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第三章「兄と弟」
3「おべんとう」
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二日目、翌日の朝。
兄貴は起きるなり、俺の姿を見て驚いた顔を見せた。
「うわー! スーツなんて着てる! 義明って本当に大人なんだねぇ!」
兄貴はダイニングのテーブルで朝飯を食べている俺の横にわざわざ来て言った。その目は物珍しそうに俺を見ている。俺は珍獣か何かか?
「朝からうるさい」
俺は手を伸ばして、兄貴のくしゃっと寝癖が付いた頭を押し付けるように撫でた。そして、空いているもう片手でコーヒーを飲み切って、席を立つ。
「じゃあ、俺はもう行くから」
もう家を出る時間だ。俺は洗面所で歯を磨き、身だしなみを整えてから背広を着て、カバンを片手に持った。
その様子を兄貴はまだ興味深そうに見ている。
まさか、会社にまでついてくる、なんて言わないよな? とちょっと不安に思いながら、さっさと靴を履いて玄関のドアを開けた。
「じゃあな」
そう見送る兄貴に言うと、俺の予想とは反して兄貴は笑顔で俺に手を振った。
「はーい、いってらっしゃーい」
兄貴はそれだけしか言わず。良かった、僕も行くッ! とか言いだされなくて、と俺はほっと少し安堵しながら家を出た。けれど、家を出ても結局俺の頭の中にあるのは兄貴の事だった。
そういや兄貴、今日は何するんだろ? 家にいるのか? それとも父さんと母さんと出かけるんだろうか? 何も聞かなかったけど、気になるな。……それにしても昨日寝る時、俺、兄貴の事で何か考えたことがあったけど、なんだったけ?
俺は首をひねりながら考えたが、結局何も浮かんでこなかった。
まあ、兄貴は兄貴で楽しむだろ。
そう思って、電車通勤の俺は、秋の暖かな日和の中、昨日兄貴と歩いた駅に向かって歩いた。
しかし、それは甘い考えだったと、昼頃になって俺は知る。
俺のデスクに置いてある電話が鳴り、それを取ると電話先は一階の受付からで。
電話の内容を聞いた俺は慌てて一階のエントランスに向かった。すると、そこには受付の女の子達と楽しく話す兄貴の姿があり……。
「あ、義明!」
兄貴は俺の姿を見つけるなり、能天気な声を出して駆け寄ってきた。そんな兄貴に俺は思わず「ここで何してんだ!」と少し語気を強めに尋ねてしまった。言った後で少々ぶっきら棒すぎた、と後悔したが兄貴は何のその、へらっと笑って背負っていたカバンから風呂敷に包まれた弁当を俺に差し出した。
「お弁当、持ってきたんだー!」
兄貴はにこにこしながら言い、思わぬものが出てきたことに俺は呆気に取られた。
「弁当?」
俺は兄貴が差し出す弁当を見つめて言った。今まで母親に弁当を作ってほしいと頼んだことはない。だから、弁当を忘れた、という事はない。なのにどうして弁当が出てきたのか? その疑問が顔に出ていたのか、兄貴はにっこり笑って答えた。
「義明に食べてもらいたくて、作ったんだ! へへ!」
「俺に?」
「うん、それに……義明が働いてる所、見たくって。ごめんね」
兄貴は上目遣いで可愛く謝った。わざとだ、と俺にはわかったが、受付嬢達は可愛い、いい子だわ、みたいな目で見ている。なので、ここで俺が怒りでもすれば、その悪評はすぐに会社の中に回るだろう。受付嬢達のコネクションは俺よりも広いのだ。
俺は仕方なくため息をついて頭を掻いた。
全く、母さんか父さんが止めてくれてもよかったのに。そう思いながら、俺は兄貴に視線を向けた。
「わかった。ちょっとここで待ってろ」
「はーい」
兄貴は良い子の見本のように返事をして、俺はため息をつきながら自分の部署に戻った。その後、上司に事情を説明し、俺は早めに休憩を取ることになった。背広を着て、上着とカバンを手にロビーに戻ると、兄貴は大人しくロビーの隅に置かれているソファに座っていた。
そして俺を見つけると、すぐに立ち上がり俺の元に駆けてきた。
「休憩を貰ってきた、外で飯にするぞ」
俺がそう告げると、兄貴はとても不服そうな顔を見せた。
「えー? 義明が働いているところ、見せてくれないのー?」
兄貴は頬を膨らませて言ったが、俺はその膨らんだ両頬を片手でむぎゅっと掴んだ。
「子供を仕事場に連れて行けるわけないだろ。ほら、行くぞ」
俺がそう言うと、兄貴は仕方ない、といった顔で俺の後ろをついてきた。
それから俺は兄貴を連れて、近くの公園に行った。まだ昼前だったからか、いつもはサラリーマンやOL達で賑わっている公園も静かなものだった。
だが秋の風はもう冷たく。俺は公園の自動販売機で暖かい緑茶を買って一つを兄貴に渡し、俺達は公園のベンチに仲良く並んで座った。
「全く、急に会社まで来るなんて、何考えてんだ」
俺は温かな緑茶を飲みながら、やっと兄貴に愚痴った。
「だって義明が働いてるところが見たかったんだもん。それにお母さんが義明はいつもお弁当持って行ってないっていうから、持ってきてあげようかな? と思って」
兄貴は悪びれるどころか、にこにこしながら緑茶を飲みながら言った。
「弁当はついでだろ、ついで。全く」
俺はそう言いながら、兄貴から受け取った弁当の蓋を開けた。そして俺の隣で同じように兄貴も弁当の蓋を開ける。準備がいいことに、兄貴は自分の分の弁当も作って持ってきていたのだ。つまり鼻っから俺と食べるつもりだったのだろう。計画的犯行過ぎて、俺は呆れかえるしかなかった。
「このお弁当、全部僕が作ったんだよ! あ、もちろんお母さんに手伝ってもらったけど」
兄貴は俺の気持ちなんてお構いなしに笑って言った。膝の上にある弁当の中は母さんが作ったにはかなり見劣りする出来栄えだ。しかし、中のおかずはどれも俺が好きなものばかり。
から揚げに卵焼き、アスパラガスのベーコン巻き、ほうれん草の和え物、白いご飯の上には梅干しと隅に弁当サイズの焼き鮭、彩にブロッコリーとプチトマト。
こんな弁当は高校の時以来だ。
「義明、から揚げ好きだったでしょ? それに甘い卵焼きも! 卵焼き、ちょっと焦げてるけど許してね」
兄貴は笑いながら言い、俺は俺の為に作られた弁当を食べ始めた。
うん、母さんの味だ。
俺は久しく食べていなかったお弁当を食べながら思った。
「どう、おいしい?」
兄貴は俺の顔を窺うように尋ねた。その表情は少し不安そうだ。だから、俺は言いたくなかったけれど正直に答えた。
「うまいよ。ありがとな」
俺がそう告げると、兄貴は嬉しそうに子供らしく、にこーっと笑った。
「良かった。へへ」
兄貴は心底嬉しそうにして、自分も俺と同じおかずが入った小さめのお弁当を食べ始めた。その顔を見て、なんだか俺はすっかり毒気が抜かれてしまった気になった。
この陽気な天気のせいもあるのだろう。兄貴と食べる弁当は、特別に美味しく感じた。
「じゃあ、僕はここで帰るね」
兄貴は俺の休憩時間が終わりに近いことに気が付くと、自らそう言った。てっきり、会社までまた付いてくるのだと思っていた俺はどうやって家に帰そうかと考えていたのに。
「え? あ、一人で帰れるのか?」
俺は少し間抜けた声で聞き返した。兄貴はリュックを背負って俺の前に立った。
「一人でここまで来たんだから、一人で帰れるよ。僕、十一歳なんだよ?」
そう兄貴は笑顔で答えた。その答えに俺は少し驚く、兄貴の中では十一歳で止まっている事に。
……俺はもう兄貴の年をあっという間に越えていることに。
「そうか。なら、バス停まで送る。バスで来たんだろ?」
そう俺は言ったが兄貴は断った。
「大丈夫だよ、公園の外までで。義明も忙しいでしょ?」
「……わかった。なら、公園の外までな」
俺は頷き、鞄を持って兄貴と一緒に公園の外まで歩いた。
「じゃあ、また家でね。義明」
兄貴は公園のゲートで立ち止まって言い、俺は「ああ」と答えた。でも、兄貴にはそれだけで十分だったのか笑顔で「仕事頑張ってね!」と俺に手を振って一人であっさり帰ってしまった。
なんだか拍子抜けだ。と思いつつも、俺は兄貴に背を向けて一人、会社に戻った。
それから仕事に戻り、夕方六時過ぎ。
兄貴が帰生している事を知った上司が気を利かせて定時に上がらせてくれ、俺は少し寄り道をして家に帰った。
「おかえりー」
兄貴は俺が帰ってくるのを待ち構えていたかのように、玄関に現れた。
「ただいま。……これ」
俺はそう言うと、手に持っていたビニール袋を兄貴に渡した。
「ん? 何、これ」
兄貴はそう言うと、中身をビニール袋の中を覗いた。中にはスーパーで買ってきたイチゴ大福と三色団子、みたらし団子が入っていた。
「わー! 僕の好きなお団子!」
兄貴はそう言うと顔を輝かせて俺を見た。
「今日の弁当のお礼。好きだっただろ」
俺はそう言って喜ぶ兄貴を他所に靴を脱いだ。帰り際、電車に揺られている時に何となく兄貴が団子系、特にイチゴ大福が好きだったことを思い出し、帰りにスーパーに寄って買ってきたのだ。だが、イチゴ大福だけだと何となく少なく感じて、みたらしや三色団子と余計なものまで買ってきてしまった。
「ありがとう、義明!」
兄貴は嬉しそうに言った。どうやら買ってきて正解だったようだ。兄貴は久しぶりの団子が嬉しいのか「お母さーん! 義明がお団子買ってきてくれたー!」とリビングに駆けて行った。スーパーの団子ぐらいであそこまで喜んでくれると、もっとちゃんとした和菓子屋でいいものを買ってくれば良かった、と少し後悔が募る。
しかしまあ兄貴が喜んでいるからいいか、と俺は靴を脱いで、そのままリビングには寄らずに自室に上がった。俺はすぐにスーツを脱ぎ、そのまま風呂に入って夕飯を家族で食べた。
だが、今日は昨日と違って普通だった。何がどう普通なのか? と聞かれれば、よくわからないが兄貴が帰ってきて浮かれ気味だった両親の様子がいつもと同じだった。
父さんも母さんも一日経てば、少し落ち着いたのだろう、と俺は思った。それに兄貴は見事に家族の輪の中に馴染んでいた。まるで最初からそこにいたかのように。
俺は胸の痛みを感じることなく夕飯を食べ終え、そして兄貴と言えば母さんに「どれか一個だけよ」と言われて、イチゴ大福をデザートに満足そうに食べていた。
その後は親父と一緒に風呂に入りに行き、ようやく静かになったリビングで、俺はテレビのバラエティ番組を見ながらゆっくりとした。
兄貴が帰って来てから、落ち着かない時間が続いているからか、ほっと息をつく。
けれど、そんな俺に母さんが話しかけてきた。
「義明、義行のお弁当はどうだった?」
母さんはにこにこしながら俺に聞き、俺はその事を思い出して、むっと顔をしかめた。
「どうだった? じゃないよ。急に来るからこっちは驚いたってーの。来させるなら俺に電話ぐらい入れてくれても良かったんじゃない? そもそも会社にまで連れてこさせないでくれ」
俺は少し責めるように母さんに言ったが、母さんは何のその。
「あら、仕方ないじゃない。義行がどうしてもあんたの為にお弁当作りたいっていうんだから」
「だからって」
「あの子なりに、弟のあんたに何かしたかったんでしょ。義明だってそれがわかったから、義行を無下に追い返さなかったんでしょう? 義行から聞いたわよ。仲良く公園でお昼を食べたんでしょ? 義行、楽しそうに話してたわよ」
母さんはにまっと笑って俺に言った。そう言われてしまえば、俺は何も言えなくなる。
「でも、だからってまた弁当を持たせないでくれよ? 今回は特別だ」
俺はそう釘を刺すしかできなかった。でも母さんは「はいはい」と受け流すようにしか聞かず、大丈夫か? と俺は思ったが、これ以上言ったところで、母さんが聞くようには思わなかったので俺はただ黙るしかなかった。
「ところで義明、お昼には義行と別れたのよね?」
母さんは確認するように俺に聞いてきた。
「そうだけど?」
俺がそう答えると、母さんは少し考えた顔を見せた。
「どうかしたの?」
「うーん、それがね。義行が家に戻ってきたの、四時ぐらいだったのよ。どこに行ってたの? って聞いても、秘密、としか言わなくて」
「四時?」
俺と別れたのは十二時だ。それから四時間、兄貴は何をしてたんだ?
「義行、どこに行っていたのかしら?」
母さんは首を捻りながらつぶやいたが、その答えは俺にもわからなかった。結局、わからないまま俺は眠気を感じて、自室に戻った。
が、俺はベッドに入り込んでも、兄貴がどこに行ったのかがやっぱり気になって眠いのになかなか寝付けれなかった。
兄貴が行くところなんてあるんだろうか? ほとんど病院と家の往復しかしていなかった兄貴に行く場所なんて……?
そんな事を悶々と考えていると、部屋のドアが何の前触れもなく開けられた。
「義明、一緒に寝よーっ!」
お風呂上がりの兄貴は枕を抱えて俺の部屋に笑顔でやってきた。そして俺の許可なくベッドに上がり込み、シングルの狭いベッドに勝手に侵入してきた。
「ちょ、ちょ! 急になんだよ!? 今日も親父たちと一緒に寝るんじゃないのか?!」
俺が少し体を起こして言うと、兄貴は俺の横に寝転がって「今日は義明と寝るの!」と言い放った。どうやら、そこに俺の選択肢はないらしい。
「どうして俺と」
「兄弟なんだから、一緒に寝てもいいでしょ?」
兄貴は寝っ転がりながら俺に言った。だが、兄弟と言ってもこっちは大人だ。勘弁してくれよ、と俺は思ったが兄貴はもうすっかり寝る気である。
そこに俺の拒否権がないことを再確認し、小さくため息をついて俺は体を完全に起こし、サイドボードの電気を点けた。
「ん、どうしたの義明?」
「俺が落とすかもしれないから、こっちで寝ろ」
俺は兄貴に壁際で寝るように言った。朝起きたら、兄貴がベッドから落ちているなんて、目覚めが悪い。兄貴は俺の言葉の意味を理解したのか「うん!」と頷いて、起き上がった俺の後ろを移動して、壁際に寝転がった。
「へへ、義明って見かけによらず優しいよねー」
兄貴は笑いながらいい、俺は「さっさと寝ろ」とぶっきら棒に言って、電気を消して布団に潜り込んだ。誰かがいるベッドは暖かい。
「おやすみ、義明」
「ああ」
俺は短く返事をして目を瞑った。子供体温の兄貴は湯たんぽのように暖かくて、俺はその温もりを感じながら、すぐに眠りに落ちてしまった。
また、兄貴に問いかけることを忘れて。
兄貴は起きるなり、俺の姿を見て驚いた顔を見せた。
「うわー! スーツなんて着てる! 義明って本当に大人なんだねぇ!」
兄貴はダイニングのテーブルで朝飯を食べている俺の横にわざわざ来て言った。その目は物珍しそうに俺を見ている。俺は珍獣か何かか?
「朝からうるさい」
俺は手を伸ばして、兄貴のくしゃっと寝癖が付いた頭を押し付けるように撫でた。そして、空いているもう片手でコーヒーを飲み切って、席を立つ。
「じゃあ、俺はもう行くから」
もう家を出る時間だ。俺は洗面所で歯を磨き、身だしなみを整えてから背広を着て、カバンを片手に持った。
その様子を兄貴はまだ興味深そうに見ている。
まさか、会社にまでついてくる、なんて言わないよな? とちょっと不安に思いながら、さっさと靴を履いて玄関のドアを開けた。
「じゃあな」
そう見送る兄貴に言うと、俺の予想とは反して兄貴は笑顔で俺に手を振った。
「はーい、いってらっしゃーい」
兄貴はそれだけしか言わず。良かった、僕も行くッ! とか言いだされなくて、と俺はほっと少し安堵しながら家を出た。けれど、家を出ても結局俺の頭の中にあるのは兄貴の事だった。
そういや兄貴、今日は何するんだろ? 家にいるのか? それとも父さんと母さんと出かけるんだろうか? 何も聞かなかったけど、気になるな。……それにしても昨日寝る時、俺、兄貴の事で何か考えたことがあったけど、なんだったけ?
俺は首をひねりながら考えたが、結局何も浮かんでこなかった。
まあ、兄貴は兄貴で楽しむだろ。
そう思って、電車通勤の俺は、秋の暖かな日和の中、昨日兄貴と歩いた駅に向かって歩いた。
しかし、それは甘い考えだったと、昼頃になって俺は知る。
俺のデスクに置いてある電話が鳴り、それを取ると電話先は一階の受付からで。
電話の内容を聞いた俺は慌てて一階のエントランスに向かった。すると、そこには受付の女の子達と楽しく話す兄貴の姿があり……。
「あ、義明!」
兄貴は俺の姿を見つけるなり、能天気な声を出して駆け寄ってきた。そんな兄貴に俺は思わず「ここで何してんだ!」と少し語気を強めに尋ねてしまった。言った後で少々ぶっきら棒すぎた、と後悔したが兄貴は何のその、へらっと笑って背負っていたカバンから風呂敷に包まれた弁当を俺に差し出した。
「お弁当、持ってきたんだー!」
兄貴はにこにこしながら言い、思わぬものが出てきたことに俺は呆気に取られた。
「弁当?」
俺は兄貴が差し出す弁当を見つめて言った。今まで母親に弁当を作ってほしいと頼んだことはない。だから、弁当を忘れた、という事はない。なのにどうして弁当が出てきたのか? その疑問が顔に出ていたのか、兄貴はにっこり笑って答えた。
「義明に食べてもらいたくて、作ったんだ! へへ!」
「俺に?」
「うん、それに……義明が働いてる所、見たくって。ごめんね」
兄貴は上目遣いで可愛く謝った。わざとだ、と俺にはわかったが、受付嬢達は可愛い、いい子だわ、みたいな目で見ている。なので、ここで俺が怒りでもすれば、その悪評はすぐに会社の中に回るだろう。受付嬢達のコネクションは俺よりも広いのだ。
俺は仕方なくため息をついて頭を掻いた。
全く、母さんか父さんが止めてくれてもよかったのに。そう思いながら、俺は兄貴に視線を向けた。
「わかった。ちょっとここで待ってろ」
「はーい」
兄貴は良い子の見本のように返事をして、俺はため息をつきながら自分の部署に戻った。その後、上司に事情を説明し、俺は早めに休憩を取ることになった。背広を着て、上着とカバンを手にロビーに戻ると、兄貴は大人しくロビーの隅に置かれているソファに座っていた。
そして俺を見つけると、すぐに立ち上がり俺の元に駆けてきた。
「休憩を貰ってきた、外で飯にするぞ」
俺がそう告げると、兄貴はとても不服そうな顔を見せた。
「えー? 義明が働いているところ、見せてくれないのー?」
兄貴は頬を膨らませて言ったが、俺はその膨らんだ両頬を片手でむぎゅっと掴んだ。
「子供を仕事場に連れて行けるわけないだろ。ほら、行くぞ」
俺がそう言うと、兄貴は仕方ない、といった顔で俺の後ろをついてきた。
それから俺は兄貴を連れて、近くの公園に行った。まだ昼前だったからか、いつもはサラリーマンやOL達で賑わっている公園も静かなものだった。
だが秋の風はもう冷たく。俺は公園の自動販売機で暖かい緑茶を買って一つを兄貴に渡し、俺達は公園のベンチに仲良く並んで座った。
「全く、急に会社まで来るなんて、何考えてんだ」
俺は温かな緑茶を飲みながら、やっと兄貴に愚痴った。
「だって義明が働いてるところが見たかったんだもん。それにお母さんが義明はいつもお弁当持って行ってないっていうから、持ってきてあげようかな? と思って」
兄貴は悪びれるどころか、にこにこしながら緑茶を飲みながら言った。
「弁当はついでだろ、ついで。全く」
俺はそう言いながら、兄貴から受け取った弁当の蓋を開けた。そして俺の隣で同じように兄貴も弁当の蓋を開ける。準備がいいことに、兄貴は自分の分の弁当も作って持ってきていたのだ。つまり鼻っから俺と食べるつもりだったのだろう。計画的犯行過ぎて、俺は呆れかえるしかなかった。
「このお弁当、全部僕が作ったんだよ! あ、もちろんお母さんに手伝ってもらったけど」
兄貴は俺の気持ちなんてお構いなしに笑って言った。膝の上にある弁当の中は母さんが作ったにはかなり見劣りする出来栄えだ。しかし、中のおかずはどれも俺が好きなものばかり。
から揚げに卵焼き、アスパラガスのベーコン巻き、ほうれん草の和え物、白いご飯の上には梅干しと隅に弁当サイズの焼き鮭、彩にブロッコリーとプチトマト。
こんな弁当は高校の時以来だ。
「義明、から揚げ好きだったでしょ? それに甘い卵焼きも! 卵焼き、ちょっと焦げてるけど許してね」
兄貴は笑いながら言い、俺は俺の為に作られた弁当を食べ始めた。
うん、母さんの味だ。
俺は久しく食べていなかったお弁当を食べながら思った。
「どう、おいしい?」
兄貴は俺の顔を窺うように尋ねた。その表情は少し不安そうだ。だから、俺は言いたくなかったけれど正直に答えた。
「うまいよ。ありがとな」
俺がそう告げると、兄貴は嬉しそうに子供らしく、にこーっと笑った。
「良かった。へへ」
兄貴は心底嬉しそうにして、自分も俺と同じおかずが入った小さめのお弁当を食べ始めた。その顔を見て、なんだか俺はすっかり毒気が抜かれてしまった気になった。
この陽気な天気のせいもあるのだろう。兄貴と食べる弁当は、特別に美味しく感じた。
「じゃあ、僕はここで帰るね」
兄貴は俺の休憩時間が終わりに近いことに気が付くと、自らそう言った。てっきり、会社までまた付いてくるのだと思っていた俺はどうやって家に帰そうかと考えていたのに。
「え? あ、一人で帰れるのか?」
俺は少し間抜けた声で聞き返した。兄貴はリュックを背負って俺の前に立った。
「一人でここまで来たんだから、一人で帰れるよ。僕、十一歳なんだよ?」
そう兄貴は笑顔で答えた。その答えに俺は少し驚く、兄貴の中では十一歳で止まっている事に。
……俺はもう兄貴の年をあっという間に越えていることに。
「そうか。なら、バス停まで送る。バスで来たんだろ?」
そう俺は言ったが兄貴は断った。
「大丈夫だよ、公園の外までで。義明も忙しいでしょ?」
「……わかった。なら、公園の外までな」
俺は頷き、鞄を持って兄貴と一緒に公園の外まで歩いた。
「じゃあ、また家でね。義明」
兄貴は公園のゲートで立ち止まって言い、俺は「ああ」と答えた。でも、兄貴にはそれだけで十分だったのか笑顔で「仕事頑張ってね!」と俺に手を振って一人であっさり帰ってしまった。
なんだか拍子抜けだ。と思いつつも、俺は兄貴に背を向けて一人、会社に戻った。
それから仕事に戻り、夕方六時過ぎ。
兄貴が帰生している事を知った上司が気を利かせて定時に上がらせてくれ、俺は少し寄り道をして家に帰った。
「おかえりー」
兄貴は俺が帰ってくるのを待ち構えていたかのように、玄関に現れた。
「ただいま。……これ」
俺はそう言うと、手に持っていたビニール袋を兄貴に渡した。
「ん? 何、これ」
兄貴はそう言うと、中身をビニール袋の中を覗いた。中にはスーパーで買ってきたイチゴ大福と三色団子、みたらし団子が入っていた。
「わー! 僕の好きなお団子!」
兄貴はそう言うと顔を輝かせて俺を見た。
「今日の弁当のお礼。好きだっただろ」
俺はそう言って喜ぶ兄貴を他所に靴を脱いだ。帰り際、電車に揺られている時に何となく兄貴が団子系、特にイチゴ大福が好きだったことを思い出し、帰りにスーパーに寄って買ってきたのだ。だが、イチゴ大福だけだと何となく少なく感じて、みたらしや三色団子と余計なものまで買ってきてしまった。
「ありがとう、義明!」
兄貴は嬉しそうに言った。どうやら買ってきて正解だったようだ。兄貴は久しぶりの団子が嬉しいのか「お母さーん! 義明がお団子買ってきてくれたー!」とリビングに駆けて行った。スーパーの団子ぐらいであそこまで喜んでくれると、もっとちゃんとした和菓子屋でいいものを買ってくれば良かった、と少し後悔が募る。
しかしまあ兄貴が喜んでいるからいいか、と俺は靴を脱いで、そのままリビングには寄らずに自室に上がった。俺はすぐにスーツを脱ぎ、そのまま風呂に入って夕飯を家族で食べた。
だが、今日は昨日と違って普通だった。何がどう普通なのか? と聞かれれば、よくわからないが兄貴が帰ってきて浮かれ気味だった両親の様子がいつもと同じだった。
父さんも母さんも一日経てば、少し落ち着いたのだろう、と俺は思った。それに兄貴は見事に家族の輪の中に馴染んでいた。まるで最初からそこにいたかのように。
俺は胸の痛みを感じることなく夕飯を食べ終え、そして兄貴と言えば母さんに「どれか一個だけよ」と言われて、イチゴ大福をデザートに満足そうに食べていた。
その後は親父と一緒に風呂に入りに行き、ようやく静かになったリビングで、俺はテレビのバラエティ番組を見ながらゆっくりとした。
兄貴が帰って来てから、落ち着かない時間が続いているからか、ほっと息をつく。
けれど、そんな俺に母さんが話しかけてきた。
「義明、義行のお弁当はどうだった?」
母さんはにこにこしながら俺に聞き、俺はその事を思い出して、むっと顔をしかめた。
「どうだった? じゃないよ。急に来るからこっちは驚いたってーの。来させるなら俺に電話ぐらい入れてくれても良かったんじゃない? そもそも会社にまで連れてこさせないでくれ」
俺は少し責めるように母さんに言ったが、母さんは何のその。
「あら、仕方ないじゃない。義行がどうしてもあんたの為にお弁当作りたいっていうんだから」
「だからって」
「あの子なりに、弟のあんたに何かしたかったんでしょ。義明だってそれがわかったから、義行を無下に追い返さなかったんでしょう? 義行から聞いたわよ。仲良く公園でお昼を食べたんでしょ? 義行、楽しそうに話してたわよ」
母さんはにまっと笑って俺に言った。そう言われてしまえば、俺は何も言えなくなる。
「でも、だからってまた弁当を持たせないでくれよ? 今回は特別だ」
俺はそう釘を刺すしかできなかった。でも母さんは「はいはい」と受け流すようにしか聞かず、大丈夫か? と俺は思ったが、これ以上言ったところで、母さんが聞くようには思わなかったので俺はただ黙るしかなかった。
「ところで義明、お昼には義行と別れたのよね?」
母さんは確認するように俺に聞いてきた。
「そうだけど?」
俺がそう答えると、母さんは少し考えた顔を見せた。
「どうかしたの?」
「うーん、それがね。義行が家に戻ってきたの、四時ぐらいだったのよ。どこに行ってたの? って聞いても、秘密、としか言わなくて」
「四時?」
俺と別れたのは十二時だ。それから四時間、兄貴は何をしてたんだ?
「義行、どこに行っていたのかしら?」
母さんは首を捻りながらつぶやいたが、その答えは俺にもわからなかった。結局、わからないまま俺は眠気を感じて、自室に戻った。
が、俺はベッドに入り込んでも、兄貴がどこに行ったのかがやっぱり気になって眠いのになかなか寝付けれなかった。
兄貴が行くところなんてあるんだろうか? ほとんど病院と家の往復しかしていなかった兄貴に行く場所なんて……?
そんな事を悶々と考えていると、部屋のドアが何の前触れもなく開けられた。
「義明、一緒に寝よーっ!」
お風呂上がりの兄貴は枕を抱えて俺の部屋に笑顔でやってきた。そして俺の許可なくベッドに上がり込み、シングルの狭いベッドに勝手に侵入してきた。
「ちょ、ちょ! 急になんだよ!? 今日も親父たちと一緒に寝るんじゃないのか?!」
俺が少し体を起こして言うと、兄貴は俺の横に寝転がって「今日は義明と寝るの!」と言い放った。どうやら、そこに俺の選択肢はないらしい。
「どうして俺と」
「兄弟なんだから、一緒に寝てもいいでしょ?」
兄貴は寝っ転がりながら俺に言った。だが、兄弟と言ってもこっちは大人だ。勘弁してくれよ、と俺は思ったが兄貴はもうすっかり寝る気である。
そこに俺の拒否権がないことを再確認し、小さくため息をついて俺は体を完全に起こし、サイドボードの電気を点けた。
「ん、どうしたの義明?」
「俺が落とすかもしれないから、こっちで寝ろ」
俺は兄貴に壁際で寝るように言った。朝起きたら、兄貴がベッドから落ちているなんて、目覚めが悪い。兄貴は俺の言葉の意味を理解したのか「うん!」と頷いて、起き上がった俺の後ろを移動して、壁際に寝転がった。
「へへ、義明って見かけによらず優しいよねー」
兄貴は笑いながらいい、俺は「さっさと寝ろ」とぶっきら棒に言って、電気を消して布団に潜り込んだ。誰かがいるベッドは暖かい。
「おやすみ、義明」
「ああ」
俺は短く返事をして目を瞑った。子供体温の兄貴は湯たんぽのように暖かくて、俺はその温もりを感じながら、すぐに眠りに落ちてしまった。
また、兄貴に問いかけることを忘れて。
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フルタイムで働きながらワンオペで子育てをし、夫のケアもしていた井口虹子は、結婚十六年目のある夜、限界を迎える。
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■十八歳以下の男女の性行為があります。
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※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※表紙イラスト=ミカスケ様
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