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三 情報網
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「おい、そいつと話すのは止めといた方がいいぜ。ただのキモヲタだ」
私が自己紹介を終えて席に戻り、後ろのキモヲタと話をしたすぐ後。鼻にかかるような甲高いその声は、右隣の席から聞こえた。
如何にも弱っちそうな小柄な奴だった。水平切りをくらったような揃った前髪が、その虚弱な雰囲気をどこまでも助長している。
そいつは、片側の口角にしわを作ると、品なくニタリと笑った。
ああ、あれだ。これは確か、テレビで見たドヤ顔というやつだ。なるほど、どこまでも気に障る表情ね。正直私に言わせれば、こいつらどっちもどっちだけど。
「そいつと関わるとろくなことが起きないよ。マジ、キモいし。それより、リリスさん、僕の隣になったのは幸運だね。おっと、紹介が遅れた。僕は木笹成隆(きざさ・なるたか)。学年二位の成績優秀者にしてセキュリティー委員長のこの僕は、学校内の諜報員とも呼称される事情通。授業から学校生活に至るまで、分からないことがあったら、全て僕が答えてあげるよ」
――なんと、マジか?!
私にとって、これは好都合だ。このキャラは正直うざったいが、それにも増して得られるものはありそうだ。
「お前、使えそうだ。後で色々教えてよね」私はそう言い、右手で彼の左耳に柔らかく触れた。
「私はリリス、これから、ヨロシク」
「うへっ?! ……あ、あの……これ、は?」木笹がなぜだか顔を真っ赤にしてキョドっている。
「は? ただの挨拶でしょ。何かおかしい?」
「えっ、いや……なんでも……ない」
――まてよ、しまった。こっちの世界では挨拶の仕方が違っていたんだ。そういえば確か、そう、手と手を握るんだったような……握手、とか言ったっけ。
「あ、ごめんごめん。これはあれよ、前に住んでいた国の挨拶。改めて、ヨロシク」と、私は彼に手を差し出し、その華奢な手を握った。
「ここ、こちらこそ、宜しくね……」
木笹は目を逸らし、真っ赤にした顔は今にも噴火しそうな様相だ。今の行為に何が不満を感じたのだろうか。いやまぁ、おそらく人間の中でも変わり者の部類なのだろう。あっちの世界にも、こんな奴はざらにいたし。まぁ、いいか。
私は席に着くと、先ほどの木笹の振る舞いにふと違和感を覚えた。
――なんだろう……。ああ、そうだ。あのドヤ顔だ。あの場面で、あれはおかしい。ロジックが合わない。
私が木笹に声をかけると、なぜだかまだ頬を赤くしている。ある種の病気か?
「お前さっき得意気に成績が学年二位とか言ってたけど、よく二位で自慢気に言えたわね。っていうか、一位は誰なのよ?」
木笹の顔にさらなる赤身が上塗りされ、もはやどこかで見た丸い頭だけの真っ赤な置物のようになっている。
「う……くっ。でも、一位ったって、あれはどうせ不正だから。そうに違いない」
「は? だから、この学年で一番頭いいのは一体誰なのよ」
「えっと……それは」
私たちテンプトアル人は、地球の人類よりも知能レベルが上だ。どんなにふざけた裾野のクズでも、こっちの奴らの平均にまでは落ちないだろう。だから私は、日本語を習得するのは容易かったし、テクノロジーが違うとは言え、マスターレベルまでの教育なら二、三年もあれば終わらせられるだろう。そしてなにより、マルチスキルの最強能力者にして国軍総帥のダークマ様は、そんなテンプトアル人の中にあって知能も規格外、最高位の博士でもあった。なぜこんな辺鄙な学校にいるのかは不明だが、高校の授業など幼稚園レベルに等しいはずだ。
つまり、ここにダークマ様がいるとしたら、成績最優秀者こそが、本人である可能性が高い。どうよ、この推察は。これぞ頭脳明晰なテンプトアル人ってもんね。
「はぁ~っ、わかったよ……学年一位は――」
木笹がため息をつきながら私の後ろを指さした。
「そこにいるオタク野郎の、出門拓馬(いでかど・たくま)だよ。こんなやつが一位とか、常識的にあり得ないよ」
――えっ?!
私は聞き間違えたのだろうか、うっかり後ろの席のオタク野郎のことだと思ってしまった。いやいや、そんなはずはなかろうに。
「ちょっとまって。ごめん、よく聞き取れなかった。誰だって?」
「いや、だから、君の後ろの拓馬だよ……」
「うしろのたくま……えっ、拓馬って、こいつ?!」
……この不愛想で汚いヲタが、ダークマ様最有力候補だって?!
鎌井がこちらを気にしながら何か話しているようだが、私はそれを無視し、後ろを振り返って再度確認する。そこにいるのは、生命体とは思えない死んだような目をキャラもののグッズに向ける腐れ男子。何度見ても、この印象が変わることはなさそうだ。
いや、そんな馬鹿な。こんな奴が総帥とか、あり得ないわ。イメージとあまりにもかけ離れている。
恐れ多い総帥は戦時中もほとんど一人で行動するし、普段はマスクを付けているから私もその素顔を見たことはない。わずかに露出していた目鼻も、あまりのオーラで直視できないから、そんなに細かくは覚えていない。
でも、こいつにはそのオーラの欠片もない。むしろ負のオーラがそこかしこに漂っている始末。
よく見たら違うはずだ。特徴を一つ一つおさらいしていこうじゃないの。
――そう、そうだ。とりあえず、総帥は髪が黒い。……って、こいつも黒いか。それじゃダメだ。
あ、そうそう、総帥はもっと髪が短かった。たしかギリギリ耳が出るくらい。こいつは肩にかかるくらいのを縛ってるから全然違うわよ。……って、そんなのほっとけば伸びるってか。
う~ん、そうじゃなくて――そう、総帥は肌が白い! 確か太陽光の影響受けないから。つって、……こいつも真っ白ね。完全に引きこもりだろ。
だったら背格好は? いつもやばいくらいのオーラで大きく見えちゃうけど、総帥の身長は実はそんなに高くない。私より少し大きい程度で、痩せ型。……う~ん。座ったままでも分かっちゃうのが嫌だね。こいつもいっしょか……。
じゃ、顔は? マスク越しでも分かるわ。総帥は冷酷でクールなイケメンのはず。あの切れ長の鋭い目が、私のハートを鋭利に切り刻んでいったのよ。それに引き換えこいつの目は……切れ……長……っちゃ、そうかもね。眼力は皆無だけど。
そうだ、足。こいつは足が不自由そうだし、っていうか、ひょっとしたら次元リークの際に負傷した後遺症だろうか……?!
……って、いやいや! なに弁護しちゃってんのよ、私。
きっと、どこか違うはず!!!
私、落ち着け、落ち着きなさいよね。もっと何か、あるはずよ、別の何か。
――そうか。眼鏡だ。ダークマ様は裸眼だったし、かなり広範囲の敵も一瞬でマッピングできた。っていうか、あれほどの能力者になると、どんな欠点も補えちゃいそうで、正直参考にならないわね……。
私は身を乗り出して、後ろの男をまじまじと見つめた。
「そうだ、紋章、紋章よ!」
思い出した。
総帥に助けられたあの時、私は見たんだ。あの黒髪を掻き分けるように輝きを放っていた額の紋章を。こいつが本当に彼だとしたら、その額にはあれと同じものがあるはず。
「おい、さっきからなに俺のことじろじろ見てんだ……っていうか、まてよ。うむ、さてはそういうことだな」
やべぇ……拓馬に勘付かれたようだ。また途中から変なキャラが出てきてるぞ、クソキモい。
「おぬし。俺とアニメ談義をしたいのであろう。うむうむ。紋章とかなんとか言ってたのは、なんのキャラか。恥ずかしがることはない。我、魔鏡眼(まきょうがん)は誤魔化せん。ちなみに、魔鏡眼は知っての通り、モルタール戦記二期八話のあれだ」
拓馬が指で輪を作って目に当て、にやりと笑って妙なポーズを決めている。
……ああ、めんどくせぇ。まだここは初日だし、あまり問題を起こしたくはないわね。それに、万が、いや億が一でも、何らかの事情でこいつが総帥だったなんてことになれば、程よい関係を維持しておくに越したことはない。
――ってことで、ここはひとつ。こいつに乗ろうじゃないの。
「まぁ、そうね。私、まだ浅いから、色々教えてよね」
「ま、真でござるか?! リリス、後で俺の城に案内しよう」キラリッ。って、ほんっとウゼえ、こいつ。耐え切れるのか、私。
などとやり取りしていると、「こらこら」と担任の教師が割ってきた。
そうだった。今は朝のホームルーム中だということをすっかり忘れていた。
「リリスさんと出門くん。さっそく仲良くなるのはいいけど、とりあえずホームルーム中だから前を向いて。すぐに授業も始まるから、積もる話は、ゆっくり休み時間にお願いしますね」
ドッ、ワハハハハ――。教室中を笑いが飛ぶ。
――ちっくしょう。こいつら私を誰だと思ってんのよ。こんな奴ら、本気出せばみんな瞬殺できるのよ。
と言っても、戦争もなく平和ボケしたこの国では、殺人が珍しいことくらい私も知っている。ここでそんな事件を起こせば、より総帥から離れてしまうことは必至だ。そのために私は、湧き上がる殺意を抑えるしかない。
「ああ、これは失敬。早く友達を増やそうと思って、ははは……」
「おいおい、よりにもよって拓馬かよ。リリスさん、そいつは止めといた方がいいぜ!」
「拓馬、ついに三次元に目覚めたか?! ぎゃははは」
「……」周囲のヤジに揉まれた拓馬は、顔を真っ赤にして視線を泳がせ、黙ってしまった。
この教師、余計なことを言いやがって。このキモヲタはともかく、私まで笑いの対象になってんじゃん。ってか、てめぇも笑ってんじゃないわよ。
「くすす……ちょっとみんな、そんなからかっちゃダメよ。リリスさんも、早く席について」
「はい。すみません……」くっそぉ。とりあえず、こいつの確認は次の授業が終わってからにしよう。
最初の授業は、クラス担任の鎌井先生が担当する数学だ。
ちなみに、先生と言っても所詮は地球人。私の方がこの女より知能は上だろうが、不本意ながらもここは郷に従って”先生”と言わせてもらう。で、私の紹介もあって時間が押したホームルームの流れで、休み時間なくそのまま一限目の数学へと移行した。
方程式、因数分解、二次関数、順列組み合わせ……ざっと教科書をめくってみるが、書かれている内容はなんだか妙な解法だ。全てのステップを踏まないと次にはいけないロジックで、回りくどいし、効率が悪い。これがこっちの世界で普及しているサイエンステクノロジーってわけね。これじゃ、アルケミーテクノロジーの足元にも及ばないわね。
総帥がここにいるのは間違いないはずなんだけど。彼は、どんな考えがあって、こんな所にいるのだろうか。普通に考えたら、利得なんてない。そうなると、何かのっぴきならない事情があるとしか……。
私はやはり、不本意ながら後ろの席が気になってしょうがなかった。鎌井が黒板にチョークを擦り付けている間に、消しゴムを落としたふりをして拓馬の様子をチラ見する。
――やっぱ、今期の押しは『俺の嫁候補がマジ畜生なんだがじつは妹だった件』、略してチクイモのメロミちゃんか……いやはやしかし、キャラデ的には『アルプスの幼女バンジー』、略してアルバンのキララも捨てがたいと言わざるを得ない事情もあり、ってお前優柔不断もここまでくると成層圏に達しておるな、なんて航空機を見下ろしての一人突っ込みってか――。
はっ? なに、こいつ一人で何かやってる……マジ、キモッ。
っていうか、よく見ると、拓馬は辞書をくり抜いてタブレット端末を埋め込んだ大掛かりなツールを教科書で隠し、全力でサボりを決め込んでいる。それって、マジでどうなのよ。
その画面には、露出度の多い美少女が描かれたイラストが写っている。鞄や他の小道具もそんなキャラクターグッズで埋め尽くされていて、この一帯だけ華やかなことこの上ない。こいつ、アニメオタクもここまで拗らせていると、キモヲタとはよく言ったもの……文字通り、気持ち悪いことこの上ない。
こいつを見ていると、正直信じたくはない。けど、これだけ授業をサボっていて学年トップの成績ということは、可能性ゼロとは言えない。ひょっとしたら、こいつは……総帥……なのだろうか?
私は眼の少し前に手をかざし、拓馬の顔の下半分を隠す。
――う~む、本人だと言えばそうにも見えるけど、やっぱりあの戦地で感じた絶対的なオーラはどこにもないわね。いや、っていうかこんなクソみたいな奴が総帥なわけないでしょ。
少なくとも、こいつが違うということを確かめたいと私は思った。そうしないと、前に進めない気がする。
しかし、今は授業中だ。さっきから鎌井先生がこちらをチラ見している。拓馬=ダークマ様――私は一旦、その等式の証明を保留にして、先生が黒板に書き込んだ清楚な字を眺めた。そうやって、ただ無駄な時間を費やし、つまらない授業は終わった。
――よし、今だ。もう一度本人に聞いてみよう。
「ねぇ、拓馬さ。ちょっと――あれっ?」
私はすぐに後ろの拓馬を捕まえようとしたが、彼は休み時間になるとすぐに姿を消した。足が不自由なはずなのに、やけに素早い奴だ。超能力の類ではないかと勘ぐってしまう。とは言え、走れるわけではない。強引にやろうと思えばあんな奴すぐに掴まえられるだろうが、朝礼の時の事もあるし、無理に接触すると周りの目が気になる。
だからここは一つ、目立たないように動きたい。ま、時間はたっぷりあるから、気長にタイミングを探ろう。
――そして、結局話しかけられないまま三限の授業を終え、昼休みに突入した。
ガタガタと響く、背後の物音で私は察しがついた。教科書を引き出しに突っ込んで振り向いたときにはもぬけの殻。すでに教室の扉を出るところだった。
「……あいつ、ま~た逃げやがったわ」
走って彼を引き留めることは可能だが、少し目立ち過ぎるのではと躊躇した。
今から昼食か。
木笹からの情報によると、生徒たちは家から持ってきた弁当を食べるか、購買のショップでパンを買うか、それとも学食で長い列につくか、そのいずれかで腹の泣き虫を抑えるようだ。実家から通っている者は、節約にと親が弁当を持たせていることが多いらしい。パンは金のない寮住まいの一人暮らしがほとんどで、その他の少数派が学食という感じだ。
――もしあいつが総帥なら、自炊ってキャラじゃないし、弁当はないかな。となるとパンか学食だろうけど、あの感じでは他人とテーブルを共にして食べるようなキャラでもない。だとすると、おそらくパンね。すると、行先はショップ。
まだ間に合うかもしれない。「私もパンを買いに来た」と言えば、たまたま行き先が一緒だったってことで、教室外で声をかける切欠としてはうってつけだ。よし、追いかけよう。
私はすかさず教室を出た。ショップのある一階への階段を駆け下りる。時間的には、まだショップにはいるはずだ。
「ふぅ、やっぱりね」
拓馬は教室を早々に出ていたこともあり、すでに列の先頭でレジを済ませようとしていた。彼は会計を終えると、味気なさそうなパンを二つ右手に持って、左手で杖を器用に使いながら来た時とは違う経路の階段をするすると上がっていく。
――はて、どこへ行くんだろう?
ここで声をかけてもよかったが、私は彼の行先が気になり、そのまま後を追った。
彼は惑いなく三階に移動すると、そこから伸びる、向かいの特別教室棟へとつながる渡り廊下を歩いた。
私は、廊下を飾る背高の鉢植えに隠れ、彼の背中を眺めた。中空を渡る廊下の左右に配された窓から真昼の太陽光が差し込み、その中を歩く拓馬の小さな陰影を消し去っていく。外の喧騒が気になったのか、少しの間、彼が窓の外を見た。その横顔は、真っ白い光に透かされてどこか物憂げな表情を映し出す。
机上で美少女イラストを眺めてよだれを垂らしていた、さっきまでの彼とは違う。私は、秘めたる何かを感じずにはいられなかった。そして、無意識の内に総帥の横顔を重ねていた自分に気付き、頭を振って邪推を払い落とした。
彼は、廊下を渡り終えて特別教室棟に移ると、突き当りを右折してその姿を消した。私は慌てて走り出し、スピードを維持したまま同じように廊下を曲がろうとした……と、その時。
「――うわっと?!」私は急ブレーキを踏んだ。
すぐ近くの教室の前で、彼が誰かと話をしている。それも、教室で見せていた、不満で金型を取ったような不愛想な表情とは打って変わり、これでもかと言うくらいににこやかだ。
そして何より、その相手がよりにもよって女子というところに違和感を感じずにはいられない。
「な、なによ、あいつ?!」
制服の布地を押しのけるように張り出した大きな胸の間を、たすき掛けしたショートバッグのショルダーストラップが割り入って、独立した二つの山をこれでもかと立体的に浮き上がらせる。さらに、その曲線を赤く燃えるようなロングヘアが撫でるように這って、それを確かなものと強調している。そして、極端に短いスカートから覗く長い足は、引き締まった筋肉と滑らかな肌を露出して付け根がギリギリ見えるか見えないかの絶妙なバランスを保ち、色香を漂わせながらも、スポーティーな肉感が清涼感さえ生み出している。地球人が私たちと同じ美的感覚であるならば、かなりの健美と言わざるを得ない。
それが、拓馬の視線の先にいる相手。どう見ても、あいつとは真逆のベクトルに位置する女子高生だ。
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