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【探偵稼業・壱】
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それから数日後。
事件解決という〈名探偵〉の仕事の準備は整えられ、依頼人である松尾家の屋敷へ向かう当日となった。
陣一郎と基は、高いフェンスに沿って長く続く道を歩いている。
地図上ではこのフェンス内が松尾家の敷地のはずだが、通用門まではまだ距離があるようだった。
「すみません、先生。車だと目立つので断わってしまったんですが、近くまでお願いしてもよかったかも知れませんね」
基が小さく眉をよせた。服装がいつもより控えめで地味に見えるのは、探偵助手らしく見せるためだろうか。それでも十分に質の良いものであることは明らかで、依頼人に礼を欠いたものでは決してない。
「いや、それほど大した距離じゃないだろう」
陣一郎は、着慣れないベストの裾を気にしながら応える。彼も同じく礼を欠かぬよう、いつもより気合いの入った洋装(彼曰く名探偵らしいもの)を助手から見立てられていた。
「でも門を入ってからも、お屋敷まで少し歩くはずですよ」
その言葉に、思わずため息が漏れる。
「大きなお屋敷というのは大変なものだな……」
陣一郎はどこまでも続く洋風のフェンスと、その中の庭木を眺めた。その贅沢な作りは、以前に世話になっていた西條家の屋敷を思い起こさせる。
陣一郎が西條家の書生だった頃は、まだ子どもだった基の家庭教師や送り迎え等をすることがあった。先導する基の丸い後ろ頭を見ていると、あの頃にこうして一緒に歩いていた記憶が蘇って来る。
「基さん、疲れてやしないか」
「もしや先生、お疲れですか?」
「いいや。もし君が疲れたら、俺が抱っこしてやろうと思ってな」
基は驚いて振り返ると、すぐに陣一郎の笑みに気づいて口を尖らせた。
「先生は、私を未だ子供だと思ってらっしゃるんですね」
西條基は、幼い頃から聡明で聞き分けの良い子だった。だが陣一郎と二人での帰り道の時にだけ、疲れたから少し休もうと急に言い張ることがあった。
そんなとき陣一郎は、それなら先生が抱っこしてやろうと言って基を抱きかかえて帰宅するのが常だった。それでも屋敷の前まで来ると恥ずかしがり、降ろして下さいと言う基に、子どもなりの見栄を感じてそれもまたかわいらしく思っていた。
「あれは君、抱っこをして欲しかったんだろう」
「……半分は当たりですね」
からかうような陣一郎の言葉に、基が不敵に微笑む。
「でも帰り道で休みたがったのは、本当はもう少し先生と二人でいたかったからですよ」
「懐いてくれたもんだなあ」
照れくさくなり、陣一郎は鼻の横を掻く。
「結局は先生の提案した抱っこのほうが嬉しかったので、何度も駄々をこねてしまいましたけど」
「昔の君は手のかからない、いい子だったからな。たまの我儘を言われるのは、俺にとって嬉しいことだったよ」
「だったらあの時も、もっと我儘を言えばよかったですね。──先生に、出ていかないで欲しいって」
「……すまん」
陣一郎は、言葉に詰まって短い謝罪だけを口にする。
「冗談です。子どもの私では先生を引き留めておけなかったことくらい、分かってますよ」
基は朗らかに笑った。だが西條の屋敷を出た時のことは、陣一郎にとっては今でも少し気まずい。
当時の屋敷内で、骨董の掛け軸の紛失事件が起きた。掛け軸は西條の旦那様──有維が従兄弟から預かった大切なもので、万が一のことがあれば屋敷内での窃盗というばかりではなく、彼の信用問題にも関わる。
屋敷中の人間が疑われる中、陣一郎がその在処を発見することになったのだが、運の悪いことにその掛け軸は贋作だった。そのため今度は、この書生が本物とすり替えたのではという疑いが生まれてしまった。
陣一郎の疑いはすぐに晴れたが、知らずに贋作を仰々しく預けてしまった従兄弟はいたく自尊心を傷付けられたようだった。彼と有維との関係がぎこちなくなったことを気に病んだ陣一郎は、実家の方面に働き口が見つかったという嘘の口実ですみやかに西條家を出た。
屋敷を出て西條の人々と別れることはつらくもあったが、恩義ある旦那様に自分が心労をかけることも嫌だった。今だったらもう少しうまくやれたのかも知れないとも思う。
今こうして西條家と再び関わり合いを持てるようになるとは、陣一郎には思いもよらぬことだった。
「先生は悪くありませんよ」
成長して再会した基は美しく、陣一郎の全てを赦すように優しく告げる。まるで都合のいい夢のように。
──先生は悪くありません!
陣一郎の耳に、あの時の基の言葉が蘇る。贋作のすり替えを疑われた陣一郎を、最初に庇ったのは少年の基だった。
その清廉な信頼に心打たれた。再会した今も、基はあの頃と変わっているようで、そう変わっていないとも思う。
「俺はいつも、君に与えて貰ってばかりだな。あまり甘やかされると、駄目になってしまいそうだ」
「嬉しいですね、是非とも駄目になって下さい。私なしではいられないくらいに」
基の嬉しそうな声に本気なのか冗談なのかをはかりかね、陣一郎は表情を窺う。
「……冗談で言っているんだろう?」
「先生も、本気で私を抱っこしてくれるわけじゃないでしょう? もう私は大人だし、先生はうちの事務所の大事な名探偵なんです」
基は案外真面目な顔をしている。
「ちなみにうちの探偵事務所では、職場恋愛を禁止していません」
そう言って真剣な表情で陣一郎を見る。
「基さん、俺は──」
「はい、着きましたよ」
いつの間にか、二人は松尾家の門前に到着していた。
「ご挨拶して中に入りましょう、先生」
基がするりと探偵助手の顔になったので、陣一郎も慌てて名探偵の顔を心がけた。
事件解決という〈名探偵〉の仕事の準備は整えられ、依頼人である松尾家の屋敷へ向かう当日となった。
陣一郎と基は、高いフェンスに沿って長く続く道を歩いている。
地図上ではこのフェンス内が松尾家の敷地のはずだが、通用門まではまだ距離があるようだった。
「すみません、先生。車だと目立つので断わってしまったんですが、近くまでお願いしてもよかったかも知れませんね」
基が小さく眉をよせた。服装がいつもより控えめで地味に見えるのは、探偵助手らしく見せるためだろうか。それでも十分に質の良いものであることは明らかで、依頼人に礼を欠いたものでは決してない。
「いや、それほど大した距離じゃないだろう」
陣一郎は、着慣れないベストの裾を気にしながら応える。彼も同じく礼を欠かぬよう、いつもより気合いの入った洋装(彼曰く名探偵らしいもの)を助手から見立てられていた。
「でも門を入ってからも、お屋敷まで少し歩くはずですよ」
その言葉に、思わずため息が漏れる。
「大きなお屋敷というのは大変なものだな……」
陣一郎はどこまでも続く洋風のフェンスと、その中の庭木を眺めた。その贅沢な作りは、以前に世話になっていた西條家の屋敷を思い起こさせる。
陣一郎が西條家の書生だった頃は、まだ子どもだった基の家庭教師や送り迎え等をすることがあった。先導する基の丸い後ろ頭を見ていると、あの頃にこうして一緒に歩いていた記憶が蘇って来る。
「基さん、疲れてやしないか」
「もしや先生、お疲れですか?」
「いいや。もし君が疲れたら、俺が抱っこしてやろうと思ってな」
基は驚いて振り返ると、すぐに陣一郎の笑みに気づいて口を尖らせた。
「先生は、私を未だ子供だと思ってらっしゃるんですね」
西條基は、幼い頃から聡明で聞き分けの良い子だった。だが陣一郎と二人での帰り道の時にだけ、疲れたから少し休もうと急に言い張ることがあった。
そんなとき陣一郎は、それなら先生が抱っこしてやろうと言って基を抱きかかえて帰宅するのが常だった。それでも屋敷の前まで来ると恥ずかしがり、降ろして下さいと言う基に、子どもなりの見栄を感じてそれもまたかわいらしく思っていた。
「あれは君、抱っこをして欲しかったんだろう」
「……半分は当たりですね」
からかうような陣一郎の言葉に、基が不敵に微笑む。
「でも帰り道で休みたがったのは、本当はもう少し先生と二人でいたかったからですよ」
「懐いてくれたもんだなあ」
照れくさくなり、陣一郎は鼻の横を掻く。
「結局は先生の提案した抱っこのほうが嬉しかったので、何度も駄々をこねてしまいましたけど」
「昔の君は手のかからない、いい子だったからな。たまの我儘を言われるのは、俺にとって嬉しいことだったよ」
「だったらあの時も、もっと我儘を言えばよかったですね。──先生に、出ていかないで欲しいって」
「……すまん」
陣一郎は、言葉に詰まって短い謝罪だけを口にする。
「冗談です。子どもの私では先生を引き留めておけなかったことくらい、分かってますよ」
基は朗らかに笑った。だが西條の屋敷を出た時のことは、陣一郎にとっては今でも少し気まずい。
当時の屋敷内で、骨董の掛け軸の紛失事件が起きた。掛け軸は西條の旦那様──有維が従兄弟から預かった大切なもので、万が一のことがあれば屋敷内での窃盗というばかりではなく、彼の信用問題にも関わる。
屋敷中の人間が疑われる中、陣一郎がその在処を発見することになったのだが、運の悪いことにその掛け軸は贋作だった。そのため今度は、この書生が本物とすり替えたのではという疑いが生まれてしまった。
陣一郎の疑いはすぐに晴れたが、知らずに贋作を仰々しく預けてしまった従兄弟はいたく自尊心を傷付けられたようだった。彼と有維との関係がぎこちなくなったことを気に病んだ陣一郎は、実家の方面に働き口が見つかったという嘘の口実ですみやかに西條家を出た。
屋敷を出て西條の人々と別れることはつらくもあったが、恩義ある旦那様に自分が心労をかけることも嫌だった。今だったらもう少しうまくやれたのかも知れないとも思う。
今こうして西條家と再び関わり合いを持てるようになるとは、陣一郎には思いもよらぬことだった。
「先生は悪くありませんよ」
成長して再会した基は美しく、陣一郎の全てを赦すように優しく告げる。まるで都合のいい夢のように。
──先生は悪くありません!
陣一郎の耳に、あの時の基の言葉が蘇る。贋作のすり替えを疑われた陣一郎を、最初に庇ったのは少年の基だった。
その清廉な信頼に心打たれた。再会した今も、基はあの頃と変わっているようで、そう変わっていないとも思う。
「俺はいつも、君に与えて貰ってばかりだな。あまり甘やかされると、駄目になってしまいそうだ」
「嬉しいですね、是非とも駄目になって下さい。私なしではいられないくらいに」
基の嬉しそうな声に本気なのか冗談なのかをはかりかね、陣一郎は表情を窺う。
「……冗談で言っているんだろう?」
「先生も、本気で私を抱っこしてくれるわけじゃないでしょう? もう私は大人だし、先生はうちの事務所の大事な名探偵なんです」
基は案外真面目な顔をしている。
「ちなみにうちの探偵事務所では、職場恋愛を禁止していません」
そう言って真剣な表情で陣一郎を見る。
「基さん、俺は──」
「はい、着きましたよ」
いつの間にか、二人は松尾家の門前に到着していた。
「ご挨拶して中に入りましょう、先生」
基がするりと探偵助手の顔になったので、陣一郎も慌てて名探偵の顔を心がけた。
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