呪われし復讐の王女は末永く幸せに闇堕ちします~毒花の王女は翳りに咲く~

日蔭 スミレ

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Chapter2

第13話 響く拒絶の叫び、涙に揺れるアイスブルーの瞳

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 その日の明け方、ミランは部屋を訪れなかった。否、その次もその翌日も彼が来ることはなかった。
 少しばかり気がかりには思う。だが、あの怪我だ。治癒に専念しているのだろうと思えて、ベルティーナは彼の状態を双子の侍女にかなかった。

 それに、四日も経過しようとしているにもかかわらず、ハンナはまだ眠ったまま。目を覚ましたという知らせもなく、あらゆる点でベルティーナは気が気ではなかった。

 それに、あの日の翌日から雨が続いているもので、ベルティーナは庭園に行っていない。
 やることと言えば、読書に費やすくらいで、他に特にやることがなく暇を持て余していた。

 ベルティーナはお気に入りの薬草学の本を閉じ、窓の外で降りしきる夜雨を眺めて、随分と長いため息をこぼした。

「ベル様、本当にあれから元気がないです。大丈夫です? イーリスは心配ですよ」

 そう言って、イーリスはハーブティーを並々と注いだカップを置き、心配そうにベルティーナを見つめた。

「ハンナはじきに目を覚ましますよ。大丈夫です、すぐに戻ってきますって。それまではロートスとイーリス二人でしっかりベル様にお仕えいたしますから」

 一方、ロートスは焼き菓子の乗った皿を置き、イーリスとまったく同じ表情を貼り付けて、ベルティーナを見つめていた。

「別に大丈夫よ、ありがとう」

 そっけなく言って、ベルティーナはカップを手に取り、ハーブティーを口に含んだ。
 今日のお茶はレモンバームとローズマリーを掛け合わせたものだろう。レモンによく似た爽やかな香りの中に、ほろ苦くも華やかな香りがした。
 素直に美味しいとは思う。それでもなかなか気が晴れないもので、ベルティーナはカップを置くと、深いため息をこぼした。

 ***

 それから数時間後──部屋で一人、夕食を取り終え、ベルティーナが食後の紅茶を飲んでいる最中、慌てた叩扉こうひが響いた。

 給仕をしていた双子が出たところ、リーヌが立っていた。
 何やら、ハンナがようやく目を覚ましたようで……ベルティーナはすぐに彼女に連れられ、下層にある使用人室へと向かった。

 しかしながら、リーヌと二人きりはやはり胸が詰まる。
 別に彼女は何も悪くない。それどころか、理性を失ったハンナから守るために城まで逃がしてくれたもので、恩さえ深い。
 だがそれでも、あのときのミランの言葉を思い出してしまうもので、ベルティーナは彼女と会話を交わすこともなく、その後ろ姿だけ眺めていた。

「さて、着きました」

 紳士的な所作で、彼女はベルティーナを先に昇降機から下ろすと、再び先導した。
 それから、深紅のカーペットが伸びる廊下を歩むこと間もなく。一つの部屋の前でリーヌは立ち止まった。

「起きていると思います。昇降機の起動に困るでしょうから、お時間を伺ってまた参ります」

 そうしてリーヌは紳士的な礼をした後、足早にその場を立ち去った。
 リーヌが立ち去った後、ベルティーナは恐る恐る叩扉こうひした。すると、すぐに扉の向こうからハンナの朗らかな声が響いた。

 ……ハンナとはあれっきり会っていない。

 あのとき、助けを求める彼女に自分は何もできなかった。そもそも、魔に墜ちることに腹を括っていたとはいえ、自分についてきたから彼女はこうなったのだ。
 会って、拒絶されても仕方ないだろうとは思う。ベルティーナは扉を開けることもできず、立ち尽くしたままでいたが……。

 途端にきぃと扉が開き、ベルティーナは目をみはった。

「ベルティーナ様」

 ハンナは目を丸くして、ベルティーナを澄んだ黄金きんの瞳で見下ろした。

 ……確か、彼女の瞳はヘーゼルだったはず。そんな風に思うが、ふと視線を上げると、彼女の頭にはピンと立つ獣の耳と、ふわふわとした尾が背後にあった。

「入ってください、ベルティーナ様」

 優しい笑みを浮かべたハンナは、ベルティーナに中に入るよう促すと、部屋の扉を閉めた。

 使用人の部屋は自分に宛てられた部屋とは比べようもないほど質素だった。だが、黒を基調とした部屋は変わらず、調度品は豪奢ではないものの、気品のあるものだった。
 そうして、ベルティーナはソファに座るよう促され、ハンナはベッドに腰掛けた。

「調子はどうかしら……」

 視線も向けられず、ベルティーナがくと、「お陰様で」と彼女は少し嬉しそうに言った。

 しかし、予想外の反応である。拒絶されるかと思ったが、以前と何ら変わらぬ調子で、彼女はベルティーナに優しい視線を向けていたのだから……。

「その……ごめんなさい。あのとき、貴女が助けを求めたにもかかわらず、私は……」

 ──何もできなかった、とベルティーナが心の内を打ち明けると、彼女はすぐに首を振った。

「突然でしたし、あんなのどうにもなりませんよ」
「そうは言っても……」

 ベルティーナは言い淀む。するとハンナは、ほぅと一つため息をこぼした。

「なんだかベルティーナ様がそんな調子だと、私まで調子が狂うので、いつも通りの高慢な感じでいてくださいよ」

 そう言われて、ベルティーナがハンナの方を向くと、彼女はにこりと笑んでいた。
 高慢……そんな態度だっただろうか? そっけなくて、反応が薄い自覚は大いにあるが……。

「私、そんなに高慢かしら?」
たとえですよ。実際そうでもないでしょうけど、喋り方のせいでしょうかね?」
「……貴女、随分と言うようになったわね」

 目を細めてベルティーナが言うと、「そういうところですよ」と彼女が笑むものだから、なんだか無性に恥ずかしくなり、ベルティーナは紅潮してしまった。

「ベルティーナ様、本当に表情が豊かになりましたね」

 そんな風にまたハンナにからかわれて、ベルティーナは彼女を睨んだ。

 ……確かに、そうだろうとは思う。他人と関わるようになって、少しばかり自分が変わった自覚はあった。しかし、それが良いことか悪いことかは分からない。
 いよいよ反応に困り黙ってしまうが、仕切り直すように「そういえば……」と、ハンナが切り出した。

「何より、私が魔に墜ちたことでミラン様が大きな怪我を負ったようで……。リーヌ様が訪れたときにそれを聞き、彼も気にしていないから気に病むなとは聞きましたが」
「そうね。かなりの大怪我だったわ。だけど、その件はミラン王子はまったく気にしていない様子だったわ。だから貴女は気に病まなくて良いと思うわ。理性もなかったんですもの。どうすることもできなかったでしょう」

 そっけなく淡々とベルティーナは言葉を並べると、彼女は黙って頷いた。
 そうして、ハンナといくらか他愛もない会話をした後、ベルティーナは彼女の部屋から出た。確か、リーヌが待機していると言っていたが……。

「……面会、もういいのか?」

 ハンナの部屋の前で待っていた者はリーヌではなくミランだった。久しぶりに彼を見ただろう。ベルティーナはミランを見るなり息を飲む。

 すっかり傷の状態も良いのだろう。肘まで露出した腕の傷はすでに塞がってはいるが、まだ痛々しい赤いミミズ腫れが走っていた。それでも彼がこの時間に城にいるということは、数日仕事とやらを休んでいたと思われる。

「リーヌは?」
「そのうち来るんじゃないのか?」

 彼があっさりと答えて間もなくだった。通路の向こうからリーヌが歩いてきた。

「すみません……逆に待たせてしまったようで」

 慌てた様子でリーヌが駆け寄るので、ベルティーナはすぐに首を振った。

「ついさっき出てきたばかりよ」

 事実を述べただけだが、リーヌは心底安堵したような表情を見せた。が、すぐにジト……とした視線でミランを睨む。

「……で、ミランは部屋を抜け出してベル様の追っかけか? 数日は安静と言いましたよね」
「傷の具合だいぶ良い。だって暇だし。ベルの部屋からお前の声が聞こえてきて、ハンナが目を覚ましただとか聞こえたから」

 ──だから一応様子見に、と付け加えて、彼はそそくさと昇降機に向かって歩み始めた。その後ろ姿を睨むリーヌは不服そうに目を細めたままだった。

 そうして部屋に戻る、帰りの昇降機の中。リーヌはミランに安静にしていないことを延々と咎めていた。
 しかし、その様子ときたらまるで痴話喧嘩のよう。さすがにこれには煙たく思えて、ベルティーナは目を細め、黙ってそれを聞いていた。

(一応私は婚約者なのに、よくもまあ……)

 よもや自分のことなど見えていないようにさえ思えてくる。
 そう思うと、あのとき感じた胸の痛みがぶり返してくるもの、早く上層階に着かぬものかと、ベルティーナが一つため息をこぼした途端だった。

「──どうか、ベル様も何とか言ってくださいよ! 本当にミランはいつもいつも……! 僕の言うことを聞かないんです!」

 ぷりぷりと怒り散らすリーヌに話を振られるが、ベルティーナは何も答えることができなかった。

 この世界でうまくやり、居場所のある幸せな自分を想像してはわずかに希望を抱いていた。それが、ひたすらに惨めに思えてしまうもので、無性に目頭が熱くなる。

(私は、きっとこの世界でも祝福されない。自分の存在していい居場所はきっとここにもない……)

 ふと、思い立つ言葉はまるで呪いのよう。視界を霞ませ、胸の中に嫌な重みを与えた。

「ベル様……?」

 心配そうにリーヌに呼ばれるが、それでもベルティーナは言葉が出なかった。それを見かねたのだろうか……。

「ベル、どうした? 具合が悪いのか?」

 ミランの声が間近から落ちてきた。そう思ったのも束の間、間近に彼のビリジアンの瞳が映り、顔を覗き込まれたと分かった途端、ベルティーナははっと目をみはった。

「どうしたベル? すごい目が赤い……どうして泣いてるんだ?」

 彼は手を伸ばし、滲んだ涙を掬おうとした途端──ベルティーナはミランの手を払い除けた。
 そのとき、ちょうど昇降機が止まり、上層階へ辿り着くベルが鳴る。

「──私に……もう私に構わないでちょうだい!」

 冷たく吐き捨てたベルティーナは、昇降機の扉を掴み開けるなり、部屋に向かって駆け出した。

 
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