蒸汽帝国~真鍮の乙女~

万卜人

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ロロ村

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 ミリィは叫んだ。
「じゃ、あたしも行く!」
「おっと、きみはおれと家へ帰るんだ。あのふたりが帰ってくる前に、食事の用意をしてやらないとね!」
 駆け出そうとするミリィをホルンは押しとどめた。ミリィはしかたなくうなずいた。
「わかった……おじさん」
 パックはふたりに手を振った。
「飯のしたく、たのむぜえ!」
 そう言うと家へあがりこむ。
 中ではメイサがぽっちゃりとした頬を真赤にそめ、ひたいに汗をうかせ働いていた。ニコラの姿はない。
「博士はどうしたの? 叔母さん」
「なんでも地下室が心配だって、下へ降りていったわよ」
 博士にとって研究がなにより優先するのである。パックは地下室への入り口にすわりこみ、階下をのぞきこんだ。地下室では、老人が床にたまった水をばしゃばしゃと掻き分け掻き分け、歩き回っている。地下室の機械の蓋をあけ、内部に鼻をつっこむようにしてなにやら点検し、ぶつぶつとなにかつぶやきながら開いたノートになにやら書き込んでいた。
 地下室のまんなかにはあの金属の人形……博士がマリアと名づけた……があいかわらずひっそりと横たわっていた。
 あんな騒ぎを引き起こしたとは思えないほど静かな寝姿である。
 あの時、たしかに彼女はパックを見た。そしてなにか言いかけた……。
 ぶるっと頭をふってパックはその考えをふりはらうとメイサに声をかける。
「おばさん、手伝うよ」
 あらまあ、とメイサは笑った。
「それじゃあ寝室だけでもなんとかしなくてはね」
 早足で二階へあがる。寝室は二階にあるのだ。パックはメイサについていった。
 寝室はそれほど被害はなかった。
 窓際にひとつ、ドアの近くにもうひとつ鉄製の簡素なベッドがならんでいる。それでも蒸気がこの部屋まで上がってきたせいか、ベッドの敷布はじっとりと湿っていた。メイサは敷布に手をかけ、眉をしかめた。
「まったくこれでは寝られないわね……まだ陽が高いから乾くでしょ」
 手早く敷布と毛布を畳むと、外へと運んでいく。パックも手伝って、何枚かの毛布を抱え、階下へおりた。
 と、パックは、ベッドの傍に置かれている、サイド・テーブル上の、写真立てに気づいた。
 写真立てに飾られているのは、ふたりの老人の姿である。
 ひとりはニコラ博士、そしてもうひとりは……やはりニコラ博士だった。というより、まったく同じ顔、姿のふたりの老人が写真に写っている。
 じつはニコラ博士は、双子の兄弟のひとりだったのだ。
 一緒に写っているのは、弟のテスラ博士なのである。ふたりの老人はおたがいの肩に腕をまわし、にこにこと笑みを浮かべ楽しそうである。この写真について、ニコラ博士にパックは尋ねたことがある。するとニコラ博士は肩をすくめ、説明した。
 弟のテスラ博士は、ニコラ博士と考え方が違い、ニコラ博士がロロ村に引っ込んで研究を続けることに反対だったらしい。以来、ふたりは袂を分かち、兄のニコラ博士はここロロ村で、弟のテスラ博士は都会で研究を続けている。ニコラ博士はテスラ博士のことを口を極めて罵った。
「あやつは研究費欲しさに、軍と手を結びおったのよ! そんなことでは自由な研究など、出来るわけないのにな……。いまに後悔することになろうて……」
「テスラ博士と会うことはないんですか?」
 パックの質問に、ニコラ博士は哀しそうに首をふった。
「ああ、ないだろうな。いまに大変なことになるぞ、と忠告はしたのじゃが……。軍と手を組んだらどういうことになるか、わしには判っておる。かならずがんじがらめになり、気がつくと首を締め付けている紐に気づくときがくるはずじゃよ」
 ふうん、とパックは思った。きっとニコラ博士は弟のテスラ博士をロロ村へ呼びたいのじゃないか、と考えた。
 
 パックとメイサのふたりは、家の前に物干しをだして、敷布と毛布をひろげ乾かした。まだ太陽は高く、敷布と毛布からは湯気がたっている。
 季節は夏だ。まだまだ昼の時間は長い。
 メイサとパックはもくもくと博士の家を片付けていった。
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