隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい

夕凪けい

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第125話 越界者の忠告

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それから間もなくして、俺はゆういちから愛理の恋愛相談を受けた。
どうやら、あの一件をきっかけに――愛理のことを本気で好きになったらしい。

その話を聞いたとき、胸の奥がじんわりと熱くなった。
理由は簡単だ。

親友が、
自分の家族である愛理と結ばれたこと。
それが、何よりも嬉しかった。

俺は、愛理との約束通り――
ゆういちが、愛理に恋心を抱いていることを伝えた。

お互いと協力すると決めた以上、仕方のないことだ。
それでも、親友から受けた相談内容を、本人の知らないところで明かしてしまったという事実が、胸の奥に小さな棘のように引っかかっていた。

(……いいのか、これで)

一瞬だけ、そんな疑念がよぎる。
けれど――

二人は、間違いなく両想いだった。
だったら、背中を押すことは裏切りじゃない。

そう、自分に言い聞かせる。

早く――
二人の恋が、きちんと形になってほしかった。

それが、親友のためであり、
そして――家族である愛理のためでもあった

俺は、意を決して愛理に声をかけた。

「なぁ……愛理。ちょっといいか?」

呼ばれた彼女は、きょとんとした顔でこちらを振り向く。

「ん? どしたの?」

「体育の前さ……」
一瞬だけ言葉を探してから、続けた。
「ゆういちから、恋愛相談受けたんだけど……」

ほんの短い沈黙。
その間に、胸の奥で小さな迷いが揺れる。

そして、覚悟を決めて言った。

「……あいつ、お前のこと好きらしいぞ」
「男の好みとか、聞かれた」

その瞬間だった。

愛理の表情が、ふっと緩む。
とろけるみたいな、柔らかい微笑み。
――ああ、間違いないな。そう確信できるほど、分かりやすい反応だった。

だが、すぐに彼女は我に返ったように視線を逸らし、平静を装う。

「で?」

短い一言。
けれど、その裏に隠しきれない期待が滲んでいた。

「蓮也、なんて言ったの?」

俺は嘘をつかず、正直に答える。

「俺も愛理の好みなんて分からないからさ」

少し照れくさくなって、無意識に頭を掻く。

「何かに向かって努力してるやつ。
結果を出そうとして、一生懸命頑張ってるやつ……って答えた」

愛理の表情を確かめるように、そっと覗き込む。

「……違ったか?」

愛理は、ゆっくりと首を振った。

「んにゃ。別に違わないよ」

淡々とした声。
だけど、その目は驚くほど優しかった。

「私、特にタイプとかないし。
ゆういちの全部、愛せそうだし」

言葉が、まっすぐに落ちてくる。

「一生懸命じゃなくても好きだし。
頑張れないときのゆういちも、たぶん大好き」

その瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
ああ――大丈夫だ。
二人の恋は、きっとちゃんと成就する。
そう、自然に思えた。

「……そっか」

俺は、少しだけ肩の力を抜いて、からかうように言う。

「よかったな、愛理。
お前にも、大切な人ができて」

けれど、どうしても一つだけ。
拭いきれない疑念が、頭をもたげた。

「……そういえばさ」

空気を探るように、言葉を選ぶ。

「ゆういちの過去の件だけど。
やっぱ、ヤンキー連中の仕業だよな?」

ゆういちの過去をクラスに暴露したのは、十中八九あいつらだ。
ただ――愛理がそれを完全に封じられていなかったことが、少しだけ引っかかっていた。

「愛理、ちゃんと口止めできてなかったのか?」

すると彼女は、いつものように愛らしく笑う。

「にしし♡」

小悪魔みたいな笑顔で。

「ちゃんとボコボコにしたんだけどね?」

さらりと続く、冗談とも本気ともつかない一言。

「痛みと苦しみが、足りなかったのかな~?」

それ以上、俺は何も聞かなかった。
もう終わった話だし、何より――今はすべてが、妙なほど上手くいっている。

「……まぁ、いいか」

そう呟いてから、俺は少しだけ姿勢を正した。

「俺さ。ゆういちのこと、本当に親友だと思ってる」

言葉を噛みしめるように、続ける。

「最初は、愛理が気に入ってたから関わってただけだった。
でも今は違う」

一瞬、間を置いて。

「……あいつの幸せも、ちゃんと願ってる」

少し照れくさくて、それでも目を逸らさずに。

「だからさ。
二人とも、幸せになってくれよな?」

その背中を見送りながら、俺は思った。
二人の幸せこそが――
俺が過去に選んできた選択が、間違っていなかったという証明なんだ、と。

そして放課後。俺と愛理は、
EES未来支援機構の施設へ、必要書類の提出と面談を済ませに来ていた。

正直に言って――面倒くさい。
それは愛理も同じらしく、施設内を歩くあいだ、彼女は終始ぶーぶーと不満を漏らしていた。

「なんで放課後まで、こんな堅苦しい場所に来なきゃいけないわけ……」

「ゆういちとお話ししたかったのに」

白を基調とした廊下はやけに広く、天井も高い。
清潔すぎるほどの空気が、逆に落ち着かない。

やがて用件ごとに別行動になる時間が来て、俺は立ち止まる。

「じゃあ、終わったら待合室で集合な」

そう言うと、愛理はわざとらしく肩をすくめた。

「りょ~かい♡。てか、迷子にならないでよ?」

軽口を叩きながら、彼女は別の通路へと消えていった。

俺は一人で必要書類を提出し、そのまま白い廊下を歩く。
ガラス張りの向こうでは、組み手の授業を受けている子どもたちや、静かに座学に取り組んでいる子たちの姿が見えた。過去の自分と重なる。

その様子を、少し離れた位置から観察する感応科学者たち。
白衣の奥から向けられる視線は、どこか冷たい。

正直、俺はあまり彼らが好きじゃない。
彼らの目には、俺たちは「人」じゃなく――
“特異な存在”として映っているのが、はっきり分かるからだ。

そのときだった。

「あれっ――!? もしかして、君……?」

背後から、少し弾んだ声が聞こえた。
俺に向けられた言葉かどうか確かめるように振り返る。

そこに立っていたのは――
見覚えのある、黒髪の少女だった。

「あ……君は」

思わず声が漏れる。
あのときの越界者。
あれ以来、一度も会っていない。

越界者と俺たちでは、受けるカリキュラム自体がそもそも違う。
あのとき顔を合わせたのも、きっと偶然に過ぎなかったはずなのに。

数年ぶりに見る彼女は、驚くほど綺麗になっていた。
あの頃の幼さはすっかり消え、どこか大人びた雰囲気をまとっている。

「……久しぶり。覚えててくれたんだ」

少し間を置いてそう言うと――
彼女はぱっと表情を明るくして、手を振りながらこちらへ近づいてきた。

「もちろん! 忘れるわけないでしょ~。
それにさ、君も……すっかり男前になっちゃって」

不意を突かれて、思わず頬を掻く。

「そ、そうか?」

「うんうん」

彼女はにこにこ笑いながら、自然に距離を詰めてくる。

「そういえばさ、君って今いくつ?」

「中学二年ですけど」

そう答えると、彼女は目を丸くした。

「あっ、やっぱり! 私も同い年だよ」

同年代だと分かって、彼女は楽しそうに笑う。
正直、少し意外だった。
どこか面倒見がよくて、年上のお姉さんみたいな印象があったからだ。

彼女は、ふと思い出したように言う。

「そうだ。もう高校、決めた?」

「秀英学園に行く予定」

そう答えた瞬間、彼女はほんの少しだけ残念そうな顔をした。

「へぇ~……じゃあ、別々だね。
私は愛聖学園なんだ」

「……そうなるね」

短く返した声が、思ったよりも静かに響いた。
そう答えると、彼女は一瞬だけ間を置いてから、にっと笑った。

「ねぇ、今から少し時間ある?」

俺の用事は、もうすべて終わっていた。
だから俺たちは、以前二人で話したことのある―― 施設のすぐ横にある、小さな公園へ向かうことにした。

人通りはほとんどなく、
風が、花たちを静かに揺らしていた。

俺たちは、公園のすぐそばにある小さな丘に腰を下ろした。
しばらく沈黙が流れ――
やがて、彼女がそっと口を開いた。

「君の理想は……あれから、変わっていないかい?」

その一言で、胸の奥にしまっていたものが、静かに浮かび上がった。

この世界のすべての人が、
穏やかに、幸せに生きられる世界。

あれから何年経っても、その願いが揺らいだことは、一度もなかった。

だから俺は、迷わず答えた。

「もちろん。俺はこの理想を、必ず実現するよ」

自分でも驚くほど、声は静かだった。
でも、その中に迷いはなかった。

彼女は頬に手を当て、満足そうに微笑んだ。
その表情を見て、すぐに分かった。
――これが、彼女の求めていた答えなんだと。

「そっか……」

そして、彼女は続ける。

「ちなみにさ。
もう少し現実的な話をすると……具体的な戦略とか、あるの?」

その問いに、俺は一瞬だけ視線を落とした。

最後に彼女と会ってから、
ずっと考え続けてきたことがある。

この、あまりにも綺麗すぎる理想を、
どうやって“現実”に引きずり下ろすのか。

胸の奥に閉じ込めてきた言葉を、
俺は、ようやく口にする。

「EES共鳴現象――ステージ5に到達すること」

彼女の気配が、わずかに強まる。

俺は、そのまま言葉を重ねた。

「この世界は、過去から続く苦しみの連鎖でできている」

ゆっくりと、噛みしめるように続ける。

「誰かに強要された理不尽のせいで、人は苦しみを抱える。
そしてその多くは、苦しみを抱えたまま壊れるか――
あるいは、他人に同じ痛みをぶつける側に回る」

言葉が、胸の奥から溢れていく。

「そうして、苦しみは連鎖していく。
それなのに僕たちは、そんな世界を“当たり前”だと受け入れてしまっている」

一度、息を吸った。

「……はっきり言って、これは異常だ」

顔を上げ、彼女をまっすぐに見据える。

「人は、生まれたからには幸せであるべきだ。
苦しみを一人で抱えたまま、死んではならない」

そして、静かに付け加えた。

「そんな理不尽を、
“当たり前”として認識してはいけない」 

――そう。
父さんのように。

胸の奥が、少しだけ軋む。

胸の奥が、少しだけ軋んだ。

「EESステージ5に到達すれば、能力の範囲は……世界にすら及ぶ」

俺は、確信を込めて言葉を重ねる。

「今の僕は、世界の苦しみの“半分”すら受け負えない。
だからこそ、能力は中途半端で――何も救いきれない」

思わず、唇を噛む。

「……自分の弱さが、本当になさけないよ」

拳を、強く握りしめた。

「けど、俺は諦めない。
すべてを受け負えるようになれば――
世界中の苦しみを、僕一人が引き受けることができる」

空が、ゆっくりと色を変えていく。

「そうすれば、苦しみの連鎖は断ち切れる。
誰かが、誰かを傷つけなければならない理由そのものが、なくなる」

そして、静かに――言った。

「この世界を……一度、白紙に戻せるんだよ」

その言葉を、
彼女はすぐには受け取らなかった。

一拍。

間を置いてから――
そっと、静かな声で口を開く。

「その白紙にした世界が、また同じように……
苦しみの連鎖に飲まれてしまうかもしれないよ?」

もっともな指摘だった。
未来がどうなるかなんて、誰にも分からない。

だから俺は、否定も反論もせずに答えた。

「……それでもさ」

視線を落とし、言葉を選ぶ。

「今、この瞬間に苦しんでいる人たちは救われる。
理不尽に傷つけられて、
毎日毎日、自分を責めて、自分で自分を傷つけている人たちが――救われる」

ゆっくりと、噛みしめるように続ける。

「それには、確かな価値があると思う。
そして、そういう優しい人たちが……
きっと、その先の世界を、少しずつでもいい方向に進めてくれるって信じたい」

――愛理が、ゆういちを救ったように。

彼女は、黙ったまま、俺の言葉を受け止めていた。

俺は、そのまま胸の奥にしまっていた話を続ける。

「前にさ。君、僕に言ってくれたよね。
“家族を作るといい”って」

一瞬、言葉が詰まる。
それでも――伝えたかった。

「……僕は、作ったんだ。
血の繋がりはないけど、大切な家族を」

顔を上げ、まっすぐに言う。

「その家族の一人がね、先日――
僕の親友を救ってくれたんだ」

胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。

「嬉しかったよ。
本当に……嬉しかった」

そして、静かに続けた。

「だから思ったんだ。
もし世界が白紙になったとしても、
彼女みたいな人がいれば――」

少し、間を置いて。

「きっと、同じように誰かを救ってくれるって」

彼女は、最後まで口を挟まなかった。
笑いも、驚きも、否定もない。

ただ、じっと――
こちらを見つめながら、すべてを受け止めていた。

やがて、短く息を吐いて、こう言った。

「……そう」

穏やかな声で。

「君には、大切な家族がいるんだね。
それに――親友も」

その一言には、評価も否定もなかった。
ただ、事実をそっと確認するような、静かな響きだけがそこに残る。

しばらくの沈黙のあと、
彼女は柔らかく微笑んで、こう言った。

「君の思想や、君が選んだ道を……私は否定しないよ」

吹き抜ける風が、彼女の綺麗な黒髪を揺らした。

「君が君なりに苦しみと向き合って、
悩んで、考えて、出した答えなんだとしたら……
それはちゃんと、価値のあるものだと思う」

胸の奥が、ほんの一瞬だけ軽くなる。
――救われた、気がした。

けれど。

彼女は、わずかに表情を引き締めて続けた。

「ただね」

その声は、あまりにも優しかった。
だからこそ、逃げ場がなかった。

「君は、自分以外を見過ぎている」

言葉が、まっすぐに胸へ落ちてくる。

「誰かの苦しみを背負おうとするあまり、
君自身のことを……軽く扱っていないかい?」

俺は、何も言えなかった。

「君のことを大切にしてくれる家族や、親友はさ」

彼女は首を傾げ、静かに問いかける。

「本当に……
君の自己犠牲を、望んでいるのかな?」

その言葉は痛みを伴わなかった。
けれど確かに、深く、深く――残った。

そして彼女は、不意に一歩距離を詰め、
俺の顔を、にこっと覗き込む。

「……なんてね♪」

さっきまでの空気を、軽やかに壊すように笑った。

「君と話していると、すごく楽しいよ。
本当に、有意義な時間だった」

彼女は立ち上がり、軽く手を振る。

「それじゃあ、そろそろ行くね」

そして、最後に――悪戯っぽく言った。

「もし秀英、落ちちゃったらさ。
愛聖学園で待ってるから♪」

振り返りざまに、もう一言。

「じゃあね、真田蓮也」

……あれ?

彼女はそのまま、公園の出口へと歩いていった。

残された俺は、しばらくその背中を見つめてから、
ようやく我に返る。

(どうして、俺の名前を?)

そういえば――
俺は、彼女の名前を聞いていない。

話に夢中になりすぎたな……と、今さら思う。

公園には、
もう彼女の姿はなかった。

ただ、胸の奥に残った言葉だけが、
静かに、何度も反響していた。

そして俺は、愛理と落ち合う約束をしていた場所へと向かった。

そこには――案の定、
不機嫌さを全身にまとった愛理が立っていた。

「遅い! どこ行ってたの! 蓮也!」
「なんで私より素行のいいあなたが、私より面談時間かかってんのよ!」

腕を組み、見るからにご立腹です、という態度。
俺は思わず苦笑しながら、頭を掻いた。

「いや、すまんすまん。久しぶりすぎてさ。ちょっと道に迷って――」

「……ほんとに?」

愛理はじっと俺を見つめる。

「蓮也の面談室、ここから一本道だよ?」

疑わしそうな視線が、容赦なく突き刺さる。
愛理は一瞬だけ睨みつけたあと、ふいっと顔を背けた。

「……次からはちゃんと連絡しなさいよ」
「お姉ちゃん、迷子になったかと思って心配になっちゃったんだから」

「その設定、まだ生きてたんだな」

「にしし♡」

それだけ言って、俺たちは施設を出た。
並んで歩きながら、帰路につく。

途中までは同じ道だったけど、
やがて、いつもの分かれ道が見えてくる。

「じゃあね、蓮也」

「おう。また明日な、愛理」

そう言って、愛理は自分の帰り道へと歩いていく。
俺も、反対方向へ――歩き出した。

……はずだった。

けれど、気づけば俺は足を止めていた。

目的もなく、ふらりと近くの公園へ入り、
誰もいないベンチに腰を下ろす。

風が、静かに頬を撫でた。

「誰かの苦しみを背負おうとするあまり、
君自身のことを……軽く扱っていない?」

「君のことを大切にしてくれる家族や、親友はさ」

「本当に……
君の自己犠牲を、望んでいるのかな?」

越界者の彼女が言っていた言葉が、頭の中で何度も反芻される。

考えれば考えるほど、胸の奥がざわついた。

(……俺は間違えているのか?)

空はすでにオレンジ色に染まり始めていた。
時間も時間だ。もうすぐ夕暮れになる。

「……やべ、もうこんな時間かそろそろ帰るか」

そう呟いて、ベンチから立ち上がる。
その瞬間だった。

キュッ、と床を擦る音。
規則的なボールの弾む音が、耳に届く。

公園の奥――
バスケットコートで、誰かが練習しているらしい。

(へぇ……こんな時間まで頑張ってるやつ、いるんだな)

少しだけ、興味が湧いた。

ほんの出来心だったはずだ。
俺は足音を殺しながら、そっと近づく。

フェンス越しに覗いた、その先。

――そこにいたのは、ゆういちだった。

黙々と、シュートを打ち続ける背中。
息を切らしながらもボールを拾い、また同じ位置に立って構える。

――何かに向かって、努力しているやつ。

ふと、以前に俺がゆういちへ伝えた言葉が頭をよぎる。
それを本人が意識しているのかどうかは、分からない。

けれど今のゆういちは、
まるでその言葉を体現するかのように、黙々と練習に励んでいた。

正直、俺は
誰かのためにスポーツを頑張る、なんて生き方はあまり好きじゃない。
見返りも保証もない努力は、どこか空虚に思えてしまう。

それでも――

ゆういちは違った。

誰に見せるでもなく、
誰に褒められるでもなく、
ただ必死に、前へ進もうとしている。

その背中は、驚くほどまっすぐだった。

(ゆういち……きっと、上手くいよ)

そして、その横に――。
帽子を深く被った、金髪の女の子がいた。

(……あの子、誰だ?)

二人は距離を詰めすぎることもなく、
けれど、どこか親しげに言葉を交わしている。

ゆういちの知り合いなのか。
それとも――。

胸の奥が、わずかにざわつく。

(……ゆういちに限ってまさかな?)

そう思って、踵を返そうとした、その瞬間。
二人の手が、触れた。

いや――
触れた、というより、繋がれていた。

それが
ただの握手なのか、
冗談半分のスキンシップなのか、
それとも――恋愛的な意味を持つものなのか。

俺には、分からなかった。
――そのとき、脳裏に浮かんだのは、
以前お願いされた愛理の声だった。

『ゆういちが、他の女の子と仲良くしてたらさ』

『写真、撮って送って♡』

俺は、無意識のうちに木の陰へ身を寄せていた。
フェンス越しに、さらに距離を詰める。

ポケットから、スマホを取り出す。

画面に映る二人。
並んだ横顔。
繋がれた手。

――その瞬間、理性が叫んだ。

(……待て)

(俺、何やってんだ?)

(こんなことしていいのか?
 ていうか……こんな写真、送ったら二人にとって逆効果じゃないか?)

指が、止まる。

親友を裏切る行為。
誰かの関係を、意図的に壊すための証拠集め。

最低だ。
そんなこと、分かってる。

……分かってるのに。

同時に、別の感情が胸の奥から湧き上がってくる。

(でも……)

愛理の過去の苦しみ。
捨てられた痛み。
失うことへの、異常なまでの恐怖。

その苦しみの半分を引き受けた俺は――
もう、知らなかった頃には戻れなかった。

その重さを。
その歪みを。
俺は、確かに知ってしまった。

(失わないために……)

(壊れないために……)

(相手の動向を把握したいと思うのは……
 そんなに、間違っているのか?)

自問のはずだった。
けれど、いつの間にか――

気づいたときには、
それはもう「欲求」ではなかった。

欲求は、理解へ。
理解は、正当化へ。

俺は、そうやって――
一線に、ゆっくりと近づいていった。

――これは必要な行動なんだ。
自分に、そう言い聞かせる。

そして。

俺は、シャッターを切って愛理に送った。
送るな、って思ったのに。指だけが動いた

そして、次の日。

朝の始業前――
まだ人の気配がほとんどない、近くの公園で、俺は愛理に呼び出されていた。

肌を刺すような朝の空気。
眠気が抜けきらないまま、俺は目をこすりながら口を開く。

「……なんだよ」

半ば愚痴のように続ける。

「こんな朝っぱらから」

愛理はブランコに腰掛け、足先で地面を軽く蹴りながら、こちらを見ようともしなかった。
そして――予想だにしない言葉を、淡々と告げる。

「私ね」

鎖が、きい、と小さく鳴る。

「ゆういちを、振ろうと思うの」

意味が分からなかった。
一瞬、言葉の意味を脳が拒否する。

「……は?」

思わず声が裏返る。

「なんでだよ。あんなに好きだったじゃん」
「ゆういちのこと、嫌いになったのか?」

愛理は、ゆっくりと首を横に振った。

「まさか」

その声音には、迷いも戸惑いもなかった。

「でもね? 昨日の写真みたいに……」
「ゆういちが、他の女と関わる可能性はあるでしょ?」

ブランコが、一定のリズムで揺れる。

「だからね……」
「もう、他の女の子に関心が向かないくらい」
「私に、心酔させないといけないと思ったの」

一拍。

「徹底的に地獄に落として」
「……私が、救わないと」

その言葉は、明らかに歪んでいた。
けれど彼女の口調は、あまりにも自然で――
まるで“常識”を語っているかのようだった。

自分の言っていることを、
正しいと決めつけている。
そんな確信だけが、声の奥にあった。

「……お前、何言ってんだよ」

胸の奥から、怒りがせり上がる。

それは単なる苛立ちじゃない。
過去に見た光景が、鮮明に蘇ったからだ。

――越界者の黒髪の少女と見たあの光景。
――かつて、俺が“救った”人間達。
――そしてその人間達が、次は誰かを苦しめる側に回っていた現実。

救われたはずの人間が、
いつの間にか、
別の誰かの地獄になっていた。

その構図が、
今、目の前の愛理と重なって見えた。

(……違う。愛理は彼らとは違う)

そして俺の怒りは、
愛理だけに向けられたものじゃない。

同じ過ちを、
また繰り返そうとしている世界そのものに――
向けられていた。

「地獄に落とす……?」

愛理はブランコを止め、ゆっくりとこちらを見た。

「ねえ、蓮也」
「手伝ってほしいの」

眉が、きつく寄る。

「私が、ゆういちを振ったあと――」
「蓮也が、私と付き合う“フリ”をするの」

「……は?」

思考が追いつかない。

「ゆういちが“親友”だと思っている、あなたが」
「ゆういちの好きな人を、奪うの」

愛理は感情を乗せず、計画をなぞる。

「それで、私と蓮也は仲違いする」
「理由なんて、なんでもいいの」

「その壊れた関係を――ゆういちが“救う”」

胸が、ひどく嫌な音を立てた。

「そして、ゆういちと私は結ばれる。永遠にね?」

「私を救うことで、ゆういちは救われるの」

愛理は、微笑んだ。

「一度、好きな人に振られて」
「失う痛みを知ったゆういちは」
「もう他の女の子なんて見ない」

「……ずっと、私だけを大切にしてくれる♡」

「……どうかしら?」
「手伝ってくれる?」

俺は、抑えきれずに怒りをぶつけようとした。

誰かを救うことを志す人間にとって、
その提案はあまりにも無神経で、
胸の奥を逆撫でするようなものだった。

――ふざけるな。
――そんなやり方が、許されるわけがない。

そう思った、はずなのに。

同時に、
愛理の語った“計画”が、
不気味なほど腑に落ちてしまう自分がいた。

誰かに強要される理不尽。
本来なら、否定すべきそれを――
俺は、どこかで肯定しかけていた。

その瞬間、はっきりと自覚する。

ああ、そうか。

誰かを救うために、
誰かの苦しみを引き受けるこの能力。

それは同時に、
相手を深く理解してしまう力でもあった。

なぜ、そこに辿り着いたのか。
なぜ、その思考を選ばざるを得なかったのか。
苦しみの理由も、歪みの根も――
否応なく、見えてしまう。

そして、気づいてしまった。

この能力そのものが、
俺の理想――
この世界のすべての人が、穏やかに、幸せに生きられる世界を、

少しずつ、
けれど確実に、
遠ざけているのだということに。

救おうとすればするほど、
本来なら否定すべきはずの理不尽を、
自分自身が肯定してしまっている――
その事実に、その矛盾に、
俺はこのとき、初めて気づいてしまった。

「………ふざけるなよ」

それでも俺は愛理の計画を否定する。
俺はそっちには行ってはならない。

「そんな理不尽な苦しみに」
「ゆういちを巻き込むようなこと、できるわけないだろ」

拳が、ぎゅっと握られる。

「お前、知ってるだろ」
「俺の夢」

視線を逸らさず、言い切る。

「誰も理不尽な苦しみを抱えない」
「穏やかな世界を作ることだ」

「そんな俺によく、そんな話ができたな」

その言葉と同時に、
俺は初めて――愛理に、
自分の家族に対して、はっきりとした嫌悪を向けていた。

胸の奥にあったのは、迷いじゃない。
失望と、拒絶だった。

愛理は、そんな視線を意に介した様子もなく、
ぴょん、とブランコから飛び降りる。
乾いた砂を踏みしめ、ゆっくりと振り返った。

「蓮也」

静かな声。
責めるでも、怯えるでもない。

「薄々、気づいてるでしょ?」

そう言いながら、
彼女は一歩、こちらとの距離を縮める。

「誰にも傷つけられず」
「理由もなく苦しまされず」
「大切な人と、安全で穏やかに暮らせる世界」

首を、わずかに傾げて。

「そんな世界――」
「この、くだらない世界では不可能よ」

その断言は、
怒りでも、悲しみでもなかった。

まるで、
もう答えが出ている前提の現実を
淡々と突きつけるような声音だった。

「……なんだと?」

「周りを見てみなよ」

愛理は、淡々と現実を積み重ねる。

「苦しんでる人ばっかりじゃない」
「みんな、理不尽の中で」
「自分なりの幸せを必死に探してる」

「そしてその幸せさえ」
「数え切れない犠牲の上に成り立ってる」
「私がお母さんに捨てられ、お母さんは今新しい家庭で温かく幸せの家庭を築いているように。」

一切、目を逸らさずに言い切った。

「つまりね」
「幸せって、誰かの苦しみや痛みの犠牲で成り立つものなの」

「あなたの理想は美しい」
「でも、前提がもう間違ってる」

その言葉を口にする愛理は、
いつもの――愛らしい小悪魔のような微笑みを浮かべる彼女ではなかった。

否定しようもなく、
そこにいたのは悪魔そのものだった。

背筋を、冷たいものが走る。

「……お前」

声が、かすれる。

「本当に……愛理か?」

その瞬間、
俺はようやく気づいてしまった。

家族であるはずの愛理が、
EES共鳴現象・ステージ2に到達していたという事実に。

彼女は迷いなく、言葉を重ねる

「犠牲の上で成り立つ尊い愛を」
「私は、もう失いたくない」

愛理は一歩、近づく。

「だから――」

「支配するの」

愛理は、俺に手を差し伸べた。

「私に力を貸して。私の尊い愛の犠牲になってちょうだい。」

「……」

俺は、無言で首を振った。
その手を取ってしまえば、
父さんの死を――
父さんが背負い続けた苦しみを、
すべて無駄にしてしまう気がしたからだ。

「誰かを理不尽に苦しめる手伝いなんてできない」
「それに……俺に、何の意味がある?」

問いというより、
自分自身に向けた確認だった。

愛理は、一歩も引かない。
逃げ場のない距離で、俺をまっすぐ見つめる。

「私が、幸せになる」

静かに。
けれど、揺るぎなく断言する。

「あなたの理想は、綺麗なだけで何も救えない」
「でも、私の計画なら――」

一拍。

「家族である“私”を、あなたは救える」

さらに、もう一拍置いて。

「そして、最終的に」
「親友のゆういちも、救えるの」

その言葉は、
救済を語りながら、
同時に――逃げ道を塞ぐ宣告でもあった。

朝の公園に、ひゅっと風が吹き抜ける。
ブランコが、きい、と小さく軋んだ。

俺は、その場に立ち尽くしたまま、言葉を失った。

愛理は、静かに続ける。

「あなたの能力はね」
「対象となる人間の“苦しみの半分”を、自分が肩代わりする能力」

責めるでもなく、諭すでもなく。
ただ事実を並べる声。

「……長い付き合いだから、わかるの」

その視線は、逸れることがなかった。

「あなた、ずっとこの世界の苦しみを」
「一人で背負おうとしてるでしょ?」

指先が、わずかに震える。

その考えを知っているのは、
越界者である黒髪の少女だけのはずだった。
それなのに――
愛理は、最初から分かっていたかのように言い当てている。

気づかれていた。
ずっと、近くで見られていたのだ。

愛理は、感情を挟むことなく、淡々と続ける。

「ステージ5まで行けば、能力の範囲は拡大する」
「世界中にだって、届く。」

まるで、すでに見た未来を語るように。

「そのときは、苦しみの“半分”なんて言わず」
「……すべてを、肩代わりすらできる」

静かに、言い切る。

「あなたが――人柱になることで」

「誰も理不尽な苦しみを抱えない」
「穏やかな世界の完成」

首を、わずかに傾げる。

「……違う?」

まるで、
自分の思考そのものを覗かれているようだった。

俺は、言葉を失いながら、かすれた声で返す。

「お前……」

喉が、ひりつく。

「なんで……そんなことを……」

愛理は、少しだけ目を細めた。

「結局ね」

ゆっくりと、噛みしめるように言葉を選ぶ。

「あなたの理想は」
「あなた自身が犠牲になって、初めて完成するの」

一度、息を吸い。
そして、吐く。

「私は嫌。」
「私の唯一の家族が望んで人柱になろうとしていることを。」

沈黙が、落ちる。
音のないはずの空間が、
重たい何かで満たされていく。

そして――
その沈黙を縫うように、
越界者の彼女の言葉が、再び胸の奥で反芻した。

「君は、自分以外を見過ぎている」

「誰かの苦しみを背負おうとするあまり、
君自身のことを……軽く扱っていないかい?」

「君のことを大切にしてくれる家族や、親友はさ」

「本当に……
君の自己犠牲を、望んでいるのかな?」

胸の奥で、何かが小さく軋んだ。
そして次の瞬間、
愛理から容赦のない問いが突き刺さった。

「このくだらない世界に」
「あなたが犠牲になるほどの価値、ある?」

「私たち、もう小さい頃とは違う」
「世界を信じられないくらい、見てきたでしょ?」

その視線は、最後まで逸れない。

「自分勝手な人ばかり」
「優しい人間ほど、苦しんで」
「いつも、馬鹿を見る」

その一言一言が、
刃のように胸の奥へ落ちていく。

――父さんを、苦しみに追い込んだ連中。
――苦しみを肩代わりして救ったはずなのに、
 感謝するどころか、
 さらに苦しみをばら撒き続けた人間たち。

思い出したくもない現実が、
愛理の言葉によって、無慈悲に掘り起こされていく。

愛理の言葉がどんどん腑に落ちていく自分に激しく嫌悪する。

「そんな人たちのために」
「ステージ5までなるような壮絶な苦しみを抱えて、このくだらない世界のために自己犠牲になるくらいなら――」

一歩、距離が詰まる。

「私のために、犠牲になって」

懇願でも、命令でもない。
ただ、選択肢を提示する声。

「本当に……そんなやり方しかないのか?」

迷わず返ってきた。

「そうよ。これが――本郷愛理という人間の出した“正解”。」

一拍。

「他にも、たくさんの選択肢はあるかもしれない」
「でも私は……“本郷愛理”として、それを選んだの」

冷たい空気が、肺の奥まで染み込んでくる。

俺は、しばらく言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
そして、胸の内で――自分自身の無力さを、激しく呪った。

そもそも、
EES共鳴現象のステージ5に辿り着ける人間など、存在するのかすら分からない。
俺の理想は、綺麗な言葉で飾られているだけで、
今すぐに実現できるものじゃない。
これから先、できる保証だって、どこにもない。

――ただ、自分の綺麗な理想に酔っているだけなのかもしれない。

そんな疑念が、胸を締めつける。

けれど、愛理は違った。

彼女は、今すぐ行動できる。
結果が歪んでいようと、
誰かを傷つけることになろうと――
現実を動かす力を、すでに持っている。

それは、遥かに俺の計画よりも現実的だった。

そして何より。
形は歪んでいても、
その先には――

大切な家族である愛理と、
親友が幸せになる未来が、そこにはある。

ゆういちに理不尽を強要することを、
**「選べてしまう」**自分がいる。

ゆういちに理不尽を強要することを、
**「正しいと感じてしまう」**自分がいる。

その事実が、
俺の胸の奥を、静かに、しかし確実に腐らせていった。

その事実に――
俺は、激しい嫌悪を覚えた。

吐き気がするほどに。
それでも目を背けられない。

同時に、自分の情けなさと弱さを、
心の底から、呪っていた。

正しさを疑いながら、
それでも理解してしまう自分。

拒絶すべきはずの理不尽を、
肯定しかけている自分。

――最低だ。

けれど。

愛理と、ゆういちが結ばれる未来が、
脳裏に、はっきりと浮かぶ。

二人が笑っている姿。
失う恐怖から解放された愛理。
誰かを救えたという実感を抱く、ゆういち。

その光景は、
あまりにも穏やかで、
あまりにも――正しく見えてしまった。

俺は、ゆっくりと顔を上げる。

納得ではない。
許しでもない。

それでも――決めた顔だった。

「……わかったよ」

低い声。

「手伝ってやる」

「ただ、今のお前は危なすぎる。一線を越えそうになったら俺が止めるからな?」

その言葉は、愛理に向けたものではなかった。
本当は――
まだ自分は一線を越えていないと、
そう信じ込むために、自分自身へ投げかけた言葉だった。

それは警告であり、
同時に、
崩れかけた良心に縋るための、
最後の言い訳でもあった。

「ありがとう……蓮也」

その瞬間、風が吹く。
錆びた鎖が擦れて、ブランコが――もう一度、かすかに鳴った。

そして、月日は流れた。

俺たちはバスケ部を引退し、
季節は静かに――受験シーズンへと移り変わっていった。

その日。
放課後、ゆういちは愛理を屋上へ呼び出した。

……理由は、考えるまでもない。

(告白、だよな)

そう思った瞬間、
胸の奥がぎゅっと締めつけられ、
吐き気が込み上げてくる。

愛理と立てた“計画”。
それを思い出すだけで、
心臓が痛いほど脈打った。

放課後。
俺は一人、教室に残り、愛理を待っていた。

がらがら――。

扉が開き、
愛理が静かに教室へ戻ってくる。
俺は、確認するように口を開く。

「……ゆういちに、告白されたのか?」

愛理は、迷わず頷いた。

「ええ……されたわ」

一拍。

「たまらなく、幸せだったわ」

その言葉は、嘘じゃない。
だからこそ、胸が痛んだ。

「でもね……」

愛理は、静かに続ける。

「その溢れ出る幸せが、
 いつか失われるかもしれないって思った瞬間――
 それが、何よりも恐怖だったの」

机の横に置いていたバッグに、
淡々と荷物を詰めていく。

「だから、この未来の幸せを守るために」
「今この瞬間は……耐えるわ」

そう言って、立ち上がる。

「蓮也」

振り返りもせず、当たり前のように告げた。

「明日、朝。教室の前で――お願いね?」

それが、
計画の“始まり”を告げる合図だった。



俺は――
愛理の計画に加担したことを、
この時点では、後悔していなかった。

だから、何も言わず、
そのまま教室を出た。

廊下を歩きながら、
胸の奥に重たいものを抱えたまま。

その日。
俺と愛理は、
同じ帰り道のはずなのに――

言葉を交わすことなく、
別々に、帰宅した。

翌朝。

計画通り、俺たちは教室の前で――
ゆういちを待っていた。

そして。
彼がドアの前に姿を現した、その瞬間。

俺と愛理は、約束通り――
まるで付き合っている恋人同士のように、自然に手を繋いだ。

その瞬間だった。

胸の奥が、ひどくざわついた。
怖くなった。
逃げ出したくなった。

(……やめろ)

心の中で叫ぶ。
けれど、声にならない。

喉が詰まったみたいに、
言葉が、下へ落ちてこない。

俺は、
親友を傷つけようとしている。

その事実が、
今さらになって、重くのしかかってきた。

それでも――
俺は、声をかけてしまう。

教室のドアの前に立ち尽くす彼へ。

「……どうした? ゆういち」

不自然なほど、低い声だった。

「そんなところに、突っ立って」

ゆういちは、ゆっくりと振り返る。

まるで――
夢を見ているみたいな顔。

目の前の光景を、
まだ現実として処理できていない表情だった。

それでも、
必死に感情を押し殺し、笑う。

「……なんだ」

乾いた声。

「お前ら、付き合ってたのかよ?」

ははっ、と短く笑う。

「めっちゃ……お似合いじゃん」

確かに、笑っていた。
けれど――
声が、微かに震えている。

俺には、分かってしまった。

彼の中で、
何かが壊れた音が。

次の瞬間。

ゆういちは、
教室とは逆の方向へ――走り出した。

追いかけることもできず、
呼び止めることもできず。

ただ、
その背中が遠ざかっていくのを
見送ることしかできなかった。

(俺は……何をしてるんだ?)

激しい嫌悪感が、身体中を支配する。
俺は大切な親友に理不尽な苦しみを強要したのだ。

そして、それから――卒業まで。

俺たちは、
ゆういちと一度も言葉を交わさなかった。

次の舞台は、高校。

秀英高校で、
すべてをやり直す――はずだった。

けれど、それは
最初から決められていた筋書きに過ぎない。

俺と愛理は、決定的に仲違いする。

愛理の計画では――
傷ついた彼女が、ゆういちにすべてを打ち明け、
助けを求める。

ゆういちは、迷わない。

愛理を救う。
壊れかけた心を抱きしめ、
彼女を、地獄から引き上げる。

そして――
愛理を救うその行為が、
ゆういち自身をも救う。

一度、
好きな人に振られ、
親友に奪われるという失恋の痛みを知ったゆういちは、
もう二度と、同じ苦しみを繰り返さない。

だからこそ。

ゆういちの視線は、
愛理だけに向けられる。

失う怖さを知ったから。
失うくらいなら、
最初から手放さないと決めたから。

そうして、二人は結ばれる。

――それが、計画された“結末”。

俺は、
二人の幸せのために、犠牲になる。

世界の苦しみを、
自分一人で受け負う覚悟をしたあの時から犠牲になることに抵抗はなかった。
そして、俺と愛理は――秀英学園に入学した。

……はずだった。

けれど、物事は予定通りには進まなかった。
ゆういちは進路を変え、秀英ではなく――愛聖学園へと進学していた。

越界者の、あの黒髪の少女と同じ高校へ。

それは偶然のはずなのに、
どこか最初から“そうなることが決まっていた”ような、
説明のつかない感覚が、胸の奥に残った。

まるで世界そのものが、
静かに配置を組み替え始めたかのように。
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