電脳ロスト・ワールド

万卜人

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輪廻転生

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 岩山には、細い隙間があって、間を階段が刻んである。大の人間一人がようやく通り抜けることが可能であるが、かなり狭い。
「首相が従いてこなくて、正解だったな。タークの身体じゃ、ここを通り抜けるなんて、絶対に無理な話だ」
 二郎の言葉に、タバサは思わず吹き出した。《蒸汽帝国》で見た、ビア樽そのままの、首相の身体つきを思い出し「言えてる!」と思った。
 背後の気配に振り向くと、ゲルダの目と合った。ゲルダはいつもの謹直な顔つきであったが、唇がひくひくと震えている。
 が、ついに堪えきれなくなって「ぷっ」と吹き出す。自分が笑ったことで、身体中に笑いの発作が波のように襲い掛かって、ゲルダは身を折って「あははは!」と声を上げて笑った。
「あはははは! 何よう?」
 タバサが声を上げると、ゲルダは首を何度も振って「ひいひい!」と笑い崩れる。しばらく二人は、歩けなくなっていた。
 先頭を蝶人のケストが案内し、二郎、タバサ、ゲルダ、玄之丞、知里夫、殿軍が晴彦と続く。ケストは大きな翼を畳んで歩いている。
 階段は真っ直ぐで、曲がり角はなく、これなら蝶人でも利用できる。狭いとはいえ、ほっそりとした身体つきの蝶人にとっては充分に広い。
 時折、向こうから別の蝶人がやってくるが、するりと蝶人同士すり抜ける。しかし後方を二郎たちが歩くので、蝶人はその横をすり抜けるときは、少し苦しそうであった。多分、普段は蝶人だけが階段を利用するのであろう。
 急な階段を登りきると、立方体ブロックでできた岩山の、踊り場のような場所に出た。
「ここでお待ち下さい」
 ケストは一礼すると、羽根を広げ、ふわりと空へ飛び上がった。
「ねえ、あのケストって人、男なの? それとも、女?」
 ケストが見えなくなると、タバサはかねての疑問を二郎にぶつけてみる。二郎はゆっくりと首を振った。
「どちらでもない。ケストが〝ロスト〟する前、男だったか女だったか知らないが、蝶人になった時点で、そんな区別は消滅している。おそらく、ケスト自身も覚えていないんじゃないのかな」
「あの芋虫がケストだったなんて、信じられないわ!」
 二郎は、にやっと笑った。
「まあな。《ロスト・ワールド》じゃ、〝ロスト〟したプレイヤーは、ここの生き物に狙われることがしょっちゅうだ。ここの総ての生き物たちは、我々、人間のプレイヤーを渇望していると言ってもいい」
 タバサは首を傾げる。
「どうして?」
「ここだよ」と二郎は自分の額を指さした。
「おれたち人間のプレイヤーには、他の生き物にはない知性ってやつがある。憶えているだろう? 最初に出会った、馬と同化したプレイヤーを」
 タバサは、こくん、と頷く。
「あのカウボーイなんざ、どう見ても知性的とは言い難い。それでも、ここの生き物にとっちゃ、神の如き知性の持ち主なんだ。多分、あいつは、二本足の馬たちのリーダーになるかもしれない」
 ばさばさ……と羽音がして、ケストが戻ってくる。手に一本のロープを握っていた。ロープの先には、最初に見た熱気球が繋がっている。熱気球の籠は充分に大きく、六人が乗り込んでも余裕があった。気球部分と籠部分は一繋がりで、どこにも継ぎ目はない。材質は半透明の柔らかな素材で、触ってみると、妙につるりとしている。
 吊るされている籠は、驚くほど細い紐が数本あるだけで、これで重みを支えることができるのだろうか、とタバサは怪しんだ。
「大丈夫。切れることは絶対にない」
 紐を弄っているタバサに、二郎は自信ありげに断言した。
 それでも恐る恐るタバサは乗り込んだが、二郎の言うとおり、切れる様子は微塵もなかった。ゲルダも同じ思いなのか、タバサと顔を合わせると、眉を上げ、肩を竦める。
 平気な顔をしているのは三兄弟で、玄之丞はポケットから葉巻を取り出し、悠然と口に咥えた。マッチを籠に擦りつけようとするのを、ケストは慌てて制止した。
「止めて下さい! 気球が嫌がりますので」
「へっ?」
 玄之丞はポカンとする。目を上げ、頭上の熱気球を見上げる。
「どういうことかな?」
「この気球は生き物です。わたくしたち、蝶人は気球の世話をすることが使命なのです」
「ほおおおっ!」
 感嘆の声を上げる。それでも葉巻を喫うことは諦めた。渋々、口の葉巻をポケットに戻す。
 気球部分の真下には、ぶよぶよとした質感の固まりが吊り下がっている。ケストは固まりに顔を近づけ、低く歌いかけた。
「フーン、ホーン、フーン……」
 と聞こえる歌声で、固まりはケストが歌い出すと、ぶるぶると震え出す。気球部分がゆっくりと膨張し、気がつくと高度が上がっていた。
 ケストは籠の中から外の様子を確かめる。
「この上の上空に、シャドウの本拠地に向かう風があります。そこまで上昇しましょう」
 ケストは言葉通り、気球を上昇させた。
「これが生き物……」
 タバサが気球を見上げ呟くと、玄之丞は肩を竦め、感想を述べる。
「なんだか、水母のようであるな!」
 玄之丞の言葉にケストは大きく頷いた。
「そうです! 気球は《ロスト・ワールド》では、水母のような生き物なのです。《ロスト・ワールド》では例外的に弱々しい生き物で、わたくしたちが世話してやらないと、あっという間に絶滅してしまう危険があるのです」
 会話の間にも気球は着実に上昇を続け、ケストの言う気流に乗った。気流に乗っているため、タバサは風を感じなかった。
 但し、籠から下を見ると、移動している証拠に、ぐんぐん地上の景色が動いていく。
 動いていく。
 動いて……。
「おええええっ!」
 タバサは高所恐怖症だった事実を、すっかり忘れていた。二郎は黙って、タバサの背中を擦った。
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