愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~

日蔭 スミレ

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第肆章

第32話 夕闇の門開く命の約束

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 時の経過は存外早かった。
 藤夜は時折、体調を気遣い、声をかけてくれたが、あれまでの不調が嘘のように季音は調子が良かった。

 そうして三日目……夕暮れ時を迎える頃、約束通りに龍志が迎えにやってきた。
 装いはいつも通りの鉄紺てっこんの作務衣――それに手ぬぐいを頭に巻き、まるで農作業のような軽装だった。傍らには蘢と朧、そしてタキも連れていた。

「少し顔色が良くなったな」

 季音だとすぐに理解できたのだろう。龍志は近づくなり、普段通りの態度で季音の髪を掬うように撫で、僅かに笑んだ。

 黒曜石のような瞳に宿る力強い精気は戻りつつあった。だが、髪を撫でる手は依然として白く、血の気が足りないのが目に見えて分かった。

 自分の意思ではない。まして、表に出れば正気を保てなくなる藤夜の意思でもない。それでも自分のしたことに変わりはなく、罪深く思えた。
 季音はその手を握りしめ、深く頭を垂れる。

「こうして健常なのは……龍志様の精気のお陰です。どう謝ればよいか分からないです。ただ、私の中にいる藤夜様から〝本当の話〟を色々と聞きました。その上で、私と藤夜様からどうしても龍志様に依頼したいことがあるのです」

 毅然として季音は告げる。思いかげない言葉だったのだろう。

「依頼……?」
 龍志は、目を大きく開く。

「まず先に、藤夜様のことをお話します。私の中にいる神様――藤夜様は、表に出ない限り荒魂あらみたまの干渉を受けず、正気でいられます」

 ――心の中にある四季折々の花が咲き乱れる不思議な庭、〝魂の宿る場所〟に彼女はいること。彼女の存在を初めて知ったのは蛍狩りに出かけた梅雨の日だったこと。そこにいる彼女は常に正気なこと。
 彼女の恨みや今の気持ち……それら全てを、季音は龍志に語った。

「それで……依頼というのは、藤夜をお前の身体から引き剥がせということか? しかし、取り憑いておきながら、いきなり素直に出たいなど……」

 龍志は首を傾け、怪訝けげんな視線を季音に向けた。
 裏があると言いたいのだろう。それは言わずとも季音には分かった。

「……私も初めは疑いました。こんなことを言っている私を洗脳されていると思われても仕方ないと思います。ですが、これには私の急激な体調不良が大きく関係しています……それは、私が龍志様の子を宿したからです」

 ぽつりと季音が事実を告げた瞬間、龍志は切れ長の瞳を限界まで開き、硬直してしまった。

「先程言った魂の宿る庭で、私……龍志様にそっくりな色彩を持つ稚児に会って知りました。男の子です。自分でも信じ難いですが、確かにここにいます」

 季音はまだ膨らまない腹を摩り、微笑んだ。
 それを聞いていた蘢も朧も硬直していた。だが、タキだけは目を細め、龍志をじっと睨んでいた。

「それは……まことか?」

 幾拍か置いて、龍志はようやく言葉を発した。驚きが丹精な顔に貼りついたままだった。
 季音はただ黙って頷く。

「まことか?」

 復唱する彼に、季音は頷いた後、緩やかに唇を開いた。

「はい、まことです。藤夜様も言った言葉ですが、奇跡としか言いようありません……私は今、この身体に三つの魂を宿しています。この三つ目の魂が、育ち始めた途端に大きな負荷となり、藤夜様の力だけでは生命活動に支障を来すほど健常を保てなくなりました。その結果、藤夜様が龍志様の精気を奪ったそうです」

 この奇跡により、藤夜の恨みはどうでも良くなったと――だが、命日となる日に取り憑いたことが大問題だった。
 藤夜が抜ければ、身体は持たないと。季音は藤夜の話したこと全てを龍志に告げた。

 果たして、それを信じてくれるか……依頼を受けてくれるか、不安だった。間違いなく、前代未聞の依頼だろう。

 だが、瞬く間にふわりと包まれる感触に、季音は目をみはる。

 抱き寄せられた――その瞬間、深い安堵が胸を満たし、自然と涙が滲む。そう、これだけで彼は信じてくれると、そう分かったから。

「……承知した。だが、俺の意思を少し聞いてくれるか?」
「はい、何なりと……」

 大丈夫だと分かっていても、僅かな不安が残った。
 季音は顔を上げ、龍志を見上げた。彼は季音の肩を両手を置いて、毅然と向き合う。

「夫である俺の思い……そして父としての思いは、お前を必ず生かしたい。この子を必ず産んでもらいたいと。だが、依頼にはお代が必須だ」
「お代?」

 依頼料のことだろう。働かせるには対価が必要――彼の格言を思い出し、季音は不安げに龍志を見上げると、彼は肩に触れる手の力を少し強めた。

「……まず藤夜の支払い分は〝永久〟をかけてもらう。贖罪だ。社に戻り、神として黒羽を永久に見守ってもらう。そしてお前への依頼料は……生涯俺を愛し、俺に愛され続け、母になる覚悟だ」

 ――払えるな? と告げると、彼は懐から呪符を数枚取り出した。それと同時に『安いもんだね』と藤夜の艶やかな声が響く。
 藤夜が合意したことを伝えると、彼は深く頷き、やんわりと微笑んだ。
 
「それとな。お前には命を懸けるほど大事に想う友がいることを忘れるな」

 龍志は傍らに佇む蘢、朧、そしてタキに視線を送った。

「――滝壺から這い上がる龍の如く、鮮烈なる新月の娘、〝タキ〟――彼女は俺の三番目の式となり、神通力の加護を授けた」
「おタキちゃん……?」

 ふざけ半分に式への勧誘をされていたのは知っていたが、誇り高き彼女が使役下になるとは思わなかった。

 季音は目をみはり、〝瀧〟を見た。彼女は「そういうことだ」と鼻を鳴らして、恥ずかしげに笑う。

「どうして……」
「どうしてもこうしてもねぇだろ。あと、お前、忘れ物だ」

 タキは懐から枯れ葉色の袱紗ふくさに包まれた何かを取り出し、季音に手渡した。開けば、自分がいつも肌身離さず大切にしていた藤の簪で──

 彼の血に濡れたものを放り投げたはずなのに、血の染みも香りもなく、以前以上の輝きを取り戻していた。まるでぴかぴかに磨かれたように。

「お瀧ちゃん、これ……」

 季音が目を丸くしてタキにけば、彼女は呆れた視線を向ける。

「馬鹿。大事なもんだろ? 置いてくんじゃねぇよ。あと、おれは自分の主がまだいけ好かない。だけどな、お前がこいつであの野郎を滅多刺しにしてくれて清々して式神になったようなもんだ。気負ってるようだが、あいつは妖並かそれ以上に頑丈だから心配するな」

 彼女は冗談交じりに言うが、その瞳の底にあるものは、揺るがない温かさがあり、真摯だった。片や、龍志はなんとも言えぬ苦い表情を浮かべている。

「……まぁ、そういうことだ。ついでに、おれの親友で居続けることを誓え。こいつらの隣人であり友であることを誓え」

 瀧は季音の髪をくしゃりと撫でた。

 心がいっぱいだった。とてつもなく幸せに思えた――季音は三匹に深々と頭を垂れた。鼻の奥がツンと熱くなり、まなじりから涙が溢れた。それはポタリと下駄と地面を濡らす。

「勿論です。龍志様の約束もお瀧ちゃんの約束も守ることを誓います。皆さんがいてくれたこと、巡り会えた縁、幸せでした。私にとって何よりの宝物だわ……」

 季音は涙を拭い、今一度彼らに視線を送った。蘢も朧も瀧も……誰もが穏やかな顔を向けていた。

「季音。お前の身体から、藤夜を引き剥がすのは簡単にできると踏んでいる。だが、お前の本当の勝負は藤夜が抜けてからだ。子のため、友のために生きることを必ず諦めないと誓え」
「ええ、勿論です」

 龍志の言葉に季音は力強く頷いた。
 
「……そろそろ始めるぞ」そう言って、彼は数歩下がり、祝詞のような荘厳な言の葉を詠唱する。夕暮れの藍色の世界に、白銀の糸のような結界が張り巡らされ、それは季音を優しく囲う。

「さて、そろそろ藤夜に変わってもらおう……」

 彼の言葉に促され、季音は穏やかに藤夜に呼びかけた。
 すると、視界は白に染まり、朱塗りの門が開き、季音は迷わず門をくぐる。

「さぁて、行ってくるわ。お前はしばし四阿あずまやで自分の子を見ていてくれ」

 すれ違いざま、藤夜は季音の肩を叩いて笑んだ。
 生きることに執着しろ、諦めるな――そう付け加え、彼女は振り向かず、光溢れる門の向こうに歩んでいった。

 ※※※

 視界がはっきりすると、そこは地獄のような景色が広がっていた。ツンと鼻につく硫黄の匂い。夕闇の仄暗い空間に湯煙が漂っていた。

 目の前に佇み呪いを詠うのは、かつて自分に神の座を押しつけた男に憎たらしいほど似た男だった。しかと見ても、愛憎は薄れていた。だが、荒魂あらみたまの影響が襲いかかり、藤夜は己の瘴気に吐き気を催した。

「のぅ、成功する保証はあるのか?」

 それだけ告げると、白銀の結界を隔てた向こうの男はほくそ笑んだ。そんな顔も本当によく似ていて、憎たらしいを通り越し、呆れさえ感じた。

「馬鹿言え、俺を誰だと思ってる。その依頼、その身体の持ち主のために命を懸けて必ず成功させてやる。お前はせいぜい積年の恨みをぶつけてこい。そして後は社で悔い改めろ」

 ――藤夜。と、まことの名を呼んで、彼はまたも憎たらしい笑みを見せた。
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