お仕置きはほどほどに

リツカ

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 午後六時。下校を促す時計台の鐘の音が校内に響き渡る中、アルスター侯爵家の次男・ローランは図書室の椅子に座ってじっと息を潜めていた。
 なぜ彼がここにいるのかと言われれば、理由は簡単。家に帰りたくない──いや、家に帰ったあと、婚約者の屋敷に連れて行かれるのが嫌だからだ。

「あれ、ローラン?」
「っ……!?」

 突如、背後から声をかけられ、ローランはビクッと肩を跳ねさせた。
 こんなときに誰だよ……! とローランが振り返ると、そこには同じクラスの友人、クリスが立っていた。
 クリスはハンバー子爵家の次男で、良くも悪くも貴族の子らしくない陽気なやつだ。クリスはきょとんとした顔でローランを見下ろしている。

「まだ帰ってなかったのか?」
「ああ……」
「なんで? 迎えがきてないとか?」
「そういうわけじゃないけど……」

 ローランはもごもごと言い淀んだ。
 おそらく迎えの馬車は校門の前でローランを待っているし、屋敷では両親がなかなか帰ってこないローランのことを心配しているだろう。
 しかし、ローランはどうしても──

「もしかして……家に帰りたくないのか?」

 目を丸くしたクリスの問いに、ローランはハッと顔を上げた。
 すると、途端にクリスはローランの隣の椅子に腰掛け、バンッとローランの背中を叩く。

「いっ……!」
「水臭いじゃん! なんか悩みがあるなら相談しろよ!」

 背中がじんじんと痛む。ローランはクリスを恨めしげに睨みながらも、内心ではその言葉がうれしかった。
 長年ひた隠しにしてきたが、いい加減この悩みをひとりで抱えていることがしんどくなっていたのだ。

「それで、なにがあったんだよ? 家族のひとと喧嘩したとか?」
「いや、そうじゃない」
「なら、いったいなにがあったんだ?」

 短い沈黙のあと、ローランは長机の上で手を組みながら唸るように答えた。

「……家に帰るのが嫌なんじゃない。家に帰ったあと、婚約者の家に行かなきゃいけないのが嫌なんだ」
「婚約者って……モンクレア公爵のことだよな?」

 ローランの返事を聞いて、クリスは目を丸くした。その後、目を泳がせながら「えっと……」と言葉を続ける。

「モンクレア公爵と喧嘩したってこと?」
「そういう訳じゃない」
「ならなんでだよ、あんなすごいひとが婚約者なのに」

 クリスは心底不思議そうだった。
 すごいひと……確かにそうだ。ローランだってそう思う。
 しかし、そんな男と結婚したいかと問われれば、答えはノーだ。
 ローランはあたりにひとがいないのを確認してから、ひっそりとクリスの耳元で囁いた。

「──……実は、俺はルシアン様のことが苦手なんだ……」





 ルシアン・モンクレア公爵。
 若くして公爵の座を継いだ、現在二十八歳の金髪碧眼の美丈夫。整った精悍な顔立ちにはいつも甘い笑みが浮かべられていて、切れ長の二重からのぞく青い瞳はまるで海のように綺麗だった。

 ローランがルシアンと初めて会ったのは、まだ六歳のときのこと。
 ローランがオメガだとわかってから一年後の春のことだった。

 この世界には男女の性別の他に、バース性と呼ばれる特殊な性別が存在している。
 容姿端麗で、生まれながらに優れた能力を持つ者が多いアルファ。中間層に位置する、平凡と評されることもあるが人口の八割以上を占めるベータ。そして、もっとも数が少なく、三ヶ月に一度発情期ヒートがあるオメガ。
 アルファであれば女でもオメガを孕ませることができるし、オメガは男であってもアルファの子を孕むことができる。しかも、アルファとオメガの番から産まれる子には優秀なアルファが多いと言われていた。
 つまり、明け透けに言うと、オメガは優秀なアルファを産み落とす子袋なわけだ。
 昔のオメガは発情期のせいで差別にあったり、どこかに捕らえられて子どもを産むための道具にされたりと、酷い目にあうこともあったらしい。
 だが、今は法整備がされたおかげでオメガの人権もだいぶマシになっている。
 というかむしろ、貴族などの間では優秀な跡継ぎを産むオメガは人気の存在だった。
 故にローランは、優秀なアルファであるルシアンの婚約者に選ばれた。
 上位貴族の家に生まれた、希少なオメガ。十歳の歳の差も、ローランがオメガにしてはパッとしない容姿であることも、ルシアンにとっては些細なことだったのだろう。

『初めまして』

 そう言ってにこやかに手を差し出してきた当時十六歳のルシアンのことが、幼いローランはなんだか怖かった。両親に促されてその大きな手を取った瞬間、背筋にぞくりと悪寒が走ったほどだ。
 目を細めて笑ったルシアンの顔は、まるで作り物のよう。
 完璧で、美しい。
 そんな誰もが見惚れる笑顔だからこそ、ローランの瞳にはいっそうルシアンが気味悪く映った。

 あの日抱いた嫌悪感に近い抵抗感は、今も拭えない。
 婚約者になってから十二年もたつが、ローランは今もルシアンが苦手なままだった。

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