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2章

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「此処が執務室。中入ってみる?」

「遠慮しておくよ……仕事の邪魔しちゃ悪いし」

 木製でも良い木材を使っているのが一目で分かった。ニスで磨かれた木製の扉のドアノブ近くにあるライオンのドアノッカーに手を掛けて、ノックをしようとしているルイカを引き止めた。ルイカはちえっと残念そうに執務室のドアをノックするのを諦めたようで、私はほっと安堵した。

 そのまま突撃訪問するのは気が引けたし、何より仕事の邪魔をして機嫌が悪くなった時の方が面倒になる。私のせいで機嫌が悪くなって他の人に当たり散らされても困るし、私の気分も悪くなる。

「執務室の次はっと。謁見室が近いかしら」

 執務室を素通りして、暫く歩くと執務室と同じようなこれまた豪勢な扉が現れる。今度は扉をノックすることなく、ルイカは躊躇なく入っていく。

「ちょっとルイカ! 勝手に入っちゃって大丈夫なの?!」

「この時間は使用しないのは分かってるから大丈夫よ」

 開けてしまったものは仕方ない。

 両開きの扉を開けると、暗幕が天井から床までを覆っていた。暗幕の下は段差になっていて、階段の一番上のようだ。暗幕の手前には真鍮製の椅子が置かれていて、座面と背面を真紅のビロード生地が覆っている。

 如何にも玉座と言わんばかりの雰囲気を醸し出している椅子にルイカは近付いた。

「座ってみる?」

「勝手に座っちゃマズイでしょ……」

 座ってみたい。とは言えなかった。ヨーロッパの宮殿に展示されている物も無闇に座れる物でもない。私みたいな何処にでもいる一般人が座って良い椅子のわけないのだ。

「謙遜しなくていいのに。向こうの世界だったら絶対に座れない椅子だよ? 座っておかないと損するじゃない!」

「ルイカは座ったことあるの?」

「……好奇心で、つい」

 てへっと舌を出して戯ける。

「そんな残念そう人を見る目を向けるのは止めて! 他の人も座ったことあるって!」

「気軽に座っていい物じゃないと思うんだけど……」

「それは分かってるけど、陛下がどんな椅子に座って謁見してるか気になるじゃない。普段は遠目というか下座から上座を見るだけだけど、上座から下座を見るってどういう気分になるんだろうって」

 ルイカが言う気持ちも分かる。いつも下座にいると別の視点から眺めたくなる。

「ということでーえいっ!」

 ルイカは私の後ろに回り込み、背中を押して無理やり玉座に座らせようとする。少しずつ歩を進めて椅子に近付いていく。

「えっ! ちょっと!」

 まだ気持ちの整理も付いてないのに!

「まぁまぁ、早くしないと謁見の時間になっちゃうから、ねっ?」

「ねって言われても……やっぱりこの後、謁見するの!? 誰かに見つかったら怒られちゃうって!」

「ヴェンデル将軍が先に来て、不審物がないか確認するし、陛下に謁見を求めてる人の方が先だから怒られるとしたらヴェンデル将軍の方かな? 大丈夫! 意外とヴェンデル将軍も陛下も頭が固くないからさ! 少しくらい玉座に座っても別にお咎めはないと思うし!」

「そういう問題じゃないって!」

「もう! カレンってば頭が固いんだから!」

 ルイカは人指し指を私に向けると一振りした。まずいと思って両腕を顔の前で交差する。交差したところで、私には防御魔法の一つも知らない。ただ心の中で強く思ったことが実現するだけだ。今すぐに心の中で魔法を防ぐよう思ったところで間に合わない。

 ふわりと空中に浮き、そのまま椅子に座った。座ってしまった。

「あれ、言霊使うと思ったのに使わないのね……」

「言霊と魔法のスピードってどれくらいなのよ? 言霊が早いって言うなら喜んで使ったかもしれないけど」

「言霊の方が早かったんじゃないかしら。呪文は呪文を構成する単語全てを言わないと魔法自体が形成し、発動しない。それに比べて言霊の魔法発動条件は一単語。拒絶だったら『ノー』で発動してしまうし、願えば願うほど叶えてしまうのが言霊というもの。無意識に発動している場合もあるから注意が必要よ」

「注意が必要と言われても。無意識下では注意しても無理な気が……」

「そこよ。無理、出来ない、無駄……ネガティブな言葉を履き続けるから良くない方向へ、悪い方向へと進んでしまう。私は何だって出来る、と思っていなきゃ。まぁ、カレンの場合それをしたくないから暗示を掛けたんでしょうけどね」

「何でそこまで……」

「分かるのかって? 少し考えればすぐに分かることじゃない。普通のフィクションなら主人公の有無を言わせずに無理やり魔法使いになるように押し付けるけど、この世界は違う。あくまで本人の意思を尊重してるし、陛下も(たぶん)同じ気持ちだと思う。選ぶのはカレンだけど」

「………」

 選ぶのは私の自由だと言われたとしても、魔法使いになる過程はどうでもよくて、結果的に私は魔法使いになるしかないのだろう。あのお店で会った、リーンハルトの母親だという女性にリーンハルトの現在の姿を教える必要があるのだし。

「で、椅子の座り心地はどう?」

「どうって……ふかふかの椅子だよね。座り心地は最高に近いけどさ」

「えっ、反応それだけ? 王位に就いた人しか座れない椅子だよ? 今は陛下しか座れない貴重な椅子だよ。美術館に展示されているような過去使用された椅子とか、宮殿にあるような椅子とかじゃなくて、現在も使われている椅子だよ?」

「昔から使われてて、歴史に刻まれるような出来事もこの椅子は知ってるんだよね。やっぱり私みたいな一般人が座っていい椅子ではなかったよ。この椅子は相当な覚悟がないと座れないと思うし」

 私はこの国に来たばかりで歴史も文化もほとんど知らない。知っていることはこの国の人の一部は魔法が使える、だけだ。

 ルイカがこの国に来てからどのような生活を送ってきたのか知らないし、リーンハルトがどのような幼少期を過ごしてきたのかもしらない。

 それは本人の口から聞いた方が早いし、歴史であれば書物を見て私が勉強すればいい話だ。

 そもそも、本人の生き様を知ったところで私がこの国で生活するために必要な知識を得られるとは思わない。私に必要なのは地球に帰る術を見出す知識だ。

 そのためには図書館が何処にあるか知る必要がある。

 激動の歴史を間近で見てきた椅子に自ら座ってみて、リーンハルトがどのような気持ちで座っているのかなんて、私には分からない。私は為政者でもなければ、王様でもない。

 この国では魔法使いの端くれになるのかも知れないけど、それもまた仮の段階。

「私もこの椅子に座ったことがあるんだけど、怖くなったよ。この椅子は歴代の王様が座っていて、歴史的に見ても重要な人と謁見したり、罪人を処罰するためにも使われたりする。この椅子は多くの犠牲の上に立っている椅子なのだと。
 この国は革命もしょっちゅうあったからね。建国当初から続いている王族はいないの。陛下もこの国の生まれではないし」

「この国の生まれでない陛下がどうしてこの国の王様になれたの?」

「そこら辺は誰も知らないのよね……王位に就ける条件があるらしいんだけど、詳しく知らされてないというか陛下が語らないというか。まぁ、暗黙の了解で誰も聞かないのよね」

「……でも。自分が生まれ育った国ではない、王位の椅子に座る覚悟は私にはないかなぁ。皆に王位に就いた方が良いと勧められたとしても、私にはその覚悟も勇気もない」

 ぐっと手のひらを握りしめると、立ち上がった。

「陛下はずっと一人だったからね。そりゃ優秀な補佐官や文官やヴェンデル将軍みたいな人は傍にいたけど、本当に心から接せる人はいなかったと思う。自室には女官も侍女も寄せ付けない、夜伽の相手もしない。あの人、本当に性欲があるのかと誰もが疑ったわ。そんな時、あなたを自室に住まわせると言った時の衝撃が分かる?! うわぁ! あの性欲の一塊もないと思っていた陛下が自室に住まわせる?! しかも未来の王后陛下!? 天変地異が起きるんじゃないかって王宮内はカレンの話題でもちきりよ?」

「もうそんな大袈裟ことになってるの……って! 私まだリーンハルトの嫁になるつもりもないんだから! 私は私の目標が終わればすぐ帰るの!」

「向こうの世界では絶対に体験出来ない、王宮での暮らしの他に王様の嫁になれるというのに勿体ない……こっちで結婚出来て、向こうに帰れたとしても結婚出来たりするんだよ? 結構お得だと思うんだけどなぁ」

 その生活を送っているのがリーンハルトの母親だと言えたらどんなにいいだろう。

 地球での生活で不幸せなことの方が多かったが、こっちの世界で幸せになれる保証はひとつもないし、リーンハルトにまだ恋心の一つも抱いていないのだ。

「お得も何も、まだ私は十五だし、結婚とか考えられないよ」

「恋の一つや二つ、経験しておいた方が良いと思うわよ」

「逆にルイカは結婚願望とかあるの?」

  ルイカが何歳なのか分からないし、この国での結婚出来る年齢がどれくらいなのか分からないがまだ早すぎる話題じゃないのか、と突っ込みたくなったがやめた。価値観が違うのだし、それを私が正したところで何の解決にもならない。

「願望、ねぇ。幸せな家庭を築き上げたいとか、将来の旦那様のために尽くしたいとか、お金持ちの貴族様と面識を持って贅沢な暮らしをしたいとか、子供を最低でも二人は授かりたいとかそんな願望は誰も持ってると思うんだけど、カレンはないの?」

 質問したはずなのに逆に質問を返されてしまった。

「今考えられないかな。今は学校に通って、勉強についていくだけで精一杯だし、その先の将来のことを考えろって言われてもぼんやりとしか分からないし」

 私の場合、平穏な生活を送ればそれで満足なのだが、平穏な生活というのはほとんど過ごしてきていない。あの水流という男の話からすれば、今後も平穏とはかけ離れた生活を送るしかないのだろう。一体どこで間違ったというのだ。

 全てはあの、小学校の時に魔法少女として宇宙人と戦った時から。

 黒歴史として、記憶の奥底に追いやったはずの記憶を思い出しそうになり、頭を振って再度追いやった。

「……だ、そうですよ。陛下」

「なるほど。いいことを聞いたな。と、大分印象が変わったな。黒髪も良かったがその色も実に似合っている」

「えっ!?」

 リーンハルトの声が後ろから聞こえ、私はびくりと身体を震わせた。ぐるりと椅子のうろを見ると、カツカツと靴音を鳴らしてリーンハルトが近寄ってくる。

 床は赤い絨毯が敷かれているはずで、靴音が鳴るはずないのに何故音が鳴っているとかそういうのを考える余裕が私にはなかった。急いで椅子から立ち上がり、一歩一歩後退った。

「一体いつからいらっしゃったんです……?」

「僕に敬語を使わなくていいよ。カレンにはルイカに接しているような軽い気持ちで接してほしいんだよね」

「いやいやいや、そういうわけにはいきませんし」

 ぶんぶんと首を振って、口調を敬語から改めさせようとしてくるリーンハルトを牽制した。慣れ合うつもりは一切ない。仮でもないが、一般人と一国の王様だから立場も身分も何もかも違うのだ。対等に扱えるわけがない。

「いつからいたのかだったな。カレンが椅子に座った辺りかな」

「それって全部聞いてたってことです?」

 恐る恐るリーンハルトに訊くルイカ。さっきルイカはリーンハルトに対して不敬とも取れる発言をしていたからだ。

「そうだね。僕が性欲の一つもないと思っているようだったけど、別に女性に関心がなかったというわけではないよ」

「ばっちり聞いてたんじゃないですか―!」

 涙目になっているルイカ。結構リーンハルトは根に持つタイプのようで、ルイカがリーンハルトのことを性欲がまるでないと思っていたことに腹を立てているようだ。

 勘弁してください!とスライディング土下座をかますルイカにリーンハルトは苦笑した。

「まぁ、僕以外が聞いてなくてよかったね。椅子に座ってたことも見逃してあげるよ。罰として、カレンに魔法基礎を教えること。この国で一番の魔法使いは現時点で君なんだし、適役だよね」

 現時点で、をやけに強調し、私をちらりと横目で見た。

 もしかして、魔法が使えるのバレてる?

 たらりと汗が背筋を伝った。

「私以外に適役な人が大勢いるじゃないですかー。私、出撃命令が出ればすぐ戦場に出ないといけない身なんですけどー」

「当分、奇襲を掛けられない限り、出撃予定はほとんどないし、隠密は他の奴でも可能だ。お前が直々に教え込んだ部隊なんだ。優秀な働きをしてくれるだろう? そうでなくては困るんだがな」

 ヒクリとルイカの頬が上がる。

「えぇ、陛下もきっと目をひん剥いて驚かれることでしょうね。彼女彼らの超絶優秀極まりない働きによってこの国の情報戦は優位に立っているわけですし? 少しは彼らの功績を讃えてほしいものですね」

「彼らの功績は公に出来ない点が大きいからね。今度晩餐会という形で慰労会でも開こうか。とびきり美味しい料理と酒を準備しよう」

「約束ですからねー? 彼らも聞いてるだろうし、約束破ったら今度は救いに行きませんからね」

「隠密って……」

 忍者じゃあるまいし、とは飲み込んだ。

「スパイとか間者とかかな。ルイカの場合、情報収集もあるけど潜入調査が多いかな」

 だけど、何処か食い違いがある。疑問に思いつつも、地雷を踏みそうだったので疑問を口にしなかった。

「表立って動くのが陛下の仕事。陛下の仕事が円滑かつ優位に立てるように情報収集してくるのが私の役目。まぁ、当分大きな案件はないし、喜んでカレンの護衛役に回ろうとしますかね……普段むさ苦しいところで生活してるし、息抜きしたかったし、女の子と戯れたかったし、ちょうど良いわ」

「?!」

 ぞっと背筋に悪寒が走った。身の危険を感じ取ったのは勿論だが、ルイカから少し距離を開けて接した方が良いと悟った。

「君の性癖を他人に押し付けるのは良くないと思うがな」

「さすがに陛下のモノを奪おうとなんて馬鹿な真似をするつもりは一切ありませんよ。変装出来て陛下の目を誤魔化せたとしても、その後の命の保証まで出来ないわけですのでね」

「君は本当に自分の命を最優先にして行動するんだね。その生存本能を他に使ってほしいところだよ」

「私の防御魔法は戦場で切羽詰まった時じゃないと最大威力を発揮しませんし。勿論、鉄壁の防御力を発揮しますよ。そうしないと私が生き残れないじゃないですか」

「ルイカの得意魔法って防御系なの?」

「防御系が得意だとしても、花形は攻撃系でしょ。召喚者は防御系を得意とする人が大数で、攻撃系を得意とする人は極少数。かつて、防御系魔法のトップと言われた人は初めて戦場に出た時に最大威力を発揮して、防御するために発動した魔法なのに攻撃に変わって窮地を救ったと有名な話ね。その人は女性で、戦争後に国王と結婚したと恋物語もあるほどなのよ!」

 その防御系魔法のトップと言われた女性に当てはまる人が一人、私は知っている。たぶん、リーンハルトも知っている。その人はリーンハルトの母親で、この国へ来た理由となった人だ。

 その女性の息子であるリーンハルトもまた、防御魔法が得意になるのだろう。攻撃魔法が全く使えないというわけではなく、防御も攻撃にも偏りなく使える、ということだ。

「そんな恋物語があったのか。実に興味深いな。書籍になっていたりするのか?」

 ここまでリーンハルトが興味を持つとなると、やはり両親の情報が書かれていることに起因しているだろう。そうでない限り、彼はこんな質問をしない。

「確か出版していたと思いますよ。王宮の図書室にあったと記憶していていますから」

「へぇ、そんな本まであったのか。お固い学術書と歴史書しか置いてないものばかり思っていたよ」

「一応王宮の者が利用する図書室ですからね。学術書の他に、公序良俗に反しない程度の閨に関する本とかもあるんですよ。――ところで、その恋物語の本に陛下も興味持ったりしたんです?」

 ニヤニヤと笑うルイカにリーンハルトはむっとしつつ言う。

「ルイカ、君が僕に対して恋愛事に疎い初心な童貞な奴だと思っているのは十二分理解した。だけどその認識は少々間違っているぞ。ただ興味関心を抱く人がいなかっただけで、恋愛事に疎いわけではない」

 全面的に否定するリーンハルトにルイカは視線を逸らすだけだった。

「すみません、口が過ぎました」

「じゃ、引き続きカレンの案内を宜しく頼むよ。練習場の使用も許可するから怪我しない程度に学んでほしい」

 頭を下げるルイカに満足したのか、リーンハルトは何回か頷いた後、私を見た。

「えっ、今日から学ぶなんて聞いてない!」

「何も今日からとは一切言ってない。練習場の許可を出すから学びたかったら学べと言ったんだ。まぁ、今日じゃなくても明日からはカリキュラムに組み込もうと思っていたところだし、今日からでも問題はないんだが」

「カリキュラムって……」

「この国の歴史を始めとする、マナーや魔法に関する座学。座学が終わった後、午後は主に実践を中心に学んでもらおうか」

「実践って……」

「魔法はどのような仕組みで成り立ってるか分かるか?」

「分からない、です……」

 私が知ってるのは言霊で魔法を発動出来るということだけ。それ以上のことは何も知らない。

「魔法は理論を学んで、実践で身に付けるというのが一般的だ。何でもかんでも百聞は一見にしかず、親の背中を見て育つと昔からよく言っているだろうが。これもまた大分前に異世界からやってきた魔法使いが言っていたコトワザというものだが。頭で理解していたとしても、いざ実践してみると意外と身についてなかったのが結構ありがちだからね」

 自らの体験談を話すように言うリーンハルト。

「まぁ、何事も理論を学ぶ座学も大事だけど、何より実践で経験を身に付けていった方が効率はいいわよね。魔法の場合、動作を説明しようとしても難しい時があるから実演で見せてからの方がイメージも湧きやすいと思うし」
「そうだな。聞いたり、見るよりも身体で覚えていかないと魔法を短期間に習得出来ないからな。カレンには少々、早く覚えてほしいんだ」

 何故そんなに急ぐ必要があるのか、なんて聞けなかった。


 急いでいるような、真剣な眼差しをしていたから。
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