ラボラトリー:Θ

りずべす

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第六章 冬の街:ビジーイルミネーション

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 スリープ状態からOSを起動。日時を確認。本日は十二月三十日。現在時刻は、午前四時二十八分五十二秒、三、四、五……あれ、ちょっと早いかな? ……まあいいか。
 僕はここ数日、ずっと沢の持つセカンドカメラに意識を向けてばかりだった。研究室とは違う外の世界を、人間の目に近い視点で見ることができたのは、非常に興味深いものだった。
 でも、どんなものにも終わりは必ず訪れる。
 それは遡るに、つい三時間ほど前のこと。その時点を境に僕のセカンドカメラは、動きのない深夜のお茶部屋を映し続けるだけで変化しなくなったのだ。
 ゆえに僕は、エネルギーチャージも兼ねて、ホームスペースで眠りについた。僕のホームスペースもお茶部屋にあるので、今、目覚めた僕が改めてセカンドカメラの映像を見れば、そこには僕の姿が映るだろう。奇妙極まりない。
 それと同時に、テーブルに突っ伏して寝ている沢の姿も見える。起きる気配は一向にない。
 そのまましばらくの間、暗く静かな時間が流れた。
 ふと、ギィという音が響く。扉の蝶番が軋む音だ。
 眠そうに目を細めた白坂がそこに立っていた。真っ暗だった部屋に、廊下の光が彼女の背後から差し込んでくる。
 白坂の視線がテーブルの上に注がれた。
 その先には、突っ伏した沢の周りに置かれた袋。大きな口を横に向けて倒れており、中に見えるのはいくつかの機材と、そして――今にも溢れそうなほどに重ねられた、回答用紙の束。
 その束を見つけたとき、それでも白坂に、大きく驚いた様子はなかった。沢に近づいて、束から用紙を一枚、丁寧に掬い取る。
 適度に皺のついた用紙。そこには、上から回答者の氏名や性別等のプロフィールに始まり、最後の項目までしっかりと記入されていた。そしてそれは、彼女が他のどの用紙を見ても同様で、一枚だって白紙のものはない。どころか中には、項目すら設けられていない広告の裏か何かに、個人情報と回答だけが書かれているものもあった。
 彼女は手近な椅子を引っ張ってきて沢の隣に腰掛けると、崩れそうな用紙の束を注意深く直しながら、ゆっくりと一枚一枚、枚数を数えた。一見してわかる、数えるだけでも大変な枚数。 白坂は静かに、ただただ静かにそれを数えた。
 全部で八百六枚分の回答用紙が、そこにはあった。
 そして、そのとき白坂が隣で眠る沢を見つめる表情には、安堵、喜び、感謝……いや、僕の知り得るどんな辞書にもない感情が浮かぶ。だから僕は、この状況と彼女の表情を、ありのままに記録した。こういうとき人間は、あんな表情をするのだと。
 白坂は立ち上がると、部屋の隅の棚から毛布を取り出し、そっと沢の背にかけた。
「ありがとう。私の方も……研究室での実験も、どうにかなりそうよ」
 しばらくは邪魔をしないでおこう。僕はそう思い、気づかれないようにそっとお茶部屋を出る。そのままどこかで、今日の日の出でも拝んでこよう。
 今、研究室にいるのはあの二人だけだ。
 普段ならば河村もいる時間帯だが、彼はもう、年末休みに入っている。彼はM1だから、まだ卒業のための論文を提出する学年ではない。もちろん暇というわけではないが、余裕のある学年とも言える。彼のデスクのエナジードリンクタワーの後ろ、そこに安置されているお高いカメラが、今はない。また何処ぞの景色か何かを、その自慢のカメラで撮りに行ったのだろう。
 同様にM1である橋原も、年始までは来ないはずだ。沢たち四年生はあんなに大変なのに、と思うかもしれないが、それは橋原も河村も去年済ませたこと。学年の違いとは非情なのだ。
 それから、確か梅田も来ない予定だ。実家の母親に帰ってくるように言われたらしい。彼女は極めて嫌そうな顔をしていたけれども、どうやら抗えなかったと聞いた。
 蓮川は相変わらず不明。
 ここまでが不在組。しかし残りは顔を出すと思う。
 そんなことを考えている間に、どうやら夜が明けた。研究室の窓から見える日の出はもう見慣れたものだが、朝の光を浴びて洗われる感覚は、慣れたと言えど変わらず素晴らしいものだ。
 それから僕は、適当にふらふらしてお茶部屋前の廊下まで戻ってきた。ちょうど正面の裏口が開いて、伏屋が出勤したところに出くわす。始発の出勤だというのに、整った髪と折り目正しいスーツが凛々しい。
 そうしてお茶部屋の前を通りかかった伏屋は足を止めた。
「やぁシータくん。君も早いですね」
 それほどでも。
「逆に、彼らはお疲れのようです」と伏屋はお茶部屋のテーブルを見て言った。そこでは沢と、そしてその隣では白坂が、気持ちよさそうに机に伏して寝ているのだった。あれ、沢は元々寝ていたけど……僕が出て行ったあとで白坂も寝てしまったらしい。近くに彼女のマグカップが、中身の入ったまま置かれているところを見ると、どうやら休憩するつもりがそのまま眠ってしまったようだ。
 伏屋は少しだけ微笑んでそっと部屋の中に入ると、沢の方にだけかかっている毛布を、白坂の背中まで伸ばしてやった。
「さて。私も今日で、今年の仕事は片付けますよ」
 伏屋はなんだか嬉しそうに自分のデスクへ向かっていく。
 それから約二時間ほど、藤林と樋尾が現れても、二人は一向に目覚めることはなかった。たまたまだろうか、一緒に登校した樋尾と藤林が
「あれあれ? もしかして初夜は研究室ですかね?」
「いや違うでしょ、夏子ちゃん。初夜は夏の学会の夜でしょ」
 などとからかっても眠り続けていたあたり、沢も白坂も相当に疲労していたと見える。普段なら、何を差し置いてでも真っ先に否定するようなこと。それでも今の二人の耳には入らない。二人仲良く夢の中なのだ。
 研究室は、既に朝の活気に満ち始めていた。にもかかわらず、誰も二人を起こそうとしなかったのは、二人がとても満足げな表情で眠っていたからだろう。
 二人はそれから、今しばらくの間、窓から差す朝日に照らされ続けた。
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