15 / 38
15 逃げても
しおりを挟む海鳥が鳴き、潮の匂いが微かに漂う。
二人はしばらく走って人気がない港まで来ると、人影のない場所でルークはようやく足を止めた。その頃には、レイはすっかりヘロヘロで激しい息切れを起こしていた。
「はぁっはぁっ! お、おまっ、お前なぁ!」
お前と違ってこっちは四十手前なんだぞっ! 体力もないし、若くもないんだ! 考えて走れ! とレイは言いたかったが、息切れで何一つ言えなかった。
「ごめん、レイ。大丈夫?」
ルークは膝に手を当てて、前かがみになりながら必死に呼吸するレイの背中を撫でた。そしてレイは何度か大きく息をして、ようやく呼吸が落ち着いてくるとルークを見た。
「はぁーっ、疲れた……」
「レイ、大丈夫?」
「ああ……心臓はち切れるかと思ったけど」
「ごめん、レイの体力を考えてなかったね」
ルークはしゅんっと耳の垂れた犬のような顔で言った。そんな顔をされたら怒れない。
「もういいよ。だけどな、なんで急にこんなこと。ニコラを置いてきたじゃないか」
少し叱るように言うと、ルークはむっとした顔を見せた。
「別にいいでしょ。あんな子」
ルークはフンッと鼻を鳴らして言った。自分じゃない誰かが話に上がると、ルークはいつもこうだ。全く、こういうところだけはいつまでたっても子供だ。
「はぁ。で、これからどうするつもりだ?」
レイが尋ねるとルークは「レイと一緒に逃げる」とすぐに答え、レイはため息を吐いた。
「どこへ?」
「ファウント王国に」
「どうせ、またお前を迎えに来るぞ」
「そうしたら戦う」
「お前ひとりで? きっと向こうは大勢で来るぞ。お前は大事な新王だ」
「違うッ!」
レイの言葉にルークは叫ぶように否定した。
「僕は新王になんかならない。レイと離れたくない……レイは僕と一緒じゃなくていいかもしれないけどさ」
ルークは自分で言っておきながら、少し寂しそうな顔をした。
「バカ、そんな訳ないだろ。……でも、彼らはお前を必要としている」
「そんなの知らないよ。勝手に捨てて、必要になったら呼び立てるなんて、そんな身勝手な人達の事なんて」
「それは違うルーク、お前は捨てられたんじゃない。エルマンから話は聞いているんだろう?」
レイが問いかけるけど、ルークは何も答えない。つまりは聞いたという事だ。
「お前を守る為にお前の母親は隠したんだ。まあ、俺も話を聞くまでは勘違いしてたけど」
「そうだとしても、僕にとっては捨てられたのも同然だよ。あの時、レイが救ってくれなかったら僕は死んでた」
「それは通報が入ったからで、俺じゃなくても」
「その後も、僕の面倒を見てくれた。一緒にいてくれた……どんな時だって! だから、これからも一緒にいたい。そう願うのはいけない事?」
子供っぽいけれど、素直で純粋すぎるルークの気持ち。真っすぐな水色の瞳がレイを見る。海に反射した光が入ってキラキラと光る瞳が、ルークの綺麗な心を映し出しているみたいでレイは思わず見惚れてしまった。
「ルーク……」
名前を呟くレイの腕を引き寄せ、ルークはぎゅっと腕の中にレイを抱き寄せた。そしてレイの首筋にすりっと顔を埋める。
「レイ、だから僕と逃げよう。ファウント王国じゃなくてもいい、どこでだって。レイがいれば僕は構わない。僕はレイがいてくれれば、何もいらないんだ。本当だよ」
ルークは切なげに言った。嘘偽りのない本心だろう。だからこそ、レイの心は大きく揺れた。
そもそもこんな告白を聞いて心揺さぶれられない人はいるのだろうか?
レイはルークの熱さを感じ、心から嬉しく思った。けれど、心と反して体はそっとルークから離れた。
「ルーク。それは無理だって、お前もわかっているんだろう?」
レイの落ち着いた声にルークはぐっと口を閉じ、悲痛そうに眉を寄せた。でもレイはその顔を見ても、そのまま言葉を続けた。
逃げる事は簡単だろう。でも今逃げたところで変わらない事実をレイは冷静にわかっていたからだ。
「俺達が逃げたって、お前を見つけてしまった彼らはお前を何としても王にするだろう。その度に、どこかへ逃げるのか? それに、お前だって町の人の話を聞いていただろう? 彼らはお前を必要としている。なにより、ここはお前の故郷だ」
レイが告げると、ルークは俯き、ぐっと両拳を握って怒りを抑えるように震わせた。
「……わかってる、わかってるよ! 正直、こんな国どうでもいいけど、別に王になるのは構わない。だけど、そうなればレイと離れ離れだ! 僕はそんなのは絶対に嫌だ!」
ハッキリと言うルークにレイは小さくぽつりと呟く。
「……俺のせいか」
レイの呟きにルークはハッと顔を上げて、首を横に振った。
「違う! 僕が離れたくないんだ!」
泣き出しそうなルークの頭をレイはポンっと優しく撫でた。子供の頃と同じように。
「なぁ、ルーク。俺達は離れ離れになったら、簡単に切れてしまうような関係なのか? 俺達は離れても大丈夫だろ?」
「……大丈夫なんかじゃない。僕はレイと離れたくない。僕、レイがどうしようもなく好きなんだ。……レイは僕の事を息子にしか思ってないから、そう笑って言えるかもしれないけど、僕はずっとレイの傍に居たい。いつだって」
ぎりっと奥歯を噛み、悔し気に言うルーク。そんなルークの告白にレイは胸が熱くなって、自然とルークに手を伸ばす。そして頭をぐいっと自分の肩に抱き寄せた。
「わかってる。わかっているつもりだよ、お前の気持ち……だけど」
「……だけど?」
急に尻すぼみになっていった言葉に違和感を覚えたルークが問い返すと、レイは息を吸って今まで心の奥で思っていたことを初めて口にした。
「だけどな……俺はずっと思ってた。その気持ちは作られたものじゃないかって」
レイに告げられ、その告白にルークは大きく目を見開いた。
「そんな事!」
「俺はさ! ……お前の育ての親だ。だから、お前の好きは刷り込みなんじゃないかって。俺がいつも傍にいる状況だから、そう思っているんじゃないかって……そう思えてならないんだ。だから、お前の気持ちを俺は心からは信じられない」
はっきりと告げるレイにルークは身体を離すと、レイの両肩を掴んで声を上げた。
「そんな事ない! 僕は本当にレイの事がッ!」
「わかってる、お前の言葉に偽りがないことは。でも、それはお前は気が付いていないだけかもしれないだろ? もしかしたら俺から離れて過ごしてみたら気持ちが変わるかも」
「ありえない! この気持ちが変わるなんて!」
ルークは断言し、その言葉にレイは微笑んでルークの頬をすぅっと優しく撫でた。
「じゃ、証明してくれよ。俺はさ、逃げも隠れもしない。ファウント王国で待ってるから」
「けど、もし僕が王になったらずっと竜国にいないといけない」
「その時はなんとか方法を考えよう。きっと何かあるはずだ」
「……レイ」
ルークは自分の頬に手を撫でるレイの手を掴み、握りしめた。レイの言う事はわかる。理解もした。だけど、ルークはやっぱりどうしてもレイと離れる選択を受け入れられなかった。
ルークにとってレイと離れるという事は、魂の半分を引き剥がされるも同じだったから。
……これがただの刷り込みなら、この胸に溢れる想いは何だと言うんだ。
ルークはレイに自分の心の内を見せてやりたかった。でもできないから、言葉で伝えるしかなかった。
「レイの言う事はわかるよ。でも僕はレイと離れるなんて考えられない。レイの傍が僕の一番なんだ。何に代えても……。レイを、愛してるんだ」
信じて、とでもいうようにルークの水色の瞳が揺らめく。あまりに綺麗で、レイは息が詰まった。
……ルーク。
たった、この一瞬。
ルークが息子だとか、男だとか、竜人だとか、今後の事とか、その全てがレイの中から吹き飛び、一人の男としてのルークの告白に胸の奥底が震え、レイは心底愛おしいと思った。
そんなに望むなら、この体、命もくれてやりたい、と願うほど。
「レイ、好き。いっぱい。全部大好きだ」
さらに告げられる言葉達にレイは堪らず、力強く自分を掻き抱くルークを抱き締め返した。首筋から香るルークの男の匂いにレイの頭が痺れる。
「……ルーク」
レイが顔を上げて名前を呼ぶと、二人の視線は自然と絡み、レイは吸い込まれるようにルークの唇に顔を寄せた。
キスしてもいい。いや、キスしたい。と本気で思ったから。
「レイ……ッ」
ルークが少し驚いたように小さく呟いたが、すっとレイの唇を待ち受けるように瞳を閉じた。そして二人の唇はあともう少しで触れるところまで近づいた。それは互いの熱がわかるほどの距離。指一本分の距離もない。
だが、そのわずかな距離を残して、ピタッと二人の動きが同時に止まる。
そして互いに瞳を開けて見つめ合い、レイはすっとルークから離れた。
「どうやら……話はここまでみたいだな。ルーク」
「……最悪だ」
ルークは苛立った風に言うと、そこにタイミング悪く、町歩きに密かに付けてきていた護衛達が二人の元にやってきた。
二人が動きを止めたのは、彼らの気配を感じたからだった。
「ルーク様、レイ様、城にお戻りになるよう、お願い致します」
勝手に逃げたせいだろう、護衛の一人がそう二人に告げた。そしてレイは頷いた。
「はい、わかりました。突然走り出して、すみません」
頭を下げてレイは謝り、不機嫌なルークは何も言わなかった。でも、もう逃げようとはしなかった。
140
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
僕の、しあわせ辺境暮らし
* ゆるゆ
BL
雪のなか3歳の僕を、ひろってくれたのは、やさしい16歳の男の子でした。
ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります!
ぽて と むーちゃんの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
デコボコな僕ら
天渡清華
BL
スター文具入社2年目の宮本樹は、小柄・顔に自信がない・交際経験なしでコンプレックスだらけ。高身長・イケメン・実家がセレブ(?)でその上優しい同期の大沼清文に内定式で一目惚れしたが、コンプレックスゆえに仲のいい同期以上になれずにいた。
そんな2人がグズグズしながらもくっつくまでのお話です。
別れたはずの元彼に口説かれています
水無月にいち
BL
高三の佐倉天は一歳下の松橋和馬に一目惚れをして告白をする。お世話をするという条件の元、付き合えることになった。
なにかと世話を焼いていたが、和馬と距離が縮まらないことに焦っている。
キスを強請った以降和馬とギクシャクしてしまい、別れを告げる。
だが別れたのに和馬は何度も会いに来てーー?
「やっぱりアレがだめだった?」
アレってなに?
別れてから始まる二人の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる