久遠の花

りずべす

文字の大きさ
11 / 13
三章 また、いつか

2  二〇二四 長月―中

しおりを挟む
 翌日になって放課後、僕は一人街を歩いていた。遊び歩いているわけではない。下校中なのだ。
 だがしかし、一概にまっすぐ家へと向かって歩いているわけでもなかった。
 実のところ、迷っているというのが正しい表現かもしれない。僕は、どこに行くべきなのか迷っていた。自宅か、事務所か、あるいは唯花の家か。
 僕と唯花は昨日、会う約束をしたはずだった。別に埋まる予定もないのだけれど、僕はそのために今日、放課後の予定を空けておいたのだ。
 それなのに唯花ときたら、姿を見せるわけでもなければ、一向に連絡も寄越さない。
 当然、既にこちらからのコンタクトは試みた。メールと電話を、それぞれ一回ずつ。どちらも不発だ。
 結局、業後にしばらく学校で待ったのち、こうして歩いているのが今というわけである。こうなると、次なる候補はやはり事務所か。
 そう考えた末、帰る方向とは重ならないが、仕方なしに僕はそこへ向かって進路を定めた。
 別に、唯花と会うのも、それがどこで何時でも構いやしないが。それでも、僕のメールや着信に対して、何らかの返事くらいはしてくれたっていいだろうに。
 まったく唯花は……そういうところは雑なんだから。あんなに何個も携帯を持っていても、これではまるで意味がないではないか。
 僕は、半分呆れながら足を進め、大通りへと出る。往来には人も車もそこそこ見られて、道沿いの店も活気に溢れていた。それらを平坦な気持ちでなんとなく眺めながら、ぼんやりと階段に差し掛かる。
 僕は歩道橋を上った。まだ新しく、自動車向けの案内板が複数設置されているくらい大きめのものだ。しかし、それでもこいつは、僕の知る限りなかなかに不憫な歩道橋なのだった。
 数十メートル付近には、横断歩道付きの交差点。もう少し歩けば、駅の地下通路まであるというなんとも絶妙な立地条件で、この歩道橋を利用する歩行者はほぼ皆無。それこそ、たまたま反対側に見つけた知り合いに声を掛けるくらいの状況がなければ、わざわざ階段まで上ってこれを渡る人はいないだろう。そんな難儀な存在である。
 けれども一方で、灯華さんの事務所に通う僕にとっては、非常に重要となる設置物と言えた。これは、紛うことなきそこへの最短ルートなのだ。ちなみに個人的な豆知識だが、この街での夕陽が綺麗に見られるスポットとしては、かなりのものと思われる。
 僕は、ゆっくりと階段の全ての段を上り切った。そうしてせっかくだからと、真横から照らす赤い太陽を見るために首を捻った。
 そのとき、視界の端に人影が映る。思わず視線は太陽から、その人影の方へと流れていく。
 目の前にいたのは唯花だった。腰上まである無骨な通路壁にもたれかかり、肩口まである短めの髪を風に揺らしながら、真下の通りを眺めていた。
 声をかけようとして僕が歩み寄ると、まるで彼女は最初から僕に気づいていたかのように、ゆっくりと身体の正面をこちらへ向けた。彼女の表情は、笑顔ではなかった。
「なんだ唯花。こんなところにいたんだ。僕のメール、見た?」
「………………」
 彼女からの返答はない。瞬きもせず、黙ってこちらを見据えている。
 僕はそれを妙に感じたが、やがて音もなく何かが取り出され、彼女の手元に現れる。それは、小さな赤花の鉢だった。よく見れば、見覚えのある形の花弁が、唯花の髪と同調して風に揺れている。
「あ、あれ……それって、僕のじゃないか。確か部屋に、置いてあったはず……」
 彼女の持つそれが何なのか、近づかずともすぐわかる。僕が悠那ちゃんからもらい受けた鉢だ。
 唯花は、そっと静かに口を開いた。
「……そう。詞の部屋にあった鉢植よ。さっき、取ってきたの」
「……どうして? いや、というか、どうやって?」
「普通に、詞の家に行って」
 クスリともしない無表情の唯花は、両手で鉢を持ちながら淡々と答えた。なおもさらに、そのまま続ける。
「ねえ詞。この花、桔梗の花っていうのよ。知ってた?」
「え? い、いや……知らなかったけど……」
「そっか。あのね、これは桔梗の花。旧暦の秋に咲く花なの」
「そう、なんだ」
「ええ。だからね……本当ならもうすぐ、一年の咲き時を終えるはずなのよ」
 旧暦の秋といえば、それは現在の夏とほぼ重なる。九月に入ってしばらく経つ今となっては、終わりの近い季節だった。
 つまりは、この花はもうすぐ枯れる。唯花はそう言いたいようだった。随分と唐突に、どうしたのだろう。
 彼女はいやに晴れない表情をしていた。
 もちろん僕も、花に季節があるのは知っている。どれもだいたい、時間には敏感な生き物たちだ。飽きるほど長く咲いているものなんてほとんどなく、満開を過ぎればすぐにでも散ってしまう。それはわかっているつもりだった。
「そっか。まぁ、花ってそういうものだよね。でも、僕はその鉢植、できるだけ長く育てようと思っているんだ。もうすぐ季節が終わるからって、まだ枯れちゃったわけでもないし……せっかく悠那ちゃんにもらったものだしさ」
 言ってしまえば、鉢植は悠那ちゃんの遺品のようなものだった。それに、仮に花が枯れてしまったとしても、それで終わりというものでもない。また来年にはきっと咲くのだろうし、世話をすることは無意味ではないはずだ。
 僕が言うと、しかし唯花はなぜか一瞬だけ、さらに表情を曇らせた。
「ええ、そうね。開きかけの蕾も、あることだしね」
「そうだよ。まだ全然、枯れたわけじゃ――」
 そうだ。なんたってあの悠那ちゃんから継いだものなのだ。大切にしたい。もうじき枯れてしまうとしても、まだ開きかけの蕾が残っているような段階で、世話を投げたすわけには――。
 ……あれ?
 思考をする頭は突如、得体の知れない違和感に、強く貫かれた。
「枯れたわけじゃ……ないし……」
 ちょっと待った。どうしてそこには、今から咲こうとする花があるのだろう。どうしてこの時期から、花開こうとする蕾が、あるのだろう。ふとそんな疑問がよぎって……何かが、おかしい気がした。
「詞、よく見て。この花を、よく見て」
 そして唯花の声が、僕を呼んだ。強い風が吹けば消えてしまいそうな、少し弱めの声だったが、それでも確かに僕へ届く。
「よく見て、詞。ここにあるわ。あなたの失くしもの――」
 彼女の言葉が、終えるかどうかの境だった。
 突然、僕の両眼に桔梗の紅が飛び込んできて、奇妙な感覚に襲われる。視界が、脳が、胸が、身体中が――湧き上がってきた何かに満たされて、いっぱいになって、眩暈がするほどの速度で神経が動いた。強すぎる光で麻痺したかのように目が機能しなくなり、立っているのもやっとなほどの衝撃が走った。
 けれどそれも、たったの一瞬、いや、数千分の一秒くらい。よろける身体を両の足でどうにか支えると、すぐに元いた世界が目に映る。
 そうしてまた、声が聞こえた。
「……どう? 見つかったかしら。あなたの、失くしていたものが」
 唯花の声だ。
 対して僕は、素早い回答ができないでいた。
「う……っ…………」
 僕が答えようとして前を向いたとき、一番最初に、光る唯花の手元が見えた。徐々に目線を引き上げていくと、既に彼女は次の言葉を紡ごうとしている。
「よかったわね。これであなたもまた、人並みに長生きができる。そして私も、任務完了ってところかしら」
 ぎこちない笑顔が、そこにはあった。
 僕はようやく、唯花を正面に見て話し出す。
「今の……僕の遺失が、解消されたのか……。いったい、どうやって」
「私はどうもしていないわ。強いて言うなら、見つけただけかしら。この花に、詞のなくした寿命が宿っているって思ったから。だってまるで、ずっとずっと咲いていそうな勢いだったじゃない? この花」
 あなたの寿命を得ていたからだわ。唯花は言った。
「でも僕……その花には、もっと前から出会っていたよ。なのに、どうして今になって……」
「失くしものっていうのはね……たとえすぐ近くにあったとしても、案外わからないものなのよ。失くした本人ならなおさらね。だから、そこにあるんだってわからないと、気づかないと……見えないのだわ。そんなものよ」
 気がつかないと、目には見えない。そこにあるんだってちゃんと見ないと、意識に上らない。失くしたと思っていたものが、意外にも自分のズボンのポケットにあったり、カバンの中に紛れていたり……そういうことは、確かにあるのかもしれない。それと同じだろうか。その場合、そこにあるかもしれないと思って探すまでは、やはり気づきにくいものだろう。
「その、じゃあ……唯花は、わざわざこのために……?」
 確かに、指摘されなければ気づかなかった。もし唯花が言ってくれなければ、失くしものを隣にして、僕はずっと失いっぱなしの状態だったかもしれない。
「別に、わざわざってこともないわ。詞の遺失も何とかしてあげる。そういう約束だったじゃない」
 唯花はそう言ってまた、わずかに固さの残る笑みを浮かべた。
「そ、そっか。そう、だったね。なるほど、昨日の今日で深刻そうに話すものだから、いったい何かと思ったけど……安心したよ」
「………………」
「よかった。ありがとう、唯花。これで僕は、余命数年ってことも、なくなったんだね」
 これで元通り。そう思うと、心に空いていた穴みたいなものが、少し塞がったような気持ちになった。
 唯花は唇を閉ざし黙しているけれども、僕としては素直に嬉しいと感じる。失くしたものが見つかって、本当に良かった。
 しかし、僕の礼の言葉に、唯花は反応を見せなかった。いつもなら、僕の想像の範疇の唯花ならば、 大仰で明るいコメントでも返してくれるはずなのに。それなのに、やはり最近の彼女はどうにも変だ。目を伏せて下を向き、恥ずかしそうにも不安そうにも見える様子で、か細い言葉を返してくる。
「それでも、何十年かしたら……やっぱり、死は訪れるんだけどね」
 一部は風の音や街の喧騒で上書かれ、僕には聞こえなかった。
 なぜ、最近の彼女はこんなにも覇気がなく、ぎこちないのだろう。目の前の唯花と僕の記憶の唯花が、どうしても重ならない。これほどまでに儚げな気配を彼女から感じるのは、初めてだ。ほんの一ヶ月ほど前の彼女の笑顔が恋しいとさえ、思えてしまう。
 僕が怪訝そうな顔で見ていると、彼女はわずかに目を逸らした。
「あ、あのね……詞。実はさ。私のしたかった話ってのは、本当はここからでさ……」
 夕陽が横薙ぎに差し、街を、僕らを、唯花の横顔を染める。
 僕の方ではない何処かに忙しく視線を移しながら、唯花はその手元で光を散らすあるものを差し出した。
「これ……何だかわかる?」
 彼女の両手に乗るそれは、溢れんばかりの生気を湛えた、美しい小さな花だった。さきほどまで携えられていた桔梗の鉢植はもうどこにもなくて、まるでそれにとって代ったかのように、装飾品のような花弁が輝いている。綺麗に形を整えられた、アクセサリーのようにも見える。
「……花……。僕の遺失から、現れたもの?」
 強い光に包まれた世界の中、目に映る何もかもが朱色に染まる今この場所で、その花だけは異彩を放ち、どんな色にも迎合しない紅を見せる。真紅の桔梗が浮かんでいる。
 灯華から、話は聞いているんだね。唯花は言いつつ、先を続けた。
「そうよ。これはあなたの失くしていた寿命の、その力を反映した、特別な花」
 ふと気づくと唯花は、もう視線を泳がせることは止めて、再び真っ直ぐに、僕の方を見据えていた。彼女の目はやはり、笑顔のそれではない。真面目な顔つきで堂々と正面を向いていて、しっかりと僕の姿が、彼女の黒く大きな瞳に映し出されているのだろうとわかった。
「私の話っていうのはね……これを、詞に使ってほしいっていうことなの」
 穏やかに、けれども力強く、凛と告げる。
「詞、この花の力を使って……私と同じ、永遠になろう」
 そうして紡がれた彼女の意志は、その想いは、僕の予想を遥かに超える突拍子もないものだった。当然、僕の脳では、その理解をすぐに行うことはできない。唯花の言葉が、強すぎるイメージを持って僕に押し寄せる。
「え……永遠……?」
「うん。この力を使えば、詞も私と同じように、永遠に生きられる。死なないでいられる。そういう力を、この花は持ってるの。そうやって、ずっと私と一緒にいましょう」
 永遠、と唯花は言う。僕だって、その単語の指し示す意味は、知っているつもりだった。しかしその実、真剣に考え出すと、とてもではないが口にするほど単純ではないのではないか。
 僕の思考は、動き出さないままだった。
「なんて、あはは……。いきなり過ぎて、意味わかんないか」
 固まった僕を前に、唯花は口だけで乾いた笑いを作った。
「ねぇ詞、大事な人と別れるのって、悲しいことよね。死んでしまうのって、辛いことなの」
 彼女はもう、目を逸らさない。意を決したようにして語り出す。
「私は今まで、長いこと生きてきた。もちろんその中にはたくさん関わった人たちがいて、みんな私にとって大事な人たちだったわ。でも、そういう人たちと、私はずっと一緒にはいられなかった。別れなくてはならなかった。だってその人たちはみんな、時がきたら死んでしまって……この世界を去っていったから」
 言葉が僕の胸の中に、静かな雪のように積り始めていくのがわかった。
 彼女の目がわずかに細くなる。何かに耐えている表情だ。
「ほら、私がたくさんの名前を名乗ってきたって話、前にしたじゃない? それってね、そういう別れの悲しみに、目を向けないようにするためなの。仲良くしていた人と別れるたびに名前を変えて、その人に呼ばれていた名前を二度と聞くことがないようにして、新しい自分に生まれ変わったような気持ちになって……そうやって、ずっと悲しみから目を背けてきたの。考えないようにしてきたんだ。忘れちゃったなんて言ってたのは、本当はただの強がりでさ。自分の最初の名前も、今までに捨ててきた名前も……ちゃんと全部、覚えてる」
 彼女の正面にある、小さな真紅の一輪花が揺れる。それを握る手に、さらに力がこもった。
「ここ最近は……といっても、二百年くらい前からだけど、あんまり他人と親しくなり過ぎるのも良くないかなって、そんな風にも思っていたくらいで……心の奥ではきっと、誰かと別れるのが、一人になるのが……寂しかったんだと思う」
 ずっと耐えてきたもの。ずっと見ないようにしてきたもの。そんな唯花の、途方もないほどに長い時間重ねられてきた、千三百年の悲しみ。当然、僕はその全てわかってあげることはできない。それでも彼女が、必死の想いでこんな告白をしてくれていることは伝わってきた。
 唯花の形のいい唇が、さらに先を語る。
「そんな人生の中で、今年の夏、私は詞に出会ったわ。実は最初から、一目見たときから、あなたがどんな存在かわかっていた。何を失くしているのか、どんな存在になれるのか。確証はなくても、確信はあった。あなたは私と同じように、永遠になれる存在だって、わかっていたの」
 初めからわかっていた。出会った当初、突然何の前触れもなく唯花が僕に話しかけてきたことを思うと、それは何となく納得できた。少しくらいは驚いたものだったが、僕は口を挟まずに聞き入った。
「詞と一緒に過ごし始めてから、すごく楽しかったわ。面白い人に出会えたって思ったし、詞は私にとても優しくしてくれた。しかも、しかもよ。今度はずっと一緒にいられるかもしれない人。初めて出会った、そんな可能性を秘めている人。そのせいか私ったら、ついつい気が緩んで、すごく甘えちゃった。思いっきりべったりしちゃったわ。詞の隣にいるとすごく安心している自分に、いつからか気が付いたの」
 柔らかい、とても穏やかで暖かな響きだった。
 その唯花の声に誘われて、僕もここ数か月の記憶を思い起こす。浮かんできたのは、この短い期間で僕が彼女に抱いた憧れ。そしていつも彼女の隣にいる僕の姿と、満開の笑顔で笑いかけてくれる彼女の姿だった。
 しかし今、目の前にいる彼女の表情に、記憶の中の笑顔は重ならない。語る声がわずかに震え出すのがわかった。
「でもね……悠斗くんと悠那ちゃんに出会って、二人のあんな姿を見せられて……あれ、すっごい不意打ちだったんだ。いきなり酔いが覚めたみたいに、詞に安心しきっていた自分が、ぐらぐらの足場の上でのうのうと笑っている自分が、とても浅はかに思えてしまった。また別れがやってくるかと思うと、とてもじゃないけど、今度はその悲しみをかわせる自信が持てなかった。だから私は、詞の永遠の可能性を早く確かなものにしたくなって、焦っていたの」
 そして私は、たどり着くことができた。痛々しい声で、唯花は紡ぐ。
「このままでは、あなたは確実に死んでしまうわ。たとえ遺失が解消されても、何十年かしたら、この世界からいなくなってしまう。それは、五十年先? 六十年先? もしかしたら、七十年先かしら? けれどそんなの、どれも同じよ。どれも、あっという間だわ。私はそんなの、絶対に嫌。だから詞には、私と同じ永遠になってほしいって、そう思うの。私はあなたと離れたくない。これから先、ずっとあなたの隣で生きてゆきたい。そうしてあなたともっと親しくなって、もしかしたら恋なんかしちゃったりして、好きになったりして……そうやって、詞を愛せるようになったらいいなって思うの。それにね、私の隣にいてくれたら、詞のこともきっと楽しませてあげられる。これって、互いのために最高の、文句ない話だと思うわ」
 彼女の目元には光が見えた。真横から差す太陽のオレンジを反射する、淡い光の玉。
「詞、あなたは私を唯花と呼ぶ。私はこの名前を失いたくない。これから先ずっとこの世界で、あなただけの唯花でいたい。永遠にその名で呼ばれていたいの」
 その訴えを僕は、理解し、全て飲み込もうとする。容量の少ない、硬直ばかりしてしまう情けない脳みそでも、今くらいはちゃんと動いてほしい。今こそ動かなくてどうする。
 彼女の視界は滲んでいるのかもしれなかった。しかしその両手が涙を拭うことはなく、視線は僕をまっすぐとらえている。僕の目には唯花が映っていて、その唯花の瞳の中には、やはり僕が映っていた。
 答えよう、彼女に。無理やりに神経を動かしてでも、答えなければならない。
 一呼吸、ゆっくりとおいて、僕は口を開く。
「……唯花の話を聞いて、僕も、わかったような気がするよ。唯花と出会ってから、僕の頭の中は、唯花でいっぱいだった。いつもいつも、唯花のことを、考えていた。いつからだろう。僕はとっくに、唯花のことを好いていたんだ」
 知っていた。気づいていなかったわけでも、無視していたわけでもない。ちょっとばかり恥ずかしくて、口にしたのはこれが初めてだけれど、その想いは心の底から肯定できる。
 僕は唯花が好きだ。
 けれども、僕の中にある好意の行き着く先は、彼女の提案とは少し違った。
「でも……ごめん。唯花の言う通りには、できないよ。僕は永遠にはなれない」
 唯花は瞬間、目を見開く。きっと反論など、予期していなかったのだろう。
「……どうして? 詞は私のこと、好きなんでしょう?だったら……」
「うん、好きだよ。そう、だからこそ僕はね、唯花の失くしたものを、見つけてあげたいと思うんだ。大切なものを探してあげたい。唯花が僕にしてくれたように、唯花の欠けた器を、元通りにしてあげたいんだ」
「ちょっと待って。私の失くしものは、これまで私が、長くずっと探してきているものなのよ。簡単に見つかるものじゃないわ」
「わかってる。それでも、協力したいんだよ。唯花は、自分の失くしたものを、取り戻すべきだ」
 自分の中の信念。正義感や使命感。そして唯花を想う気持ち。そんなものたちが、主張を強く形作る。僕は彼女に、あるべき姿を取り戻してほしいのだ。僕はそう告げた。
「何よ、それ……。そんなのわかってるわよ。けど、それはすぐには無理なの。だから――」
 カツン、と一歩踏み出す彼女の足音が、歩道橋を介して僕の身体に伝わる。
「あのね、唯花はきっと無意識のうちに、今も死から逃げているんだよ。失くしたものは取り戻さなきゃいけない。それが正しいと口では言うけれど、きっと本心ではないんだ」
 それは僕が唯花と出会ってから一緒に過ごした中で、彼女に感じた印象だった。死を嫌い、それを失くした彼女は、今もなお、いずれ訪れるべき終わりを受け入れられないでいる。
「そんなことないわよ。失くしたものを、取り戻したくないわけがない。いつか見つけなきゃならないって、ちゃんとわかってる」
「だったら探そう。いつかじゃなくて、今から探すんだ。僕も唯花と同じ存在でいたい。でもそれなら永遠じゃなくて、小さな一人の人間として。死という運命から逃れられず、それを大切に考えて歩む、そんな人間として一緒に生きたいと思うよ。人間は皆、死ぬ。誰もが終わりの約束された人生を送っている。そしてだからこそ、そこに意味があるんだって僕は考える。その方がきっと幸せだ。だから唯花もそうなるように、僕は力になりたいんだ」
 唯花は戸惑うような表情を浮かべ、わずかな沈黙を経てやがて尋ねた。
「……死んでしまうのに、幸せなの? いつか別れてしまうのに、それが幸せなの? 違うわよ、詞。私たちは、お互い傍にいれば、それで幸せなんだから、その方が幸せなんだから、それでいいじゃない。そう……思わない?」
 そうじゃない。そうじゃないんだよ、唯花。それはきっと、正しくない。掠れた苦しそうな声が僕の胸に刺さるけれど、一方で唯花への賛同を感じることはなかった。
 照らす夕焼けを見ていると、それは何となく、唯花との初めてのデートを思い起こさせる。あの日、僕は、今と同じ燃えるような赤い世界の中で、唯花の秘密を知ったのだ。そして、そこで何と感じたのだったろう?
 枯れない花は夢みたいだと、唯花は言った。でも僕は、それが本当に美しく幸せなのか、疑問に感じた。
 きっとそのときから、僕の中の答えは、もう出ていたのだ。
「唯花……たとえばさ。花は、綺麗だよね。それが、遠くない未来に必ず枯れるとわかっていても、美しいと思うよね。そういう美しさはやっぱり、作りものとは違う。僕は作りものよりも、咲いている花の方が、綺麗だって感じるんだ。やがて散るとしても、それでもいい。だからこそいい。きっとまた、繰り返し咲いて、本物の輝きを放つ」
 以前に唯花が話した例えだ。意味はわかってくれただろう。
「枯れてしまうから、散ってしまうからこそ……だからこそ、本物の方が綺麗なんだって……詞が言いたいのは……そういう、こと?」
 僕は静かに頷いた。「そうだよ」と。彼女の受け取った解釈を、黙って静かに肯定した。
「そう……残念だわ……。詞なら、わかってくれると思ったのに。詞となら、ずっとずっと一緒にいたいって、思ったのにな」
 すると唯花は、悲しみを湛えた表情のまま、くるりと回って僕に背を見せ、名残惜しそうに夕陽を見る。
「あなたのこと、もっとよく知りたかったのに……。詞のこと……愛せるようになりたかったのにな……」
 抑揚のない、落ち着いた、囁くような言葉が届く。凛として、まっすぐに伸びた背筋が美しい。告げながら、少しだけ見えるその横顔は、頬が一筋光っていて、僕の惚れていた笑顔の唯花とは違うけれど、吸い込まれてしまうくらいに魅力的だった。
 僕は彼女の想いに、目一杯の気持ちで答える。
「僕も唯花のこと、もっとよく知りたい。僕は今、唯花のことを愛しているよ」
「そっか……そうなんだね。うん……ありがとう、詞……」
 そうして最後に僕の名を呼ぶと、唯花はさっと、元きた道を歩き出したのだった。
 僕は追いかけたい衝動に駆られたが、でも今はやめておこう、そう思ってこらえる。代わりに一つの提案をした。
「そうだ、あのさ唯花。もしよかったら、今度、都合にいいときにでもまた、二人で出かけようよ。デートをしようよ。探しものも兼ねて、さ」
 彼女は立ち止まる。でも、振り返りはしなかった。
「……そうね。デート、いい考えね。またいつか、二人で行きましょう」
 それだけを答え、また、歩いてゆく。階段に差し掛かり、下り、離れていく。
 遠ざかるたび、距離に比例して足音は聞こえにくくなり、かわりに僕の耳に届くのは、無機質な喧騒だけになった。
 僕は彼女を見つめ続ける。
 やがて、もう声も聞こえないような、人に紛れる寸前になって、彼女は振り向いて唇を動かす。わずかに震えていたようにさえ見えたその唇は、ゆっくりと優しく、きっとこんな言葉を告げていたのだとわかった。
「また……いつかね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

【完】出来損ない令嬢は、双子の娘を持つ公爵様と契約結婚する~いつの間にか公爵様と7歳のかわいい双子たちに、めいっぱい溺愛されていました~

夏芽空
恋愛
子爵令嬢のエレナは、常に優秀な妹と比較され家族からひどい扱いを受けてきた。 しかし彼女は7歳の双子の娘を持つ公爵――ジオルトと契約結婚したことで、最低な家族の元を離れることができた。 しかも、条件は最高。公の場で妻を演じる以外は自由に過ごしていい上に、さらには給料までも出してくてれるという。 夢のような生活を手に入れた――と、思ったのもつかの間。 いきなり事件が発生してしまう。 結婚したその翌日に、双子の姉が令嬢教育の教育係をやめさせてしまった。 しかもジオルトは仕事で出かけていて、帰ってくるのはなんと一週間後だ。 (こうなったら、私がなんとかするしかないわ!) 腹をくくったエレナは、おもいきった行動を起こす。 それがきっかけとなり、ちょっと癖のある美少女双子義娘と、彼女たちよりもさらに癖の強いジオルトとの距離が縮まっていくのだった――。

99歳で亡くなり異世界に転生した老人は7歳の子供に生まれ変わり、召喚魔法でドラゴンや前世の世界の物を召喚して世界を変える

ハーフのクロエ
ファンタジー
 夫が病気で長期入院したので夫が途中まで書いていた小説を私なりに書き直して完結まで投稿しますので応援よろしくお願いいたします。  主人公は建築会社を55歳で取り締まり役常務をしていたが惜しげもなく早期退職し田舎で大好きな農業をしていた。99歳で亡くなった老人は前世の記憶を持ったまま7歳の少年マリュウスとして異世界の僻地の男爵家に生まれ変わる。10歳の鑑定の儀で、火、水、風、土、木の5大魔法ではなく、この世界で初めての召喚魔法を授かる。最初に召喚出来たのは弱いスライム、モグラ魔獣でマリウスはガッカリしたが優しい家族に見守られ次第に色んな魔獣や地球の、物などを召喚出来るようになり、僻地の男爵家を発展させ気が付けば大陸一豊かで最強の小さい王国を起こしていた。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

廃城の泣き虫アデリー

今野綾
ファンタジー
領主の娘だったアデリーはある日家族を殺され育った領地から命からがら逃げ出した。辿り着いた先は廃城。ひとり、ふたりと住人が増える中、問題が次々とおこって… 表紙はフリー素材です

処理中です...