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残虐王
5 再会
しおりを挟む日が明けたと共に王は建国碑の元へ訪れていた。
ここにくれば、何か思い出せると思ったのだ。しかし、何も思い出せない。そしてレスカを探し回っている自分が愚かに思えてきた。
会ってどうする? 探して、レスカを見つけたらどうするつもりだ。
そう失笑する自分がいる。だが、夢の中でチェインに叫んだ言葉は心からの真実であることを王は気が付いていた。何をするでもない、ただレスカに会いたいと思う気持ち。
会いたい、会いたい、会いたい。
そう心の扉を力強く叩く自分がいる。
なぜ、どうしてこんなにもレスカに惹かれるのか。それはわからなかった。でも焦がれる気持ちは心の真ん中を陣取るように居座る。
王は心を掻きむしるような胸苦しい思いを吐き出すようにため息を吐いた。
しかし、ため息だけが周りに響くだけで何が起こるわけでもない。
……いつも手の平から大事なものは零れていく。私は受け止め、握る事は出来ないのだ。わかっているだろう?……それに握った所でどうなる? 私には時間がないのだ。時間が……。
そう説得するように自分に言い聞かせてみても、足がこの地から動かない。
もしかしたらレスカが現れるんじゃないか? と心の片隅で思っている。しかし、今までそんな奇跡は起こらなかった。
奇跡は待っていても起こらない。その事は、王は幼い頃から嫌と言うほど身に染みていた。
だから、もう一度吐いたため息と共に何とか踵を返して、城の中に戻ろうとした。
だが、建国碑の傍で咲いている花がふと目に入った。
ふわふわの黄色の花。
それは国内ならどこにでもある、夏から秋にかけて咲く黄色の花だった。幼い頃は、この花が好きでよく摘んでいた。でも、どうして好きだったのか今になってはよくわからない。
今の今まで忘れていたぐらいだ。
けれど王はその花の名前を思い出して、心の中で呟いた。
……レスカチア。
王は何気なく名を呼んだつもりだった。しかし、ハッとする。
「……レスカ……チア?」
その名を呼んで思い浮かぶのは、あの金色のふわふわ頭。
途端、それが引き金になったかのように脳裏に記憶の断片が蘇った。
それはレスカと共に幼い頃、過ごした日々。
史書室で一緒に過ごした雨の日。
城の片隅の木陰で一緒に休んだ晴れた日。
暑い日も、寒い日も、曇った日も雪が降った日も。
ずっとずっと一緒に過ごした大事な思い出。
そして名前を持たないと言った彼に自分が与えた名前。
『おまえ、名前がないのか?』
『うん、そうなんだ』
『うーん、それなら今日からおまえの名前はレスカチアだ!』
それは五つの時の思い出。
王はその事を、今更になって明白に思い出した。
「レスカチアッ!」
はっきりと王は彼の名を叫ぶように呼んだ。
「……やっと、僕を呼んでくれた」
声が聞こえて振り返ると、そこにはいなかったはずのレスカが立っていた。
いや、レスカチアがいた。
金色のふわふわの髪、鮮やかな瞳。健康そうな少し焼けた肌。そして、にっこりといつもの優しい笑顔。
変わらない笑顔がそこにあった。それは幼い頃から。
「……レスカチアッ」
「僕の事を思い出してくれたんだね」
レスカチアはそっと王に近づき、王を少し見上げて頬を撫でた。
「レスカチア……お前は、何者だ?」
「僕は僕だよ」
レスカチアはにっこりと笑って言ったが、皺ひとつない顔は王が子供の頃から何ひとつ変わっていなかった。
彼は歳を取っていないのだ。
子供の頃、いつからは覚えていないが、いつもレスカチアが傍にいた。それが当たり前だった。兄姉達から迫害を受けても、生きてこれたのは本当はレスカチアがいたからだ。
思い出した今ならわかる。
夜、一人で使用人が使う部屋よりも寂れた、隙間風の入る部屋でも眠れたのは傍にレスカチアがいてくれたからだ。そしてレスカチアはいつも手当てをしてくれて、お茶を淹れてくれた。
誰にも優しくされなくても、レスカチアがいたから酷い仕打ちにも乗り越えられた。
彼がずっと傍にいてくれたから……。
けれど、今思い返せば不思議な事ばかりだ。
傍にいたのに、レスカチアの事を誰も知らないようだった。誰も皆、レスカチアを無視したように話す。そして、レスカチアはいつもどこからともなく現れた。まるで霧のように。
子供の頃は不思議と何も思わなかったが、大人になった今では不可解な事ばかり。
だから王は戸惑いつつも、はっきり尋ねた。
「お前は……人ではないのか?」
王は歳を取らないレスカチアに尋ね、レスカチアはふんわりと笑った。
「そうだね。僕は人ならざる者だ。……怖い?」
優しく尋ねられて王はその質問を理解できなかった。レスカチアに今まで怖いなんて感情を抱いたことがなかった。それは今までも、きっとこれからも。
でもその思いを口にする前に、レスカチアは王の頬に触れていた手を引っ込めた。
「やっぱり、僕のような者は嫌かな?」
少し寂し気に言い、王はハッとしてレスカチアの手をすぐさま掴んだ。
「嫌なものか!」
ハッキリと答え、王の言葉にレスカチアは少し驚いた顔をして、そして嬉しそうに笑った。それは嘘のない咄嗟の言葉だったからだ。
「そう。よかった」
小さく答えたレスカチアはほっとしているようだった。そんなレスカチアに王は聞かずにはいられない疑問を問いかけた。
「レスカチア……なぜ、私の元から去った?」
王の言葉にレスカチアは顔を上げ、それから尋ね返した。
「それは……今回? それとも前の事?」
今回と、王が十三歳の時にレスカチアは二度姿を消した。そして王はそこからレスカチアの記憶を失くした。レスカチアが人ならざる者だと言うのなら、何かしたのだろう、と王は容易に考えが付いた。
「両方だ」
「……そうだね。君が十三歳の時、姿を消したのは君は人の世で生きるべきだと思ったからだよ。僕は君に近づきすぎた。そのせいで周りは君を迫害し続けて……離れた方がいいと思ったんだ」
そう言われて、王は思い出す。
幼い頃はほとんど、レスカチアとばがり一緒にいた。その姿はきっと周りの者には奇異に見えただろう。独り言を喋り、何もないところをじっと見る変な子供だと。
そして、レスカチアの言う通り、気味の悪いガキだと兄姉達や大人達にも毛嫌われた。
「だから、私に軍へ入るよう助言したのか」
王は尋ねた。十三歳の時、レスカチアが軍に入るように言ったのだ。そこに行けば、ご飯も寝床も学業もできると。だが。
「うん、でも君は嫌がった」
軍に入るよう勧められたが、十三歳の王は首を横に振った。大事なレスカチアと別れるのが嫌だったからだ。だから最後まで、うん、とは言わなかった。
でも、だからなのだろう。
「お前と離れるのは嫌だった。だが……だから私の記憶を?」
「そう、僕が消したんだ」
緑の瞳がじっと王を見つめた。
「それでよかったと思っていた。人は人の世に生きるべきだからね。僕は君が愛しくて、傍に居過ぎた。そう思ったんだ」
レスカチアはそう言ったが、一旦言葉を切り、思い出すように瞳を閉じると、その瞳を再び開けて、悲し気な目で王を見つめた。
「でも、軍から戻ってきた君は王になり、いつも苦しそうだった。いつも一人で戦っていた。……人の悪意や敵意、憎悪と」
レスカチアに言われて、王は胸の奥がぎゅっと痛んだ。確かに、そうだったからだ。そして、それは一生誰にもわかってもらえない苦しみだと思っていた。でも、ここに理解してくれるものがいる。
それがどれほどの喜びか。それが例え、人ならざる者であったとしても。
「僕はね。ずっと君を見ていたよ。……だから、耐えられなくなった。君を人の世に戻した事、後悔した。君の孤独はあまりに深くで辛くて、僕は悲しかった」
レスカチアは泣きそうになりながら、言葉を紡いだ。うっすらと涙の膜を張る瞳に、胸が痛い。自分の為に泣くほど思ってくれている人がいる……今、この目の前に。
「だから私の元に戻ってきてくれたのか」
王が尋ねると、レスカチアはにこりと笑った。
「そうだよ。もう君を一人にしない」
それは何よりも力強い言葉だった。渇いていた心にたっぷりの水で潤わされたよう。感極まるものがあった。
だが、疑問が残る。
「なぜ、私に何も言わなかった。なぜ……侍従として入ってきたんだ」
問いかけた王にレスカチアは正直に答えた。
「僕が記憶を消したから、君は何も覚えていなかった。僕が正直に言っても、君は僕を信じなかっただろう。だからだよ」
レスカチアに問いかけられ、王は納得した。
「それに僕は思い出さなくてもよかった。僕はただ君の傍にいたいだけだったから」
レスカチアに言われて思い出す。体を暴かれても、犯さられてもレスカチアが望んだこと。
それは自分の傍にいる事。
ただ、それだけ。何を求めるでもなく、それだけを求めた。
なのに、自分がしたことは何だろうか?
胸に言いようもない罪悪感と後悔が押し寄せる。
「レスカチア、私は……」
「そんな顔しないで。僕は君の笑顔が大好きなんだ」
レスカチアは覗き見るように王を見上げた。その瞳に怒りはない。いつだって緑の瞳は穏やかで、優しい。
そして、謝罪の言葉を告げたのはレスカチアの方だった。
「でも、ごめんね。突然いなくなって。……僕は人じゃないから、あまり人の世に長くはいられられないんだ。だから一度、異界に戻ったの。何も言わずに消えて、ごめん」
謝られて、王の方が気まずくなる。外に出られないように拘束していたのは自分なのだから。
「いや。……あのチェインという男は?」
気まずさを誤魔化すように王が尋ねると、レスカチアは答えてくれた。
「もうわかっているんだろう?」
君の子犬だって事は、という言葉は発せられなくても、王はわかった。
「しかし、茶髪の男の姿に」
「僕が力を貸して少しの間、人の姿になれるようにしてあげたんだ。でも僕があまりに人の世にいるから心配して迎えに来てしまったの」
不思議な事を言われているのに、なぜか納得ができた。理解はできなくても、そうなのだろうと。
「……そうか」
小さく答える王の手をレスカチアはそっと握った。
「他に聞きたいことはある?」
じっと緑の瞳に見つめられて、王は目を伏せた。
「いや、何もない。お前に会えた、それだけで十分だ」
もう思い残すことは何もないと思えた。心の奥底から、そんな王の気持ちを察したようにレスカは小さな声で告げた。
「それで……一人、最期を迎えるの?」
思いがけないレスカチアの言葉に王は瞳を揺らした。
「君は誰かに殺されるのを待ってる。……そうだろう?」
「なぜ……それを」
確信を突かれて揺らぐ王の手をレスカチアはぎゅっと力強く握った。
「僕は君の事ならなんでも知ってるんだよ」
そう悲し気に笑って答えた。
「君がどうして残虐王と呼ばれるまでの行いをしたのか。なぜ重税を課すのか。兄姉達を殺し、王位を継いだのか。僕は……痛いほど知ってる」
「レスカチア……」
「君は十分すぎる事をした。もう、いいだろう。だから僕と共に行こう」
希(こいねが)うようにレスカチアは言った。
そして、レスカチアの誘いは王にとって甘美な誘いだった。それが異界の地であろうと、どこであろうとも、レスカチアがいるならどこでも一緒に行きたかった。
しかし王にはその誘いを受ける事はできなかった。王としての最後の責務が残っていたからだ。
「それはできない」
「なぜ!」
「……私には果たさなければならない義務がある」
王は口には出さなかったが、レスカチアは答えた。
「殺される事が義務だというのかッ!?」
レスカチアの言葉には、王は微かに苦笑した。
王として討たれる事。
それが王の、残虐王としての最後の役目だった。
「なぜ、君がそうまでして!」
悲しそうに嘆くレスカチアは王の胸に手を置いた。その手をそっと王は握った。
「私が王族であり、今世の王だからだ。これは他の誰もできない」
「ダメだ!」
レスカチアは叫んだが、王は聞かなかった。レスカチアの手を放し、首を振った。
「私でなければ、ならないのだ」
王はそう呟くと、背後に近寄ってくる人の気配を感じた。
振り向くと、そこにはタイミングを見計らったかのように大臣が立っていた。
「陛下……こちらにおられましたか」
大臣はそう言った。でも人ではないレスカチアは見えないようで、真っすぐに王だけを見ている。
「ああ、何か用か」
王は尋ねた。ちらりと見ると、大臣のその手には鞘に納められた剣が握られていた。それを見て、レスカチアはぱっと王の前に庇うように立つ。
だが、王は大臣に尋ねた。
「時が来たのか」
王が尋ねると大臣は「はい」と答えた。それは王と大臣が交わした約束が果たされる時を意味していた。
「ダメ! 絶対、殺させやしない!」
レスカチアは声を上げて言ったが、王の瞳は静かに凪いでいた。
死ぬ前に大事なものが自分の元に戻ってきた。それだけで王は十分だった。
自分の為に泣いてくれるであろう誰か。
そんな人が自分にいるだけで、王は十分だったのだ。
……もう、これ以上望むことはない。
王は静かにそう思った。
「そうか……長い道のりだった」
王は呟き、大臣は「はい」と答えた。そして大臣は両手で剣を持った。王は覚悟し、大臣を見た。
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