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怜思篇
残響
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「同じ場所を選ぶなんて、よっぽどここがお気に入りなんだろうな」
湿った風が吹き抜ける。扇たちの狙い通り、公園の駐車場には一台のワゴン車が停まっていた。午後の早い時間だというのに、人影はない。鬱蒼とした茂みに身を潜め、絆侍が慎重に車へと近づいた。
「誰もいないな」
息を潜め、周囲を探る。鳥の声も止んでいる。
「やっぱりトイレ側か」
「だろうな。建物の中で隠す方が、やりやすい」
無事でいてほしい――直史の小さな声に、誰も返さなかった。
扇は顎に手を当て、じっと様子を見つめている。瞳の奥に冷えた光が宿っていた。
「これからどうするの?」
屈んだままの雄星が、扇の上着の裾を掴む。震える指先に、覚悟の色が混じっていた。
「お前たちは逃走経路を塞げ。何人いるか分からないが、足止めできれば十分だ。暴れたら俺が相手をする」
「よほど屈強じゃなければ、僕らも多少はやれるよ。怜思くんの喧嘩に散々付き合わされてきたからね」
「……お前は前に出るなよ」
絆侍が直史を睨む。剣道の大きな大会が控えている彼に、怪我をさせるわけにはいかない。
「そして、雄星」
名を呼ばれた青年が顔を上げた。胸の奥が熱くなる。
「お前は俺と来い。証拠を押さえたら怜思を助ける。逃げられたら追え。――走れるか?」
これは命令ではなく、信頼の確認だった。
同級生で、雄星の足の速さを知らない者はいない。
「……うん。走れる」
雄星は短く頷いた。その声は震えていなかった。怖くても、これだけは譲れない。
「よし。頼りにしてるぞ」
扇が彼の頭を軽く叩くと、雄星はほんの少しだけ笑った。
全員が配置につく。湿気を含んだ空気の中、息を呑む音すら重く響く。
予想は的中した。トイレの壁際、泥に汚れた怜思の姿が見える。三人の男が彼を取り囲み、ぐったりと横たわる姿を撮影していた。白い肌に青痣が浮かび、指先がかすかに震えている。
抵抗の意思が感じられない様子に違和感を持った扇が、あることに気がついた。
「……あの右脚、折れてるな」
扇の声が低く響く。録画ボタンを押し、短く息を吐いた。完全にイタズラの域を超えている。全員の目の色が変わった瞬間だった。
扇は画面をタップして録画を止めると、雄星に指示を送った。
「いけ」
獲物を狩る野生動物のように、雄星はただ一点だけを見つめていた。
「やああああ!!」
泥をはね上げて駆け出し、回転蹴りが唸りを上げる。男の身体が壁に叩きつけられ、空気が震えた。土埃が遅れて舞い上がる。すかさず扇が倒れた男を押さえ込んだ。
残る一人の腕を、絆侍が背後から取り押さえる。しかし体格差のせいで押さえ込みきれず、バットを掴まれて振り払われた。
「危ねっ!」
寸前で身を翻した絆侍が間合いを取り直す。バットの軌跡を見切り、相手の手首を払って奪い取る。
男は手の軽さに気づくのが一拍遅れた。
「──ガキだと思ってナメるなよ」
一閃。突きの鋭さに、男は目を見開いたまま戦意を失った。
「雄星!!」
扇の声が飛ぶ。思わぬ乱入者に、リーダー格の男は怜思を投げ捨てて逃げ出していた。
「走れ!」
雄星は反射的に駆け出した。草を踏みしめ、低木を飛び越える。
あの日届かなかった背中を、今度こそ掴んだ。
「逃がすもんかっ!」
男の襟を掴むと、全体重をかけるように地面に叩きつけた。相手が起き上がれないように、馬乗りで胸ぐらを掴む。握った拳が汗で滑る。喉の奥が焼けるほど痛かった。
「……何回殴ったの」
掠れた声で問う。その瞳は谷底のような闇を宿していた。怒りとも悲しみともつかない表情に、男は息を詰める。
「しーちゃんを何度殴った? どれだけ痛めつけた?」
男が返す間もなく、雄星の拳が落ちた。
二発――拳が痺れる。三発――皮膚に血のぬめり。
止め方が分からなかった。怒りと恐怖が同じ形をして胸を焼く。
「殴られたら痛いんだ。……絞められたら、苦しいんだよ」
雄星の手が男の首に掛かる。
「どうして、それが分からないの」
必死の抵抗を押し返す腕。その背を、誰かが強く掴んだ。
「ストップだ、雄星。殺す気か」
背後から落ち着いた声。扇の息が耳元で静かに響く。
雄星の力が抜けた。
「こういうのは、一発で仕留めるんだよ」
扇の拳が男の顔面を打ち抜く。地面に倒れた体を見下ろし、彼は小さく息を吐いた。
「やりすぎだが……まぁ、怜思があの状態じゃ仕方ないな。こっちは任せろ。行け」
雄星は頷き、公園へ駆け戻る。
救急車のサイレンが近づき、直史が警官に説明していた。
怜思が担架で運ばれていく。その上で、怜思がかすかに目を開けた。
「しーちゃん!」
雄星の声に、隊員が足を止める。
怜思の搬送を邪魔しないよう、絆侍が今にも飛びつきそうな雄星を押さえた。
それでも、彼は何度も名前を呼び続けた。
怜思の唇が微かに動く。
「……ユウ」
その一言で、全ての音が遠のいた。
「しーちゃん、オレ──」
「……ごめん」
雄星の言葉より先に、怜思が掠れた声で謝った。
涙が、互いの頬を伝っていく。
サイレンが遠ざかる。消毒液の匂いと風だけが残った。
雄星はその場に崩れ落ち、何も見えない空を見上げた。
湿った風が吹き抜ける。扇たちの狙い通り、公園の駐車場には一台のワゴン車が停まっていた。午後の早い時間だというのに、人影はない。鬱蒼とした茂みに身を潜め、絆侍が慎重に車へと近づいた。
「誰もいないな」
息を潜め、周囲を探る。鳥の声も止んでいる。
「やっぱりトイレ側か」
「だろうな。建物の中で隠す方が、やりやすい」
無事でいてほしい――直史の小さな声に、誰も返さなかった。
扇は顎に手を当て、じっと様子を見つめている。瞳の奥に冷えた光が宿っていた。
「これからどうするの?」
屈んだままの雄星が、扇の上着の裾を掴む。震える指先に、覚悟の色が混じっていた。
「お前たちは逃走経路を塞げ。何人いるか分からないが、足止めできれば十分だ。暴れたら俺が相手をする」
「よほど屈強じゃなければ、僕らも多少はやれるよ。怜思くんの喧嘩に散々付き合わされてきたからね」
「……お前は前に出るなよ」
絆侍が直史を睨む。剣道の大きな大会が控えている彼に、怪我をさせるわけにはいかない。
「そして、雄星」
名を呼ばれた青年が顔を上げた。胸の奥が熱くなる。
「お前は俺と来い。証拠を押さえたら怜思を助ける。逃げられたら追え。――走れるか?」
これは命令ではなく、信頼の確認だった。
同級生で、雄星の足の速さを知らない者はいない。
「……うん。走れる」
雄星は短く頷いた。その声は震えていなかった。怖くても、これだけは譲れない。
「よし。頼りにしてるぞ」
扇が彼の頭を軽く叩くと、雄星はほんの少しだけ笑った。
全員が配置につく。湿気を含んだ空気の中、息を呑む音すら重く響く。
予想は的中した。トイレの壁際、泥に汚れた怜思の姿が見える。三人の男が彼を取り囲み、ぐったりと横たわる姿を撮影していた。白い肌に青痣が浮かび、指先がかすかに震えている。
抵抗の意思が感じられない様子に違和感を持った扇が、あることに気がついた。
「……あの右脚、折れてるな」
扇の声が低く響く。録画ボタンを押し、短く息を吐いた。完全にイタズラの域を超えている。全員の目の色が変わった瞬間だった。
扇は画面をタップして録画を止めると、雄星に指示を送った。
「いけ」
獲物を狩る野生動物のように、雄星はただ一点だけを見つめていた。
「やああああ!!」
泥をはね上げて駆け出し、回転蹴りが唸りを上げる。男の身体が壁に叩きつけられ、空気が震えた。土埃が遅れて舞い上がる。すかさず扇が倒れた男を押さえ込んだ。
残る一人の腕を、絆侍が背後から取り押さえる。しかし体格差のせいで押さえ込みきれず、バットを掴まれて振り払われた。
「危ねっ!」
寸前で身を翻した絆侍が間合いを取り直す。バットの軌跡を見切り、相手の手首を払って奪い取る。
男は手の軽さに気づくのが一拍遅れた。
「──ガキだと思ってナメるなよ」
一閃。突きの鋭さに、男は目を見開いたまま戦意を失った。
「雄星!!」
扇の声が飛ぶ。思わぬ乱入者に、リーダー格の男は怜思を投げ捨てて逃げ出していた。
「走れ!」
雄星は反射的に駆け出した。草を踏みしめ、低木を飛び越える。
あの日届かなかった背中を、今度こそ掴んだ。
「逃がすもんかっ!」
男の襟を掴むと、全体重をかけるように地面に叩きつけた。相手が起き上がれないように、馬乗りで胸ぐらを掴む。握った拳が汗で滑る。喉の奥が焼けるほど痛かった。
「……何回殴ったの」
掠れた声で問う。その瞳は谷底のような闇を宿していた。怒りとも悲しみともつかない表情に、男は息を詰める。
「しーちゃんを何度殴った? どれだけ痛めつけた?」
男が返す間もなく、雄星の拳が落ちた。
二発――拳が痺れる。三発――皮膚に血のぬめり。
止め方が分からなかった。怒りと恐怖が同じ形をして胸を焼く。
「殴られたら痛いんだ。……絞められたら、苦しいんだよ」
雄星の手が男の首に掛かる。
「どうして、それが分からないの」
必死の抵抗を押し返す腕。その背を、誰かが強く掴んだ。
「ストップだ、雄星。殺す気か」
背後から落ち着いた声。扇の息が耳元で静かに響く。
雄星の力が抜けた。
「こういうのは、一発で仕留めるんだよ」
扇の拳が男の顔面を打ち抜く。地面に倒れた体を見下ろし、彼は小さく息を吐いた。
「やりすぎだが……まぁ、怜思があの状態じゃ仕方ないな。こっちは任せろ。行け」
雄星は頷き、公園へ駆け戻る。
救急車のサイレンが近づき、直史が警官に説明していた。
怜思が担架で運ばれていく。その上で、怜思がかすかに目を開けた。
「しーちゃん!」
雄星の声に、隊員が足を止める。
怜思の搬送を邪魔しないよう、絆侍が今にも飛びつきそうな雄星を押さえた。
それでも、彼は何度も名前を呼び続けた。
怜思の唇が微かに動く。
「……ユウ」
その一言で、全ての音が遠のいた。
「しーちゃん、オレ──」
「……ごめん」
雄星の言葉より先に、怜思が掠れた声で謝った。
涙が、互いの頬を伝っていく。
サイレンが遠ざかる。消毒液の匂いと風だけが残った。
雄星はその場に崩れ落ち、何も見えない空を見上げた。
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