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第四章「私と夫」
3「温泉旅行」
しおりを挟む翌日の朝。
家族や友人と別れを早めに終わらせた私は雅広と一緒に温泉宿に行くことになった。私が死ぬ前に行きたいと言っていた旅館を雅広が覚えててくれて、なんと予約してくれていたのだ。
私達は遅めに起きてゆっくりと準備をした後、車で温泉宿まで向かう事にした。でもその途中、話題のカフェまでいって昼食を取ったり、観光スポットにも寄り道をしつつ、結局、温泉宿に着いたのはあたりもすっぽり暗闇に包まれた夕方頃。
温泉宿は昔の名残を残しつつ格式のある雰囲気に包まれていて、私は終始感嘆を零しながら仲居さんに部屋へと案内してもらった。部屋は温泉宿らしく和室で、部屋から海が見える綺麗な部屋、の筈だった。
けれど今はもう夜。海は暗闇に包まれていて何も見えなかった。海は明日の楽しみのようだ。そして今日はここで一泊。
雅広は運転もあって疲れたのか、少し休みたいようだったけれど私はゆっくりする暇も取らずに、温泉に行くことにした。温泉宿に来て、温泉に行かないわけがない!
けれど一人で行こうとした私を見て、雅広もお風呂に行くと言い、私達は浴衣と用意されていたタオルを持って一緒に大浴場に向かった。
勿論、大浴場ともなればお風呂は別々。私達はニ時間後に出入り口で待ち合わせをすることにして、それぞれ男湯・女湯の中に入った。
大浴場の中には色んな種類のお風呂があり、お湯も宣伝通り肌をつるつるにしてくれて、私は大満足でまったりとお湯に浸かった。けれど、しばらくお風呂に入っていると、頭の中に浮かぶのは雅広の顔ばっかり。
ニ時間という時間さえ惜しくなって、私は一時間足らずでお風呂から早々に上がった。温泉に来たのに何してるんだか、と心の中で笑いつつも、待ちきれずに浴衣に着替え、出入り口で雅広が男湯から出て来るのを先に待つことにした。でも、私が出ると出入り口の近くに設置されているベンチに雅広が座って待っていた。
「雅広、どうしたの? 時間まであと一時間近く残ってるのに」
雅広を見つけた私が声をかけると、雅広も問い返してきた。
「そういう千夏だって」
そう言われて、私達は目を交わす。互いに相手を待ちきれずに出てきたのがわかったから。
「ふふっ、私達って」
私が照れながら笑うと、雅広も嬉しそうに笑った。
「考えることは一緒だな」
雅広はそう言うと立ち上がり、私の手を握った。
「部屋に戻ろうか」
大きくて大好きな手を握られて、私は素直に「うん」と答えた。そしてせっかくのお風呂もそこそこに、売店に寄り道をした後、部屋に戻った。
けれど、それからすぐに夕食の時間になり、私達は指定されていた宿の食事処に移動した。食事処は大きな広間で私達はそこで豪華な和食会席を頂いた。どれも美味しくて私の頬は落ちそうだった。
「どれも美味しいね!」
私が思わず言うと、雅広は「そうだな」と笑って言った。まるで子供をみるような目だ。ちょっと子供っぽかったかな? と思うけれど、私は構わずに美味しい夕飯を頂き、雅広は仲居さんにビールを頼んで、ほろ酔い気分で楽しそうだった。
私達はあっという間にご飯を頂き、出されたデザートまで食べて、食後のドリンクを飲んで、少しまったりしてから部屋に戻ることにした。
そして部屋に戻ると私達が食事をしている間に仲居さんが用意してくれたであろう布団が二組、すでに敷かれていて、私はその布団に倒れこむように横になった。
「あー、もうお腹いっぱい!」
私は息を吐いてお腹に手を当てた。正直どれも美味しくて食べ過ぎた。それは雅広も同じみたいで、布団の傍にある座布団にあぐらをかいて座った。
そんな雅広に私は体制を変えて手を伸ばし、雅広の手の甲に自分の手を重ねた。骨ばった大きな手、その手を返して雅広は私の手を握る。そのなんとない仕草が好き。
「どうした?」
そう問いかける雅広を見つめて、私は帰って来てからずっと胸の中にある質問を心の中だけで呟く。
雅広は私が死んだ後、他の誰かを好きになった?
そう私の心の中で呟き、口が雅広に問いかけそうになる。この四年間、ずっとあの世から雅広を見てきて、そんな人はいないことは知っている。彼はこの四年ずっと私の事を忘れずに想っていてくれた。でも、心の中だけはあの世からも透けては見えない。
もしかしたら態度には出さないだけで、好きになった人がいるのかもしれない、心の中では想っている人がいるかもしれない。だって四年も経っているのだから。美矢達にだって変化はあった、なら雅広にもあったっておかしくない。そう、おかしくない話なんだ。
そう心が囁く。でも雅広が他の人を好きなのかもしれないと思っただけで、胸の奥が底冷えする。氷河期が訪れたみたいに凍る。
けれど今の私には問いかける資格も引き留める権利もない、私は死んでいるのだから。そう思うと胸が苦しくてまた涙が出た。
「千夏?」
「ごめっ、また泣いて」
私は謝って涙を拭ったけれど、雅広は空いている手で私の頭を撫でてくれた。
「泣いていいよ、いっぱい泣いて」
雅広の優しい言葉に私は涙を止める術を失くした。ぽろぽろ涙を流しながら、体を起こして雅広にぎゅっと抱き着いた。
今だけは、今だけは傍にいたい。今だけは温もりを感じていたい。今だけは泣くことを許して。
私は心の声を言葉に出す代わりに、ぎゅっと離れないように雅広に抱き着いた。いつもと違うシャンプーが髪から香る。でも、それがまた悲しい感情を呼び起こす。
過ぎてしまった時間、変わったしまった時間、取り戻せない時間の重さを私の胸に痛烈に思い知らせる。
帰生してまず最初、家に帰ってから気が付いたことがある。
それは部屋の家具やカーテンが変わっていた。そしてお風呂に入った時、私のものが何もなくなっていた。シャンプーやリンス、洗顔。洗面台に置いていた化粧水や歯ブラシも。
四年の間、ずっと置いておけというのも変な話だけれど、そこに私の存在が消えていてむなしくなった。そんなことは勿論誰にも言えないけれど。
それからタンスに入れられていた私の服も着る人がいなくなって服だけが四年の月日を過ごして、なんだかくたびれていた。
四年の月日は短いようで長い、その事を周りのものが私に知らせる。それは人だって同じ。家族や友人も年を少し年を取っていたし、雅広もそうだ。
私が死んだ時はまだ私と同じ二十五歳だったのに今はもう二十九歳で、より大人の男になった。その事にちょっとドキドキするけど、悲しくもある。その四年間を私は傍で見ていないから。
なんだか気分は記憶喪失に陥った人みたい。いや、むしろその方が良かった。私に未来はないから。
この四日を過ぎたら、私は雅広に会うことも出来なくなる。その事実が心を貫く。
どれだけ泣けば、その事実を忘れられるだろう? 私みたいに帰ってきた人はどうやってこの悲しみを受け止めたのだろう? でもその答えは誰も答えてくれない。
私は苦しさが涙に溶けて落ち着くまで雅広の胸で泣いた。そんな私を雅広はただ慰めるように背中を撫でた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
気が付いたら部屋の中は暗く、雅広の胸の中で眠っていた。
どうやら泣いたまま眠ってしまったようだった。私は泣いて腫れた目元のヒリヒリ感を感じながら、私を抱きしめたまま寝息をたてる雅広の胸に頬を摺り寄せた。温もりと鼓動が心に響く。雅広は生きているんだって知らせる。
雅広。ごめんね、一緒に生きられなくて。
心で呟くと引っ込んだはずの涙がまた零れそうになる。
そして不意に思い返されるのは私が死んだ時の事。
四年前の冬、夕暮れ時。私は突然、死んだ。
突然、というのは語弊があるけれど、私にとっても雅広にとっても突然としか言いようがなかった。
四年前の冬は特別寒くて、その日は雅広も私も休日だったけど暖かい家の中にいた。私はその日の夕飯はシチューで、私は作っている最中に、シチュー用のルゥがないことに気が付いた。ルゥがなくては、シチュ-は作れない。
だから私は近くのスーパーに買いに行くことにした。雅広はカレーでもいいと言ってくれたけどカレーのルゥもなくて、私は上着を着こんで、財布と携帯、買い物袋を持って一人で買いに出かけた。すぐ傍のスーパーは歩いて五分。だから一緒についていこうか? という雅広を断った。
『待ってて、すぐに戻ってくるから』
その言葉が最後に雅広に伝える言葉になる事も知らずに。この時、雅広についてもらっていたら、また私も雅広の運命も変わっていただろう。今更そんなことを言っても仕方ないのだけれど。
近くのスーパーでルゥをさっさと買った私は、夕飯を待っている雅広の元に帰ろうと足早に家路を急いだ。でも帰ることはできなかった。横断歩道で信号待ちをしていた私の元に凍結した道路でスリップした車が突っ込んできたから。
体全身に強い衝撃と頭に激しい痛みが私を襲った。感覚で言えば一瞬。その後は人の叫び声の中に意識は薄れていき、気が付いたら私は死んでいた。原因は車に轢かれて、その衝撃で吹き飛ばされた体が歩道と車道を隔てるコンクリートの縁石に運悪く頭を強く打ったことらしい。
あんまりにもあっさりとした死に際だったと思う。人間ってこんなにも簡単に死ぬんだなって思うくらい。
私は搬送された病院で死亡が確認され、それから雅広が遺体となった私の元に来たのは数時間後の事だった。警察から連絡を受けた雅広はすぐに私の遺体が安置されている病院に駆けつけてくれた。
そして遺体になった私の目の前にして、足を崩し、咽び泣いた。嗚咽を漏らしながら、肩を震わせて泣く雅広は痛々しくて、私は見えているのに彼を慰めることも出来なくて今まで一番辛かった。泣かせているのは自分だというのに。
雅広と私は高校からの付き合いで……。でも高校ではただのクラスメイト、いやお互いに気になる存在だったけれど、告白するには至らなくて、大学生になって久しぶりに再会したことがきっかけで付き合い始めた。それからニ年間の付き合いを経て結婚。けど、まだ結婚して一年も経っていない新婚だった。
これから雅広と生きるんだって、これから雅広との間に子供もできて、家を買って、おじいちゃんとおばあちゃんになるまで一緒に暮らしていくんだって、夢を思い描いていた。
結婚式の時に神様の前で誓ったように、死が二人を別つまで。……それは遠い未来だと思っていたのに。
突然、起きた別れに私達は抗えなかった。“ありがとう”も“さよなら”も言えなくて。
だからこの四日間で、いや残された一日と半日で言わなければならない。大事なことを伝えなくちゃ。
この温もりを感じられる間に。
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