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Chapter3.謝罪の言葉
3-6.それは人間らしい感情
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──ヴィーゼンに来て約一ヶ月。
テオファネスはこの環境に慣れ初め、随分健やかに過ごせていると大いに自覚した。
数ヶ月前まで、炎の揺らめく戦場にいたのだ。それも最前線……断末魔の叫びや爆薬の匂い、血の匂いが日常茶飯事に染みついていた。
軍人とは国の誇りを守る為にある。〝その為に戦場に立っていた〟と言えば聞こえは良い。
だが、そこに立ち、生き残る意味は……相応の赦されざる罪を背負っている事に変わりない。
あれ以上に痛い思いをしたくない、屈辱的な思いをしたくない。そうして、抵抗を諦めて全て従った時点で自分の意志で罪を背負った事に変わりないのだ。
だからこそ、この現状が夢のように思った。否、初めこそは死後の世界のような錯覚さえ抱いた。
濃い緑の肥沃な自然に雄大にそびえる山々。風は爽やかで、爆薬の匂いも血の匂いだってしない。その上、羽根を持たぬ天使がいたからだ。
邂逅した天使はアルマと名乗った。
初対面の印象は表情がコロコロとよく変わる、人間味が溢れいて、ただただ眩しかった。まさに太陽のよう──夏の日差しのような少女と思った。
真っ白な穢れ無き礼装によく映えた柑子色の髪。夏空のような青々とした瞳。所作が大雑把で、前髪が斜め切りな部分や三つ編みが崩れているなど……ややガサツで無頓着さが目立つが、それでも可憐。非常に愛敬がある少女と思えた。
とてつもなく眩しい。だが、それが堪らなく愛おしいと思えたのは初めて外に連れ出されたあの夜だった。たった一ヶ月足らず。迷える機甲は天使に恋をして生きる喜びを覚えた。だからこそ不眠状態が改善されたのだと頷けるが、往生際が悪いと自嘲してしまう。
そう。そう遠くない未来に終わりが来る事を初めから理解していたからだ。
テオファネスは鉛筆を置き、胸元にひそめた認識票を取り出し目を細める。
二枚は自分のもの。テオファネス・メルクーリの刻印がある。
その後ろに連なるように重なったものは……イオエル、ヨルゴス、アラスター、サナシス、セルジオス、オリオンと六人の男性名がそれぞれに刻まれている。
皆、アルギュロス兵になった同郷のスピラス人の少年達だ。自分がこの認識票を持っているという事は当然のように既にこの世に居ない。
……半数以上は機甲化の際に命を散らした。そして残り半数程は、壁のように前線を歩かされて命を散らしている。当時の年齢はと言えば、皆十五歳から十七歳程度だった。
────出来るだけ、伸ばして欲しい。
祈るように心で呟き、テオファネスは空を見上げると認識票を胸元に再び収めた。
同郷の六人の戦友。そして、この地の七人のエーデルヴァイス。人数が丁度あう。
生きていれば自分と同じかそれ以上だが、当時の年齢は現在のアルマ達と同じくらい。そんな部分もあるからだろう。テオファネスはどことなくエーデルヴァイスに親近感を覚えた部分があった。
ほぅ。と一つ息をつき、再び鉛筆を摘まんだ途端だった。少し離れた場所から足音が聞こえてきた。早くもアルマが戻ってきたのだろう。
「おかえり」と、テオファネスが振り返るが……テオファネスの思考は停止する。
長い白髪の少女が立ち尽くしていた。年端は未だ十を越えて僅かで幼い。纏う服はアルマが纏うものと同じ、レースをふんだんにあしらった白の礼装。彼女は金の瞳を丸く開き、テオファネスを見るなりに涙ぐむ。
きっと怯えているのだろうと思った。半身は金属質──左目の強膜は真っ黒に濁ったこの容姿だ。未だ幼い少女からしたら異質であり、さぞ悍ましく映るに違わない。
「怖がらないで。何もしない。危害なんて与えない。深呼吸して後ろ向いて……」
座したままテオファネスは出来るだけ優しく語りかける。
白髪に金の瞳……未だ稚い小さな少女。幾度か、アルマとの会話でそんな存在は耳にした。確か最年少の……。
「エーファだな。いいか……ゆっくり修道院の方に戻るんだ。着く頃には今見た怖い機械仕掛けの怪物の事を忘れられる」
テオファネスがそう示唆した途端だった。涙ぐんだ彼女は、テオファネスの胸に飛び込み声を上げて泣き始めた。
「お兄ちゃん……! お兄ちゃんでしょ! どうして、どうしてっ! どうしてエーファを置いていったの!」
──どこに行ってたの! と、少女はテオファネスの胸に顔を埋めて、泣き叫んだ。
「え……」
テオファネスは目を瞠って固まってしまった。
アルマの話によれば、最年少のエーファは何を考えているかも分からぬ少女で、表情が乏しいそうだ。しかし、これは聞いていた話と全く違う。
それにお兄ちゃんとは……。
銀髪の自分に白髪の少女。髪色は確かに似ているだろう。間違いなく人違いだ。しかし、こうもひっつかれて小さな女の子に泣きじゃくられると否定もしにくい。
とりあえず、アルマが戻る迄は……。テオファネスはおずおずとエーファを膝の上で抱き寄せ、あやすように背を叩いた。
それから、ものの数十秒後──水筒を持ったアルマが帰ってきた。だが、膝の上で抱えた少女の姿を見るなりに彼女は目を丸く開いて唖然とした面になる。
「ど、どういう事なの……エーファがどうしてここに……」
そう言われても分からない。テオファネスは眉を寄せてただ首をゆるゆると振るう。
そうして二人で呆然とエーファを見守る事幾何か。泣き疲れたのか、彼女はテオファネスの腕の中で眠りに落ちてしまった。
「俺にも分からない……。アルマ、この子って兄貴は居るか?」
起こさぬよう小さな声で尋ねると、アルマは「分からない」と短く答えた。
「〝お兄ちゃんでしょ〟って言われた。それで泣かれて……」
こうなった。と軽く事情を説明すると、アルマは眉を寄せて腕の中で眠るエーファを見下ろした。
「実は、私もこの子の事を殆ど知らないの。とりあえず、一番懐いてるゲルダを呼んでくる」
──あまり人に姿を見られたくないのに、ごめんなさい。と、アルマは詫びるが、こればかりは仕方ないと思えた。テオファネスは頷き、修道院に向かって再び走り出す彼女の背を見守った。
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