっている。
気づかれないようホッと息をついて、鳴海はハイカットのスニーカーで地面を蹴った。
〝わかんなくはねーかもしれねェだろ。何が不満なんだよ〟
「だって……ワンちゃんは、俺のワンちゃんじゃないのに」
〝……あ? 何だって?〟
「わざわざ俺の面倒まで見なくたっていいのにさ! ってこと!」
早歩きになって犬神を追い越しながら、まるで追い掛けてくれることを期待している子供のような仕草だと気付き居たたまれなくなる。恭介の負担になりたくなくて、戦力の頭数に入らないことを決めたのは自分なのに。足手まといになるのは嫌だなんて――想定できた筈の展開を受け入れられず、駄々を捏ねている自分を悟られたくはなかった。
〝んなもん、難しく考えなくていーんだよ〟
繊細な人間特有の感情の機敏など悟る術もなく、犬神は大雑把にまとめたコメントを無責任に投げ遣った。
くすりと笑って、鳴海は後ろに組んでいた手をほどく。そのまま伸ばしかけた指は、結局触れる前に拳を作った。何故だか、いつものように気軽に、犬神の毛並みを撫で回すことはできなかった。
「俺、ワンちゃんのそういうとこ好きだよ」
〝ああ、そうかよ〟
何を褒められたのかもよくわからないまま、犬神は居心地が悪そうに顎の下を掻く。
「……ねぇ、そういえばさ。逆、ってどういう意味?」
〝何の話だ〟
「さっき、烏丸さんが言ってたじゃん。神社に居れば悪いものから守ってもらえるよねって俺が言ったら、逆だって」
〝ああ……〟
聞き返しても反応の悪かった烏丸のことをふいに思い出して、鳴海は気になっていた話を蒸し返した。
〝由来によって様々だとは思うが、神社は基本的に、悪いものをそこに閉じ込めるために造られる場合が多いからな〟
「閉じ込める? ……だって、奉ってるのは神様でしょ?」
イメージとまるで真逆のことを言われて、鳴海は大きな目を更に丸くさせる。
〝奉られて、ちやほやされた結果神様になったけど、もともとは悪霊だったってパターンも多いぜ。疫病だ何だで災厄をもたらす霊魂を鎮めるために、ご馳走や祝詞で気ィ良くしてもらって、その居心地のいい場所に留まってもらう――つまり、現世に出てって悪いことをしようっていう憂さ晴らしに繋がるような発想を、根こそぎ削ぐんだ。神社に張られている結界ってのはその村を守るためってェよりは、まさにその神社から悪いものが外に出ていかないように張られている場合の方が多い。だからどこも、入りやすい分、出にくいんだ。烏丸の言う逆ってのは、そういうことを差してんだろ〟
気まぐれな猫ががわざわざ意味深な言い方をしたせいで、この子供にいらぬ興味を持たせてしまったようだ。話しても面白みのない民俗学を語る羽目になり、犬神はとんだとばっちりだとほぞを噛む。
〝まぁ……とにかく、そんな昔話今はどうでも〟
「どうしよう、ワンちゃん」
いつの間にか、鳴海を追い越してしまったようだ。護衛はともかく、彼の進路に関しては彼の指示を仰げる位置にいなければならない。下がるつもりで振り仰ぐと、顔面蒼白の鳴海が立ち竦んでいた。
「俺……悪いもの、恭ちゃんのとこにつれてっちゃった……」
震える唇が、独り言のような弱々しさで犬神に告げる。
〝何……だって……?〟
「変な気配に追っかけ回されてたんだよ! たから怖くって、恭ちゃんのところに逃げ込んだの! 神社なら、守ってくれるって先入観があったから……!」
浅はかだった自分の思考回路に嫌気がさす。心配を掛けたくないと、何も話さずに恭介をあの神社へ置いてきた。
そのことが、完全に裏目に出てしまった。
「引き返さなきゃ! 恭ちゃんのところに……! ワンちゃんだけでも先に戻っ……」
〝落ち着け鳴海! よくわかんねェけど、それってお前も危険だってことだろ……!? 恭介が心配な気持ちもわかるが、あそこには烏丸も……〟
「烏丸さんは大人だし頼りになるけど! だって、あの人は……!」
雑木林をぐるりとかき混ぜるような影が、鳴海と犬神を飲み込んだ。
「あの人は、戦えないでしょ!?」
〝鳴海!!〟
影を真っ二つに斬るように、大きな風が目の前を横切った。反射で鳴海を背後に庇いながら、犬神は即席の結界を張る。気を付けなければならない方向がまるでわからないため、半円の光を作り、自分達を覆うように地上の全方位を囲った。
「ワンちゃん……!」
〝いいか、俺が許可を出すまでそこを動くんじゃねェぞ!〟
眼球をぐるりと動かして、周囲の気配を探る。風の音、葉の擦れ合う音。視界に映るもののみならず、些細なノイズにさえ神経を研ぎらせた。
「――甘いよ」
揺蕩う空気を劈くように真一文の閃光が放たれ、振り向く間もなく鳴海の肩を貫いた。
〝鳴海!〟
呻き声をあげながら肩を抑える鳴海を背に庇い、犬神がじりじりと後ろへ下がる。現状を把握しようにも頭が追い付かない。
犬神の作った結界は、脆弱なものではなかったはずだ。いざという時に反撃に出られるよう余力こそ残していたものの、まるでそこに最初から何もなかったみたいに、抵抗ひとつなく貫かれてしまうだなんて。
「それは、」
透き通る声が、場違いの透明感を含んで静寂に落とされた。
「俺が半分人間だからじゃないか?」
正解を与えるかのように短く言い置いて、新たな閃光が犬神の右前足を貫いた。
〝……!?〟
刃物のような鋭い勢いで自身を突き刺した筈のその光が、何の感覚も残さず消えている。
「なぁ、影響ねェだろ? それはお前が物の怪で、俺が生きているからさ」
ちらりと視線を動かして、たった今灯篭を薙ぎ倒した影を見遣る。ゆらり。靄の晴れた一瞬で、理不尽な敵意を向けてきただろう人物の顔が見えた。
〝てめェかよ……! 智也ァ……!!〟
「……ワンちゃんの、知り合いなの?」
〝少なくとも俺が知ってる頃は、人に害悪を齎すような特技を持っちゃいなかったけどな……おい、誰に魂売って、こんな一発芸ができるようになったんだ?〟
烏の濡れた羽のような、重々しい艶を含んだ黒髪が僅かに揺れた。片目を覆うほどに長い前髪から見えた右目は、一瞬ぞくりとするほど冷酷だった。糸目と言っていい程細い眼差しからは、緋色に燃える片目だけで気圧されるほどの霊気を放っている。
若草色の着物の袖をはためかせながら、智也と呼ばれた青年は食えない笑みを浮かべた。
「俺も知らなかったんだがな。生きた人間の霊気と、死んだものの霊気というのは互いに干渉できないらしいぞ」
左手に集まる目映い程の赤い光が、徐々に帯状になり犬神の鼻先へと向けられた。
「俺は犬神を倒せねェが、」
智也が凪ぎ払うように真横に振りかざすと、その動きに倣って光も同じ弧を描く。
「そのガキを俺が殺すことを、お前には止められない」
後ろ足で鳴海を蹴飛ばして、咄嗟に塀の陰に隠す。正面から波動を受けた犬神を素通りするかのように、その衝撃は丸ごと後ろの塀に打ち付けられた。
〝鳴海……!〟
「だ、大丈夫……!」
傾いた盾の下から気丈な声は聞こえたものの、それを鵜呑みにはできなかった。犬神の足元には、夥しい血痕が飛び散っている。先程負った鳴海の怪我が、決して浅いものではないことを物語っていた。
倒壊直前の壁に隠れるようにして鳴海は、片手で素早く文字を打つ。右肩は痺れるような激痛が走り使い物にならなかったが、指先だけで事足りる動作には、左手が残っていれば充分だった。必要最低限のことしか送信できなかったが、察しの良いあの友人ならこの現状を把握してくれるに違いない。
「ね……ワンちゃん」
〝心配すんな! 俺が必ずお前を守る!〟
「違うよ……俺のことはいいから、恭ちゃんのところに行ってあげて」
らしくない程力のない声があまりに痛々しくて犬神は勢い怒鳴り返したが、そうではないのだと、穏やかに首を振られる。
〝……は?〟
「俺らが足止めされてるってことは、恭ちゃんにも同じだけ……ううん、それ以上の脅威があるってことでしょ?」
二度目の衝撃波が、鳴海を庇う塀に当てられた。ついにその形の殆どを保つことができなくなり、コンクリートだった筈の立派なそれは、見る影もなく瓦礫へと化す。
「お願い。恭ちゃんを……守ってあげてよ」
〝お前を置いて行けっていうのか!?〟
理解するのに、一拍遅れた。この少年は自分を見殺しにして、主の元へ急げと言っているのだ。
「当たり前じゃん! こういう時に守れなかったら、全然意味がないでしょ!? 一体何のために、恭ちゃんと盟約を交わしたんだよ!?」
〝少なくとも、ダチを見捨てるためにではねェよ!〟
「わからず屋!」
〝どっちが!〟
言い争っている間にも、ゆらり。続けて揺らめく赤い光が、次の攻撃まで間がないことを示唆していた。
〝くそっ……!〟
犬神が自身の霊力で、散らばった瓦礫を巻き上げる。
「目眩ましのつもりか? 無様だな」
わざとらしく肩を竦めて、智也は再度光の帯を作る。彼の鋭いナイフのような閃光は、粒の荒い石をかき集めたところで防ぎようがないことは犬神も承知の上だった。
だが、もう後ろにいる少年を充分守れるような壁もない。悪足掻きと笑われようが、浅慮だと罵られようが、僅かでも障壁となるものを作らねばならなかった。
「ワンちゃん……っ!」
〝くそ……!〟
何もかもから守ることができなかった、五歳の恭介が頭をよぎる。あの頃から結局のところ、自分などには守りたいものも守れないままなのか。
智也が手を振りかざす。禍々しい赤が残酷無比に鳴海へと向けられた――その一瞬前。
〝胸くそ悪ィことしてんじゃねーぞ!〟
懐かしい声が、薄暗い路地裏に響き渡った。視線をあげる前に、大きな灯籠が智也に向けて投げつけられる。寸でのところでそれを避けながら、智也は隠しきれない苛立ちを見せた。
「鳴海さん、大丈夫ですか……!?」
〝おっ前……拓真か!?〟
犬神が細い目をドングリのように見開きながら、声のした方を振り返る。
(たっくん、だけじゃない)
鳴海はそのすぐ後ろで立ち竦みながら、歓喜に震える胸を押さえた。凡そ拓真は使いもしないような、口の悪い言葉。
聞き間違えじゃない。絶対に自分は間違えたりなんかしない。あの日、あんなに容易く鳴海の心を奪っていったくせに、さよならも言わせてくれなかった冷たい男。
〝おい……久々に挨拶に来てみりゃあ、随分元気そうじゃねェか? なぁ、鳴海〟
出血の止まらない肩を指差して意地悪そうに笑う色男。唐紅の着物を着崩して悪ぶったって、その目を見ればどんなに純朴な性格か一発でわかる。出会ったあの頃と同じように彼は、ハーフアップのように片方だけ下ろした前髪以外は、頭の後ろで無造作に結っている。
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