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慣れ親しんだ砂利道をおろしたての革靴で歩く。道の両端に自生する木が高く昇った日の光を遮り、木漏れ日の漏れる見事な林道を作り上げている。心地よい風が優しく吹く、まさに絶好のハイキング日和。しかし、そんな豊かな自然を楽しむ余裕は俺にはない。下車して歩くことおよそ10分。手土産にと奮発した荷物が思っていた以上に重くて、腰が痛い。久しく運動を怠っていたせいか、歩いているだけで背中を汗が伝う。後先考えず革靴できてしまったのも失敗だった。砂利に足を取られ歩きづらいことこの上ない。





懐かしさを感じるために車を停めてわざわざ歩いているというのに、俺は早々に車で来なかったことに後悔していた。





それからさらに10分。ようやく見えてきた民家の前には、慣れた手つきで農業機械を手入れする人影があった。





「なんだ、随分と遅かったな。道にでも迷っちまったのかと思ったよ」





俺が近づいたことに気が付いたのだろう。振り返ったその顔が元気そうなのを確認して俺はひとまず安堵する。久方振りに見る親父の顔は、こんがり日に焼けて農作業を生業にする人特有の、歳を感じさせないようなハリがあった。







「ただいま、元気してた?……とういか、うちって国道からこんなに離れてたんだね。久しぶりにこんなに動いた気が……」







俺がげっそりしていると、ここまで徒歩で来たことを察した親父にあほかと笑われる。





「おう、おかえり。道理で遅いわけだな」





にかっと笑うその顔に、少しだけ罪悪感を覚える。大学進学の為に家を出て、最後に実家に帰ったのはたしか、一昨々年の盆休み。都会にいると、時間があっという間に流れてしまうみたいで、結局、就職が決まるまで帰省することができなかった。いくら忙しかったとはいえ、我ながら親不孝だと思う。







「あ、そうだ親父。酒持ってきたけど、芋と梅。」





土産の存在を思い出した俺は、紙袋の中から二本の瓶を取り出して掲げて見せる。





「んー。焼酎か……俺ぁ、日本酒の気分だぁな」





「そう言うと思って、こっちも用意しといたんだよ。これ親父好きだよね」





予め買っておいた少しばかり値の張る日本酒を袋から出して親父に手渡す。親父の酒好きは俺の子供の頃から変わらなくて、特に日本酒には目がない。合計3本の瓶を受け取った親父は大声を上げて笑い出した。





「こりゃあいい酒だ。早速、一杯やるか。それより、玲斗。母さんが料理を作って待ってる。随分張り切ってたからな。さっさと顔見せてやれ」





まだ日の高いうちからの飲酒宣言。相変わらずの酒好きに呆れ半分、安心半分。まぁ、こっちの方が親父らしくて安心するけどな。







親父の後に続いて玄関のタイル面を踏むのとほぼ同時に待ち構えていたかのように母さんから声が掛かる。





「あら!玲ちゃん!お帰りなさい。遠かったでしょう?お腹は空いてない?ご飯できてるわよ。早く上がんなさい」





「……うん、ただいま、母さん」





最後に会った時よりも若く見えるのは気のせいだろうか。テンションの高さが尋常じゃない。なんかツヤツヤしてるし。あれこれ質問してくる母さんのマシンガントークを躱して居間の扉を開く。





部屋に充満した食べ物の香りに、これまで意識していなかった空腹感が襲う。懐かしささえ感じる食卓と、これでもかと並べられた料理に両親の思いを感じて不意に目頭が熱くなった俺は、バレないように視線を下げる。







「俺の、好きなものばっかりだね」





「当たり前でしょう?折角玲ちゃんが帰ってきてくれたんだから。玲ちゃんが東京に行ってる間も、ちゃんとご飯は食べているのか、怖い思いはしてないか……お母さん心配で心配で。」





不思議なもので過保護気味なこの発言も数年前は煩わしかったのに、今は嬉しいと思う。流石に成人した子供に掛ける言葉かどうかは閉口するが。











「ちょっと、お父さん!また飲むの!?貴方今朝も……」





数年前と変わらない光景がそこにはあって、帰ってきたんだなぁって改めて実感する。ひとしきり感動していよいよ料理に手を付けようとしたところで、玄関のベルが鳴らされた。







「はーい。ちょっとお待ちくだいねー」







母さんはやや間延びした返事をするとぱたぱたと玄関の方へ駆けていった。タイミングを見計らったように、親父が顔を近づけてくる。顔ににんまりとした笑顔を張り付けて。





絶対ロクなことにならないぞ。







「ところでお前……こっちはどうなんだ?こっちは?」







案の定、親父はニヨニヨと小指を立ててくる。_______それ聞いちゃう?ここ最近すっかり恋にご無沙汰な俺には結構地雷なんだけど?







俺は黙って首を横に振った。頼む詮索しないでくれ。こっちはなにかと酷い目にあったんだよ。大学に入学したばかりの頃の苦い思い出がフラッシュバックして顔が引きつる。







「なんだよ。つまんねーな。若いのに勿体ねぇ」





「べ、別になにもなかった訳じゃないし……」





何もなくはない。むしろ、結構色々あったんだよ。親父がいいねぇ~とニヤつきながら酒を呷っている。俺も負けじとグラスを傾ける。







「……なぁ、親父。この酒なんか薄くない?」







「んん?そうか?普通にうめぇぞ」







口に含んだ液体は酒というにはあまりにキレのない、言ってしまえば水の様だった。その上、飲んでもあまり飲んだ気がしない。高い酒ってそういうものだったっけ?それとも俺の味覚の異常か?







_________まぁ、いいか。





「玲ちゃん!お友達が訪ねてきてるわよ」





いよいよ料理に手を付けようとした俺は母さんから思いもよらない妨害を受ける。母さんは戻ってくるなり、意味の分からない事を言い始める。







「外国人かしらねぇ……金髪の、んー八歳くらいの子よ。玲ちゃんにそんな小さい知り合いがいたなんてお母さん知らなかったわ」







________いや、俺も知らないけど。外国人?子供?接点がなさすぎるでしょ。というか地元の友達にすら帰郷したこと伝えてないし、一体何者だよ。料理冷めるから早く食べたいんだけど……







なかなか席を立とうとしない俺にしびれを切らせた母さんがぐいぐいと背中を押してくる。









「もう!とにかく行ってあげて。小さい子を待たせるなんてかわいそうでしょう」







「いや、俺知らないって……大体友達にしては歳離れすぎでしょ……」







聞く耳を持たない母さんに部屋を追われ、俺は文句を垂れながら渋々玄関に向かう。磨りガラスの向こうには母さんの言った通り、小さな人影があった。





あーもう、絶対人違いだろ。





相手も俺が玄関の扉の前に立っているのが分かったようで急かすように引き戸をノックしてくる。





「はいはい、今開けます……って硬っ」





少々建付けの悪いこの引き戸は力を入れないとなかなか開かない。まだ直してなかったのか。前にも増して開けずらくなった戸に踏ん張って挑む。





「…………?」





「えっ?」





やっとのことで戸が動き出す、ちょうどその時だれかの声が耳に入った。耳に残ったその声は、少なくとも両親の声でないのは確かだ。なんだろう。空耳かな?







「…………か?」





まただ。やっぱり聞こえる。誰かが話しかけているようだけど言葉の意味までは聞き取れない。耳元で囁かれているみたいだけど、ひどく遠くにも感じる。







俺は反射的に後ろを振り返るが当然そこには誰もいない。不可解な現象に違和感を覚えたその時、突然に酩酊感にも似た眩暈に襲われる。おまけに頭もぼーっとして、上手く考えられない。視界がゆがんで足元が不安定になる。











あれ、俺は何を……?











































「_______ま?レイト様?ご気分はいかがですか?」













抗いがたい誘惑を振り切って開いた瞼の先には、作り物のように美しい女性がいた。しかも、視界一杯のドアップで。俺は思わず数秒呼吸を止めるが、すぐにそれがラティエだと分かってようやく俺の脳は寝起き状態を脱した。頭が正常になってくれば、思い出すのは昨夜のあれこれ。一部思い出せないところもあるけど、幸か不幸か大体は覚えてるぞ。俺は頭を抱えてシーツに深く潜り込む。そーだった、ラティエ男だったんだ……







越えてはいけない一線を、あっさり突破されて訳が分からないまま意識飛ばして……それで、今、朝ってことだよな。まじで最悪だ。どんな顔してラティエに会えばいいんだよ。俺変なこと口走ってないよな……?半ばパニックになっている俺はとりあえず起きようとして上体を起こすが、腰に走った鋭い痛みに戦慄した。







「~~~~っ!!」







痛ってぇーーー。生々しすぎる腰の痛みに控えめに言って死にたくなる。しかし、身体の痛みと鬱血等を除けば痕跡がないことから、恐らく俺が眠った後にラティエが処理してくれたのだろう。ほんとに最悪。恥ずかしい。かっこ悪い。どうしよう、いくらなんでも男とヤるとか、絶対やばいって。俺が一人悶えているとシーツの外から気づかわし気に声を掛けられた。







「……レイト様。お身体は痛みませんか。その、昨夜は申し訳ありませんでした。少々加減を違えまして、申し訳ございません。……怒っていらっしゃいますよね?」





あまりにその声が悲しげなので、怒りなんて全く沸かない。というか、雰囲気に流された俺が結局一番悪いわけだし。





「怒って、ないよ。身体も別に平気」





恐る恐る、シーツから顔を出すと間髪入れずに頬に手を添えられる。





「……っ、何」





「いえ、ただ、綺麗だと思いまして。ありがとうございます。」





蕩けるような笑顔を向けられて、頬が熱くなる。なんか俺、変だ。







「挨拶が遅くなってしまいましたね。おはようございます。レイト様」





「あー、うん。おはよ」





ラティエは既に着替えを済ませていて、白い首筋が朝日に照らされて眩かった。心臓の音がやけに煩い。鳴り響く鼓動を無視しして立ち上がる。当然、腰の痛みが襲ってくるが、表に出ないよう平気なふりをする。バレたくない。なるべくすました顔で着替えを済ませようとするが、思うように身体が動かない。つま先までだるいってきっとこういうことなんだと思う。







俺がもたついていると、ラティエが後ろから抱き着いてきた。軽く肩が跳ねたが、ラティエはボタンを留めるのを手伝ってくれただけのようだ。なんだ、それだけか……。







「ありがとう。……あの、もう大丈夫だから離れて、」





俺の着替えが終わった後も何故かラティエが離れる様子がない。いたたまれなくなって声を掛けるが、益々強く抱きしめられて続く言葉を飲み込みざるを得ない。







「次回はもっと上手にやりましょうね?」





背後からの爆弾発言に腰の痛みも悪れて身を捩る。





「いや、え、次って……」





次?次って、次がある前提?え、なんで。俺がそれ以上言及する前に、ラティエは俺から離れる。





「そろそろ、部屋を出ないと。皆さんが心配されますよ」





誰のせいでと言い返しそうになるが押しとどめておく。事態の悪化に繋がりかねないからな。不本意ではあるが、俺は一度その話題から離れる。





「そういえばレイト様、何か夢を見られてたんですか?」





部屋を出ようとしていたラティエにそう聞かれる。





「いや、覚えてないけど。なんで?」



「幸せそうなお顔をしていらっしゃったので」



「ふーん」



勝手に寝顔見るなよ。とは言えず俺は一言だけ返すと、隣の部屋にむかった。なんだか一晩でラティエの印象が大分変った気がする。
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