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千代吉の巻
三
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土蔵の中に居るのは、おみつ御前だけではなかった。おみつ御前の目の前に、ひょろ長い異相の人間が立っていた。
時太郎は、それが南蛮人ではないか、と思った。
襞飾りのある襟、身体にぴったりとした筒袖のような上着。足下は襦袢のような生地で、爪先の反り返った靴を履いていた。
やや前屈みの姿勢で、両目が明かりに反射して、猫の目のように光っている。
南蛮人の隣には五郎狸が控えていた。五郎狸は俯き加減に、じっと押し黙っている。
時太郎は南蛮人に惹きつけられていた。その姿から、とてつもない違和感が立ち昇っている。
こいつは、敵だ!
時太郎は全身で強く確信していた。なぜだか判らないが、その確信だけは時太郎の胸にずっしりと存在している。
おみつ御前が何か話している。
「それで、準備はどうなんだい? あたしは狸御殿の刑部狸の臆病さには腹が立っているんだよ。人間への攻撃の前に、まず狸御殿の連中を叩き潰してやりたいんだ!」
南蛮人がひそひそとした声で応える。
「準備はすでに、できております。例のものは、すぐにでも使えましょう。ただし、扱いには厳重な注意が必要です。これを使えば、あなた様は無敵の力を得ることになる……」
言葉を切ると、南蛮人はひっそりとした笑いを浮かべる。
おみつ御前は疑り深そうに鼻を鳴らした。
「あんたはそう言うが、あたしはまだその威力を目にしていないんだよ。本当にあんたの言う通りかどうか、まだ迷っている。で、今日こそ、そいつの威力ってやつと見せてくれるんだね?」
南蛮人は頷いた。
「勿論で御座いますとも……。それでは、こちらへ」
と、南蛮人は出口へ歩いていく。おみつ御前も後に続いた。
出口近くの見張りの狸は、二人が近づくとちょっと身じろぎをした。
出口近くには幾つもの箱が積み重なられている。南蛮人はその一つの箱の蓋を開けると、中から一本の棒を取り出した。
棒には細い紐が伸びていた。その棒をおみつ御前に見せて説明をはじめる。
「これは、極めて危険な代物です。しかし、戦場では無敵の武器となりましょう。使いかたは簡単です」
懐から燐寸を取り出し、近くの柱に擦りつけ、ぱちっと火を点ける。
その火を棒から伸びている紐に近づけると、紐はぱちぱちと音を立て燃え出した。
「素破、乱破などは目眩ましに火薬を使うそうですが、この威力はそれとは桁違いです。さあ、ご覧下さい!」
紐は半分ほどに短くなっている。
南蛮人は勢いをつけ、棒をやっとばかりに放り投げた。
棒はくるくると回りながら山の斜面を転がり落ちていく。
やがて、かなりの距離のところで止まった。ぱちぱちと紐からは、まだ煙が出ている。
その紐がすっかり燃え尽きた。
どかーん!
大音量が響き渡り、土塊があたりに飛び散った。もくもくという煙りが立ち込め、つんとする金臭い匂いが漂う。
すっかり煙が晴れると、その場の地面は大きく抉れ、丸い大穴が開いている。
見張りの狸はすっかり腰を抜かし、地面にへたりこんでいる。
おみつ御前は呆気に取られ、目をぽかんと見開いた。五郎狸は両耳を押さえ、目をしっかりと閉じて縮こまっていた。
「いかがかな? これを震天雷と名付けました。文字通り、天を震わす雷と申せましょう……」
その時ばかりは南蛮人は得意そうな表情を見せた。
「あ、ああ……驚いた。すごい威力だね」
やっとのことで、おみつ御前は声を絞り出した。しかし次の瞬間、狡猾そうな表情が浮かぶ。
「そうだね……これさえあれば、狸御殿の連中はおろか、人間たちだって、ひとたまりもないだろうよ! あたしゃ、これを使って、総ての国を征服できるんだ!」
おみつ御前は、くるりと南蛮人に向き直った。
「それで、これをと引き換えに、あんたは何を求めるつもりなんだい?」
南蛮人は首を振った。
「何も要求するつもりは御座いません。ただ、お約束して欲しいのは、この震天雷がわたくしの手から出たものであるということを隠して頂きたいのです。あくまで狸穴の狸たちが独自で発明した、ということで押し通して頂きたい」
おみつ御前は目を細める。
「判らないねえ。いったいどんな得があって、あんたはあたしらに肩入れするのか……。しかも、こんな武器を渡してくれて、見返りも要らないとは」
南蛮人は薄く笑った。
「さあ……何と申しましょうか、わたくしの趣味なのですよ。あなたのような方をお助けするのは。さて、これからの段取りについて詳細を打ち合わせておきたいのですが?」
「判ったよ! そういった積もる話はここではできない。あたしの屋形で打ち合わせよう。五郎狸、帰るよ!」
おみつ御前に呼ばれ、五郎狸は顔を上げた。
「あの御前さま、わたくしはここで仕事が残っておりますので、お話なら、お二人だけのほうが宜しいのでは?」
その言葉に、おみつ御前は頷いた。
「そうかい、それじゃ仕事があるっていうんなら、早く済ませるんだよ! あたしらは屋形へ帰っているからね!」
おみつ御前と南蛮人が連れ立って外へ出かけるのを確認すると、五郎狸は見張りに声をかけた。
「おい、ここはもうよいから、お前は帰っていなさい」
見張りは逡巡した。五郎狸は言葉を重ねる。
「次の交替まで、半刻ほどであろう? わしがここは見ているから、先に休みなさい。さあさあ、帰った帰った!」
「左様で御座いますか、それではお言葉に甘えまして……」
見張りはようやく納得し、一礼すると去っていく。
ようやく誰もいなくなって、五郎狸は土蔵の中へ戻っていった。
ふっと溜息をつくと、隠れている時太郎に顔を向け、出し抜けに声を上げた。
「そこに隠れている者! 出てきなされ。居るのは判っているのだ」
時太郎は凝然と立ちすくんだ。
時太郎は、それが南蛮人ではないか、と思った。
襞飾りのある襟、身体にぴったりとした筒袖のような上着。足下は襦袢のような生地で、爪先の反り返った靴を履いていた。
やや前屈みの姿勢で、両目が明かりに反射して、猫の目のように光っている。
南蛮人の隣には五郎狸が控えていた。五郎狸は俯き加減に、じっと押し黙っている。
時太郎は南蛮人に惹きつけられていた。その姿から、とてつもない違和感が立ち昇っている。
こいつは、敵だ!
時太郎は全身で強く確信していた。なぜだか判らないが、その確信だけは時太郎の胸にずっしりと存在している。
おみつ御前が何か話している。
「それで、準備はどうなんだい? あたしは狸御殿の刑部狸の臆病さには腹が立っているんだよ。人間への攻撃の前に、まず狸御殿の連中を叩き潰してやりたいんだ!」
南蛮人がひそひそとした声で応える。
「準備はすでに、できております。例のものは、すぐにでも使えましょう。ただし、扱いには厳重な注意が必要です。これを使えば、あなた様は無敵の力を得ることになる……」
言葉を切ると、南蛮人はひっそりとした笑いを浮かべる。
おみつ御前は疑り深そうに鼻を鳴らした。
「あんたはそう言うが、あたしはまだその威力を目にしていないんだよ。本当にあんたの言う通りかどうか、まだ迷っている。で、今日こそ、そいつの威力ってやつと見せてくれるんだね?」
南蛮人は頷いた。
「勿論で御座いますとも……。それでは、こちらへ」
と、南蛮人は出口へ歩いていく。おみつ御前も後に続いた。
出口近くの見張りの狸は、二人が近づくとちょっと身じろぎをした。
出口近くには幾つもの箱が積み重なられている。南蛮人はその一つの箱の蓋を開けると、中から一本の棒を取り出した。
棒には細い紐が伸びていた。その棒をおみつ御前に見せて説明をはじめる。
「これは、極めて危険な代物です。しかし、戦場では無敵の武器となりましょう。使いかたは簡単です」
懐から燐寸を取り出し、近くの柱に擦りつけ、ぱちっと火を点ける。
その火を棒から伸びている紐に近づけると、紐はぱちぱちと音を立て燃え出した。
「素破、乱破などは目眩ましに火薬を使うそうですが、この威力はそれとは桁違いです。さあ、ご覧下さい!」
紐は半分ほどに短くなっている。
南蛮人は勢いをつけ、棒をやっとばかりに放り投げた。
棒はくるくると回りながら山の斜面を転がり落ちていく。
やがて、かなりの距離のところで止まった。ぱちぱちと紐からは、まだ煙が出ている。
その紐がすっかり燃え尽きた。
どかーん!
大音量が響き渡り、土塊があたりに飛び散った。もくもくという煙りが立ち込め、つんとする金臭い匂いが漂う。
すっかり煙が晴れると、その場の地面は大きく抉れ、丸い大穴が開いている。
見張りの狸はすっかり腰を抜かし、地面にへたりこんでいる。
おみつ御前は呆気に取られ、目をぽかんと見開いた。五郎狸は両耳を押さえ、目をしっかりと閉じて縮こまっていた。
「いかがかな? これを震天雷と名付けました。文字通り、天を震わす雷と申せましょう……」
その時ばかりは南蛮人は得意そうな表情を見せた。
「あ、ああ……驚いた。すごい威力だね」
やっとのことで、おみつ御前は声を絞り出した。しかし次の瞬間、狡猾そうな表情が浮かぶ。
「そうだね……これさえあれば、狸御殿の連中はおろか、人間たちだって、ひとたまりもないだろうよ! あたしゃ、これを使って、総ての国を征服できるんだ!」
おみつ御前は、くるりと南蛮人に向き直った。
「それで、これをと引き換えに、あんたは何を求めるつもりなんだい?」
南蛮人は首を振った。
「何も要求するつもりは御座いません。ただ、お約束して欲しいのは、この震天雷がわたくしの手から出たものであるということを隠して頂きたいのです。あくまで狸穴の狸たちが独自で発明した、ということで押し通して頂きたい」
おみつ御前は目を細める。
「判らないねえ。いったいどんな得があって、あんたはあたしらに肩入れするのか……。しかも、こんな武器を渡してくれて、見返りも要らないとは」
南蛮人は薄く笑った。
「さあ……何と申しましょうか、わたくしの趣味なのですよ。あなたのような方をお助けするのは。さて、これからの段取りについて詳細を打ち合わせておきたいのですが?」
「判ったよ! そういった積もる話はここではできない。あたしの屋形で打ち合わせよう。五郎狸、帰るよ!」
おみつ御前に呼ばれ、五郎狸は顔を上げた。
「あの御前さま、わたくしはここで仕事が残っておりますので、お話なら、お二人だけのほうが宜しいのでは?」
その言葉に、おみつ御前は頷いた。
「そうかい、それじゃ仕事があるっていうんなら、早く済ませるんだよ! あたしらは屋形へ帰っているからね!」
おみつ御前と南蛮人が連れ立って外へ出かけるのを確認すると、五郎狸は見張りに声をかけた。
「おい、ここはもうよいから、お前は帰っていなさい」
見張りは逡巡した。五郎狸は言葉を重ねる。
「次の交替まで、半刻ほどであろう? わしがここは見ているから、先に休みなさい。さあさあ、帰った帰った!」
「左様で御座いますか、それではお言葉に甘えまして……」
見張りはようやく納得し、一礼すると去っていく。
ようやく誰もいなくなって、五郎狸は土蔵の中へ戻っていった。
ふっと溜息をつくと、隠れている時太郎に顔を向け、出し抜けに声を上げた。
「そこに隠れている者! 出てきなされ。居るのは判っているのだ」
時太郎は凝然と立ちすくんだ。
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