電脳遊客

万卜人

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第八回 老中荏子田多門の陰謀の巻

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 荏子田多門が《暗闇検校》なのか……。
 俺たちは江戸城を目指し、人力車に揺られながら急いでいた。がらがらという、車輪の音が暮れなずむ空に響いている。
 あらゆる事実が符合している。
 まず荏子田多門は江戸創立メンバーの《遊客》であるという事実。もし多門が《暗闇検校》ならば、最初に俺を殺した時、俺が脱出できないよう結界を作り出すのも、《遊客》の情報を消去する工作も簡単にできる。
 弁天丸に強烈な暗示を掛け、俺の尋問に耐えさせたのも、多門がそうしたと考えれば、頷ける。弁天丸に《遊客》と同じ能力を付与させたのも、多門だったら可能だろう。どうやったかは、まだ判らないが。
 総ての手懸りが、荏子田多門が《暗闇検校》であると指し示している。だが、未だ俺は完全にそうだと承服してはいない。
 判らないのは動機だ。
 なぜだ! なぜ、なぜ、なぜ!
 疑問だけが、どっしりと、俺の頭の上に十億トンもの重石となって圧し掛かっている。
 江戸市中に入って、すぐに、わあわあという喚声が聞こえてきた。ばたばたという慌しい足音に、きいーん、ちゃりーんという金属が打ち合う甲高い音が混じる。
「逃がすな! 裏道を塞げ!」「敵は人質を取って、閉じ籠もったぞ!」「梯子を持ってこい!」「明かりは無いのか?」
 大勢の声が聞こえてくる。
 人力車から降りると、目の前を騎馬の将が通り過ぎる。兜を被り、刺し子の上着を羽織り、手には長大な十手を握っている。
 火付盗賊改方頭、酒巻源五郎の勇姿だった。
「源五郎! 何の騒ぎだっ?」
 俺が叫ぶと、源五郎はくるっと首だけ回して、俺に目を止めた。表情は険しく、全身から闘気が溢れている。一瞬、源五郎の表情が緩んだ。
「二郎三郎! 間の悪い時に……いや、間の良い時に居合わせたものじゃな……。知っておろう? お上が、江戸に潜伏する総ての悪党の捕縛を決定されたのじゃ! 我ら火盗改と、南北合わせての町奉行与力、同心が手を組んで、掃討作戦を展開中じゃ! 手が足りぬ! お主にも、手伝って貰おうぞ!」
 がらがらっ、と車輪の音がして、同心が暗闇から飛び出して来た。足蹴り木馬に跨っている。源五郎の前に膝をつくと、さっと顔を上げ、言上する。眉がきりりと上がっていた。
「お頭! 手強い悪党一味が、商家に立て篭もり、多数の人質を取っております! 手先の者どもを控えさせ、見張っておりますが、いつ犠牲が出るか、判りませぬ!」
 源五郎は「あい判った!」と短く叫び返し、馬首を返して馬腹を蹴った。
 馬は声高く嘶くと、棹立ちになる。それを源五郎は手綱を引いて制すると、全速力で駈けて行く。同心は、慌てて足蹴り木馬を引き寄せ、とんとんと足で地面を蹴り上げ、追い掛けて行く。
 微かに焦げ臭い匂いがして、顔を上げると、夜空に赤々と炎が立ち上っていた。
「火付けだーっ! 火事だーっ!」
 悲鳴が上がった。
 また車輪の音。今度は三輪車である。乗っているのは、火消しである。しかも、二人乗りで、後ろに乗っている奴は、手に纏を握っていた。
「火事だ、火事だーいっ! どけ、どけえーっ!」
 興奮に顔はてらてらと輝き、両目はくわっと見開かれている。三輪車に跨った火消しの一団は、火事現場を目掛けて一散に駈けて行く。手には消火用具である鉤手や、打ち壊し用の大木槌を持っている。
 恐らく、悪党の連中が、騒ぎを大きくさせるため、放火したのだろう。
 向こうから避難するためだろう、町人たちがありったけの荷物を肩に担ぎ上げ、あるいは大八車に満載して、通りを走ってくる。
 煙が充満している。放火したのは、一箇所だけではなかった! あちこちから火の手が上がり、ぱちぱちという火が爆ぜる音が聞こえてくる。
「ど、どうするんだよ! あちしたち、どこへ行けばいいんだいっ!」
 吉弥がおろおろと立ち竦んで叫んだ。
 俺はぐっと夜空を見上げる。全員、俺の視線の先を追った。
「あそこ?」
 晶がぽつりと呟く。俺は力強く頷いた。
「そうだ、江戸城以外、俺たちの目指す場所は無いっ!」
 夜空に、江戸城の天守閣が黒々と聳えていた。
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