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Chapter2
第14話 紋様の疼きが囁く不安
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ハンナが目を覚ましてから三日……ミランは変わらず、部屋を訪れることはなかった。
しかし、彼が部屋に来たからと言って何か話すわけでもない。
そもそも「もう構うな」と言ったのは自分だ。ベルティーナからすれば、困ったことなど何一つなかった。
一方、ハンナと言えば、経過は良好で、早くも昨日から侍女の仕事に戻っている。
「全快ではないだろうに、もう少し休んでいればいい」と言ったが……以前よりも調子がいいとのこと。そんなハンナと今、ベルティーナは畑作業を手伝っていた。
「ベルティーナ様ー! こんな具合でよろしいですか?」
溌剌としたハンナの声に、ベルティーナは作業する手を止め、顔を上げた。少し離れた先、ハンナがひらひらと手を振っていた。
先日の件で少し花壇が荒れてしまった。
だから今日、その手直しをしていたのだが……喜ばしいことに、ベルティーナの花壇作りがあまりにも本格的なことから、もっと自由に使って存分に楽しめばいいと、翳の女王が直々に言ってきたのである。
そのために新たな花壇作りにハンナが励んでいたものだが……本当に仕事が早いものだと、ベルティーナは感心してしまった。
「仕事が早いわね。貴女、本当に無理してなくて?」
つい先日まで寝込んでいたばかりだ。少しばかり心配になってハンナに訊くと、彼女はすぐに首を振るう。
「むしろ絶好調ですよ! 力が有り余っているほどで……!」
そう言って、彼女はまたぶんぶんと尾を振った。
……犬や狼の生態は本の中でしか知らないが、彼らは嬉しいと尾を振るらしい。そんな知識がベルティーナにもあるが、明るい面持ちや目を輝かせている様子を見るからに、あながち間違いではないように思う。
しかし……双子の侍女もモフモフとして触り心地が良さそうなものだが、ハンナも負けず劣らず。いや、モフモフ加減だけで言えば、ハンナの方が強いだろう。
ピコピコと動く大きな耳や、ふわふわと背後に揺れる尻尾を見つめながら、ベルティーナは生唾を飲みつつ、自然と指先を動かした。
「どうしたのです? 何か、私の耳についてます?」
不思議そうに言われて、ベルティーナはすぐにぶんぶんと首を振るう。
「別に何でもないわ。ただその……」
「どうしたのです?」
「……そのふわふわな尻尾とか耳、ちょっと触ってみたいって思っただけよ」
恥じらいながら心の内を告げると、ハンナは目を丸くした。
「や……嫌なら別にいいのよ!」
──どうしてもってわけじゃないわ! と、そっぽを向いて言うと、彼女はくすくすと笑みをこぼしたが……。
「そう言うのなら、いくらでも」と、優しく言って彼女はベルティーナの手を取り、傅いた。
そうして、背の高い彼女は頭を下げ、ベルティーナの手をピンと立った耳に宛がった。
「…………!」
その感触に、ベルティーナは目を丸くした。
それはまるで上質な絹のよう。滑らかな毛質で、想像以上に柔らかかったのだ。
それはもういくらでも触っていられそうなほどで……。
「自分で言うのもなんですけど……結構触り心地だけはいいって思いますね」
(ふわふわ! もこもこ! さ……最高じゃない!)
心の中で思うが、思わず顔にも出てしまいそうになる。
自分の唇がひどく緩んだことを自覚して、ベルティーナは一つ咳払いをすると、彼女の耳から手を離した。
「……あ、ありがとう。最高の触り心地ね」
そう言って、また一つ咳払いをすると、ハンナはくすくすと笑みをこぼした。
「ベルティーナ様のそこまで嬉しそうなお顔、私初めて見たかもしれません。またいつでも言ってくださいませ。耳を触りたいなどお安いご用ですし」
「──い、いつでも、ですって!」
言われた言葉を復唱して、ベルティーナはぱくぱくと唇を動かした。
しかし、自分でもなんという反応をしてしまったのだろう……と、自覚するのはすぐだった。ベルティーナは顔を真っ赤にして俯く。
確かに、ふわふわしていて気持ちがいい。それに、なんだか心が綻び癒される気がする。それをいつでも触っていいと……夢のような話ではあるが、他人の身体の一部だ。
自分が触れられるのを異常なほど嫌う癖に、なんとも矛盾しているだろうとは思う。
「別に女同士ですし……減るものでもないですし」
そう言ってハンナは微笑むが、ベルティーナは額を押さえて首を振った。
「だめよ。そんなモフモフ日常的に触ってたら……きっと私はダメになるわ」
「大袈裟ですよ。それで息抜きになって、ベルティーナ様の機嫌が良くなるなら、私は一向に構いませんけど。というか……ベルティーナ様、年相応の女の子みたいに可愛らしい部分がちゃんとあるんだって分かって、逆に安心しました」
ハンナがそう言って微笑むので、ベルティーナは半眼になってしまう。
「……失礼ね。聡くあることが言いつけだから、それを大優先して従っているだけよ。私だって……若い娘が好むような恋愛物語だって読むし、綺麗なドレスも甘いお菓子も好きよ」
──まったく似合っていないでしょうけどね。と、一つ鼻を鳴らして言うと、彼女は噴き出すように笑みをこぼした。
そんな和やかなやりとりをしている最中だった。
双子の猫侍女たちの愛らしい声が聞こえてきた。声を探すと、東屋に双子の侍女の姿があった。彼女たちは手を振り、「休憩にしましょう!」と呼んでいる。
その背後に聳える見張り塔──ふとそれを一瞥して、ベルティーナは一つため息をこぼした。
庭園に来るたびに思っていたが、蔦の絡みついた頑強そうな塔は、どこか自分の住んでいたヴェルメブルク城の塔にもよく似ている。
なお、こちらもそれなりの年季を窺えるもので……。
「ねえ、ハンナ。あの塔って私が住んでいた塔に似てるわよね……色は違うけれど」
突然話を振ったことに驚いたのだろう。ハンナはぴょんと耳を動かしてベルティーナの方を向いた。
「ええ、まあ確かに。庭園にあることもそうですが、蔦が絡みついてますからね。でもあの塔、使われていない調度品をしまっておく倉庫として使われているそうですよ?」
同じようなことを思っていたから、使用人の長に聞いたなんて付け加えて、ハンナはくすくすと笑んだ。
「そうなの……」
……しかし、本当によく似ている。そう思いつつ、ベルティーナはゆったりと東屋に向かって歩み始めた。
小高い丘の上に佇む東屋に着くと、すぐに双子の片割れが椅子を引き、そこに座るよう促した。彼女たちと関わることにはだいぶ慣れたものの、やはりこのような丁重な扱いにはまだ慣れない。
「貴女たち、それが仕事でしょうけど……人が見ていない場所なら、馬鹿丁寧な扱いなんてしなくて結構よ、慣れないのよ」
──好きなように振る舞ってちょうだい。
いよいよはっきりと告げると、双子は少し困ったような顔をした。
「そう言ってもらえるのって、とっても嬉しいんですけどねぇ……それが癖になっちゃうと、人前でもそうしちゃいそうで、イーリス、ちょっと怖いって思うんです」
「ロートスもイーリスと同じ意見です」
そう言って、二人は顔を見合わせるなり、ほぅと同時にため息をついた。
「貴女もそう?」
続けてハンナに訊くと、彼女は苦笑いを浮かべながらも頷いた。
「そうですねぇ。慣れは怖いと思いますよ? 確かに自然体で好きに振る舞っていいなんて言われるほど嬉しいことはないですけど」
──そんな発言ができる王女様らしからぬベルティーナ様だからこそ、私は大事にお仕えしたいものだと思います。
なんて付け加えて、ハンナが柔らかな笑みを向けると、たちまち頬に熱が上がった。
……家族もいなかった。友達もいなかった。話し相手だっていなかった。孤独な自分が孤独ではなくなったことを改めて悟ったのだ。
確かに王女という身分だが、なぜ彼女たちがそこまでしてくれるのか、やはり分からない。
根は優しいからこそ仕えたくなった、とハンナは言ったが、自分はまったくそうは思わないのだ。しかし、自分が本当にこんなに幸せな気持ちを持っていいものか……。
そう思った途端、胸元の紋様がひどく熱くなる。
だが、それはほんの一瞬で──ベルティーナは紋様のある胸元に手を当て、深く息を吐いた。
「ベルティーナ様……?」
その様子を見かねたのだろう。ハンナが心配そうに顔を覗き込むので、ベルティーナは慌てて首を振った。
「いいえ、何でもないわ……」
「お庭のお手入れに張り切って疲れちゃったんですかね。それに最近色々ありましたし」
「楽しいのは分かりますけど、ベル様は人間。身体が脆いのです。休憩はちゃんととらないとダメです! さあ、座ってください」
そう言って、双子の猫侍女に無理やり座らされて、ベルティーナは一つため息をこぼした。
幸せだと思った。だからこそ紋様が疼いたのだろうと安直に理解できる。これが積み重なるたびに、自分はいつか魔に墜ちるのだろうか……。
魔に墜ちることは、復讐を目論む自分からしても喜ばしいことではある。
だが、怖くないと言えば嘘になるだろう。こう言ってはハンナに失礼だが……やはり一度目の前で見てしまうと、なおさらそう思うようになってしまった。
ハンナは理性を取り戻し、夜に祝福されたものだが……祝福されなければ、この世界でも生きることができないのだ。
そんな不安がざわめけば、自然と心の縁に翳りゆく。
(そもそも、私は婚約者の眼中にない。それに夜に祝福されなければ……)
ベルティーナはすっかり冷めた胸元を押さえて俯いた。
この世界で幸せになりたい、憎き母国へ復讐したい。これらは〝あまりに極端〟と、今さらながらに思ったと同時、ベルティーナは自分がなんという傲慢な女かを悟った。
(どちらも取るなんて……やっぱり欲張りなのかしら。だけど……)
カップに注がれたハーブティーを覗き込むと、ひどく落胆した顔を貼り付けた自分の姿が映って、なおさら気分が滅入ってきた。
「ベルティーナ様? 本当に大丈夫ですか?」
間近から響いたハンナの声に、我に返ったベルティーナはカップを取りながら首を振った。
「ええ、少し考え事をしていただけよ。大したことじゃないわ」
そっけない嘘をつき、ベルティーナは目を細めて庭園を見下ろした。
しかし、彼が部屋に来たからと言って何か話すわけでもない。
そもそも「もう構うな」と言ったのは自分だ。ベルティーナからすれば、困ったことなど何一つなかった。
一方、ハンナと言えば、経過は良好で、早くも昨日から侍女の仕事に戻っている。
「全快ではないだろうに、もう少し休んでいればいい」と言ったが……以前よりも調子がいいとのこと。そんなハンナと今、ベルティーナは畑作業を手伝っていた。
「ベルティーナ様ー! こんな具合でよろしいですか?」
溌剌としたハンナの声に、ベルティーナは作業する手を止め、顔を上げた。少し離れた先、ハンナがひらひらと手を振っていた。
先日の件で少し花壇が荒れてしまった。
だから今日、その手直しをしていたのだが……喜ばしいことに、ベルティーナの花壇作りがあまりにも本格的なことから、もっと自由に使って存分に楽しめばいいと、翳の女王が直々に言ってきたのである。
そのために新たな花壇作りにハンナが励んでいたものだが……本当に仕事が早いものだと、ベルティーナは感心してしまった。
「仕事が早いわね。貴女、本当に無理してなくて?」
つい先日まで寝込んでいたばかりだ。少しばかり心配になってハンナに訊くと、彼女はすぐに首を振るう。
「むしろ絶好調ですよ! 力が有り余っているほどで……!」
そう言って、彼女はまたぶんぶんと尾を振った。
……犬や狼の生態は本の中でしか知らないが、彼らは嬉しいと尾を振るらしい。そんな知識がベルティーナにもあるが、明るい面持ちや目を輝かせている様子を見るからに、あながち間違いではないように思う。
しかし……双子の侍女もモフモフとして触り心地が良さそうなものだが、ハンナも負けず劣らず。いや、モフモフ加減だけで言えば、ハンナの方が強いだろう。
ピコピコと動く大きな耳や、ふわふわと背後に揺れる尻尾を見つめながら、ベルティーナは生唾を飲みつつ、自然と指先を動かした。
「どうしたのです? 何か、私の耳についてます?」
不思議そうに言われて、ベルティーナはすぐにぶんぶんと首を振るう。
「別に何でもないわ。ただその……」
「どうしたのです?」
「……そのふわふわな尻尾とか耳、ちょっと触ってみたいって思っただけよ」
恥じらいながら心の内を告げると、ハンナは目を丸くした。
「や……嫌なら別にいいのよ!」
──どうしてもってわけじゃないわ! と、そっぽを向いて言うと、彼女はくすくすと笑みをこぼしたが……。
「そう言うのなら、いくらでも」と、優しく言って彼女はベルティーナの手を取り、傅いた。
そうして、背の高い彼女は頭を下げ、ベルティーナの手をピンと立った耳に宛がった。
「…………!」
その感触に、ベルティーナは目を丸くした。
それはまるで上質な絹のよう。滑らかな毛質で、想像以上に柔らかかったのだ。
それはもういくらでも触っていられそうなほどで……。
「自分で言うのもなんですけど……結構触り心地だけはいいって思いますね」
(ふわふわ! もこもこ! さ……最高じゃない!)
心の中で思うが、思わず顔にも出てしまいそうになる。
自分の唇がひどく緩んだことを自覚して、ベルティーナは一つ咳払いをすると、彼女の耳から手を離した。
「……あ、ありがとう。最高の触り心地ね」
そう言って、また一つ咳払いをすると、ハンナはくすくすと笑みをこぼした。
「ベルティーナ様のそこまで嬉しそうなお顔、私初めて見たかもしれません。またいつでも言ってくださいませ。耳を触りたいなどお安いご用ですし」
「──い、いつでも、ですって!」
言われた言葉を復唱して、ベルティーナはぱくぱくと唇を動かした。
しかし、自分でもなんという反応をしてしまったのだろう……と、自覚するのはすぐだった。ベルティーナは顔を真っ赤にして俯く。
確かに、ふわふわしていて気持ちがいい。それに、なんだか心が綻び癒される気がする。それをいつでも触っていいと……夢のような話ではあるが、他人の身体の一部だ。
自分が触れられるのを異常なほど嫌う癖に、なんとも矛盾しているだろうとは思う。
「別に女同士ですし……減るものでもないですし」
そう言ってハンナは微笑むが、ベルティーナは額を押さえて首を振った。
「だめよ。そんなモフモフ日常的に触ってたら……きっと私はダメになるわ」
「大袈裟ですよ。それで息抜きになって、ベルティーナ様の機嫌が良くなるなら、私は一向に構いませんけど。というか……ベルティーナ様、年相応の女の子みたいに可愛らしい部分がちゃんとあるんだって分かって、逆に安心しました」
ハンナがそう言って微笑むので、ベルティーナは半眼になってしまう。
「……失礼ね。聡くあることが言いつけだから、それを大優先して従っているだけよ。私だって……若い娘が好むような恋愛物語だって読むし、綺麗なドレスも甘いお菓子も好きよ」
──まったく似合っていないでしょうけどね。と、一つ鼻を鳴らして言うと、彼女は噴き出すように笑みをこぼした。
そんな和やかなやりとりをしている最中だった。
双子の猫侍女たちの愛らしい声が聞こえてきた。声を探すと、東屋に双子の侍女の姿があった。彼女たちは手を振り、「休憩にしましょう!」と呼んでいる。
その背後に聳える見張り塔──ふとそれを一瞥して、ベルティーナは一つため息をこぼした。
庭園に来るたびに思っていたが、蔦の絡みついた頑強そうな塔は、どこか自分の住んでいたヴェルメブルク城の塔にもよく似ている。
なお、こちらもそれなりの年季を窺えるもので……。
「ねえ、ハンナ。あの塔って私が住んでいた塔に似てるわよね……色は違うけれど」
突然話を振ったことに驚いたのだろう。ハンナはぴょんと耳を動かしてベルティーナの方を向いた。
「ええ、まあ確かに。庭園にあることもそうですが、蔦が絡みついてますからね。でもあの塔、使われていない調度品をしまっておく倉庫として使われているそうですよ?」
同じようなことを思っていたから、使用人の長に聞いたなんて付け加えて、ハンナはくすくすと笑んだ。
「そうなの……」
……しかし、本当によく似ている。そう思いつつ、ベルティーナはゆったりと東屋に向かって歩み始めた。
小高い丘の上に佇む東屋に着くと、すぐに双子の片割れが椅子を引き、そこに座るよう促した。彼女たちと関わることにはだいぶ慣れたものの、やはりこのような丁重な扱いにはまだ慣れない。
「貴女たち、それが仕事でしょうけど……人が見ていない場所なら、馬鹿丁寧な扱いなんてしなくて結構よ、慣れないのよ」
──好きなように振る舞ってちょうだい。
いよいよはっきりと告げると、双子は少し困ったような顔をした。
「そう言ってもらえるのって、とっても嬉しいんですけどねぇ……それが癖になっちゃうと、人前でもそうしちゃいそうで、イーリス、ちょっと怖いって思うんです」
「ロートスもイーリスと同じ意見です」
そう言って、二人は顔を見合わせるなり、ほぅと同時にため息をついた。
「貴女もそう?」
続けてハンナに訊くと、彼女は苦笑いを浮かべながらも頷いた。
「そうですねぇ。慣れは怖いと思いますよ? 確かに自然体で好きに振る舞っていいなんて言われるほど嬉しいことはないですけど」
──そんな発言ができる王女様らしからぬベルティーナ様だからこそ、私は大事にお仕えしたいものだと思います。
なんて付け加えて、ハンナが柔らかな笑みを向けると、たちまち頬に熱が上がった。
……家族もいなかった。友達もいなかった。話し相手だっていなかった。孤独な自分が孤独ではなくなったことを改めて悟ったのだ。
確かに王女という身分だが、なぜ彼女たちがそこまでしてくれるのか、やはり分からない。
根は優しいからこそ仕えたくなった、とハンナは言ったが、自分はまったくそうは思わないのだ。しかし、自分が本当にこんなに幸せな気持ちを持っていいものか……。
そう思った途端、胸元の紋様がひどく熱くなる。
だが、それはほんの一瞬で──ベルティーナは紋様のある胸元に手を当て、深く息を吐いた。
「ベルティーナ様……?」
その様子を見かねたのだろう。ハンナが心配そうに顔を覗き込むので、ベルティーナは慌てて首を振った。
「いいえ、何でもないわ……」
「お庭のお手入れに張り切って疲れちゃったんですかね。それに最近色々ありましたし」
「楽しいのは分かりますけど、ベル様は人間。身体が脆いのです。休憩はちゃんととらないとダメです! さあ、座ってください」
そう言って、双子の猫侍女に無理やり座らされて、ベルティーナは一つため息をこぼした。
幸せだと思った。だからこそ紋様が疼いたのだろうと安直に理解できる。これが積み重なるたびに、自分はいつか魔に墜ちるのだろうか……。
魔に墜ちることは、復讐を目論む自分からしても喜ばしいことではある。
だが、怖くないと言えば嘘になるだろう。こう言ってはハンナに失礼だが……やはり一度目の前で見てしまうと、なおさらそう思うようになってしまった。
ハンナは理性を取り戻し、夜に祝福されたものだが……祝福されなければ、この世界でも生きることができないのだ。
そんな不安がざわめけば、自然と心の縁に翳りゆく。
(そもそも、私は婚約者の眼中にない。それに夜に祝福されなければ……)
ベルティーナはすっかり冷めた胸元を押さえて俯いた。
この世界で幸せになりたい、憎き母国へ復讐したい。これらは〝あまりに極端〟と、今さらながらに思ったと同時、ベルティーナは自分がなんという傲慢な女かを悟った。
(どちらも取るなんて……やっぱり欲張りなのかしら。だけど……)
カップに注がれたハーブティーを覗き込むと、ひどく落胆した顔を貼り付けた自分の姿が映って、なおさら気分が滅入ってきた。
「ベルティーナ様? 本当に大丈夫ですか?」
間近から響いたハンナの声に、我に返ったベルティーナはカップを取りながら首を振った。
「ええ、少し考え事をしていただけよ。大したことじゃないわ」
そっけない嘘をつき、ベルティーナは目を細めて庭園を見下ろした。
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