十年先まで待ってて

リツカ

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過去話・後日談・番外編など

運命じゃなくても 4


  ▽▽▽

「落ち着いたか?」
「……うん、ごめん」

 赤い顔をした雅臣は、恥ずかしそうに深く俯いた。まだまつ毛は涙で濡れているし鼻先も頬も赤いが、話ができる程度には落ち着いたらしい。
 総真は雅臣を腕の中に閉じ込めたまま、柔らかな声で尋ねる。

「んで、なにがあったんだよ?」
「……別に、なにも」
「嘘つけ。なにもないのに突然泣きだすわけないだろ」

 ──……いや、最近の雅臣ならありえるか?

 総真はそう思ったが、余計なことは口に出さないでおいた。
 雅臣は気まずそうに視線を逸らす。

「なんでもないから……」
「言え」
「……本当に、なんでもないって……」
「そんなわけないだろ」
「…………」
「雅臣」

 総真がじとりとした目で見下ろすと、雅臣の瞳が不安げに揺れた。
 雅臣は助けを求めるようにおろおろと視線を泳がせるが、ここにいるのは総真と雅臣と、少し離れたところからこちらを窺っている猫のにぼしだけ。
 程なくして、総真の圧に負けたらしい雅臣はもごもごと口を開く。

「こわい夢、見ただけ……」
「怖い夢? 内容は?」
「…………」
「どうせ俺関連だろ? 言ってスッキリしちゃえよ。ちゃんと聞くから」

 総真が柔らかな声で促すと、雅臣は戸惑いながらも震える声で言った。

「──……お前が、ここを出て行く夢……」
「はぁ? なんで?」

 ここは総真名義のマンションで、番であり妻である雅臣と暮らす愛の巣だ。
 子どもが増えたあとの未来の話ならまだしも、現状ここを離れる予定はない。

 呆気に取られた総真が首を傾げた直後、一度は泣き止んでいた雅臣の目から再び涙がぽろぽろとあふれだす。
 嗚咽をこらえながら、雅臣は途切れ途切れに言葉を紡いだ。

「っ……運命の番が、見つかったから、って……総真、すごくうれしそうだった……」
「……はぁー、なるほどね……」

 ──よりにもよってそういう夢か……つか、夢の中の俺なにしてんだよ。クソすぎんだろ。

 総真は心の中で悪態を吐きつつ、親指で雅臣の涙を拭ってやった。
 淡い色をした濡れた瞳が、上目遣いで不安そうに総真を見上げる。
 その雅臣の泣き顔は幼い頃の面差しを色濃く残していて、総真は場違いにも懐かしい気持ちになった。
 ……けれども、総真の唇に浮かんだのは冷め冷めとした自嘲的な笑みだ。

 総真は五歳の頃から一途に雅臣を愛し続けているのに、雅臣はこの愛が『運命の番』だなんていう不確かな存在に負けると思っているらしい。
 それは総真にとって、ひどく不服で口惜しい思い違いだった。

「……お前、俺がそんなやつだと思ってるんだ?」
「っ……ち、ちが……」
「違わないだろ。心のどっかでそう思ってるから、夢だってわかってるのに怖いんだ」

 総真の厳しい言葉に、雅臣は泣きながらふるふると首を横に振る。

「ちがう、ちがう……総真じゃなくて、俺がダメだから……失敗作だから……っ」
「──……それ、二度と言うなって前に言ったよな?」

 総真の口から思わず低い声が出た。
 雅臣のことを『失敗作』だなんてふざけた蔑称で呼ぶことは、相手が誰であろうと絶対に許せない。それを口にしたのが雅臣自身なら尚更だ。
 雅臣の顔がくしゃりと歪んだ。怯えをにじませた瞳からは、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちていく。
 雅臣は泣きじゃくりながら唇を震わせ、たどたどしく言葉を紡いだ。

「っごめ、なさい、ごめんなさいっ……!」
「──……雅臣、ごめん。俺の言い方怖かったよな。悪かった。怒ってなんてないよ」
「きらいにならないで……」
「なるわけないだろ。愛してるよ」

 縋るように総真の服を掴んだ雅臣の手は、かわいそうなくらいに震えていた。
 総真が雅臣の髪を撫でてやると、雅臣は総真の肩口に顔を押し付け、そのまま嗚咽を堪えながら泣き続ける。

 酷いことをしてしまった、という自責の念は総真の中にも確かに存在していた。
 だが、胸の奥から湧き上がってくるどろどろとした悦楽がそれを容易く凌駕して、総真の唇を笑みの形に歪める。
 自分に縋り付いて泣く雅臣がかわいくて、かわいそうで、愛おしくてたまらなかった。

 自身の愛のすべてが伝わり切らないことを歯痒く感じているのは嘘じゃない。
 ただ、こうして弱さをさらけ出した雅臣に強く求められると、果てのない多幸感で脳みそがとろけそうだった。

 事実、総真は今まで以上に強く、深く、雅臣からの愛を感じている。
 この男なしでは生きていけない──雅臣が今感じているであろうその恐怖は、総真にとってはもうずっと身近にあった雅臣への愛そのものだ。

「──雅臣」

 蜂蜜のような甘ったるい声がこぼれた。
 呼ばれた雅臣は、おずおずと総真の肩口から顔をあげる。泣き腫らした顔は真っ赤で、ぐちゃぐちゃで、それでもすごく愛おしかった。

 微笑んだ総真は顔を近づけ、目を開いたまま雅臣の唇を静かに奪った。
 雅臣の後頭部に右手を添えて、その甘い口内を貪るようにゆっくりと舐め回す。素直に差し出された雅臣の舌を絡めとり、優しく吸うと、雅臣の体がびくりと震えた。

「ンッ……は、ぁ……!」
「雅臣……」

 キスの合間に、熱に浮かされたような声がもれる。
 雅臣は僅かでも隙間ができるのを拒むように総真に体を押し付け、必死に濃厚な口付けに応えていた。
 総真は自身の欲望が頭をもたげもたげはじめたのを感じ、そっと雅臣の耳元で囁く。

「──雅臣、ベッド行こうか」
「ッ、ん……はッ、ぁ……」

 唇を離す前に強く舌を吸ったからか、雅臣の唇から覗く赤い舌がぴくぴくと小さく震えていた。
 総真は再びその舌にしゃぶりつきたくなるのを我慢して、雅臣の体を横向きに抱き上げる。
 すると、雅臣は総真の首に腕を回し、とろんとした目で総真を見上げてきた。総真と同じく熱を帯びたその瞳は、言外に『はやく』と総真に続きをねだっている。

 目を細めて笑った総真は、わざとゆっくりとした足取りで寝室へと向かった。
 そして、雅臣をベッドに下ろすのと同時にその体に組み付き、じっとその愛しい顔を眺める。

 ──運命の番が現れようが、俺が雅臣を捨てるなんてありえない。こいつは、俺が見つけた。俺が選んだ、俺だけの番だ。

 遺伝子だの本能だのに支配されて雅臣を失うなんて、総真は絶対に許せない。
 それならいっそ、死んだ方がマシだ。

 総真がそっと雅臣の頬に指先を滑らせると、涙の膜を張った雅臣の瞳がちらりと総真を見上げた。
 しかし、その視線はすぐに逸らされ、雅臣はあらぬ方向に目をやりながら消え入りそうな声で言う。

「ひどくして……」
「……酷く?」
「……たぶんその方が、夢じゃないって思えるから……」

 一瞬あっけにとられた総真は、自然と顔がにやけるのを感じながら「ばーか」と子どもじみた悪態を吐いた。
 それから、ムッとした雅臣がなにかを言い返してくる前に、その唇を塞ぐように深いキスをする。
 ねっとりと舌を絡め合い、吸い合い、雅臣の表情がうっとりとしはじめたところで、総真はそっと口付けを解いた。
 そして、鼻先が触れそうな距離で雅臣を見下ろした総真は、少し掠れた甘い声で囁く。
 
「とびっきり優しくしてやるよ」

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