隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい

夕凪けい

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第110話 赤い涙が落ちるまで

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――私が「捨てられたのだ」と理解した瞬間。
心の中で、何かが音を立てて折れた。

悲しいとか、苦しいとか。
そんな言葉で表せる感情じゃなかった。
心に大きな剣が刺さったような感覚だった。

ただ――
もう、誰とも繋がりたくなかった。

一人になりたかった。
何も考えず、何も感じず、全部を忘れてしまいたかった。

親戚のおばさんは、何度も母親から捨てられた私の前にしゃがみ込み、必死に言ってくれた。

「愛理ちゃん……うちに来なさい。私が育てるから。大丈夫だから。」

その声は、優しかった。
本気だったのも、分かっていた。

けれど――
おばさんには、おばさんの家庭がある。

私の存在が、その幸せを壊してしまう未来が、はっきりと想像できてしまった。

(……それだけは、嫌……絶対できない。)

私のせいで、もう誰かの人生を壊したくなかった。
壊れるなら――私だけでいい。
それで、十分だった。

そんな時だった。

私の家に、一人の男が訪ねてきた。
白衣を着た、研究者風の男。

差し出された名刺には、こう書かれていた。

――EES未来支援研究所

「君のような子供を、保護する施設があるんだ」

穏やかな声だった。
感情の起伏が、ほとんどない。

説明された条件は、子供の私でも分かるくらい、整っていた。

衣食住。
学費。
これから生きていくために、最低限必要なもの。

全部、揃っている。
ただし、条件があった。
それは――被験体として、研究データを政府に提供し続けること。

私はそれでも良かった。
――ああ。

ここなら、私は一人でいられる。
私の心は、そう結論を出していた。

けれど。

「ダメです。そんなところに、この子は行かせません」

おばさんは、はっきりと反対した。

「この子は、私が育てます。最後まで」

その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。

(……優しい人)

だからこそ――
これ以上、巻き込みたくなかった。
私のせいで誰かが傷つくのが何より嫌だった。

私は、そっとおばさんの目を見つめた。
無意識への介入を行使した。

おばさんの中にある「責任感」や「情」や「迷い」。
それらを、ほんの少しだけ、書き換える。

“本郷愛理を引き取らない方が自然だ”

そう思わせる程度に。
理由を与えず。
違和感も残さず。

(……おばさん……
ごめんね………ありがとうね。)

目を開けると、
おばさんは、少し疲れたような表情で、視線を伏せていた。

「……やっぱり…………無理かもしれないわ。
ごめんね………愛理ちゃん。」

その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、何かが静かに冷えていく。

(これで、いいんだ。)

私は、そう思った。

誰も、悪くない。
誰も、傷つかない。
傷つくのはもう、私だけでいい。

私は、そのまま
EES未来支援研究所に引き取られた。

高い塀に囲まれたその施設は、病院にも、学校にも、少しずつ似ていた。
白い廊下。整えられた部屋。無駄のない生活。

そこには、私と同じように――
身寄りのない子供たちが、たくさんいた。

誰も、詳しいことは話さない。
でも、分かった。

みんな、何かを失っている。
自分ではどうすることもできない、理不尽を背負わされてきたのだと。

事故。
裏切り。
捨てられた過去。

理由は違っても、
ここに集められた子供たちの心には、同じ匂いがあった。

――壊れたまま、置き去りにされた心。

私の心も、深く傷ついたままだった。

胸に刺さった剣は、
まだ抜けていない。

無理に抜こうとすれば、
きっと、もっと血が出る。

だから私は、何も感じないふりをした。

そして、私の研究所内での生活が始まった。

学ぶ内容は多岐にわたる。
通常の教育課程で学ぶ一般教養に加え、EES共鳴現象に関する基礎知識、そして発現段階がステージ1からステージ5までに分類されていることなどだ。

どうやら、この施設にいる人々が全員EES発現者というわけではないらしい。
あくまで、発現の可能性を持つ子どもたちが集められているようだった。

また、授業の一環として、プロの格闘家による組み手や柔道などの格闘訓練も行われていた。
それは、EES共鳴現象に飲み込まれないよう、適切な距離を保つため――
つまり、強い精神力を養うことが不可欠だからだという。

♢♢♢

「よし、今日はそこまで!」

その声とともに、今日の組み手の授業は終わりを告げた。
視線の先では、息を切らし、床に倒れ込んでいる男の子がいる。

けれど私は、そこに意識を向けなかった。

手を差し伸べることもなく、ただ背を向ける。
シャワールームへ向かい、身体を洗い流し、髪から滴る水をそのままに――無言で食堂へと足を運んだ。

――誰かと仲良くしよう、だなんて。

その頃の私には、そんな発想は微塵もなかった。
母の一件以来、私は「失うこと」そのものに、強い恐怖を抱いていたからだ。

人は、簡単に裏切る。
人は、簡単に捨てる。

だったら――
最初から始めなければいい。

関係を築かなければ、捨てられる心配もない。

ただ。

もしも、本当に狂気的なほど好きになれる
“たった一人”が現れたのなら。

その人は、私の管理下に置けばいい。

そのために与えられたのが、この――
無意識へと介入する能力なのだから。

……今思えば。
もうこの頃から、私は確実に歪み始めていた。

「いや~……愛理ちゃん、凄いですよね」

道場の横にある控室。
ガラス張りの壁越しに組み手の授業を眺めながら、
眼鏡をかけた白衣の男が、感心したように呟いた。

「無意識に介入できる能力。
代表が探しているタイプとは少し違いますけど……
評価は Sマイナス でしょう」

淡々とした声。
そこに感情はない。

男の隣で、もう一人の研究者――白衣を着た女性が、
モニターから目を離さずに言葉を継ぐ。

「今回は、本当に豊作ですね……
愛理ちゃんもそうですけど、他の四人はもっとすごいですよね――」

一拍、置いて。

「あの年齢で、すでにステージ3に到達してるなんて。
……怪物みたいな子たちです」

男が、肩をすくめる。

「一体、どんな地獄を見てきたんでしょうね」

その言葉に、
白衣の女性は、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。

「……さあ。
ステージ3まで到達するなんて、
もはや“普通の人生”じゃ説明がつかない」

そして、ぽつりと。

「……可哀想だよ。
あんなに小さいのに」

同情のようでいて、
どこか距離のある言葉だった。

――そんな会話が、
私の知らない場所で交わされていたなんて。

その頃の私は。

今日も、いつものように
長いテーブルの端で、一人きりで食事をしていた。視線を落としたまま、黙々と食事を口に運ぶ。

けれど、味はわからない。

母に捨てられた――
あの一件以来、心には大きな剣が突き立てられたままだった。

抜こうとすれば、さらに深く傷つく。
だから触れない。感じない。

その剣がある限り、
何を食べても、美味しいとは思えなかった。

誰とも目を合わせない。
誰とも、関わらない。

――それが、一番安全だった。

そんな、ある日のこと。

食器の音だけが響く食堂で、
不意に、肩に軽い感触があった。

つん、と。
ほんの、小さな刺激。

顔を上げると、
同じ年頃の男の子が、目の前に立っていた。

――あの時。
組み手の授業で、床に横たわっていた男の子。

少し癖のある黒髪で美形な容姿。
私とは対照的な、人懐っこそうな笑顔。

「ねぇ! さっきの組み手、すごかったね!僕の完敗だよ!」

彼はそう言ってから、
私の反応をうかがうように、ほんの少しだけ間を置いた。

「僕も、一緒に食べていいかな?」

その明るい声は、
静まり返った食堂には不釣り合いで、どこか浮いて聞こえた。

胸の奥で、
何かが――かすかに軋む。

――人と、関わるのは、怖い。

でも。

彼は、私の過去を知らない。
私の心の傷も、この能力のことも、何も。

ただ、
「一緒に食べたい」と言っただけだ。

とくに断る理由を見つけられなかった私は、
ほんの一瞬だけ迷ってから――小さく、頷いた。

「……別に、いいけど」

その返事を聞いた瞬間、
彼の顔に、ぱっと花が咲いた。

「ありがとう!
僕の名前は、真田蓮也! よろしくね!」

――それが。

私と、真田蓮也との
最初の出会いだった。

彼は楽しそうに、私の向かいの席に腰を下ろした。

「いただきま~す!!」

「うん!やっぱりここの食堂の料理は絶品だね?」

大きな声。
満面の笑顔。

――やかましいやつだ。

内心でそう呟きながら、私はスプーンを動かし続ける。

「ねえ、君。名前なんていうの?」

カレーを口に運びながら、
まるで天気の話でもするかのように、彼は気軽に尋ねてきた。

「……本郷愛理」

その瞬間だった。

彼はスプーンを置き、
身を乗り出すようにして、ぱっと顔を輝かせる。

「本郷愛理……いい名前だね!!」

にっこりとした、無邪気すぎる笑顔。

私は、一瞬だけ――
昔の自分と、それを重ねてしまった。

……ああ。
もう、昔の自分には戻れないんだ。
そう思った途端、胸の奥がきゅっと痛む。

けれど、そんな私の内側など気づきもしない様子で、真田蓮也は楽しそうに話し続ける。

「君も、EES発現者なの?」

“君も”。

その言葉に、わずかな違和感を覚えながら、
私は小さく頷いた。

「へぇ! 実は僕もそうなんだ!
能力はね――」

そう言いかけた、そのとき。

食堂の入り口が開き、
数人の生徒が入ってきた。

表情は硬く、どこか苦しそうで――

……わかる。

あれは、過去の記憶に取り込まれている顔だ。

今この瞬間に生きているはずなのに、
思考だけが何度も過去へ引き戻される。

辛い記憶を、何度も何度もなぞってしまう。
まるで、“過去に生きている”かのような感覚。

私も、何度も経験してきた。

その空気を察したのだろうか。

彼は、ふっと立ち上がり、
私の方を振り返って言った。

「ごめん! 僕、ちょっと急用できた!」

そして、いつもの笑顔のまま――

「愛理ちゃん! またね!」

そう言い残し、
彼は迷いなく、その人たちの方へと駆け寄っていった。
まるで、それが当たり前であるかのように。

(……そっとしておいた方がいいと思うけど)

私は、スプーンを止めたまま、
その背中を見送る。

結局その日、
私の中に残った彼の印象は――
おせっかいで、やかましくて、理解不能なやつ。
そんな、なんとも微妙なものだった。

次の日も、私は食堂で一人、黙々とご飯を食べていた。

すると――

「愛理ちゃん! 今日も一緒にご飯、いいかな?」

昨日と同じ、明るい声。
顔を上げると、彼――蓮也が、もう私の前に立っていた。

断る間もなく、彼は当然のように向かいの席に座り、ニコッと笑って箸を動かし始める。

「ねえねえ、愛理ちゃん。昨日のドリームライダー見た?
あの変身シーン、めちゃくちゃかっこよかったんだよ!」

昨日見たテレビ番組の話を、無邪気な笑顔で語り始める蓮也。
楽しそうに、まるで何の曇りもない顔で。

――そのときだった。

食堂の入口が開き、昨日の子たちが入ってきた。

「蓮也くん、おはよ~~!」
「昨日は本当にありがとう!」

次の瞬間、彼はその子たちに囲まれていた。

……それよりも。

昨日まで、あんなに辛そうな顔をしていた子たちが、今日はまるで別人みたいに、明るい表情をしていた。

(……どうして一体何が……?)

昨日まで、私と同じだったはずなのに。
苦しみを抱えて、俯いて、生きていたはずなのに。

――もし、それが彼のおかげなら。

私も、少しだけ――
そう思って、口を開こうとした、その瞬間。

――頭の奥で、冷たい声が響いた。

『また裏切られて、失うぞ?』

心臓が、ぎゅっと掴まれた。

その一言で、全部が止まった。

私は、何も言えないまま立ち上がり、食堂を後にした。

「あっ、愛理ちゃん! ちょっと待って――!」

彼の声が背中に届く。

けれど、振り返らなかった。
呼び止められた瞬間には、私はもう食堂の外に出ていた。

一人、廊下を歩く。

さっきの光景が、何度も頭の中で再生される。

蓮也と、その周りに集まる子たち。
羨ましいと、ちゃんと分かっているのに。

素直になれない自分。
裏切られることを恐れて、踏み出せない弱い自分。

そんな自分に、腹が立った。

「……私は、もっと強くならないといけない」

小さく呟く。

「一人でも、生きていけるように」

そのとき。

廊下の向こうから、一人のスーツを着た男が歩いてきた。
その両脇には、私と同じくらいの年頃の少女が二人。

一人は金髪。
もう一人は、銀髪。

すれ違いざま、顔は見えなかった。
私はそのまま次の組み手の授業へ向かう。

――もっと精神的に強くなるために。

「私は、もっと強くならなければならない」

「たとえ一人でも自分の力で進み続けなければならない。」

そう言い聞かせながら、道場室の扉を開いた。

そして。

そこで、私は一人の男と組み手をすることになった。

……けれど。

その男は、今まで見た誰よりも、圧倒的だった。

立っているだけで分かる。
放たれるオーラが、まるで違う。

目には光がなく、感情も読み取れない。
――きっと、私なんかより、遥かに深い地獄を見てきた。

そんな男だった。
組み手が始まった、その瞬間。

私は――
一瞬で、敗北した。

同じくらいの年齢。
体格も、条件も、大きな差はない。

それなのに。

為す術もなく、畳に転がされた自分が、ひどく情けなかった。

―― 一人で生きていくために。
――強くならなければならないのに。

そう決断したのにも関わらず、あっさりと負けた現実が、胸の奥を抉る。

私は立ち上がる気力もないまま、
ふらふらと食堂へ向かった。

味のしない食事を、無理やり口に運んでいると――

「さっきの組み手、見てたよ!
お疲れさま!」

聞き慣れた、明るい声。

顔を上げると、
真田蓮也が、いつものようにニコッと笑って立っていた。

……その笑顔が、無性に腹立たしかった。

私は、わざと棘のある声で言う。

「何?
負けたところ、笑いに来たの?」

自分でも驚くほど、嫌味ったらしい言い方だった。彼は目を見開き、慌てたように首を振る。

「ち、ちがうよ! そんなんじゃない!」

少し間を置いてから、
今度は不思議そうに尋ねてくる。

「……ねえ、愛理ちゃんはさ。
どうして、ここに来たの?」

その言葉で――
胸に突き刺さったままの“剣”が、ずきりと痛んだ。

私は、視線を落とし、
ほとんど聞こえないくらいの声で呟く。

「……お母さんに、捨てられたの」

一瞬、空気が止まる。

「だから、ここに来た」

スプーンを握る手が、わずかに震えた。

「……私は、一人でも生きていけるように、
強くなりたいの」

それは、何度も自分に言い聞かせてきた言葉。
信じなければ、壊れてしまいそうだったから。

彼は、すぐには答えなかった。

いつもの軽さはなく、
ゆっくりと、まっすぐ私を見て――静かに言った。

「……人間は」

一拍、置いて。

「一人じゃ、生きていけないよ」

その言葉は、
私の中で大事に守ってきた“正義”を、いとも簡単に否定した。

――そんなはず、ない。

――一人で生きられないなんて、認めたら。

私はまた、誰かを必要としてしまう。

そして――
また、失う。
胸の奥で、
――何かが、ぎり、と軋んだ。

次の瞬間、私は彼の言葉に、激しい怒りを覚えていた。

「あんたなんかに……私の何がわかるのよ!わかったような口を聞かないで!!」

気づけば、声を荒げていた。

「大切な人に捨てられた、あの苦しみを
誰かと関われば、また捨てられるかもしれないって――
裏切られるかもしれないって、怯え続けるこの気持ちを!」

息が詰まる。

それでも、止まらなかった。

「そんな私に向かって……
“一人じゃ生きていけない”だなんて!」

視界が、にじむ。

「ふざけないでよ……!
この世界が……このゴミみたいな世界が、私に一人で生きることを
強要したんじゃない!!」

吐き出すように叫ったあと、
私は肩で息をしていた。

……拒絶される。
そう思っていた。

けれど。

彼は、逃げなかった。

真田蓮也は、まっすぐに私を見つめたまま、
静かに、優しい声で言った。

「……それが、愛理ちゃんの苦しみなんだね」

その一言は、
責めるでも、否定するでもなかった。

次の瞬間。

彼は、そっと――
私の手を握った。

「……っ」

その瞬間だった。

胸に深く突き刺さったままだった、あの“剣”が――
ゆっくりと、溶けていくような感覚。

締めつけられていた心が、
すうっと、軽くなる。

痛みが、和らいでいく。

(……なに、これ。何が起こったの?)

驚いて彼の方を見ると、
私は息を呑んだ。

彼は――
赤い涙を、流していた。
血のように、頬を伝う涙。

「……これが、僕の能力だよ」

震える声で、彼は言った。

「苦しみを、分かち合う能力」

握られた手から、
確かに“痛み”が流れ込んでくる。

「君の苦しみを、僕が半分引き受けたんだ。
君と同じ苦しみ、同じ痛みを……今、僕も経験してる」

「こりゃ……辛いね。苦しいや……」

赤い涙が、ぽたりと落ちる。

「同じ痛みを抱えた僕だからこそ……
僕は、愛理ちゃんを裏切らない」

彼は、真っ直ぐな目で、はっきりと言った。

「僕は、君の味方だ」

その言葉が、
能力なんかじゃなく。

初めて――
“誰かの意思”として、私に届いた。

「……もしかして」

私は、そっと息を整えてから口を開いた。

「先日の食堂の子たちが、元気になったのって……」

視線を向けると、
彼は少しだけ困ったように笑って――こくりと、頷いた。

「うん。
僕が、彼らの苦しみの半分を引き受けた」

あまりにも当然のように言うその言葉に、
私は思わず眉をひそめる。

「……どうして、そんなことを?」

自分の身を削るような能力。
それを、なぜ他人のために使うのか。

彼は、少しだけ視線を落とし、
それから――ゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。

「僕には、夢があるんだ」

その声は、静かで、でも揺るがなかった。

「この世界のすべての人が、
穏やかに、幸せに生きられる世界」

彼は続ける。

「幸せには、二種類あると思うんだ」

指を一本、立てて。

「一つは、自分の価値観に沿って得られる幸せ。
これは、その人自身にしか掴めない」

そして、もう一本。

「でもね。
理不尽に巻き込まれない幸せも、あると思うんだ」

私は、黙って聞いていた。

「誰かに傷つけられず、
理由もなく苦しまされず、
大切な人と――安全で、穏やかに暮らせる世界」

彼は、まっすぐ前を見据えて言った。

「僕は、そんな世界を作りたい」

……その瞬間。

私の中で、彼の印象が、がらりと変わった。

ヘラヘラしているだけの、
どこか頼りない男だと思っていた。

でも違う。

この人は――
内側に、静かで揺るぎない理想を抱えた、強い理想主義者だ。

「でもね」

彼は、少しだけ自嘲するように笑った。

「僕は、まだ弱いんだ」

拳を、ぎゅっと握る。

「だから……この能力を使ってでも、
一人でも多く、救いたい」

「苦しいときに、
誰かのそばに、いてあげたいんだ」

その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥が、じんわりと熱くなった。

……ああ。

この人は、
自分が壊れることを前提にして、世界を救おうとしている。

それが、どれほど危ういことかも知らずに。
――そして。

彼は、ほんの少しだけ躊躇うようにしてから、
そっと私に手を差し伸べた。

「愛理ちゃん……
僕と、家族になろう。
僕は君の苦しみと痛みを知っている。」

その言葉は、
重くもなく、軽くもなく。
ただ、まっすぐだった。

私は、迷わなかった。

差し出されたその手を、
自分から掴んだ。

今でも、はっきり思い出せる。

驚くほど――
あたたかかった。

冷え切っていたはずの指先に、
ゆっくりと熱が伝わってくる。

……ああ。
この人は、逃げない。

そう、直感した。

彼の流した赤い涙が、私と彼を――血の繋がらない家族にした。

それが。

私にとっての、唯一の家族。

真田蓮也という――
かけがえのない存在だった。
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