呪われし復讐の王女は末永く幸せに闇堕ちします~毒花の王女は翳りに咲く~

日蔭 スミレ

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Chapter2

第12話 血の臭いに凍える心

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 ──リーヌに連れられ、城の中に戻ると、酷い騒動が起きていた。「何が起きたか」「無事だったか」と、使用人たちがリーヌに問い詰めるが、彼女はそれを遮り、無言のままベルティーナを部屋まで連れていった。

 部屋につくなり、先に戻って茶の支度をしていた双子の侍女たちはぎょっとした表情で出迎えた。

「ベル様! この騒ぎは何ですの!」
「ハンナはどうしたのです!」

 双子は次々に捲し立てるが、ベルティーナは言葉が出せなかった。
 ……魔に墜ちたのだと思う、と伝えようとするが、頭が混乱するばかりで言葉が出てこない。すると、リーヌが代わりにハンナが魔に墜ちた事実を伝え、二人に退席するよう言った。

「ベル様、まずは落ち着いて聞いてください。ただの人が魔に墜ちると、まずは理性を失います。それで理性を取り戻す者もいれば、そうでない者もいます。ミランは彼女に頭を冷やしてもらうために真っ正面から対峙しています」

 双子が去ると、リーヌは緩やかに語り始めた。

「理性が戻らなければ彼女はどうなるの……」

 思ったままをくと、彼女は首を振るばかりで何も答えなかった。
 ただそれだけで、嫌に胸の奥が痛くなった。これまで感じたことのない途方もない焦燥が暴れ回り、苛立ったベルティーナは彼女を睨み据えた。

「──っ! どうなるのと聞いてるのよ!」

 荒々しく言い放つと、リーヌは眉根を寄せて瞑目めいもくする。

「……この世界に祝福されなかったと見なされ、僕たちの手で葬ります」

 一拍置いて、彼女が区切り区切りに出した答えに、ベルティーナは目をみはった。

 ──葬る……つまり殺すのだと。

 それを理解すると、たちまち指先が冷たくなり、ベルティーナは身を震わせた。
 次第に身体が重くなり、崩れ落ちそうになる。だが、それをリーヌに抱き留められ、ソファに座るよう促された。

「そうならないように祈るしかないです。ですが、彼女の心を……今対峙しているミランをどうか信じてあげてください」

 そう言って、隣に腰掛けたリーヌは宥めるようにベルティーナの背を撫でた。
 他人に触れられることを極度に嫌がるベルティーナではあるが、リーヌに背を撫でられて幾分か心は落ち着いた。
 そうして、どれほど時間が経過したのだろう……。
 そもそも、自分がいつ頃に部屋に戻ったかも覚えていないもので、柱時計に視線を向けると、針は午前二時を示していた。

「……もう大丈夫よ」

 ベルティーナがリーヌに言うと、彼女はすぐに手を引っ込めた。

 しかしながら、本当に綺麗な手だと思った。
 その所作まで美しく、なぜに男装なんてしているのかと思えてしまうほど……。その視線に気づいたのか、リーヌは少しばかり居心地悪そうにベルティーナを一瞥した。

「まだ顔色が優れませんね……」
「あんな場面に出くわして、そんな話を聞けば当然よ……」

 ……それに、魔に墜ちることがあんな唐突で苦しみを伴うと思いもしなかったのだ。それも間近で目の当たりにしてしまったもので……。

 ベルティーナはハンナの言葉を一つずつ思い出し、こめかみを揉んだ。
 ハンナは魔に墜ちる寸前に「助けて」と、言っただろう。

 ──翳りの国に来て良かった。仕えることができて良かった、と、彼女は寝言のようなことを言っていたが……あんな苦しみを味わわせれば、そうさせた因果である自分を恨むだろうと、不穏がざわめいた。

 しかし、自分だっていつかは魔に墜ちるもので……。

 ああなることは不可避である。それに、この世界の夜に祝福されず理性が戻らなければ葬られるのだ。そう思うと、ベルティーナは途方もない不安を覚え、目頭を押さえた。

「きっと大丈夫です。必ず、ミランがどうにかします。あいつは不器用で口下手ですけど、強いです。それに、責任感が強くて心優しい奴です。それに彼女だって、ベル様のことを大事に思っていることでしょうから、きっと理性を取り戻します」

 宥めるように優しく言われ、ベルティーナは無言のまま頷いた。

 ……しかし、今更ながらリーヌと二人きりは妙に気まずく、ベルティーナは思った。
 そもそも、まともに会うのも二度目だ。
 あの日は自己紹介のみで、会話をろくに交わさなかった。それで、いきなりこの距離感は近すぎるとベルティーナは思う。

 思えば、今日……彼女はミランと一緒にやってきた。
 ハンナのことにも気がかりだが、妙に彼とリーヌの関係性が気になってしまい、ベルティーナはため息をこぼした。
 仕事も一緒かと疑問が浮かぶ。それに、恋人であったとしても、身分の高いミランを敬称もつけずに呼ぶことにもやはり違和感を覚えるものだった。

「リーヌ。ところで貴女……ミラン王子とはどのようなご関係?」

 思ったままをベルティーナがぽつりと漏らすと、彼女はすぐに首を傾げた。

「生まれたときからの幼馴染ですよ? 立場的には主と近侍きんじですが」

 彼女は極めて平坦な調子であっさりと告げた。
 しかし、その関係性を聞くと、確かに近しい存在とよく分かる。

 近侍きんじは侍女と同じだ。主に主の身の回りの世話をこなす男性を示す。だが、なぜに彼女は「侍女」と言わず「近侍きんじ」と答えたのだろうと疑問が浮かぶ。

 ──ドレスを纏わず、男性の履く下衣を着用している姿は、初対面のときから異質に思っていた。だが、脚を出したくないなり何かしら事情があるのだろうとも窺える。あるいは……身体が女であっても、心は男であるとも……。

 彼女が男性の使う一人称を使うことや、紳士的な立ち振る舞いをする様子から、この節は濃厚にも思える。だが、それで恋人だとすれば、なおさら関係が複雑だ。考えれば考えるほどに胸が妙に疼くもので、ベルティーナはこめかみを押さえつつ一つため息をついた。

「そう……本当に仲が睦まじそうに思うから聞いたのよ」
「僕の母はこの城の使用人です。主に調理場を取り仕切っています。なので、本当に子どもの頃からの腐れ縁みたいなもので……」

 ──とは言え、僕の方が彼より少しだけ年下で、なんて付け加えて、彼女は気の抜けた笑みをこぼした途端に叩扉《こうひ》が響いた。

 ベルティーナはすぐに立とうとしたが、リーヌは丁寧な所作でそれを遮った。

「僕が出ます」

 気遣ってくれているのだろう。それは分かるが、自分の部屋だ。ベルティーナは先に立ったリーヌの後をついて扉に向かった。
 そうして彼女が扉を開いた途端、むせ返るほどの血の臭いが漂った。
 その臭いを発する正体……それを見て、ベルティーナの思考は止まった。

 そこにはミランがいた。まるで濡れたカラスのよう。真っ黒な装いはべったりと血で汚れており、彼の顔や手には赤黒い血液が付着していたのだ。
 それが自分の血か返り血かは分からない。しかし、それだけで激闘を物語るもので、顔を青ざめたベルティーナは手で口を覆った。

「ミラン……その血はまさか」

 リーヌは震えた声で言う。それだけで嫌な予感がした。なにしろ、ミランは戻ってきたものの、ハンナはいないのだから。
 再び指先まで凍えるように冷える感触がして、ベルティーナはたちまち背を震わせた。しかし、ミランは「何が?」とでも言わんばかりに、不思議そうに首を傾げるもので──

「……これ、俺の血。安心しろよ」

 そう言うなり、部屋に踏み入り、ベルティーナに近づいた。

「ベルの連れてきた侍女は、使用人たちの部屋に運んどいた。今、双子の猫や他の使用人たちが見ている。もう大丈夫。そのうち目を覚ますとは思う」
「……そうなのね。よかった」

 ……ハンナが無事。それを知って、ベルティーナは胸を撫で下ろしたが、気の抜けたあまり身体の力が抜けそうになってしまう。ベルティーナがふらりとよろめけば、ミランに背を支えられた。

「無理はするな、ベルもちゃんと休め」

 優しく言われ、ベルティーナは素直に礼を言う──その途端だった。

「それでミラン。その怪我は……随分と苦戦したのか? それとベル様に血が付着する。離れた方がいい」

 リーヌが少しばかり辛辣に言うと、ミランはすっとベルティーナに触れていた手を離した。

「ああ、これな。相手は元人間の雌だし、俺まで本来の姿で対峙するのはどうかと思ったから。後天性とは言え、狼相手にナメたことしたかもだけど……その。それで、すげぇ噛みつかれただけで……」

 ──結構痛い、と、ばつが悪そうに言うと、ミランは再びベルティーナを一瞥した。

「……と、そういうわけだ。俺はもう部屋に戻る。侍女の件は大丈夫。ベルも安心してもうゆっくり休んでくれ。双子の猫、呼んでおくか?」
「いいえ。休むにしたって、入浴を済ませてからよ。先に湯船に湯も張ってくれているし困らないわ……それより」

 こうも血をだらだらと流す相手を目の前にすると、そちらの方に気が向いてしまう。
 ベルティーナはふらつく足で、急ぎ奥に設置された棚へ向かった。

 ──消毒液と傷薬くらいは持ってきていたはず。
 それらを慌てて探し、持ち出して戻ると、彼はきょとんとした顔でベルティーナを見下ろした。

「……ベル、それ何?」
「消毒液と傷薬よ。処置するわ」

 そっけなく告げると、彼は目を細めて、ベルティーナが両手に持つ薬品を交互に見た。

「いらない。染みるの嫌だし……この程度で大袈裟。舐めときゃ直る。報告したらすぐに部屋に戻りたかったし」

  彼の言った言葉に、ベルティーナは呆れてしまった。

「今更だけど貴方、歳はいくつ?」
「もうすぐ二十になる……」
「そう。私よりも二つも年上だし、いい大人ね……染みるのが嫌なんて、子どもみたいなことを言わないでほしいわ」

 ベルティーナはため息混じりに言うが、彼は首を振ってさらに目を細めた。

「いらない。だから大袈裟。処置をしてもらうにしても、リーヌにやってもらった方がいい」

 ──こんなのベルに任せられない、なんて付け加えて、ミランはベルティーナに目もくれずに言い放った。

 それを聞いて、ベルティーナは心の中で唖然とした。だが、これで確信に変わったのだ。自分は微塵も信用されていない。やはり望まぬ婚約者なのだと。そして、引き合いに出したリーヌこそが彼の本当に愛する相手だと……。

 それに、リーヌだって、よろけた自分を支えたミランに対して「離れろ」と言っただろう。血で汚れるとは表向き。本当の意味では、嫉妬していたようにさえ今更ながら窺えてしまう。

「そう。じゃあリーヌにしてもらってちょうだい」

 心の動揺を悟られぬよう、ベルティーナは丁寧な所作でリーヌに消毒薬と傷薬を手渡した。
 そうして間もなく、二人は夫婦の部屋の通路を歩んでミランの自室へと行った。

(これで、もう本当に分かったわ。あの人とリーヌは恋仲で……)

 その背中を見つめ、ベルティーナは一つため息をこぼした。
 思い返せば、そう言われたことは当然のことのように思う。どちらか選べと言ったら、思い人に処置してもらった方が嬉しいだろうと思う。

 けれど、あそこまできっぱりと言われたことは衝撃だった。
 ベルティーナは浮かぬ顔のまま、二人の消えた通路を見つめ、また一つ深い息をつく。

(私は、どうしてこの国に来たのかしら)

 心の中でぽつりと独りごちて、ベルティーナはうなだれるようにソファに腰掛けた。

「復讐」という理由は後からできたもの。
 そもそも目的は、決められた婚姻を果たすことだった……。腹の中になんとも言えぬ不快が渦巻き、ベルティーナは唇を噛んだ。

 結婚がいかなるものか、本の中の知識で知っていた。
 愛する男女が結ばれるもの。そう書かれていたが、政略結婚で想いを通い合い、幸せになった物語もたくさん読んだことがある。
 だから、たとえ定められた婚姻であれ、忌まれた自分の存在を認められ、この世界で孤独ではなく少しでも幸せになれたら……と、期待していたことを改めて悟り、ベルティーナは俯いた。

 しかし、彼は自分のことなど眼中にない。それどころか、明らかに拒むようなことを言ったのだ。

(……だから私は、動揺した。そして、少しだけ……傷ついた)

 そう悟った途端、ベルティーナのアイスブルーの瞳はわずかに潤んだ。

(何を期待していたのよ。馬鹿みたいじゃない……)

 ソファにもたれたベルティーナは、熱を持ち始めた瞼をきつく閉ざした。

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