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19 犯人
しおりを挟む「はっ、はっ、はっ!」
心臓の音が耳元で鳴っているかと思うぐらい、ドッドッドッとうるさく鼓動を打っている。額から流れ出た汗が目に入りそうになるけど、拭う事もできない。
それでもレイは森の中を走り、後ろから折ってくる竜化した男から逃れる。でも男はまるで、小動物をいたぶりながら追い詰める肉食獣のようにレイに声をかけながら追いかけてきた。
『はははっ、もうすぐ追いつくぞ? もっと走らなくていいのか?』
笑いながら追いかけてくるなんて、悪趣味な野郎だ。いや、くそ野郎か。
レイはそう思いながらも体を必死に動かした。元騎士として剣や武術にはそれなりに心得があったが武器もなく、竜相手だと意味をなさない。レイにできるのは走ることだけだった。
しかし一生懸命走っていたレイはとうとう木の根っこに引っかかって、無様にも派手にこけた。ずざざーっと地面に転び、レイは両手をすりむきて膝を打つ。
「うっ……くぅっ」
レイは痛みに顔を歪め、それからそっと手を見た。すりむいた手は砂まみれで、血が滲んでいた。そして転んだ際に打った膝も痛かった。かろうじて骨折はしていないようだが、転んだ際に右の足首をどうやら捻挫したらしい。じんじんと痛みが脳に伝わってくる。
レイははぁはぁっと肩で息をしながら痛みに堪えて、ひょこひょこっと歩き、木に寄りかかった。心臓がバクバク鳴って息が苦しい。もう動けないレイは木に背もたれて、少し開けた場所に男が来るのを待った。だが、待つのもほんの数秒の事だった。
『もう鬼ごっこは終わりか?』
のそっと竜化した男がレイの元にやってきた。
レイは今まで竜とは綺麗な生き物だと思っていた。
ルークにしろ、竜国の空を舞う竜達にしろ、自由に空を飛び、羽を広げたその姿は美しかったから。
でも目の前にいる竜はどこも美しいと思えない、何と醜いことだろうか。濁った目に体を覆う泥ついた鱗、体は大きくても美しさの欠片もなかった。
……ルークは、あんなに綺麗なのに。こんなにも違うものか。
レイは酸素が回ってない頭でルークの竜姿を思い出す。
銀色にきらりと光る体、力強そうな大きな翼。尻尾はするりと伸び、首を伸ばした横顔は凛々しい。何より、あの水色の目がレイは美しいと思った。でも、それはルークが人の姿をしていた時もだ。
幼い頃からじっと自分を見つめるルークのあの瞳。
……ああ、そうか。俺が今まで強くいられたのは、あの瞳があったからなんだ。
レイは、今一人になって思い知る。ルークがいたからこそ、自分が強く在れた事を。
結婚もせず誰とも付き合わずにいたのも、エルマンにさらわれた時も、この国に滞在してても、ルークがいてくれたから怖くなかったんだ。ルークならきっと来てくれるって、傍にいてくれるって信じていたから。
ルークよりもずっとルークに依存していたのは自分なのだと、レイはこんな状況になって改めて理解した。それは息子としてではなく、ルーク自身に。だから、ルークにどんなに触られても嫌じゃなかった。
……俺って馬鹿だな。息子だからって遠ざけておいて、今更気が付くなんて。
レイはボロボロになった姿でくすりと笑った。
だが、そんなレイを見て、男は不機嫌そうな声を出す。
『何がおかしい? とうとう、俺に殺されるってわかっておかしくなったか?』
竜の姿のまま男は言い、レイは笑って答えた。
「おかしいのは、お前の方だ。……お前、人を殺すの、初めてじゃないだろう?」
レイはそう男に尋ねた。自分を犯そうとした男が目の前にいるというのは気持ちが悪かったが、男が人に変わらず竜の姿のままだったのでレイは何とか話すことができた。
そして、レイの問いに男はニタリと笑った。
『そうだ。俺は殺し屋だからな。依頼を受ければ、誰だって殺す。……あの銀竜の母親でさえな』
男の告白にレイは目を見開き、唖然とした顔で男を見た。
「な……んだって? ルークの母親をお前が殺、した?」
呼吸がようやく落ち着いてきたレイが震えた声で尋ねると、男は尊大に答えた。
『ああ、そうだ。十三年前ほどだったか? 銀竜の子供を殺して欲しいと頼まれた。いいところまで……そうファウント王国にあるレゼアの森まで追いつめたんだが、母親とその護衛に邪魔されてな、殺し損ねた。……だがあの銀竜が戻ってきた。お前を殺した後、あいつも殺しに行ってやる。あいつは俺の汚点、だからな』
男の告白にレイは言葉を失う。
そしてレイは一度、エルマンにそれとなく『ルークの親を殺した犯人は?』と聞いた事を思い出す。でもエルマンの回答は『未だにまだ』。
犯人は捕まってはいなかった。そしてこの男はファウント王国のレゼアの森と言った。それはルークとレイ、エルマンと犯人しか知らない事だ。つまり本当にこの男がルークの母親を殺したという事実に他ならない。
「お前が……っ!」
もし、こいつがいなければルークの母親は生きていたかもしれない。そうなれば自分と会う事もなかったことだろうが、ルークは母親と笑って幸せに暮らしていたはずだ。この竜国で。
それをこの男はお金と自分の為だけに踏みにじった、ルークの幸せを。
レイは怒りで、すりむいている手をぐっと握った。それで血がより滲もうとも。
「お前がっ……お前が、ルークのッ!」
レイはいつもは温和な緑の瞳を怒りに燃え上がらせ、男を睨んだ。でもその睨みも男は笑って過ごす。
『あの銀竜は殺す……その前にお前だ』
男は鋭い爪を持つ手でレイに襲い掛かった。レイは咄嗟に姿勢を低くして、ごろっと地面を転がって男の手から逃れた。レイがもたれかかっていた木は男の鋭い爪と力で横薙ぎにされ、木には鋭いひっかき傷がついて、幹が抉れていた。
人間の体で受ければ、ひとたまりもないだろう。
レイは身体を起こし、捻挫した右足をひょこひょこっと必死に動かして、男が自分に背を向けている内に物陰に隠れようとする。だが、そんなレイを嘲笑うかのように男は長い尻尾でレイの体を払った。男にとっては、フイッと尻尾を動かしただけの事だっただろう。けれどレイの体は太い尻尾の吹っ飛ばされ、背中から木にドコッと当たり、地面に転んだ。
「ぐぅっ、ぁっ!」
レイは痛みに顔を歪めた。飛ばされた拍子に肋骨が折れたからだ。
『ああ、悪い悪い。力の加減が出来なくってよぉ』
笑いながら男はレイに近寄った。ドシンドシンッと地面に転がるレイに振動が伝わる。でも、レイには起き上がることもできなかった。すぐそばに竜の足が見える。
巨体な竜に踏みつぶされれば、確実に即死だ。こんなに苦しいなら、それもいいかもしれない。でもレイの脳裏にはルークの事があった。
母親も殺されて、自分まで殺されたらルークはどう思う?
そう思うと、絶対に殺されて堪るか! と心は叫んだ。だから、もう逃げても無駄だとわかっているのに、必死に起きない体を地面に這わせてまで、男から逃げようとした。
『ハハハッ! まるで芋虫だ!』
男は楽しそうに言ったが、足先でうつ伏せのまま這う、レイの体をひょいっと仰向けに転がした。その衝撃でレイの体に痛みが走り、レイは反射的に体を屈ませた。
『残念だが……もう、終わりだ』
男は片足を挙げて、レイを踏みつけようとした。レイはそれをぼんやりと見つめるしかなかった。だがそんな時、声が響いた。
「ダメ―ッ!」
銀色の髪が揺れ、誰かが自分に覆いかぶさる。でも、それがあっという間に竜になって、踏みつけようとした男の足からレイの体を守った。
そしてレイは自分を守る竜を見て、驚いた。
「青の、銀竜……ッ!」
レイは思わず呟いたが、ぼろぼろのレイを見て青銀竜は涙をぽろぽろと流す。
『レイ、レイッ! 死んじゃ駄目ッ』
必死にレイに呼びかける、その声は二コラだった。
「二、コラ……大、丈夫だ」
レイは竜化した二コラに声をかけた。でも二コラは自分が初めて竜化した事に驚くこともなく、レイの心配ばかりだった。
『なんで、こんなところに青銀竜がっ』
突然現れた初代竜王と同じ青銀竜に男は驚き、後退った。
太陽の光を浴びてキラキラと光る美しい青みがかった銀色の鱗。それはルークよりも綺麗で、男さえも圧倒した。
『許さない! レイをこんな風にして、許さないんだからなッ!』
二コラはそう言うと、空に向かって一際大きな咆哮を上げた。その咆哮に一帯の木々が揺れ、地鳴りがした。すると、キラッと太陽に光る何かが空に見えた。
……あれは。
レイがほんやりとしている内に、もの凄いスピードでそれはこちらに向かい、スピードを落とすことなく銀竜は竜声を上げて、動揺している男を足蹴にした。
男は竜の巨体を銀竜に数十メートル先まで吹っ飛ばされた。
木々が倒され、バギャバキッと木がなぎ倒される音が周りに響いた。そして銀竜以外にも数頭の竜がその場に現れて、男を取り押さえる様に囲む。その中には赤い竜もいた。
『二コラッ、貴方!』
赤竜の声はエルマンのものだった。エルマンは竜になった二コラに驚いたが、二コラはすぐに竜の姿から人の姿に戻り、ぐったりとしているレイに声をかけた。
「レイ! レイッ!」
「二コラ……人のす、がたに」
レイはヒューヒューっと変な息をしながら、地面に横たわったまま、心配そうに自分を見る二コラを見上げた。でもそんなレイにもう一人駆け寄る。
「レイッ!」
人の姿に戻ったルークはボロボロのレイを見て、まるで自分が傷ついたように顔を歪めた。
「ルぅ……ク……」
レイは透き通った水色の瞳を見て笑った。そしてそっと手を伸ばして、ルークの頬と唇に指先を当てる。
今朝、この唇を舐めて恥ずかしく思っていたのに、こんなことになるなんて。
レイは微かに笑ってルークを見た。ルークが子供みたいに泣きそうな顔をしている。
「レイ……嫌だっ、こんなっ!」
「ル……ク、泣……くな……おれ、傍……いる、から」
ハッキリ喋りたいのに、レイの口から出るのはヒューヒューと空気と共にでる微かな声。けど、そこへエルマンが駆け寄ってくる。男は人の姿に戻り、護衛達に縛り上げられていた。
「二コラッ、そこを退きなさいっ」
エルマンはそう言うと、二コラが開けた場所に膝をつき、レイの体を診た。そして胸に手を当てる。
「これは酷い……肋骨が折れてる。きっと肺に肋骨の骨が刺さっているんでしょう。早く城へ!」
「レイは助かるのか?!」
「魔草原液を飲ませれば……でも、その後は。ルーク、わかっていますね?」
エルマンはじっとルークを見て言った。その言葉を聞いて、ルークは真顔でこくりと頷いた。
一体、なんだ?
レイはそう思いつつも目を閉じ、そのまま意識を失った。
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