君が笑うから僕も笑う

神谷レイン

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第三章「兄と弟」

6「イチゴ大福」

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 それから兄貴は俺と両親と一緒に近くの遊園地に行った。
 どのアトラクションも兄貴は喜んで乗り、年老いた両親の代わりに俺が兄貴に付き合うことになった。平日の遊園地は人が少なく、待ち時間もほとんどなく代わる代わる元気な兄貴に付き合ってアトラクションに乗ることに……。だが、さすがの俺も疲れて、母さんにバトンタッチして父さんと一緒にベンチに座った。

 兄貴は今、母さんと楽し気にメリーゴーランドに乗っている。その様子をぼんやりと眺めていると隣に座っている父さんがおもむろに話しかけてきた。

「義明、来てくれてありがとうな」

 父さんの突然の感謝に俺は驚いた。

「え?」
「義行な、入院していた時からこうやって家族で遊園地に行きたいって言ってたんだよ。それが夢だって」
「兄ちゃんが?」
「ああ、ささやかな夢、だよな」

 父さんはそう言いながら、楽し気にメリーゴーランドに乗っている兄貴に視線を向けた。元気な姿の兄貴の姿に父さんの目元は優しくなる。そして俺はそのささやかな夢さえ、兄貴は生きている内に叶えることはできなかったのだと知った。
 しばらく兄貴の姿を見ていた父さんは微かに目頭を熱くして片手で涙を拭った。

「年を取るといかんな。涙もろくなって」

 父さんは苦し気に言い、笑った。でも、それも仕方がないことだ。父さんや母さんが一番、兄貴が元気にしているところを見れて嬉しいはずだから。
 父さんも母さんも兄貴を愛し、病気が治る事を誰よりも望んでいた。生きている内にそれは叶わなかったけれど。

 思い起こせば、兄貴が十一歳の寒い冬に死んだ時、二人はとても辛そうだった。その姿は今も思い出せる。二人とも兄貴の葬儀が終わった後、魂が抜けたようだった。俺はそんな二人が痛ましくって、何かしら学校で面倒を起こしたり、わがままを言って注意を引き付けていた。子供の頃だから何をしたかはあまり覚えていないが。
 けど、幼い俺はそうすることしかできなかった。そして俺がいたから父さんも母さんも悲しみに暮れ続ける事は出来なかった。俺があまりに幼すぎたから。
 そして今日という日まで、時間が両親の悲しみを癒していった。

 そう、俺は思っていた。父さんの次の言葉を聞くまでは。

「お前がいてくれて良かったよ。今も昔も」
「昔、も?」

 俺は思わず聞き返した。俺がいて良かったことなんて何もなかったからだ。兄貴だけでも手一杯だったのに幼い俺の面倒まで見て、両親は大変そうだったからだ。
 けど、聞き返す俺に父さんは笑った。

「ああ、お前がいたから父さんも母さんも義行がいなくなった後もちゃんと生きてこれた。お前は覚えていないだろうが義行が亡くなった後に『僕が兄ちゃんの分まで生きるから悲しまないで』って言ったんだ。その言葉があったから父さん達は頑張れた。お前という存在が父さん達には残されていたんだってわかったからな」

 俺は父さんの告白に驚いた。いや、そもそも子供の頃にそんなことを言ったこと自体俺はすっかり忘れていた。

「俺がそんな事を?」
「ああ、お前は子供だったから覚えていないだろうがな。お前が父さん達の支えだったんだよ」

 父さんは笑って言い、俺は父さん達の支えになれていた事に嬉しさが胸に広がった。何もできていないと思っていたから。でも同時に気恥ずかしさを感じて、顔が熱くなる。

「ありがとうな、義明」
「別に礼なんて」

 俺は恥ずかしくて父さんの顔を見ていられなかった。そんな俺達の元にメリーゴーランドに乗り終わった母さんと兄貴が戻ってきた。

「お待たせ! ん? 義明、顔赤くしてどうしたの?」

 兄貴は目ざとく言い、俺は「何でもない」と誤魔化した。兄貴はそんな俺の態度に首を傾げたが、すぐに無邪気に俺の手を引いた。

「義明! 次はあれに乗ろ!」

 兄貴はそう言って観覧車を指さした。いつの間にか日は西に落ち始め、西日が観覧車に差し掛かっている。もうすぐ閉館時間に近づこうとしている。
 きっと最後の乗り物になるだろう。
 俺達はすぐに場所を移動し、観覧車の中に乗り込んだ。観覧車には俺と兄貴、両親が別々で乗ることになった。スタッフの誘導で観覧車の中に乗り込んだ俺達は向い合って座った。

「義明、ほら! 夕日が見えるよ! 綺麗だねぇ」

 兄貴は窓の外を指さして言った。太陽は暮れ、空をオレンジに染め上げていた。

「ああ、そうだな」

 俺はそう呟いてオレンジの空を見た。そしてこんなやり取りを昔、兄貴としたことを思い出した。兄貴が入院していた病院の屋上に上がって、二人で夕日を見たっけ。
 そんなことを俺が思い出していると、兄貴は笑って俺を見た。

「義明、今日は一緒に遊んでくれてありがとう。それとごめんね」

 兄貴の謝罪に俺は首を傾げる。

「どうして謝るんだ?」
「だって、僕に付き合わせているから。今も昔も。それに本当は昨日家まで帰ってきていたんでしょう?」

 兄貴に問いかけられて、俺はドキッとした。俺は母さんに急な残業が入ったから会社に泊まる、と送ったのだ。でも兄貴は俺のそんな嘘を見透かしたような目で見た。

「義明って、本当に昔から嘘がつけないよね。顔に出てるよ。ふふふ」
「別に俺は嘘なんて!」

 俺は誤魔化すように言ったが、兄貴には通用しなかった。

「嘘、つかなくていいよ。昨日、おじいちゃんとおばあちゃんがいたから帰ってきたくなかったんでしょ? ううん、ちょっと違うな。僕がいたから帰ってきたくなかったんだよね。二人はいつも僕にばかり構っていたから。お父さんやお母さんもそうだけど。義明はいつも居づらそうにしていたもんね。ごめんね」

 兄貴は申し訳なさそうに俺に謝った。でも俺は首を横に振った。

「兄ちゃんが謝る必要なんてないだろ。その、昨日は……何と言うか、帰りづらかっただけだ」

 俺は苦し紛れに言ったが、兄貴はそんな俺に笑顔を見せた。

「義明は本当に優しいね。義明がいてくれて本当によかった」
「兄ちゃん?」
「義明は気が付いていなかっただろうけど、入院していた時、僕、義明が来てくれるの本当に楽しみにしてたんだよ」
「俺を?」

 父さんや母さんじゃなくて? その俺の疑問が顔に出ていたのか、兄貴は言葉を続けた。

「うん、お父さんやお母さんが来てくれて勿論嬉しかったよ。でもね、いつも二人は僕をみて悲しそうな顔をしていたんだ。僕が助からない病気だったから。周りの大人は全員そうだった。仕方のないことなんだけど……ううん、僕がそうさせていたって言った方が正しいね。でもね、義明だけは違った。いつも明るくて僕の後ろを付いてきて、わがまま言って、笑ってくれた。僕はいつもそれに救われていたんだ」

 兄貴は照れくさそうに俺に言った。でも俺は兄貴を救ったことなんか一度もない。むしろ、面倒をかけていた記憶しかない。

「兄ちゃん、俺は」
「義明、何にもできない兄でごめんね」

 兄貴は苦笑して言った。そんな兄貴に俺は声を上げた。

「そんなことない! 兄ちゃんは!」

 俺はそこまで言って拳を握った。言葉が出てこない。兄貴には色んな事をしてもらった。幼い頃は勉強を見てもらったし、遊んでももらった。誰よりも俺に構ってくれた。現に今だって!
 感謝しているのは俺の方だ、と言いたいのに言いたいことがいっぱいあり過ぎて言葉にならない。感謝という言葉だけでは物足りないのだ。どうやったら、この気持ちを伝えられる? どうやったら?
 そう思っている俺に兄貴は笑顔を見せた。

「そうやって、呼んでくれるのも久しぶりだね。ふふ」

 兄貴は懐かしそうに言った。その言葉に俺は照れくさくなる。

「兄ちゃんは兄ちゃん、だろ」
「僕が帰って来てから、一度も呼ばなかったのに?」

 兄貴は意地悪な顔をして聞き、俺は「別に」と口を尖らせて気まずさを隠した。でも俺は兄貴に問いかけた。

「兄ちゃんさは。俺の事、嫌いにならなかったの?」

 俺が問いかけると兄貴はきょとんっとした顔を見せた。

「嫌いに? どうして?」
「だって俺だけ健康で、俺だけ大人になって」

 俺は言いながら胸が苦しくなった。兄貴が得られなかったものを当然のように手に入れている自分に罪悪感を覚えて。でも、そんな俺を兄貴は笑った。

「どうして義明が健康で大人になったら、嫌わなきゃならないの? むしろ僕は嬉しいよ。義明が健康なまま大人になってくれたことが……。お父さんやお母さんだって、義明が健康でいてくれた方が嬉しいに決まってる。それにね、あんなに苦しい思いをするのは僕一人で十分だよ。義明にまで僕と同じ痛みを感じてほしくない」

 兄貴はそう言って優しく笑った。それは子供の頃、泣いていた俺をあやしてくれた兄貴そのものだった。

「義明はこのままもっともっと元気に年をとっておじいちゃんになるまで生きて」
「兄ちゃん」

 俺が呟くといつの間にか地上に降りていた観覧車のドアをスタッフがドアを開けた。

「あーあー、もう終わっちゃった。さ、義明。降りよ」

 兄貴は子供の顔に戻って俺に言った。俺は「ああ」としか答えられなかった。俺は泣きそうになった心を押しとどめて、何とか兄貴に続いて観覧車を降りた。








 その日の夕暮れ。俺達は家に戻り、夕飯を作って待っていてくれた祖父母と一緒に食卓を囲んだ。暖かな鍋をみんなで囲んで食べ、賑やかなひと時を過ごした。
 兄貴は始終笑顔で、みんなが暖かな笑顔に包まれた。でも、みんな明日になったら兄貴と別れなければならないという悲しみをどこか匂わしていた。

 そして、風呂に入って自室に戻った頃にはもう十一時を過ぎていて。こくこくと迫る時間に俺の胸は無性に痛くなる。そんな折、兄貴が俺の部屋に入ってきた。

「義明、一緒に寝よ?」

 兄貴はこの前と同じように枕を抱えて俺の部屋にやってきた。てっきり両親と寝ると思っていた俺は驚いた。

「俺、と?」

 俺が聞く間に兄貴は俺のベッドに勝手に上がり込んで、壁際の方に枕を置いた。

「義明と寝る、いいでしょ?」

 兄貴は笑顔で言い、俺に拒否権はなかった。拒否するつもりはさらさらないが。

「でもいいのか? 俺とで」

 最後の日なのに。
 そう言葉に含ませて俺が言うと兄貴は「義明とがいいの!」と言って、早々にベッドの中に潜り込んだ。俺は兄貴がそれでいいなら、とそれ以上は何も言わなかった。俺は部屋の電気を消し、俺は兄貴が眠る隣に潜り込む。兄貴の体温のおかげか、ベッドはすでにほんのりと暖かい。

「今日は楽しかったなぁー! 遊園地の乗り物もいっぱい乗れて」

 兄貴は俺の隣でそう言った。俺はただ「そうか」と呟いた。兄貴が楽しんでくれて良かったと思う気持ちと、もう二度と遊園地に行けないんだという現実を考えると悲しくなった。この一晩を過ごしたら、兄貴は消えてしまう。兄貴にこのまま消えてほしくない、と強く思う。でもそれは無理な話なのだ。

「な、兄ちゃん。手、繋いでもいい?」

 普段なら恥ずかしくて絶対口にできない言葉を、俺は不安と寂しさで思わず口にした。言った後で、羞恥心が俺に襲い掛かったけれど、兄貴はそんな俺を今回だけは笑う事もせず「うん、いいよ」と布団の中を探って、俺の手を握ってくれた。
 小さくて暖かな手が大きい俺の手に重なる。今だけはこの手の暖かさが本物だと感じたい。

「ふふ、義明の手、大きいね。昔は僕の方が大きかったのに」

 兄貴は俺の隣でそう言った。あれから何年経っていると思っているんだ。

「そりゃ、俺の手もでかくなるよ」
「そうだね」

 兄貴は呟くように言い、俺は未だ尋ねていなかった疑問を兄貴に問いかけた。

「なあ、兄ちゃん。どうして四年目で帰ってこなかったんだ?」

 俺は尋ね、兄貴の返事を待った。けれど兄貴はすぐには答えなかった。

「兄ちゃん?」

 俺が呼びかけると、今度こそ兄貴は答えてくれた。

「……本当はね、すぐにでも帰りたかった。でも、帰ってくるのが怖かったんだ」
「怖い?」
「うん。……だって、帰ってきたら絶対にあの世に帰りたくないもん。だから帰ってくる勇気がなかったんだ。それがずるずる伸びちゃって今になったっちゃった、遅れてごめんね。でも、今は帰ってきて本当に良かったと思ってる。義明の未来のお嫁さんにも会えたし、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんにも会えた。家族で遊園地にも行けたし。夢がみたいな四日間だった」

 兄貴はそう言いながら、俺の手を握る手が小さく震えていた。その時、俺はわかってしまった。誰よりもみんなとの別れが辛いのは俺達ではなく兄貴の方だと。このままずっとここにいたいのは兄貴の方なのだと。
 そんな兄貴に俺は何をしてあげられただろう? この四日間で。……なにも思いつかない。

「兄ちゃん。何にもしてあげられなくて、ごめんな」

 言葉にした後、涙が勝手にぽろぽろとこぼれ落ちた。涙もろくなんてない筈なのに、馬鹿みたいに涙が勝手に溢れ出てくる。そんな俺に気が付いて、兄貴は少し驚いたようだったけれど、そんな俺の肩にすり寄って頬を預けた。

「義明、泣くことなんかないよ。義明は僕と遊んでくれたでしょ? 街を歩いて、映画も一緒に見て、お昼だって一緒に食べてくれた。今日だって僕に付き合って遊園地に一緒に行ってくれた。今だってこうして一緒に寝てくれてる。義明は何にもしてなくなんかないよ。義明、ありがとう。僕ね、ずっと義明に言いたかったんだ。言えてよかった」

 兄貴は優しく笑って言った。でも俺の涙は止まらなかった。
 そんな俺に兄貴はただ「大丈夫だよ」と言って、俺はその言葉を聞きながら、昼間兄貴に付き合って遊んだ疲れが出たのか、いつの間にか眠りについていた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇



 そして四日目の朝、七時前に俺は寒さを感じて目を覚ました。
 ぼんやりする意識の中、隣を見ると兄貴の姿はもうそこになかった。俺は驚いて、家中を探したが兄貴の姿はどこにもなくなっていた。
 死者回帰現象は死者が帰って来てからきっかり四日間の猶予が与えられる。一秒一分間違えることなく。だから兄貴があの世に戻るのは朝の十時の筈だった。兄貴は十時過ぎに俺達の元へ訪れたから。でも、どこにも兄貴の気配はなかった。
 その代わりに俺の机の上には数通の封筒に入った手紙が置かれていた。
 あて先は、祖父母、父さん、母さん、夏海、それから俺にそれぞれ一通ずつ。

 俺はその手紙を手に取り、すぐに封を開けて中身を読んだ。中には五枚の便箋が入っていて、そこにはこの四日間楽しかったという言葉が空白もなく兄貴の文字でびっしりと書かれていた。十一歳らしい拙い言葉で。
 最後には感謝の気持ちと、みんなに何も言わずにこの世を去ることに対して詫びが添えられていた。

 兄貴の手紙によると、兄貴は本当は一日目の朝、六時に帰生していたらしい。
 でも帰ってきてもいざとなったら、勇気がでなくて家のチャイムを押せなかったそうだ。その後家の周りをうろついたり、公園で悩んだ末に、帰生して四時間後にようやくチャイムを鳴らした。つまり兄貴は六時にあの世に戻ったのだ。

 そして『別れが辛いから何も言わずに去ります、ごめんね。ありがとう』と最後には書かれていた。

 なんとも兄貴らしい去り方だ。きっとみんなの涙を見たくなかったのだろう。もうそれは死んだ時に一度見ているから。
 俺は、さよならが言えなくて少し悲しかったが、兄貴が笑顔であの世に戻ったのなら、これで良かったのかもしれないと思った。
 兄貴自身も、俺も、お互いに“さよなら”を言うのは辛いから。

「全く、兄ちゃんらしいな」

 俺は苦笑しながら手紙を持って呟いた。でも胸はいつになく暖かった。机の上に置いてあるフィギュアに視線が向く。

「ありがとう、兄ちゃん。戻ってきてくれて」

 俺は兄貴にこの言葉が届きますようにと、胸の中で祈った。でも、きっとあのできた兄は気が付いているはずだ、俺のこの気持ちに。

 なんたって、俺の兄貴だから。

 今日は兄貴の為に、好きなイチゴ大福を備えてやらなきゃな。



第三章、おわり。
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