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第四章「私と夫」
4「最後の日」
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寒い朝、私が目覚めると雅広はすでに起きていた。
「おはよ、雅広」
「おはよう、千夏。顔を洗って、ごはんを食べに行こうか」
「……うん」
私は眠気眼を擦って、私達は顔を洗った後、食事処へ美味しい朝食を食べに行った。朝から運ばれた食事は豪華で、またもお腹をパンパンにしながらも完食し、その後、部屋に戻って服を着替え、売店でお土産を買ってから早々にチェックアウトをして家路についた。
今日は死後処理をしなければならない日だ。
家に戻ったのはお昼を過ぎていたけれど、私は休むこともせずにクローゼットやタンスに入れられていた洋服や置かれたままになっていた私物を片づけた。もう私には必要のないものだから。
でも、そんな私を見るのは辛いのか雅広はリビングでずっと映画やドラマを見ていた。
私は誰にも邪魔されることなく、いらないものを段ボールやごみ袋の中に片づけていく。その作業が悲しくなかったわけがない。でもこれは私がしなければならない事だ。きっと優しい雅広には捨てられないから。
だから、雅広に貰ったネックレスも洋服も自分の手でごみ袋に捨てていった。思い出の写真もいくつかは残して、他はすべて……。
その作業を進めていく内に泣きそうになったけれど、なんとか押しとめて捨てた。泣いている暇なんてない。
そして片づけに没頭していたせいで、いつの間にか夕方も過ぎていた。
残された日はあと一日だと、窓から見える夕日が私に告げる。
息苦しさを感じながらも片づけ終わった私はリビングに戻り「もう終わったの?」と問いかける雅広に頷いた。その後、私はキッチンに立って夕飯を作り始めた。今日は私が雅広の為に夕飯を作ると温泉宿から帰る時に公言していたから。
時計は六時を指し、私は帰り道に寄ったスーパーで買った食材を使って、雅広にリクエストされたハンバーグを作り始めた。
ハンバーグの中に玉ねぎだけじゃなくて、ニンジンやグリーンピース、マッシュルームも入れて作るのが私流だ。そして雅広はハンバーグの上に半熟の目玉焼きを乗せてあるのが大好き。
私はご飯を炊き、雅広の好きな大根のお味噌汁も作って、ハンバーグを焼いた。いい香りが部屋の中に充満して、作り始めてから一時間後には、すべての料理がテーブルの上に並べられていた。
「雅広、ご飯にしよ」
私が言うと、ソファに座っていた雅広は立ち上がって二人用のダイニングテーブルに座った。テーブルの上に置かれた料理はおいしそうな湯気を立てている。
私達は席について、いただきます、と手を合わせるとご飯を食べ始めた。私は雅広が一口、二口とご飯を食べたのを見て、思わず尋ねた。
「おいしい?」
私は雅広の四年で味覚も変わったかもしれないと思ったから尋ねたんだけれど、私の問いに雅広はぽろぽろっと涙を流して答えた。
「うまいよ、千夏のハンバーグッ」
泣きながら食べる雅広に私は驚いてしまった。けれど、そんな姿も愛おしく感じる。きっと私が作ったハンバーグを懐かしく思ってくれているのだろう。
「よかった」
私は笑顔で答え、その間も雅広は泣き、私は見かねて洗面所からタオルを持ってきて雅広に渡した。でも雅広は泣きながらも私の作った夕飯を食べた。
それから食事を終えた後、いつものように雅広が食器を片づけて、私達は一緒にお風呂に入って、一緒に眠りについた。一緒に眠れる最後の夜を一秒も逃さないように。
最後の日。今日は二十五日のクリスマス。
私達は十時過ぎまでベッドでまどろみ、その後は着替えることもせずに家でまったり過ごすことにした。最後の日ぐらい家で過ごしたい。最後の日だからこそ。
私達はクリスマス色を醸し出すテレビを見ながらソファに座って時間を過ごした。
けれど私に残された時刻は一刻一刻とにじり寄るように迫る。雅広は常に時計を気にして、私の手を離さなかった。もし叶うなら、この手をいつまでも握っていたい。
でもそれは叶わない願い。だから、この気持ちを口にしなくては。
「ねえ、雅広。私がいなくなった後、素敵な人を見つけてね」
私は時間が迫りくる中、雅広に寄り添い、ぽつりと呟くように言った。私の手を掴んでいる雅広の手がびくりと震える。
「何言ってんだ」
「雅広の未来の事。私の事を忘れずにこの四年間思い続けてくれてありがとう。でも、もういいんだよ。雅広には未来がある、これからも生きていかなくちゃいけないんだから。私の事は過去に置いて行って」
私が言うと、雅広はぎゅっと抱きしめてくれた。何度されても嬉しいと感じる。もう私の瞳から涙は出なかった。代わりに雅広が泣いていた。
「そんなこと言うな」
「言わなきゃ雅広、前に進めないでしょう? だから言わせて。私の事を想ってくれるのは今日までで終わり。これからはまた恋をして、付き合って、素敵な人と結婚して。雅広なら、きっと見つかる。私が保証するから」
「そんなのいらない。いらないよっ!」
震える声と肩。苦しい雅広の胸の痛みが伝わってくる。
私だけじゃない。雅広だって私との未来を思い描いていてくれたから、それが叶わない現実に苦しいんだ。私はゆっくり優しく雅広の背中を撫でるしかなかった。
「雅広。私、雅広に幸せになってほしい」
「……千夏、どうして死んだんだ」
苦し気に言われて私はただ謝るしかなかった。
「ごめんね雅広、ごめん。辛い思いさせて」
私が言うと私を抱きしめる雅広の腕に力がこもった。その力強さに心惹かれながら、壁時計の針に視線を向ける。
時刻は五時四十分。あと少しで時が来る。頭の奥でアラームのようなものが鳴っている。時間はもうすぐだと告げているように。
「雅広、愛してる。一緒に生きていけなくてごめんね」
「……千夏、俺も愛してる」
泣き声に掠れながらも呟く声に私は笑顔になれた。
「ありがとう雅広。……顔、よく見せて」
私が言うと雅広は体を離して、顔を見せてくれた。涙に濡れる顔を。でも、そんな顔でも愛おしい。
「私と逆だね。今度は雅広が泣いてばっかり」
「千夏のせいだろ」
雅広はそう言うとシャツの袖で涙を拭った。
「ごめんね。これからは笑って生きて」
私は涙を吸い取るように雅広の頬にキスを落とした。
「神様に感謝しなくちゃ。こうして雅広に別れを告げる時間をくれたことに……。どうして神様が四年に四日間の日をくれるのか、私、わかった気がする。死んだ人も残った人も心に平穏を取り戻すまで四年という歳月が必要だから。そして長くも短くもない四日をくれたんだ。お別れをちゃんとできる日を。だから雅広、ちゃんと私とお別れして」
私が言うけど雅広は首を横に振った。でもその瞳には悲しみだけじゃない光が宿ってる。
「千夏……俺はまだ別れを告げられない。でも、いつかきっと」
泣きながら微かに笑う雅広に私は微笑み返した。頭の中でアラームが最大限に鳴る。
「雅広、元気でね。幸せになってね、ありがとう」
それが私が雅広に告げた最後の言葉になった。
そして、来た時と同じように私の周りに強い光を感じ、私は目を瞑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「――――おかえりなさい。現世での四日間はどうでしたか?」
目を開けると私はあの門の前に立ち、すぐ傍に机に向かって書類を処理している管理人がいた。管理人は私の方を見ずに、羽ペンを手にさらさらと紙の上で動かしながら私に声をかけた。
「管理人さん……私、帰ってきたの?」
私はあまりに突然、戻ってきた事に驚いて呟いた。そんな私に管理人はようやく視線を向けた。
「ええ、戻ってきたんですよ。四日間、楽しめましたか?」
管理人の問いに私は帰生して過ごした四日間を思い出し、笑顔で答えた。
「はい、とても良かったです!」
私が言うと管理人は初めて微かに笑った。その事に私は驚いたけれど、管理人はまた無表情に戻った。
「それは良かったですね。さ、ではこれから帰生手続きをします。あなたは帰生時に徳を積みました。それを加味して天国最上行きが決まっています。ですが転生する創生門を通ることも出来ます。どうされますか? 天国に行きますか? それとも転生を望みますか?」
管理人は動かしていた手を止めて私に問いかけた。でも私にはわからなかった。
「帰生時に徳を積んだ? 私、特に徳を積むようなことなんて。それにここって天国じゃ?」
私は思い返して呟き、素朴な質問を投げかけた。その質問に管理人はすんなり答えてくれた。
「ここは天国ではありませんよ、ここは黄泉平坂と言います。現世で言うならば、サービスエリアと言ったところでしょうか。それにあなたはしっかりと徳を積まれていますよ。あなたは一人の人生を救いました。あなたを車で轢いてしまった山田薫さんの人生をね」
管理人に言われて、私は首を捻った。だって、私は帰生時に会ってもいないから。そんな私に管理人は補足するように言葉を続けた。
「あなたは帰生時に手紙を残しましたね? 家族や友人に。その中には山田薫宛てにも残していた」
管理人に言われて私はああ! と思い出した。確かに私は伝えきれなかった言葉を、面と向かって言うには恥ずかしい言葉を手紙に残していた。それは雅広は当然、家族や友人。
そして私を殺す形になってしまった人にも。
「どうしてあなたを殺した人にも手紙を?」
管理人は肩眉をあげて私に問いかけた。その瞳は真実を見極めるような目だった。でも今更嘘をつくようなこともないから正直に答えた。
「殺したって。まあ結果的にそういう形になってしまったけど、あれは仕方のない事故だった。道路が凍結していなかったら車はスリップだってしなかっただろうし、私があの場に立っていなかったら事故に会うこともなかった。そもそも彼女だって私の事を殺したくて、殺したわけじゃない。あれは誰から見たって不慮の事故だった。だから殺したっていうのは違う。ただ私も彼女も運が悪かった。そう私は理解してる。……でも生き残った彼女は違う。彼女には人を殺したってレッテルが貼られて、彼女自身もとても罪を感じていた。それは今も。でも、もう私の事で苦しんで欲しくなくて……だから手紙を残したの。もう罪を背負わなくていいって。彼女はもう罪をきちんと理解しているし、彼女はあの当時まだ大学生だったのに、あの事故がきっかけで大学も辞めて毎日苦しい思いを抱えて生きてる。それをここから見ていたから、もういいよって伝えたかったの」
私がありのままを説明すると笑いこそしなかったが、管理人から柔らかい雰囲気を感じられた。
「岡田千夏さん。その手紙のおかげで、山田薫さんの人生はこれから大きく変わるのですよ。もしあなたの手紙がなければ、彼女は人生を苦にし、心を闇に落としていたでしょう。そしてあなたのその行いは善行として神に認められたのです」
「神様に?」
私が驚くと、管理人は頷いた。
「ええ、人の罪を許すという事はとても大変なことです。特に自分を死なせた相手を許すなんて事は。でもそれをあなたは自然とやり遂げた。その事を神は認められたのです」
管理人の言葉に私はなんといっていいのかわからなかった。だって何も考えずにした事だったから。でも、それで彼女の人生が良い方向に向かうのなら、してよかったと思う。彼女にだって幸せな人生を送る権利はあるのだから。
「そっか。手紙、残していて良かった」
「ええ、あなたの手紙であなたの夫である岡田雅広もまた一歩を踏み出せるでしょう」
管理人の言葉に私は笑顔になる。
「そうだと嬉しいな」
「そうなりますよ。私は嘘はつきません」
管理人は無表情ながらも私に言った。その優しさに私はまた微笑む。
「ありがとう、管理人さん」
私が言うと管理人は少し照れたような仕草を見せたけど、無表情のままもう一度私に問いかけた。
「さ、お話はここまでにしましょう。どうされますか? 天国に行き、休まれていきますか? それとも転生を望みますか?」
管理人は私に問い、私は急な選択に少し戸惑ったけれど、答えは胸の中にあった。
「私、転生します。その方が雅広も安心するだろうし」
私はそう答えた。転生したら遺影に写っている私の姿が消えるだろう、それを見れば雅広もきっと新たな人生を切り出しやすい、そう思った。
そして管理人は私の答えに「そうですか、わかりました」と返事をして、書いていた書類にポンッとハンコを押して、丸めて紐で結ぶと私に差し出した。
「これが創生門の通行許可証になります。地面にあるその黄色のしるしに沿って歩いて行けば、創生門に辿り着きます。次もよい人生を」
管理人は地面に突然浮き出た黄色のサインを目線でさして言い、私は差し出された書類を受け取った。
「お世話になりました。ありがとう、管理人さん。じゃあ、また次の人生で」
「ええ、また会いましょう。今度はゆっくり年を取ってから来てください」
管理人の言葉に胸が温かくなる。
「はい! じゃあ」
私は元気よく返事をして、黄色のしるしに沿って歩いて行き、私は創生門をくぐった。
次の人生は来世の私に任せて。
これが私の四日間のお話。月並みなお話だったでしょ? でも私の最高な四日間のお話。
第四章、おわり。
「おはよ、雅広」
「おはよう、千夏。顔を洗って、ごはんを食べに行こうか」
「……うん」
私は眠気眼を擦って、私達は顔を洗った後、食事処へ美味しい朝食を食べに行った。朝から運ばれた食事は豪華で、またもお腹をパンパンにしながらも完食し、その後、部屋に戻って服を着替え、売店でお土産を買ってから早々にチェックアウトをして家路についた。
今日は死後処理をしなければならない日だ。
家に戻ったのはお昼を過ぎていたけれど、私は休むこともせずにクローゼットやタンスに入れられていた洋服や置かれたままになっていた私物を片づけた。もう私には必要のないものだから。
でも、そんな私を見るのは辛いのか雅広はリビングでずっと映画やドラマを見ていた。
私は誰にも邪魔されることなく、いらないものを段ボールやごみ袋の中に片づけていく。その作業が悲しくなかったわけがない。でもこれは私がしなければならない事だ。きっと優しい雅広には捨てられないから。
だから、雅広に貰ったネックレスも洋服も自分の手でごみ袋に捨てていった。思い出の写真もいくつかは残して、他はすべて……。
その作業を進めていく内に泣きそうになったけれど、なんとか押しとめて捨てた。泣いている暇なんてない。
そして片づけに没頭していたせいで、いつの間にか夕方も過ぎていた。
残された日はあと一日だと、窓から見える夕日が私に告げる。
息苦しさを感じながらも片づけ終わった私はリビングに戻り「もう終わったの?」と問いかける雅広に頷いた。その後、私はキッチンに立って夕飯を作り始めた。今日は私が雅広の為に夕飯を作ると温泉宿から帰る時に公言していたから。
時計は六時を指し、私は帰り道に寄ったスーパーで買った食材を使って、雅広にリクエストされたハンバーグを作り始めた。
ハンバーグの中に玉ねぎだけじゃなくて、ニンジンやグリーンピース、マッシュルームも入れて作るのが私流だ。そして雅広はハンバーグの上に半熟の目玉焼きを乗せてあるのが大好き。
私はご飯を炊き、雅広の好きな大根のお味噌汁も作って、ハンバーグを焼いた。いい香りが部屋の中に充満して、作り始めてから一時間後には、すべての料理がテーブルの上に並べられていた。
「雅広、ご飯にしよ」
私が言うと、ソファに座っていた雅広は立ち上がって二人用のダイニングテーブルに座った。テーブルの上に置かれた料理はおいしそうな湯気を立てている。
私達は席について、いただきます、と手を合わせるとご飯を食べ始めた。私は雅広が一口、二口とご飯を食べたのを見て、思わず尋ねた。
「おいしい?」
私は雅広の四年で味覚も変わったかもしれないと思ったから尋ねたんだけれど、私の問いに雅広はぽろぽろっと涙を流して答えた。
「うまいよ、千夏のハンバーグッ」
泣きながら食べる雅広に私は驚いてしまった。けれど、そんな姿も愛おしく感じる。きっと私が作ったハンバーグを懐かしく思ってくれているのだろう。
「よかった」
私は笑顔で答え、その間も雅広は泣き、私は見かねて洗面所からタオルを持ってきて雅広に渡した。でも雅広は泣きながらも私の作った夕飯を食べた。
それから食事を終えた後、いつものように雅広が食器を片づけて、私達は一緒にお風呂に入って、一緒に眠りについた。一緒に眠れる最後の夜を一秒も逃さないように。
最後の日。今日は二十五日のクリスマス。
私達は十時過ぎまでベッドでまどろみ、その後は着替えることもせずに家でまったり過ごすことにした。最後の日ぐらい家で過ごしたい。最後の日だからこそ。
私達はクリスマス色を醸し出すテレビを見ながらソファに座って時間を過ごした。
けれど私に残された時刻は一刻一刻とにじり寄るように迫る。雅広は常に時計を気にして、私の手を離さなかった。もし叶うなら、この手をいつまでも握っていたい。
でもそれは叶わない願い。だから、この気持ちを口にしなくては。
「ねえ、雅広。私がいなくなった後、素敵な人を見つけてね」
私は時間が迫りくる中、雅広に寄り添い、ぽつりと呟くように言った。私の手を掴んでいる雅広の手がびくりと震える。
「何言ってんだ」
「雅広の未来の事。私の事を忘れずにこの四年間思い続けてくれてありがとう。でも、もういいんだよ。雅広には未来がある、これからも生きていかなくちゃいけないんだから。私の事は過去に置いて行って」
私が言うと、雅広はぎゅっと抱きしめてくれた。何度されても嬉しいと感じる。もう私の瞳から涙は出なかった。代わりに雅広が泣いていた。
「そんなこと言うな」
「言わなきゃ雅広、前に進めないでしょう? だから言わせて。私の事を想ってくれるのは今日までで終わり。これからはまた恋をして、付き合って、素敵な人と結婚して。雅広なら、きっと見つかる。私が保証するから」
「そんなのいらない。いらないよっ!」
震える声と肩。苦しい雅広の胸の痛みが伝わってくる。
私だけじゃない。雅広だって私との未来を思い描いていてくれたから、それが叶わない現実に苦しいんだ。私はゆっくり優しく雅広の背中を撫でるしかなかった。
「雅広。私、雅広に幸せになってほしい」
「……千夏、どうして死んだんだ」
苦し気に言われて私はただ謝るしかなかった。
「ごめんね雅広、ごめん。辛い思いさせて」
私が言うと私を抱きしめる雅広の腕に力がこもった。その力強さに心惹かれながら、壁時計の針に視線を向ける。
時刻は五時四十分。あと少しで時が来る。頭の奥でアラームのようなものが鳴っている。時間はもうすぐだと告げているように。
「雅広、愛してる。一緒に生きていけなくてごめんね」
「……千夏、俺も愛してる」
泣き声に掠れながらも呟く声に私は笑顔になれた。
「ありがとう雅広。……顔、よく見せて」
私が言うと雅広は体を離して、顔を見せてくれた。涙に濡れる顔を。でも、そんな顔でも愛おしい。
「私と逆だね。今度は雅広が泣いてばっかり」
「千夏のせいだろ」
雅広はそう言うとシャツの袖で涙を拭った。
「ごめんね。これからは笑って生きて」
私は涙を吸い取るように雅広の頬にキスを落とした。
「神様に感謝しなくちゃ。こうして雅広に別れを告げる時間をくれたことに……。どうして神様が四年に四日間の日をくれるのか、私、わかった気がする。死んだ人も残った人も心に平穏を取り戻すまで四年という歳月が必要だから。そして長くも短くもない四日をくれたんだ。お別れをちゃんとできる日を。だから雅広、ちゃんと私とお別れして」
私が言うけど雅広は首を横に振った。でもその瞳には悲しみだけじゃない光が宿ってる。
「千夏……俺はまだ別れを告げられない。でも、いつかきっと」
泣きながら微かに笑う雅広に私は微笑み返した。頭の中でアラームが最大限に鳴る。
「雅広、元気でね。幸せになってね、ありがとう」
それが私が雅広に告げた最後の言葉になった。
そして、来た時と同じように私の周りに強い光を感じ、私は目を瞑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「――――おかえりなさい。現世での四日間はどうでしたか?」
目を開けると私はあの門の前に立ち、すぐ傍に机に向かって書類を処理している管理人がいた。管理人は私の方を見ずに、羽ペンを手にさらさらと紙の上で動かしながら私に声をかけた。
「管理人さん……私、帰ってきたの?」
私はあまりに突然、戻ってきた事に驚いて呟いた。そんな私に管理人はようやく視線を向けた。
「ええ、戻ってきたんですよ。四日間、楽しめましたか?」
管理人の問いに私は帰生して過ごした四日間を思い出し、笑顔で答えた。
「はい、とても良かったです!」
私が言うと管理人は初めて微かに笑った。その事に私は驚いたけれど、管理人はまた無表情に戻った。
「それは良かったですね。さ、ではこれから帰生手続きをします。あなたは帰生時に徳を積みました。それを加味して天国最上行きが決まっています。ですが転生する創生門を通ることも出来ます。どうされますか? 天国に行きますか? それとも転生を望みますか?」
管理人は動かしていた手を止めて私に問いかけた。でも私にはわからなかった。
「帰生時に徳を積んだ? 私、特に徳を積むようなことなんて。それにここって天国じゃ?」
私は思い返して呟き、素朴な質問を投げかけた。その質問に管理人はすんなり答えてくれた。
「ここは天国ではありませんよ、ここは黄泉平坂と言います。現世で言うならば、サービスエリアと言ったところでしょうか。それにあなたはしっかりと徳を積まれていますよ。あなたは一人の人生を救いました。あなたを車で轢いてしまった山田薫さんの人生をね」
管理人に言われて、私は首を捻った。だって、私は帰生時に会ってもいないから。そんな私に管理人は補足するように言葉を続けた。
「あなたは帰生時に手紙を残しましたね? 家族や友人に。その中には山田薫宛てにも残していた」
管理人に言われて私はああ! と思い出した。確かに私は伝えきれなかった言葉を、面と向かって言うには恥ずかしい言葉を手紙に残していた。それは雅広は当然、家族や友人。
そして私を殺す形になってしまった人にも。
「どうしてあなたを殺した人にも手紙を?」
管理人は肩眉をあげて私に問いかけた。その瞳は真実を見極めるような目だった。でも今更嘘をつくようなこともないから正直に答えた。
「殺したって。まあ結果的にそういう形になってしまったけど、あれは仕方のない事故だった。道路が凍結していなかったら車はスリップだってしなかっただろうし、私があの場に立っていなかったら事故に会うこともなかった。そもそも彼女だって私の事を殺したくて、殺したわけじゃない。あれは誰から見たって不慮の事故だった。だから殺したっていうのは違う。ただ私も彼女も運が悪かった。そう私は理解してる。……でも生き残った彼女は違う。彼女には人を殺したってレッテルが貼られて、彼女自身もとても罪を感じていた。それは今も。でも、もう私の事で苦しんで欲しくなくて……だから手紙を残したの。もう罪を背負わなくていいって。彼女はもう罪をきちんと理解しているし、彼女はあの当時まだ大学生だったのに、あの事故がきっかけで大学も辞めて毎日苦しい思いを抱えて生きてる。それをここから見ていたから、もういいよって伝えたかったの」
私がありのままを説明すると笑いこそしなかったが、管理人から柔らかい雰囲気を感じられた。
「岡田千夏さん。その手紙のおかげで、山田薫さんの人生はこれから大きく変わるのですよ。もしあなたの手紙がなければ、彼女は人生を苦にし、心を闇に落としていたでしょう。そしてあなたのその行いは善行として神に認められたのです」
「神様に?」
私が驚くと、管理人は頷いた。
「ええ、人の罪を許すという事はとても大変なことです。特に自分を死なせた相手を許すなんて事は。でもそれをあなたは自然とやり遂げた。その事を神は認められたのです」
管理人の言葉に私はなんといっていいのかわからなかった。だって何も考えずにした事だったから。でも、それで彼女の人生が良い方向に向かうのなら、してよかったと思う。彼女にだって幸せな人生を送る権利はあるのだから。
「そっか。手紙、残していて良かった」
「ええ、あなたの手紙であなたの夫である岡田雅広もまた一歩を踏み出せるでしょう」
管理人の言葉に私は笑顔になる。
「そうだと嬉しいな」
「そうなりますよ。私は嘘はつきません」
管理人は無表情ながらも私に言った。その優しさに私はまた微笑む。
「ありがとう、管理人さん」
私が言うと管理人は少し照れたような仕草を見せたけど、無表情のままもう一度私に問いかけた。
「さ、お話はここまでにしましょう。どうされますか? 天国に行き、休まれていきますか? それとも転生を望みますか?」
管理人は私に問い、私は急な選択に少し戸惑ったけれど、答えは胸の中にあった。
「私、転生します。その方が雅広も安心するだろうし」
私はそう答えた。転生したら遺影に写っている私の姿が消えるだろう、それを見れば雅広もきっと新たな人生を切り出しやすい、そう思った。
そして管理人は私の答えに「そうですか、わかりました」と返事をして、書いていた書類にポンッとハンコを押して、丸めて紐で結ぶと私に差し出した。
「これが創生門の通行許可証になります。地面にあるその黄色のしるしに沿って歩いて行けば、創生門に辿り着きます。次もよい人生を」
管理人は地面に突然浮き出た黄色のサインを目線でさして言い、私は差し出された書類を受け取った。
「お世話になりました。ありがとう、管理人さん。じゃあ、また次の人生で」
「ええ、また会いましょう。今度はゆっくり年を取ってから来てください」
管理人の言葉に胸が温かくなる。
「はい! じゃあ」
私は元気よく返事をして、黄色のしるしに沿って歩いて行き、私は創生門をくぐった。
次の人生は来世の私に任せて。
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第四章、おわり。
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