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エピローグ 朝陽の下のフィナーレ

エピローグ 朝陽の下のフィナーレ

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 あの日、決勝が行われた日、俺は学校の裏門の外で意識を取り戻して、そのまま家路についた。南校チーム皆のおかげで西校のフラッグを叩き倒したことはなんとなく覚えていたが、記憶の定着は曖昧だった。
 帰宅するやいなや何もせずに眠ると、あっさりと日を跨いで文化祭の当日を迎えた。
 いつもよりも少々遅れ気味だったが、ホームルームも授業はないので、焦らず手ぶらで学校に向かうことにする。体感的にはついさっき学校から帰宅したのに、すぐまた学校に出向くのかと思うと、かなりおかしな気分だった。
 再び学校に到着すると、昨夜のゴーストタウンが嘘のように、学校全体が華やいだ装飾を施されていることに驚いた。正門の脇には煌びやかな花を湛えたプランターがいくつも並べられており、校舎の屋上からは小さな旗をくくりつけた紐が、まるで電線のように張り巡らされている。各クラスや部活動の出し物である出店も所狭しとひしめきあっており、クレープやらお好み焼きやら様々なものが用意されて、売る側は忙しなく働き、買う側はどれを買おうかと盛んに目移りしている。生徒だけでなく一般客も参加できるため、敷地内に入る前から目の回るような数の人が活気を振りまいていた。
 風彩大学付属高校の文化祭は、この街の大きなイベントの一つに数えられる。そのため、規模が絶大であることはよく知っていた。俺自身、ここの生徒になる前も優璃に連れられて訪れたことは幾度かあったし、去年は一年生として参加した。
 しかし、どうしたことだろう。今年に限って俺の目には、この文化祭が明らかに例年よりもいっそう、さらに派手なものに映る気がした。
 俺が正門をくぐって敷地内に入ると、ちょうど開会セレモニーを執り行う旨のアナウンスが流れる。あわせて周囲の人々は、会場である体育館の方へうねりを作り出した。
 飲み込まれてはたまらないので、俺は上手く人の合間をかい潜り、大通りから逸れる。
 すると、傍から覚えのある声音で呼び止められた。
「おーい! 馨ー!」
「あ、隆弥。それに、朝比奈さんも」
 振り向くと、おなじみの二人が出店でせっせと働いていた。焼きそばとたこ焼きとクレープとチョコバナナを同時に作っている。
「……何してんの?」
「何ってお前、クラスの出し物だろ。他クラスと合同で出店をやることにしたの、忘れたのか?」
 はて、そんなことがあっただろうか。忘れてしまった。
「何でも買える選り取り見取りの売店ですよ。あとで椎名君も店番の担当になってますから、完売目指して頑張りましょうね」
 目にも留まらぬ早さで手を動かす朝比奈さんが、こちらに笑いかけて言った。
「開会セレモニーの間に、できるだけ作りためとくんだよ。何しろ即効で売れるからな。あとフランクフルトとアイスクリームとドリンクも用意するんだ」
 何なんだその出し物は。明らかに人手に対して用意する品数が多すぎる。
 俺が引きつった顔で突っ込むのを我慢していると、隆弥は出来上がった品々を丁寧に積み上げ、まとめていっぺんに手渡してきた。
「とりあえず、今あるやつ一品ずつやるよ。まだお前の担当時間は先だからな。時間潰してろい。あと、逃げんなよ」
 片手がほぼ塞がるくらいの食べ物と一緒に、不安な念押しまでセットで頂く。隆弥の隣では朝比奈さんまでも、満面の笑みを向けてきていた。
 何てことだろう。笑顔が怖い。俺にはそんな手際で店番をすることなどできないのに。
 とりあえず俺は適当に相槌を打ち、そんな仲睦まじい二人の出店から早々に離れた。
 何とか食べ物の山を支えながら、端末で時間を確認してふらふらと歩く。そのついでに優璃からのメールがきていたことに気づいたが
『今日、文化祭よね! お姉ちゃん今日は帰れないから、一緒に回ってあげられなくてごめんねー! また今度、絶対埋め合わせするからね!』
 なんて内容が見えて癪に障ったので、当然無視した。
 ふざけんな。なんで文化祭でまで姉貴に捕らわれなきゃならんのだ。埋め合わせなんて不要だ。むしろすんな。
 内心で毒づきながら、賑やかな区画を一通り眺めると、さまよう足取りは自然とある場所へと向かった。それは言うまでもなく、いつものあの場所。こんな賑やか過ぎる文化祭の当日でも、変わらず穏やかな世界を保ち続けるであろう、あの銀杏の樹の広場だった。
 たどり着くと、すっかり秋の温度になった風が吹きつける。黄金色に染まった扇は揺れて舞い、少しずつ散ってゆく葉が絨毯のように敷き詰まっている。
 そして、そんな広場の中心にある俺の特等席、銀杏の大樹の根元には、既に座り込む先客があった。その腰まで伸びた、せせらぐような濡れた黒髪に見覚えがあった俺は、無言で傍へと近づいてゆく。
「いいのかよ。副会長が開会セレモニーサボってて」
 そこにいたのは九条望羽だった。彼女は驚いた様子もなく、こちらを見上げた。
「いいのよ。やることは全部やってきたし、挨拶は会長だけだもの」
「サボリは否定しないんだな」
 俺が顔をニヤつかせて嫌味を言うと、九条は一瞬だけむっとした表情を返したが、すぐにわずかだけ相好を崩して広場の方を見渡した。
 そして一息ついてから口を開く。
「よかったわね。ちゃんと、残すことができて」
 それはこの広場のことを言っているのだと、すぐに分かった。
「ああ、あれって結局、最後はどうなったんだ? 勝つには勝ったみたいだけど、あの目くらましはどういう手品だよ?」
 フラッグ目前で、敵三人を一度に行動不能にした援護の正体。一日越しでも、気にならないはずがない。俺が訪ねると、九条は緩慢に、弓を引くような素振りを見せた。
「あれは……光と風のエフェクトを生む矢を、シュッとね」
 へえ、なるほど。そんな矢を、あの緊迫した状況で体育館の天井に、しかも俺の行動だけを妨害しないよう正確な位置を狙って……。
 彼女は随分と優秀な射手のようだ。
「そっか、サンキュ。んで、勝ったあとはどんな手続きをすればいいんだ?」
「手続きはもう済ませたわ。優勝権限を使って、工事のための予算を文化祭に全部移譲したの。だから、ここの工事はもう行われない」
 どうやら俺の知らないうちに、事後処理まで行ってくれたらしい。やはり九条は、とことん優秀だ。確かに、予算を取り上げてしまえば工事を行うことは不可能だろう。さらにそれを聞いて、今年の文化祭の規模が妙に大きいことの理由も判明した。
「まさか、本当に勝っちゃうなんてね。今でもちょっと信じられないわ」
「はは、運が良かったな。本当」
「いいえ。あなたの言う大切という感情の価値を、しっかり見せてもらったわ」
 九条はとてもゆっくりと、落ち着いた様子で一言一言を紡いだ。広場を眺めるその瞳は、濁りなく無垢に澄み切っている。
 俺が黙って彼女の横顔を見ると、九条はそのまま話し続けた。
「私、九条の家に生まれて、その名に恥じぬよう立派になりなさいって言われて育ったの。だから私は、家の人たちに言われるがまま、九条の娘としてあるべき姿を、ただなぞるように生きてきた。勉強をして習い事をして、規則を守ってお利口さんに……そんな風にして過ごしてきたの。窮屈だなんて、思ったことはなかったわ。あなたに出会うまではね」
 彼女の横顔に、頭上から降る陽光と黄金の葉が重なる。俺はそれを瞳に映しながら、彼女の言葉に耳を傾ける。
「でも、あなたに出会って、私は初めて知ったわ。自分が不自由で、空っぽであることを。人に言われるがまま、ただただ人形のように過ごしてきたんだってことを。だからこれまで、あなたの言う大切ってことも、知らなかった。あなたのように、自分で自分の道を選んでこなかったから」
 そして彼女はこちらを向く。俺が戸惑って目を逸らす暇もなく唐突に、優しい視線を俺のそれへと交わらせた。
「あなたみたいに、自分の進む道を、きちんと自分で選ぶからこそ、その道を歩んで出会ったものに愛着が生まれるのね。私もそんな風になりたいって、心から思ったわ。あなたのように、自由に生きてみたいって」
「だったら、今から九条もそうなればいい。たった今から、自由になればいいんだ」
「そんな簡単にできるかしら」
 九条は少しだけ首を傾げた。
「俺からしたら、九条が今までしてきたことの方が、何倍も難しいように思うけどな。まあでも、何なら俺も協力するよ。一緒にここを守ってくれたお礼にさ」
 俺が励ますつもりでそう言うと、九条は再び広場を見据え、慈しむような声音と表情で答える。
「……ありがとう。ねえ、この場所は、本当にいいところね。あなたの言った通りだった。私も、この場所を好きになってみたい。大切に、思いたくなったわ」
 ここは広場の中心、そびえる銀杏の大樹の元。見える世界は、上も下も一面の黄金色で、俺たちを穏やかに包み込む。
 そして直後、まるで九条の言葉に答えるかのようにして、一陣の風が通り抜けた。その風が地面の葉をわっと巻き上げて、世界をいっそう黄金に染め上げる。花吹雪ならぬ葉吹雪だ。煌めく扇が光の中で風に舞い、穏やかな雨のように降り注ぐ。
 俺が目の前の光景に見とれていると、突然、大きな音が聞こえた。驚いて音のした方を向くと、眼前の空に大輪の花が咲いている。
 それは花火だった。大気の振動が、銀杏の葉を揺らしている。
 九条がふう、と吐息を漏らした。
「開会セレモニーが終わったのね」
 俺は空から目を離せない。
「花火まで上がるのか。今年は豪華だな。ってかあれ、音物の号砲とかじゃなくて、思いっきり夜用の打上花火じゃないか」
 赤や黄色や緑、他にも様々な色彩の花弁が、青空と白雲をバックに幾多も咲き誇る。花火は一発だけではない。間髪入れずに、何発も何発も校舎の向こう側から上がってくる。
 こんな真っ昼間から、しかもこんなにも近くで打上花火を見るのは初めてだった。玉が空で花開くたび、太陽の光に負けないくらいの強い発光が目に飛び込んでくる。俺の知っている打上花火とは似ても似つかない光景だったが、驚きと新鮮味が気分を高揚させ、これ以上ないほどに俺を魅入らせた。
「ああ、それ。アリア先輩がどうしてもってきかなくてね。予算の三割くらいはあれにつぎ込まれてるのよ。ま、これも南校優勝のたまものね」
「は、はは……ほんとあの人は……」
 俺が依然として空を見上げ、半分呆れた笑いを零していると、隣で九条が立ち上がった。
「さて、じゃあ私は、生徒会として文化祭の見回りに行くけど……」
 なびくスカートを抑えながら、艶のある黒髪を揺らして俺を見つめる。
「せっかくだから、あなたもついてきてくれない?」
「え、俺も?」
「親愛なるサボり仲間でしょ?」
 九条はそう言い残すと、俺の持つ食料の山の上からクレープをかっさらって、広場から立ち去ろうとする。
「何だよそれ。都合良いなあ」
 彼女の足取りは軽く、俺の文句など気にした様子はない。
 いつしか花火は終わっていて、辺りは閑寂な空間に戻っていた。
「いいじゃない。あなたと一緒に文化祭を回ってみたいのよ」
 そして彼女は振り返る。そこにあったのは、晴れやかな美しい微笑みだった。目を細め、優しく片手を差し出している。透き通るように白い手は、黄金の光を反射して煌めき、俺を誘う。
「ま、たまには賑やかなのもいいか」
 俺は名残惜しく広場を見渡し、一言だけ零すと彼女に続いた。つられて目の前の手を取ると、彼女はいっそう優しく微笑んだ。
 背にした銀杏の大樹は、俺たちを見送るかのようにその葉を鳴らす。
 だから俺は、対する答えを心の中で静かに呟いた。
 
 ――ああ、またくるよ。次も、二人で。
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