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第六回 大立ち回りの捕り物と、一つの手懸りの巻
一
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がらがらがら……と、小石混じりの街道を、車輪が騒々しい音を立てる。
俺たちは前方を走る源五郎の馬を、スクーターを使って追いかけていた。
江戸にスクーター? とはいえ、人力で走るスクーターである。足で地面を蹴り、勢いをつけて滑走する。キック・スクーターというやつだ。
もちろん、こちらの江戸ではキック・スクーターなどとは呼ばない。足蹴り木馬と呼んでいる。前後の車輪は木製で、直径一尺……三十センチはある。
前輪からは、梶をとるための横棒がついている。神田明神で、旗本奴と、臥煙たちが三輪の自転車に乗っていたが、こっちは歴とした二輪車だ。こんなものでも、慣れれば結構な速度が出る。
玄之介は最初「江戸に、このようなものが……」とぶつぶつ文句を垂れていたが、江戸のテクノロジーで充分、製作可能な乗り物なので、おおぴらに拒否はできない。
なにしろ、今から俺たちは、捕り物に向かうのだ。便利な道具は、あったほうが良いに決まっている!
捕縛する予定の《火祭りの豆蔵》一味は、渋谷に潜んでいるという情報を掴み、源五郎は勇躍、捕り物に向かったのだ。
浅草から渋谷へは、急いでも到着は夕暮れ近くになるだろう。現代日本なら、JRで三十分以内で到着できるが、こちらの江戸では、そんな便利な交通機関は存在しない。どこへ行くにも、歩くか、源五郎のように馬に乗るしかないのだ。俺たち《遊客》は、一端現実世界へ戻って、出現定点を利用すれば、一瞬で移動できる。しかし、極力、そのような手段はとらないのが、俺たち《遊客》のプライドでもある。
一味は、朱引きの外側に潜んでいるらしい。現代では、洒落た町並みが広がっているが、江戸の渋谷は、ほとんどが農地である。
案の定、俺たちが到着すると、辺りは夕暮れに沈んでいた。目の届く限り畑が広がり、あちこちに山林が点在している。
目の前を渋谷川が流れ、竹林が吹き渡る風にざわざわと葉擦れの音を立てている。
下馬した源五郎は、手近の篠竹を一本折り取ると、小枝を小柄で払い、指揮棒にした。床机が用意され、源五郎は指揮官らしく、どっかりと座り込む。
「あれを見よ!」
竹竿の先を、渋谷川の奥に静まり返っている森へ向ける。
森の木々の隙間から、農具置き場らしき、小屋が見えている。長年ずっと使われていないらしく、壁はすっかり歪み、屋根はやっと庇を保っている有様だ。
玄之介が、緊張した様子で、源五郎に囁いた。
「お頭、あれが一味の?」
源五郎は一声「うむ」と頷いたきり、黙っている。しばらく静寂が続いた。
さわさわと生い茂った草の間から、小柄な男がこちらへ向け、走ってくる。身を屈め、ほとんど這いずるような姿勢である。身格好から、源五郎の手先だろう。
男は源五郎の前へ、這いつくばるように蹲った。目が鋭く、顔色は日焼けして、真っ黒だ。年齢は四十を越しているように見えたが、江戸の町人は、俺たちから見ると、驚くほど老けるのが早いから、もしかしたら、三十代かもしれない。
源五郎は片方の眉をぐい、と持ち上げただけで、言葉短く「おるか?」と声を掛ける。手先は軽く頷き返した。
「そのようで……しかし、肝心の豆蔵は、留守にしているようでござんす」
源五郎は「ちっ!」と舌打ちした。手先は慌てて言い重ねた。
「やがて戻ります! どうやら、江戸に舞い戻った手下を迎えに出かけたようで……」
同心の一人が、ぐっと伸び上がり、源五郎に尋ねかける。
「お頭! 待ちますか?」
源五郎は頷いた。
「待つ! 肝心の豆蔵がいなければ、この捕り物は無意味じゃ! 皆の者、油断するでないぞ!」
「はっ!」とその場にいた与力、同心、手先たちが、小声で返事をする。
待機となり、俺は座りやすそうな草むらを探し、腰を降ろした。晶が隣にぺたんと、尻餅をつくように座り込む。
「あーあ、随分と走ったねえ。JRだったら、すぐなのに……」
ぶつぶつ文句を言いながら、伸ばした両足を撫で擦っている。
仮想空間でこのように、長時間の運動をすると、俺たち《遊客》でも疲労する。実際の運動をしたのと同じく、筋肉が疲労し、乳酸が溜まるのだ。
仮想空間から、現実へ帰還しても、この疲労は引き続き感じる。
そうでないと、俺たちは長時間に亘って仮想空間で過ごすので、筋肉が萎縮するのだ。それを予防するための仕組みである。
晶は、何か話がありそうだ。ちらちらと、俺の顔色を窺っている。俺は笑いかけた。
「お城で調べた、お前の兄の名前だろ? 確か、大工原激といったな?」
鎌を掛けると、勢い込んで頷いた。
「あった?」
俺は首を振った。それを見て、晶は見るも哀れなほど、失望を表情に表す。俺は慌てて否定した。
「いや、そういう意味じゃない! 肝心のデータが消去されていたんだ。いないとも、いるとも断言できないな」
晶は、キョトンとした表情になる。理解していないのだ。俺は説明してやった。
「だから、お前の兄が、こっちに来ているのか、いないのか、判断できないんだ。名前そのものが消されているから」
晶は唇を尖らせ、目を逸らした。
「そう……」
俺は身を乗り出し、晶を真っ直ぐ見詰めた。
「おい、そろそろ訳を聞かせてくれ。お前の兄なら、なぜ直に問い質せないんだ? 俺に頼むなど、まどろこしい真似をしなくとも、直に聞けばいいんじゃないのか?」
晶は「うん」と一つ頷いた。決意が高まっているようだ。
「それが、できないの……」
「現実世界で会えないのか? 行方不明とかなのか?」
晶は軽く首を振る。
「そうじゃない。兄貴は、ちゃんといるんだけど……その場所が……」
まだ、迷っているようだ。視線が落ち着きなく動く。やがて、大きく息を吸うと、俺に向き直った。
「病院に入院しているの! 植物状態で!」
俺たちは前方を走る源五郎の馬を、スクーターを使って追いかけていた。
江戸にスクーター? とはいえ、人力で走るスクーターである。足で地面を蹴り、勢いをつけて滑走する。キック・スクーターというやつだ。
もちろん、こちらの江戸ではキック・スクーターなどとは呼ばない。足蹴り木馬と呼んでいる。前後の車輪は木製で、直径一尺……三十センチはある。
前輪からは、梶をとるための横棒がついている。神田明神で、旗本奴と、臥煙たちが三輪の自転車に乗っていたが、こっちは歴とした二輪車だ。こんなものでも、慣れれば結構な速度が出る。
玄之介は最初「江戸に、このようなものが……」とぶつぶつ文句を垂れていたが、江戸のテクノロジーで充分、製作可能な乗り物なので、おおぴらに拒否はできない。
なにしろ、今から俺たちは、捕り物に向かうのだ。便利な道具は、あったほうが良いに決まっている!
捕縛する予定の《火祭りの豆蔵》一味は、渋谷に潜んでいるという情報を掴み、源五郎は勇躍、捕り物に向かったのだ。
浅草から渋谷へは、急いでも到着は夕暮れ近くになるだろう。現代日本なら、JRで三十分以内で到着できるが、こちらの江戸では、そんな便利な交通機関は存在しない。どこへ行くにも、歩くか、源五郎のように馬に乗るしかないのだ。俺たち《遊客》は、一端現実世界へ戻って、出現定点を利用すれば、一瞬で移動できる。しかし、極力、そのような手段はとらないのが、俺たち《遊客》のプライドでもある。
一味は、朱引きの外側に潜んでいるらしい。現代では、洒落た町並みが広がっているが、江戸の渋谷は、ほとんどが農地である。
案の定、俺たちが到着すると、辺りは夕暮れに沈んでいた。目の届く限り畑が広がり、あちこちに山林が点在している。
目の前を渋谷川が流れ、竹林が吹き渡る風にざわざわと葉擦れの音を立てている。
下馬した源五郎は、手近の篠竹を一本折り取ると、小枝を小柄で払い、指揮棒にした。床机が用意され、源五郎は指揮官らしく、どっかりと座り込む。
「あれを見よ!」
竹竿の先を、渋谷川の奥に静まり返っている森へ向ける。
森の木々の隙間から、農具置き場らしき、小屋が見えている。長年ずっと使われていないらしく、壁はすっかり歪み、屋根はやっと庇を保っている有様だ。
玄之介が、緊張した様子で、源五郎に囁いた。
「お頭、あれが一味の?」
源五郎は一声「うむ」と頷いたきり、黙っている。しばらく静寂が続いた。
さわさわと生い茂った草の間から、小柄な男がこちらへ向け、走ってくる。身を屈め、ほとんど這いずるような姿勢である。身格好から、源五郎の手先だろう。
男は源五郎の前へ、這いつくばるように蹲った。目が鋭く、顔色は日焼けして、真っ黒だ。年齢は四十を越しているように見えたが、江戸の町人は、俺たちから見ると、驚くほど老けるのが早いから、もしかしたら、三十代かもしれない。
源五郎は片方の眉をぐい、と持ち上げただけで、言葉短く「おるか?」と声を掛ける。手先は軽く頷き返した。
「そのようで……しかし、肝心の豆蔵は、留守にしているようでござんす」
源五郎は「ちっ!」と舌打ちした。手先は慌てて言い重ねた。
「やがて戻ります! どうやら、江戸に舞い戻った手下を迎えに出かけたようで……」
同心の一人が、ぐっと伸び上がり、源五郎に尋ねかける。
「お頭! 待ちますか?」
源五郎は頷いた。
「待つ! 肝心の豆蔵がいなければ、この捕り物は無意味じゃ! 皆の者、油断するでないぞ!」
「はっ!」とその場にいた与力、同心、手先たちが、小声で返事をする。
待機となり、俺は座りやすそうな草むらを探し、腰を降ろした。晶が隣にぺたんと、尻餅をつくように座り込む。
「あーあ、随分と走ったねえ。JRだったら、すぐなのに……」
ぶつぶつ文句を言いながら、伸ばした両足を撫で擦っている。
仮想空間でこのように、長時間の運動をすると、俺たち《遊客》でも疲労する。実際の運動をしたのと同じく、筋肉が疲労し、乳酸が溜まるのだ。
仮想空間から、現実へ帰還しても、この疲労は引き続き感じる。
そうでないと、俺たちは長時間に亘って仮想空間で過ごすので、筋肉が萎縮するのだ。それを予防するための仕組みである。
晶は、何か話がありそうだ。ちらちらと、俺の顔色を窺っている。俺は笑いかけた。
「お城で調べた、お前の兄の名前だろ? 確か、大工原激といったな?」
鎌を掛けると、勢い込んで頷いた。
「あった?」
俺は首を振った。それを見て、晶は見るも哀れなほど、失望を表情に表す。俺は慌てて否定した。
「いや、そういう意味じゃない! 肝心のデータが消去されていたんだ。いないとも、いるとも断言できないな」
晶は、キョトンとした表情になる。理解していないのだ。俺は説明してやった。
「だから、お前の兄が、こっちに来ているのか、いないのか、判断できないんだ。名前そのものが消されているから」
晶は唇を尖らせ、目を逸らした。
「そう……」
俺は身を乗り出し、晶を真っ直ぐ見詰めた。
「おい、そろそろ訳を聞かせてくれ。お前の兄なら、なぜ直に問い質せないんだ? 俺に頼むなど、まどろこしい真似をしなくとも、直に聞けばいいんじゃないのか?」
晶は「うん」と一つ頷いた。決意が高まっているようだ。
「それが、できないの……」
「現実世界で会えないのか? 行方不明とかなのか?」
晶は軽く首を振る。
「そうじゃない。兄貴は、ちゃんといるんだけど……その場所が……」
まだ、迷っているようだ。視線が落ち着きなく動く。やがて、大きく息を吸うと、俺に向き直った。
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