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偉大なる母
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ばしゃっと水を跳ね、イルカが海面からスキップするように何度もジャンプを繰り返しては「けけけけっ!」と聞こえる声で何かを鳴き交わしている。
ジムたちが乗っている抹香鯨の周りを、数十頭のイルカたちが追いかけるように泳いでいる。その口許には、永遠の微笑が貼りつき、時々ジムたちをからかうように大きく水面からジャンプして、ばしゃんと水を跳ね散らかす。
しかし、ジムたちをからかってばかりいるようではなさそうだ。
イルカたちがジャンプし、水面に体を打ちつけると、その音に驚くのか、そのたびにトビウオが水面からぴっ、ぴっと銀色の鱗を煌かせて飛び上がる。それを待ち受けたイルカたちが、空中で口に咥え、キャッチするのだ。
ジムたちは進行方向を見つめた。そちらはステーションの回転方向で、水面が盛り上がり、やがて頭上に立ち上がるのが見える。
視線の方向は空気に霞んでいるが、それでもステーションの円環部分の曲率は目に見える。そこが目的地なのか、海の真ん中にぽつりと島が浮かんでいるのが見える。
でも、左右は普通の景色に見える。遥か彼方にステーションの壁が見える以外は、真っ直ぐで視線を遮るものは何も存在しない。
「すげえ、広いなあ。こんな馬鹿でかい海、必要なのか?」
ジムの声を聞きつけ、ボーラン人がくるりと振り向く。首だけぐるりと振り向き、上半身は動かない独特の動きだ。
「この海は〝大海〟と名付けられている。この海があるから、宙森の内部の空気は正常な酸素濃度を保っていられるのだ。この海の表面には、一センチ平方あたり、十万匹の植物プランクトンが棲息している。その植物プランクトンが二酸化炭素を吸収して、光合成で酸素を発生させているのだ。それに〝大海〟そのものの水が宙森の重量バランスを保ってもいる。実に大切な場所なのだよ」
ボーラン人の口調は誇らしげなものだった。
そうこうしているうちに、島が近づく。
ジムの鼻は空中に異臭を嗅ぎ取っていた。
粘っこい刺激臭。腐敗臭だ!
キャシーがジムを振り向き、顔を顰めた。
「何、この匂い……!」
ジムも頷いた。
「ああ、おれも嗅いでいる。何だか、ものが腐ったような匂いだな」
ふと振り返ると、ヘロヘロはきょとんとした顔をしていた。
「お前は平気なのか?」
ヘロヘロは「うん」と頷いた。
「僕は、ロボットだからね。第一、僕には鼻がないよ!」
成る程なあ、とジムは妙な所に感心した。
島が近づき、中心になにかが聳えている。泥を捏ね上げて盛り上げたような形をしている。
全体に塔の形をしていて、所々に穴が開いていた。塔は何本も天を指し、それらが集まって、一つの建造物を造り上げていた。
鯨は島の桟橋のような所に横付けした。
ようやくジムたちの身体を締め付けていた肘掛けが開き、全員を解放する。再び横腹に階段ができて、ボーラン人を先頭に一同は島に上陸した。
匂いは、ますますひどくなる。ジムとキャシーは、込み上げる吐き気に必死に耐えていた。
「これを使うといい」
ボーラン人がジムたちに簡単なマスクを手渡した。
「我々は平気だが、我々以外の連中にとっては、この匂いが我慢できないようだな」
受け取ったジムはマスクを顔に掛けた。鼻と口を覆うマスクは、掛けると嘘のように酷い匂いがすっきりと消え去った。
塔に近づくと、数人のボーラン人が歩哨に立っている。腰には銃を差したホルスターがあり、手には明らかに火薬で弾丸を発射する形式の武器を持っている。
光線銃が普及している今でも、コルダイト火薬を使用した銃器は現役である。その破壊力と、信頼性に勝るものは無い。
歩哨に立っているのは、ジムを案内してきたのと違い、全身が真っ黒で、逆三角形の顔をした、蟻のような印象を与える〝種族〟だった。もしかしたら、ボーラン人の中でも〝種族〟が違うのかもしれない。
ジムを案内したほうが歩哨に近づき、なにやら「ギチギチギチ」と聞こえる早口で話し掛ける。歩哨は頷き、さっと入口脇に散開してジムたちを通した。
中に入ると、壁はやっぱり泥を塗り固めたような感じで、むっとするほど気温が高い。たちまちジムとキャシーは全身に汗をかいてしまった。
明かりは所々しか点っておらず、薄暗い。通路の壁はカーブを描き、床も平らではなく、波打つように凸凹している。蟻のような姿をしたボーラン人は盛んに触覚を触れ合い、彼らしか判らない言語で話し合っている。
奥へ、奥へとジムたちは連れられて進んでいった。通路は何度も曲がりくねり、思いがけない所で段差があったり、急に狭まったりして歩き辛い。一度など、ほとんど這うようにして進まなければならない通路もあった。
「まるで蟻塚だわ……」
キャシーが顔を顰め、呟いた。ジムは同意した。
「まったくだ。ボーラン人は蟻の生態を真似て遺伝子を変更したと聞いているけど、こりゃ、やりすぎだよ!」
ぶつぶつ言いながら、それでもジムたちは諦めず、バッタのようなボーラン人の後に続いていった。
不意に、ボーラン人が立ち止まった。
「ここだ! ここが《大校母》さまのお住まいになる寝所だ!」
ジムとキャシーは顔を見合わせた。
案内された場所は、ほとんど何も見えないくらい暗い。今まで歩いてきた通路の先からこぼれる仄かな明かりで、ようやくおたがいのシルエットが判るくらいだ。
暗闇の中で案内人のボーラン人が言い足した。
「もう、マスクを取ってもいい。ここの空気は浄化されている。お前たちにとって不快な臭気は、一掃されている」
おそるおそる、ジムはマスクを毟り取り、空気の匂いを嗅いでみた。
本当だ! ボーラン人の言うとおり、ここの空気は澄み切っている。隣でキャシーも、マスクを脱ぐ気配がした。
「暗いなあ……何も見えないぞ!」
ジムは、わざと大声を上げた。
すると、暗闇の奥からしっとりとした、色っぽい女の声が聞こえてくる。
「今、明かりを点けます。そなたたちは、明るいほうがよろしいのでしょう?」
女の言葉が終わると、唐突に天井が明るく輝いた!
見上げると、半球状のドームになっていて、発光パネルがほんのりと緑色に色づいた明かりを投げ掛けている。
「わっ!」と、ジムとキャシーは同時に驚きの声を上げていた。
目の前に《大校母》が出現していた!
ジムたちが乗っている抹香鯨の周りを、数十頭のイルカたちが追いかけるように泳いでいる。その口許には、永遠の微笑が貼りつき、時々ジムたちをからかうように大きく水面からジャンプして、ばしゃんと水を跳ね散らかす。
しかし、ジムたちをからかってばかりいるようではなさそうだ。
イルカたちがジャンプし、水面に体を打ちつけると、その音に驚くのか、そのたびにトビウオが水面からぴっ、ぴっと銀色の鱗を煌かせて飛び上がる。それを待ち受けたイルカたちが、空中で口に咥え、キャッチするのだ。
ジムたちは進行方向を見つめた。そちらはステーションの回転方向で、水面が盛り上がり、やがて頭上に立ち上がるのが見える。
視線の方向は空気に霞んでいるが、それでもステーションの円環部分の曲率は目に見える。そこが目的地なのか、海の真ん中にぽつりと島が浮かんでいるのが見える。
でも、左右は普通の景色に見える。遥か彼方にステーションの壁が見える以外は、真っ直ぐで視線を遮るものは何も存在しない。
「すげえ、広いなあ。こんな馬鹿でかい海、必要なのか?」
ジムの声を聞きつけ、ボーラン人がくるりと振り向く。首だけぐるりと振り向き、上半身は動かない独特の動きだ。
「この海は〝大海〟と名付けられている。この海があるから、宙森の内部の空気は正常な酸素濃度を保っていられるのだ。この海の表面には、一センチ平方あたり、十万匹の植物プランクトンが棲息している。その植物プランクトンが二酸化炭素を吸収して、光合成で酸素を発生させているのだ。それに〝大海〟そのものの水が宙森の重量バランスを保ってもいる。実に大切な場所なのだよ」
ボーラン人の口調は誇らしげなものだった。
そうこうしているうちに、島が近づく。
ジムの鼻は空中に異臭を嗅ぎ取っていた。
粘っこい刺激臭。腐敗臭だ!
キャシーがジムを振り向き、顔を顰めた。
「何、この匂い……!」
ジムも頷いた。
「ああ、おれも嗅いでいる。何だか、ものが腐ったような匂いだな」
ふと振り返ると、ヘロヘロはきょとんとした顔をしていた。
「お前は平気なのか?」
ヘロヘロは「うん」と頷いた。
「僕は、ロボットだからね。第一、僕には鼻がないよ!」
成る程なあ、とジムは妙な所に感心した。
島が近づき、中心になにかが聳えている。泥を捏ね上げて盛り上げたような形をしている。
全体に塔の形をしていて、所々に穴が開いていた。塔は何本も天を指し、それらが集まって、一つの建造物を造り上げていた。
鯨は島の桟橋のような所に横付けした。
ようやくジムたちの身体を締め付けていた肘掛けが開き、全員を解放する。再び横腹に階段ができて、ボーラン人を先頭に一同は島に上陸した。
匂いは、ますますひどくなる。ジムとキャシーは、込み上げる吐き気に必死に耐えていた。
「これを使うといい」
ボーラン人がジムたちに簡単なマスクを手渡した。
「我々は平気だが、我々以外の連中にとっては、この匂いが我慢できないようだな」
受け取ったジムはマスクを顔に掛けた。鼻と口を覆うマスクは、掛けると嘘のように酷い匂いがすっきりと消え去った。
塔に近づくと、数人のボーラン人が歩哨に立っている。腰には銃を差したホルスターがあり、手には明らかに火薬で弾丸を発射する形式の武器を持っている。
光線銃が普及している今でも、コルダイト火薬を使用した銃器は現役である。その破壊力と、信頼性に勝るものは無い。
歩哨に立っているのは、ジムを案内してきたのと違い、全身が真っ黒で、逆三角形の顔をした、蟻のような印象を与える〝種族〟だった。もしかしたら、ボーラン人の中でも〝種族〟が違うのかもしれない。
ジムを案内したほうが歩哨に近づき、なにやら「ギチギチギチ」と聞こえる早口で話し掛ける。歩哨は頷き、さっと入口脇に散開してジムたちを通した。
中に入ると、壁はやっぱり泥を塗り固めたような感じで、むっとするほど気温が高い。たちまちジムとキャシーは全身に汗をかいてしまった。
明かりは所々しか点っておらず、薄暗い。通路の壁はカーブを描き、床も平らではなく、波打つように凸凹している。蟻のような姿をしたボーラン人は盛んに触覚を触れ合い、彼らしか判らない言語で話し合っている。
奥へ、奥へとジムたちは連れられて進んでいった。通路は何度も曲がりくねり、思いがけない所で段差があったり、急に狭まったりして歩き辛い。一度など、ほとんど這うようにして進まなければならない通路もあった。
「まるで蟻塚だわ……」
キャシーが顔を顰め、呟いた。ジムは同意した。
「まったくだ。ボーラン人は蟻の生態を真似て遺伝子を変更したと聞いているけど、こりゃ、やりすぎだよ!」
ぶつぶつ言いながら、それでもジムたちは諦めず、バッタのようなボーラン人の後に続いていった。
不意に、ボーラン人が立ち止まった。
「ここだ! ここが《大校母》さまのお住まいになる寝所だ!」
ジムとキャシーは顔を見合わせた。
案内された場所は、ほとんど何も見えないくらい暗い。今まで歩いてきた通路の先からこぼれる仄かな明かりで、ようやくおたがいのシルエットが判るくらいだ。
暗闇の中で案内人のボーラン人が言い足した。
「もう、マスクを取ってもいい。ここの空気は浄化されている。お前たちにとって不快な臭気は、一掃されている」
おそるおそる、ジムはマスクを毟り取り、空気の匂いを嗅いでみた。
本当だ! ボーラン人の言うとおり、ここの空気は澄み切っている。隣でキャシーも、マスクを脱ぐ気配がした。
「暗いなあ……何も見えないぞ!」
ジムは、わざと大声を上げた。
すると、暗闇の奥からしっとりとした、色っぽい女の声が聞こえてくる。
「今、明かりを点けます。そなたたちは、明るいほうがよろしいのでしょう?」
女の言葉が終わると、唐突に天井が明るく輝いた!
見上げると、半球状のドームになっていて、発光パネルがほんのりと緑色に色づいた明かりを投げ掛けている。
「わっ!」と、ジムとキャシーは同時に驚きの声を上げていた。
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