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マティアス
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しおりを挟む(落雷か・・)
気候の厳しいこの辺境の地で、雷雨は珍しい事ではない。
だが、今日のこの暴風雨はこの辺境でも珍しい荒れ方だ。
雷が落ちるたびに、照明用の魔道具の魔力が反応して、灯りが揺れる。
目の前の塔は、蜃気楼のように遠くに見えたり、近くに現れたりと、マティアスの心を無意味に惑わせる。
霧の遠くで、赤い遠雷が黒い雷雲の間に音もなく光っている。
マティアスはここの所、全く眠れていない。
寝ても覚めてもドルマの事が思い出されて、胸が張り裂けそうになる。
(こんなに近くにいるのに、こんなに会いたいのに)
手元には、また王都からエベリン王女からの私信が来ていた。
なんとなく開ける気持ちになれなくて、もう2日もそのままにしている。
(元気にしているだろうか、心細くないだろうか、泣いていないだろうか)
食事もあまり摂れていない。
少しやつれた、とても情けない表情をした己の顔がガラスの窓に映っている。
(ドルマ・・ドルマ、君に会いたい。私は君に許されない事をしたというのに・・)
そんな中、マティアスの執務室のドアにノックの音がした。
「入れ」
気を取り直して次期辺境伯の顔を作り直すと、入ってきたのは、レナだった。
「マティアス様」
レナは臣下の礼を取ると、ツカツカとマティアスの机まで歩いて近づいて、机の上に置いておいたガラスの瓶を開けた。
「レナ?」
「マティアス様、ちょっとこれもらっていきます」
レナがヒョイヒョイ右手で摘んで左手の手のひらに乗せているそれは、マティアスが好んで書類仕事の間に食べている、紫の包紙のチョコレートだ。
「ああ、それは構わないが・・お前ダイエットだと大騒ぎしてなかった?」
レナは二股をかけられた男と別れてから、美容に開眼してしまい、今は美容の鬼と化しているのだ。
朝に飲む水は3日3夜浄化をかけた、月夜に水源から汲んだ水だの、サラマンダーの粘膜を精製した美容パックだの、ちょっと常軌を逸しているほどに美容に命をかけている中、今は肌に良くないとかで砂糖を一切摂取しておらず、レナは家族のお茶の時間すら干したクラーケンの内臓をかじっていて、非常に不気味だとユールから聞いたばかりだ。
レナはマティアスには興味がなさそうに、目も合わさずに答えた。
「ああ、これは私が食べる為のものではありません。ドルマにあげるのです」
ガタリとマティアスは、急な単語に思わず立ち上がる。
「色々研究を手伝ってもらってるので、何かお礼をさせて欲しいと言ったら、紫の包紙のチョコレートが欲しいっていうんですよ、あの子。いつも良くしてもらってる下働きの女達に配りたいんですってさ。後で店に注文書を出しますけど、とりあえず今すぐあの娘に食べさせる分をあげたいんですよ。いいですよね」
マティアスはレナの言葉に混乱して聞いた。
「レナ、ちょっと待ってくれ。・・もちろん構わないが、一体塔で何が起こっているんだ? なぜドルマがお前の研究を手伝っている? なぜ幽閉されているはずのドルマが、お礼の品を配りたいと思うほどに人と関わっているんだ? 教えてくれ」
レナがようやくマティアスの顔みて、口を開こうとした時、また執務室のドアがノックされた。
今度はお茶のセットをガラガラとカートに運んできたマティアスの侍女が二人入ってきた。
マティアスの前に紅茶のポットを持ってくると、先ほどのレナとの会話が聞こえていたのだろう。
侍女の一人がにっこりと笑ってマティアスに話しかけた。
「マティアス様。私達もよくドルマちゃんにはお世話になっていますよ。ここの第一の下働きの女はみんな世話になってるんじゃないですか?」
「な・・一体?? なぜお前達までドルマと??」
混乱して目を白黒させているマティアスがおかしかったのだろう。もう一人の侍女が、笑いながらレースのついた己の制服の袖口を見せた。
「ほら、マティアス様。私もここの部分を繕ってもらったんですよ。本当にあの娘の仕事は丁寧で、上手で」
「私が仕事でミスをしてしまって、侍女長に叱られて俯いて俯いている時も、この繕いされた部分を眺めていると、次からもっと頑張ろうっていう気になるんですよね。何せ私の仕事着なんかをこんなに宝物みたいに丁寧に繕ってもらっているんです。このドルマちゃんという子に、頑張れって私を励ましてもらっている気がして」
忙しなくガラス瓶からチョコレートをつまみながら、レナはやはりあまりマティアスに興味がなさそうに続けた。
「マティアス様、魔法塔の規則には反してないわよ。全部筆談でのやり取りだし、出てくるものも渡すものも、私がかけた検査魔法を通ったものだけよ」
もう一人の侍女も、さもおかしそうに続けた。
「レナ様がなんだかんだで一番ドルマちゃん位お世話になってますものね、ユール様なんて「ドルマちゃんは魔法伯家の幸運の女神だ」なんてドルマちゃんに言って、ドルマちゃんから「気持ち悪い」ってメモを書かれたばかりですよ。あれにはみんな笑いましたね」
(ユールまで・・)
マティアスの頭の中に、第6での暖かな光景が蘇る。
衝立の後ろにいるドルマと、仲間と、制服管理課での穏やかな交流の日々。
「そうそう。そうだったわね。あの時のユールの情けない顔ったらなかったわね!」
レナはその時の光景を思い出したらしい。クスクスと笑うと、ようやくマティアスに言った。
「ここの侍女やメイドの制服もそうなんだけど、塔にしまってほったらかしにしてるガラクタ達もドルマちゃんがヒマな時に繕ってもらってるの。あの娘はどんなものでも繕えるから。綻んでしまって失われた太古の魔法回路の復活とか、ともかく魔法伯家で手が及んでなかった宝物の管理にものすごく役に立ってもらってるのよ」
侍女達は楽しそうにレナとおしゃべりを続ける。
「下働きの女の子達からの依頼の繕い物もすごい量になってきてるし、ドルマちゃん、レナ様のお仕事と、最近ではウルス様まで平身低頭でドルマちゃんに色々と繕い物をお願いしてきて、塔の中でとても忙しいしんじゃないかしら」
(絶好調・・と聞いてはいたが)
「レナ様、今からドルマちゃんの所に差し入れですか? レナ様の化粧石鹸を注文された子が、ドルマちゃんにも同じものを差し入れたいと言って今石鹸を見張り兵に預かってもらってます。お手数ですけどそのチョコレートを差し入れるんでしたら、ついでに石鹸も検査魔法かけてもらえますか?」
「もちろんよ。でもあの石鹸はちょっと肌にきついのよね。ドルマちゃんのお肌の状態を見てから差し入れたいわね。対人恐怖でも幽閉でもどっちでもいいんだけど、顔の肌の状態をチェックできないのは本当に不便ね」
「ドルマちゃんの指先を見る限り、綺麗できめ細かいお肌ですよ。引きこもっているから真っ白だし、きっと綺麗なお肌の娘なんでしょうね」
「ええ、私移送の時に一緒だったけど、可愛い女の子よ。肌がきめ細かいし、ユールによると笑うとエクボもあるんだってさ」
マティアスの意識の遠くで和やかに女達が会話しているのが聞こえる。
(そうか・・元気にしているのか・・大事にしてもらっているのか・・私も、私もドルマと話がしたい・・私も、私も・・)
そして、視線を落とすと、そこにはまだ封すらを開けていないエベリン王女からの手紙が目に映った。
(・・・どの面下げて、だったな)
軽蔑したようなレナの眼差しが思い出された。
マティアスは、泣きたくなるような思いを胸に抱きながら、ガラスの瓶から一つ一つチョコレートをつまみ出しているレナの手を止めて、大きなガラスの瓶をそのまま丸ごとレナに手渡した。
(ドルマ・・ドルマ・・)
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