十年先まで待ってて

リツカ

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過去話・後日談・番外編など

運命じゃなくても 6




 食欲をそそる匂いに鼻をくすぐられ、雅臣はふと目を覚ます。
 寝ぼけ眼で辺りを見回すと、レースカーテンの向こうはすでに明るくなっていた。朝の光が眩しくて、雅臣は思わず目をすがめる。
 隣に視線をやると、そこに総真の姿はなかった。代わりに、わずかに開かれたドアの隙間から、覚えのある甘い匂いが漂ってくる。

 とろけたバターの香りと、焼き菓子を焼いているときの香ばしくも甘い香り──
 総真お手製のパンケーキの匂いだ。
 雅臣が気付いた直後、部屋の外から軽快な足音とご機嫌な鼻歌が聞こえてきた。
 少しだけ開いていた寝室のドアが、そのまま大きく開かれる。

「なんだ、もう起きてたのか」
「……おはよ」
「おはよう、雅臣」

 行儀悪く足でドアを開けた総真が、両手に皿を二枚持って寝室に入ってきた。
 流れるような動作でベッドのふちに腰掛けた総真は、雅臣の頬におはようのキスをしてから、持っていた片方の皿を雅臣に差し出す。

「ほら、腹減ってるだろ? 昨日は結局、夕飯食い損ねたからな」
「……ここで食べるのか?」
「別にあっちでもいいけど、お前まだ疲れてるだろ。足腰も立たないだろうし」
「…………」

 雅臣は顔を赤くしつつ、差し出された皿を大人しく受け取った。
 真っ白の皿の中央には、綺麗に焼かれたパンケーキが三枚重ねられている。パンケーキの上の溶けかけのバターと、たっぷりかけられたメープルシロップの甘い匂いに、雅臣はごくりと喉を鳴らした。

「コーヒー取ってくる。冷める前に、先に食べとけよ」
「うん、ありがと……いただきます」

 部屋を出ていった総真の後ろ姿を見送ってから、雅臣はフォークとナイフで切り分けたパンケーキを口へと運ぶ。

 ──うん、すごく美味しい。

 雅臣は頬を緩めた。
 もちもちとした弾力のある生地に、しっかりバターとメープルシロップの風味が染み込んでいる。甘党の雅臣にはたまらない美味しさだ。
 一口食べた途端に急にお腹が空いてきたような気がして、雅臣はさらにパクパクとパンケーキを頬張った。

「喉に詰まらせないよう、気を付けろよ。ほら、コーヒー。ミルクだけのやつな」
「ん、ありがと」

 雅臣は部屋に戻ってきた総真からマグカップを受け取り、ホットコーヒーを一口飲んだ。
 いつもコーヒーには砂糖とミルクの両方を入れている雅臣だが、ここ最近甘いものを食べるときに限って砂糖抜きのコーヒーにしている。その方が甘いものをさらに美味しく食べられることに気付いたからだ。
 そんな些細な変化を総真が把握してくれていることがなんだかくすぐったくて、雅臣の胸は温かくなった。

「おかわりも作れるから、食べたかったら言えよ」
「うん……あの、総真……」
「ん?」
「昨日は、迷惑かけてごめん……」
「迷惑なんてかけられてねぇって」

 雅臣が謝罪すると、総真は食事の手をとめて呆れたように優しく笑った。
 それでも雅臣はしゅんとしたまま、ぼそぼそと呟くような声で言う。

「……でも、自分でも『面倒くさいこと言ってるな』っていうのはわかってるから……浮気したら殺すとか、馬鹿なことも言っちゃったし……」
「だから、昨日も言ったろ? 俺はお前のそういうとこも含めて愛してんの。お前には信じられないかもしれないけど、俺はお前の面倒くさいとことか、たまに不安定なとことか、好き……というか、かわいいんだよ、ほんと」

 さらりと言いながら、総真はパンケーキを口へ運ぶ。
 雅臣はなんと返していいのかわからず黙っていた。胸の奥がいっそうむず痒くて、微かに頬が赤くなる。

「……ふぅん」
「ふーんってなんだよ。こっちは真面目に話してんのに」
「わ、わかってるよ、わかってるけどなんか……」
「なんか?」
「……やっぱり変なやつだな、って」

 もし雅臣が逆の立場だったら、雅臣みたいな面倒くさい男の傍にはいたくない。というか、おそらく雅臣みたいな男を好きになったりはしないだろう。

 そう考えると、やっぱり総真は変だ。
 本当に趣味が悪い……というか、あまりに前向きすぎるのだろうか。
 雅臣の憎まれ口を聞いた総真は、カラカラと声をあげて笑った。そして、にんまりと弧を描いた目で雅臣を見つめる。

「いいじゃん。面倒くさいネガティヴな男と、面倒くさいネガティヴな男がかわいくて仕方ない男。相性ぴったりだ」
「そう、かな……?」
「そうだよ。体の相性も最高だろ?」
「……ばか」

 雅臣は赤面しつつ、じとりと総真を睨んだ。
 総真はケロリとしたまま、優雅にブラックコーヒーを飲みながらあっけらかんと言う。

「まっ、泣きたいときはちゃんと俺の前で泣けよ。嫌いになんてならねぇから」
「……うん」
「──とはいえ、俺はお前の不安なんてそのうち解消されると思ってるけどな」

 総真の言葉に雅臣は首を傾げる。

「なんで……?」
「子どもに関しては、そのうちできると思ってるから。運命の番に関しては、会うことなんてないと思ってるし、会ったところで俺がお前以外を番にするとかありえねぇから」

 はっきりとそう言い切る総真に、雅臣は面食らった。
 それからすぐに苦笑を浮かべ、力のない声でぽつぽつと言う。

「俺だって子どもはいつか出来るかも、って思ってはいるけど……でも、運命の番のことは会ってみないとわからないだろ。出会った瞬間に我を忘れて、その場でオメガの項に噛み付いたアルファもいたって聞いたことあるし……」
「んな意志の弱いそこらへんのアルファと俺を一緒にすんなよ」

 総真は不満げに肩をすくめた。
 かと思うと、雅臣と目を合わせてニヤリと笑う。

「俺みたいな上級のアルファっていうのはな、自分が選んだたったひとりの相手としか添い遂げねぇの。実際、上級のアルファだった俺のじいちゃんは運命の番に会ったことあるらしいけど、今もずっと番のばあちゃん一筋だしな」
「そ、そうなのか……?」

 雅臣は驚いた。
 運命の番というのは、世間一般では絶対的な運命の相手として扱われている。生涯で出会う確率はわずか数パーセントで、出会えることそのものが奇跡のような存在だ。
 本やテレビの中で描かれる運命の番を扱う作品は、どれもハッピーエンドばかり。たとえバッドエンドだとしても、運命の番が愛し合っていないことなどなかった。

「まあ、運命の番なんて、要はめちゃくちゃフェロモンの相性が良い相手……ってだけだからな。別に世間が思ってるほどロマンチックなもんじゃねぇよ。じいちゃんは運命の番と出会った瞬間、ヤバいと思って走って逃げたらしいし」
「……へぇ」

 総真から笑い混じりで告げられ、雅臣は長年の胸のつかえがスッと取れたような気がした。
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