電脳ロスト・ワールド

万卜人

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エミリー皇女救出会議

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 渋々ながら、首相のタークは二郎の言葉に従い、エミリー皇女の救出計画を練るための会議を参集した。
 王宮広間の大円卓に、タークを筆頭に帝国軍のゲルダ少佐、二郎、タバサが顔を付き合わせる。タークとゲルダ少佐の間には、将官級の軍人がむっつりと座っている。皆、押し黙り二郎とタバサを疑いの視線で見ている。
 残りの席には《蒸汽帝国》開闢に功のあった最古参市民、ほか様々な階層の長が居並んでいる。タークの隣に座るゲルダ少佐は、会議に出席するため、儀典用の軍装を着込んでいる。
 二郎は挑発するように口火を切った。
「この中で《ロスト・ワールド》に足を踏み入れたことのある者は?」
 ぐるりと二郎は円卓の顔ぶれを見渡す。二郎の凝視に合い、全員が揃って目を伏せた。
 嘲るような笑いが二郎の片頬に浮かぶ。
「いないようだな。では、《ロスト・ワールド》が、どんなところか知っている者は?」
 タークは、ぐい、と顔を上げた。
「それなら知っている! 《ロスト・ワールド》は仮想現実のゴミ溜めよ! あちこちの〝世界〟に勝手に穴を穿って、近づくうっかり者をぱっくりと呑みこむという……。嵌まり込んだ運の悪い間抜けは〝ロスト〟してしまう……」
 喋っているうち段々自信がなくなってきたのか、終わりは至極あやふやな口調になってしまう。二郎は「ふん」と鼻を鳴らした。
「どうやら、それくらいしか、判ってはいないようだな。そんなんで、突入部隊を編成しようとしたのかね? 運良くエミリー皇女を見つけ、救出したとしても、どうやって元の世界へ戻れると思っていたのだ?」
 痛烈な二郎の言葉に、皆、言葉もない。横で聞いているタバサは、はらはらしていた。
 まるで二郎は、会議をぶち壊すために発言しているみたいだ。
「劇場でのおれとシャドウの会話を耳にした者がいると思うが、白状すると《ロスト・ワールド》は、おれが作り出した。そう、おれだよ。おれが《ロスト・ワールド》を作り出したんだ!」
 怒りがタークとゲルダ少佐の顔を真っ赤に染めた。ぶるぶるとゲルダ少佐の腕が震え、腰に差した軍刀の柄を握り締めている。今にも刀を抜き放ち、真っ向微塵に二郎に切りつけんばかりの勢いだ。歯を食い縛り、ゲルダは一言一言を区切るように二郎に話し掛ける。
「それで……あなたは……何を……狙っているの……シャドウとお前の関係は?」
 ゲルダ少佐の怒りを無視して、二郎は平板な口調で返事をする。
「おれの目的は《ロスト・ワールド》の正常化だ! 《ロスト・ワールド》は、おれが作り出した。だから、正常化の責任も、おれにある。エミリー皇女の誘拐というアクシデントがなければ、もっと簡単に行ったのだが。あんたらが折角の忠告を無視したから、おれは厄介な任務を押しつけられた、ということさ!」
 最後のセンテンスは、タークに向けられた。タークはぷい、と横を向く。
「《ロスト・ワールド》がどんな〝世界〟か知っているかね? あそこは独特な世界律で存在している。何と、倫理保護規定が、あそこでは存在しないのだ!」
 二郎の言葉に、ターク、ゲルダ少佐は、ぎくりと顔を上げた。二人の顔色から血の気が引き、蒼白になっている。
「倫理保護規定が……存在しない?」
 タークが繰り返す。二郎は頷いた。
 タバサは二郎に囁いた。
「何を言っているの?」
 二郎の表情に、タバサはまた自分が馬鹿な質問を仕出かしたことを悟った。が、引っ込んでもいられない。
「教えてよ!」
「しょうがないなあ」
 二郎は、うんざりした声になり、身を屈めてブーツに差しているナイフを取り上げる。
「見てろよ」と二郎はタバサの目を見てナイフを握りしめ、空いている左手でタバサの右腕を掴みテーブルに固定した。
「な、何をっ!」
 タバサは悲鳴を上げる。
 二郎はタバサの悲鳴に取り合わず、いきなりナイフをタバサの右手の甲に突き立てた!
 どすっ! という鈍い音がして、タバサの右手の甲にナイフが突き刺さる。一瞬、ちくりとした痛みを感じる。タバサは思わず目を閉じた。
「見ろ、タバサ」
 二郎の声に、タバサは恐る恐る目を開く。
 自分の右手にナイフが突き刺さっている。しかし、案じられた血の一滴すら零れていない。痛みすらなかった。
 ぐい、と二郎はナイフを引き抜いた。右手の甲には、何の痕跡もなかった。まるで何事も起きなかったかのようだ。
「な? 大丈夫だったろう?」
 涼しい顔の二郎に、タバサの胸にむらむらと怒りが湧く。
「あんたって……なんて……!」
 怒りの余り、言葉がうまく出てこない。
「これが倫理保護規定だ! 仮想現実で、どんなに酷い怪我をしても、苦痛の信号はカットされる。当たり前だ! 一々、冒険するたびに、本当の痛みを感じていては、誰も仮想現実で好きな行動はできないからな。しかし《ロスト・ワールド》では、そうはいかない。あそこでは、本当の苦痛が待っている。もし、死ぬほどの怪我や事故を体験したら……」
 二郎は言葉を切り、タバサの目を覗きこんだ。タバサは思わず聞き返す。
「どうなるの?」
 二郎は、ふっと視線を逸らした。
「判らん! おれ自身、そんな失敗のないよう用心していたからな。だが、死ぬような苦痛を体験したら、それこそ冗談では済まない心理的なダメージを受けるのではないかな? 七十二時間という時間制限の前に〝ロスト〟が起きてしまうかもしれない」
 真面目な二郎の口調に、タバサは円卓のターク首相の様子が気になった。
 タークは、じっと下唇を噛みしめ、何事か考え込んでいる様子だ。自分一人きりの思考に沈んでいるようである。
 ずっしりと重そうな功労賞や、勲章を胸に飾った軍隊の重鎮たちは、ひそひそと何事かお互い囁きあっている。一人がゲルダ少佐の袖を掴み、何事か指示する。
 ゲルダ少佐が二郎に向き直り、口を開く。
「それで……あなたは《ロスト・ワールド》に何度も潜入したと言ったけど、どうして他の人のように、虜囚とならずに帰還できたの?」
 二郎は得意そうな笑顔になった。ぽん、と上着のポケットを叩くと、ぴょい、と金属の球体が飛び出す。球体は円卓の真ん中に浮かび、きんきんとした声を発した。
「よろしく! わたくし、客家二郎さまの助手の、ティンカーです!」
 二郎はティンカーに視線を向け、ゲルダに返事をした。
「こいつは、おれの相棒だ。ティンカーは、おれが《パンドラ》を開発したときも、プログラムの主要な部分を構成している。つまり仮想現実のことは、隅から隅まで承知しているってわけさ! こいつの案内で、おれは《ロスト・ワールド》から元の〝世界〟への道筋を見つけ出すことができた。だから、無事に〝ロスト〟も免れたってわけさ!」
 ゲルダの視線が厳しいものになった。
「あなたは自分がエミリー皇女の救出部隊を召集するって、言ったわね?」
 二郎は頷いた。
「ああ。こいつは、危険な任務だ。おれは、自分が信頼できる仲間しか、連れて行きたくはないからな」
 ゲルダは怒りを押し殺しているようだ。
「で、あんたが我々にして貰いたい支援とは?」
 二郎はティンカーに合図する。
 ティンカーの身体の一部がぱかっ、と開き、中から一枚のきらきら光る円盤が飛び出した。円盤はふらふらと空中をさ迷い、ゲルダ少佐のテーブルの上にぴたりと着地する。
「そいつは《パンドラ》のバグを修正するプログラム・ディスクだ。おれが《ロスト・ワールド》に潜入して合図を出すから、その時になったら劇場跡の〝門〟にディスクを投げ込んでくれ。恐らくあの〝門〟は《ロスト・ワールド》の中心部に達しているはずだ。ディスクは向こうの《パンドラ》に真っ直ぐに飛び込み、バグを修正する! しかし、おれからの合図無しで投げ込んでも何にもならんから、覚えておけよ!」
「それだけ? それだけが、あたしたちに頼みたいことなの?」
 ゲルダ少佐の両手が握り締められる。
 ばんっ! と勢いよくテーブルを叩く。びくりと二郎以外の全員が飛び上がった。
 ゲルダ少佐はぐい、と立ち上がった。
「馬鹿にしないで! 誘拐されたのは、あたしたちのエミリー皇女なのよ! その救出任務に、あたしらはあんたを信じて、ぼけっとミツユビナマケモノのように、ただ待っていろって言うのね!」
 二郎は退屈そうに指の爪を見ながら答える。ゲルダとは目を合わせようとすらしない。
「どうしろ、って言うんだ?」
「あたしを救出部隊に参加させなさい!」
 ゲルダは上半身を二郎に傾け、燃えるような瞳で睨みつけた。
「いいえ、断ったってムダよ! あたしは何としても、あんたと一緒に《ロスト・ワールド》に潜入させて貰いますからね! それが、あたしたち《蒸汽帝国》の国民としての義務です!」
 ちら、と二郎は目を上げ、ゲルダを見た。ゲルダの両肩は大きく動き、ふーっ、ふーっと大きく息をついている。
「それじゃ、ディスクを投げ入れる役目は誰が引き受けるんだ?」
 二郎の言葉に首相が顔を上げた。
「わたしが、その役目を引き受ける」
「はっ」とゲルダが首相を見た。首相は苦い笑いを浮かべた。
「わたしは、年寄りだ。《ロスト・ワールド》に救出部隊の一員として従っていきたい気持ちは山々だが、足手纏いになるのは判りきっているからな。だから《ロスト・ワールド》の〝門〟を、じーっと見張って、あんたの合図を待っているよ」
 最後には二郎に視線を注いで言葉を切る。次いでゲルダに目をやった。
「少佐、君はこの客家二郎とともに救出部隊に参加してくれ! 皇女のことは頼んだぞ」
 少佐は、さっと敬礼した。
「お任せ下さいっ!」
「やれやれ……」
 二郎は肩を竦める。
「それじゃ仕方ない。だが、言っておく。向こうに入ったら、おれの指示に絶対服従だということを忘れるな!」
 少佐は悔しそうに頬を染めた。二郎は居並ぶ大将、元帥の顔ぶれに話しかけた。
「それから広場の〝門〟には絶対に人間を入らせるな! これ以上、ゴタゴタの種を持ち込んで貰っては困るからな」
 軍人たちは無言で頷く。どうあっても、二郎とは直接、会話をすることは拒否するつもりらしい。
 タバサは二郎に話しかけた。
「あたしも参加するからね!」
 二郎は、ぎょっとなってタバサを見つめた。
「何だと?」
 タバサは二郎に向け、笑いかける。
「そこの少佐と同じ、あたしも何としても皇女さまの救出に加わりたいの。断ったって、ムダよ!」
 二郎は両手を上げた。
「勘弁してくれよ……」
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