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八、
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筆を動かす勝九朗を横目にしながら、勝蔵は奇妙丸と膝を突き合わせていた。墨のにおいと揺れる灯に包まれた奇妙丸は、幼くも威厳に満ち溢れており、同時に艶めかしくもあった。
「”呪姫様”とやらは、そなたの冗談……ではなかったのだな。先日の怪談も」
「まあ、於泉の反応が面白くて、大袈裟に話したのは否めませんが……金山に限らず、そういう話は日本どこにでも転がってるでしょ」
「だが、嘉之助の話では、近頃は子ども騙しで収まらなくなっているそうだ」
金山城下で幼子たちが忽然と姿を消すようになったのは、聞いていたとおり。だが、神隠しに遭った――というわけではないようだった。
3、4年ほど前、若い女がいた。美しく、それこそ日本一と言っても過言ではないほどの佳人であったという。
特別出自が優れていたわけではないが、その美貌から求婚する男は絶えなかった。年頃になった女は一人の商人に嫁入りし、娘を産んだという。
だが、生まれた娘の父親は――夫ではなかった。夫とは似ても似つかなかった。
単純に考えれば、娘は母親と瓜二つだったのだろう。しかし、美しい妻を持ってしまった男は、猜疑心にさいなまれた。実際嫁に行って、母となってからも、女は日に日に輝きを増していくばかり。娘は自分の子ではないのだという妄想に取り憑かれてしまった。
いつしか自分の妄想を真実だと思い込んだ男は、ある日の晩、妻を殺してしまった。美しい顔を何度も殴りつけ、遺体は元の美貌をとどめられないほどであったという。そして、母を求めて泣きじゃくる赤子にも手をかけようとした。ちょうど奉公人と客人が来たため、赤子は命までは奪われずに済んだそうだが。
自体を重く見た可成は男を処罰し、赤子は母方の親類に引き取られたという。
「……元気だといいですね、その赤ん坊」
「健やかに育っておれば、ちょうどそなたの弟や……それこそ松野屋の娘と同じ年頃であろうが」
「でも、そこがなんで呪姫様に関係するんですか?」
「夜な夜な娘を探して、呪姫がさまよっているそうだ」
攫われているのは、3、4歳の子どもばかり。特に、少女だという。
殺された女は怨霊となり、娘を今も探している。だが、肝心の娘には出会えず、嘆き怒った呪姫は、攫った子どもが自分の子ではないことに気がつくと殺してしまうのだという。
……というのが、表向きな噂話である。
呪姫が子どもを殺しているというのは考えにくい話だ。攫うだけならともかく、それなら神隠しの話で終わるはず。しかし、子ども達をわざわざ”殺している”などと付け加えるあたりが、人の手で話を捻じ曲げている。愛する我が子を探す母の念が怨霊になり果てたというのに、なぜ他人の子といえども娘と同じ年頃の子を殺めることになるのか。
「儂は、呪姫に乗じて何者かが子どもを攫っているのではないかと思う。……異国にでも売られていれば、どうすることもできぬな」
「……若」
ずっと文机を向いていた勝九朗がやっと声を出した。
「まさか、我らだけで事を収めようとお考えですか?」
「……そうだと言うたら?」
「おやめくださいませ」勝九朗が全身を奇妙丸に向けた。「若は、織田弾正忠家のご嫡男にございます。もし御身に大事あれば如何なされますか」
「だからこそ、じゃ」
奇妙丸は拳をきつく握りしめた。
「儂であるからこそ――此度の件に片を付けたい」
今でも夢に見る、京での出来事。
信じていた父に売られたあの日の恨みと悲しみ、そして痛み。決してなくなることはない。乗り越えたつもりでいても、奇妙丸にとっては忘れることができない傷だった。
もし売られようとしている子どもがいるなら、そうなる前に被害を減らしたい。それはこれからの日本の礎となる者を守るためであると同時に、悲鳴を上げることさえできなかった過去の自身に手を差し伸べる意味でもあった。
「無論、そなたも池田の嫡男。立場があるのは重々承知。無理に付き合えとは――」
「そうは参りません」勝九朗は仰々しい溜息を吐いた。「私はあなたの近習です。もう二度とお傍を離れぬと、決めております」
まっすぐな蘇芳の双眸に奇妙丸は目をほころばせた。きっとこの先何があっても――地獄の果てまでも、勝九朗は一緒に来てくれるのだろうと確信できた。
そして、もうひとり。
「面白くなってきたなぁ」
にこにこと膝を叩く勝蔵もまた、奇妙丸の信頼する家臣の筆頭であった。
「”呪姫様”とやらは、そなたの冗談……ではなかったのだな。先日の怪談も」
「まあ、於泉の反応が面白くて、大袈裟に話したのは否めませんが……金山に限らず、そういう話は日本どこにでも転がってるでしょ」
「だが、嘉之助の話では、近頃は子ども騙しで収まらなくなっているそうだ」
金山城下で幼子たちが忽然と姿を消すようになったのは、聞いていたとおり。だが、神隠しに遭った――というわけではないようだった。
3、4年ほど前、若い女がいた。美しく、それこそ日本一と言っても過言ではないほどの佳人であったという。
特別出自が優れていたわけではないが、その美貌から求婚する男は絶えなかった。年頃になった女は一人の商人に嫁入りし、娘を産んだという。
だが、生まれた娘の父親は――夫ではなかった。夫とは似ても似つかなかった。
単純に考えれば、娘は母親と瓜二つだったのだろう。しかし、美しい妻を持ってしまった男は、猜疑心にさいなまれた。実際嫁に行って、母となってからも、女は日に日に輝きを増していくばかり。娘は自分の子ではないのだという妄想に取り憑かれてしまった。
いつしか自分の妄想を真実だと思い込んだ男は、ある日の晩、妻を殺してしまった。美しい顔を何度も殴りつけ、遺体は元の美貌をとどめられないほどであったという。そして、母を求めて泣きじゃくる赤子にも手をかけようとした。ちょうど奉公人と客人が来たため、赤子は命までは奪われずに済んだそうだが。
自体を重く見た可成は男を処罰し、赤子は母方の親類に引き取られたという。
「……元気だといいですね、その赤ん坊」
「健やかに育っておれば、ちょうどそなたの弟や……それこそ松野屋の娘と同じ年頃であろうが」
「でも、そこがなんで呪姫様に関係するんですか?」
「夜な夜な娘を探して、呪姫がさまよっているそうだ」
攫われているのは、3、4歳の子どもばかり。特に、少女だという。
殺された女は怨霊となり、娘を今も探している。だが、肝心の娘には出会えず、嘆き怒った呪姫は、攫った子どもが自分の子ではないことに気がつくと殺してしまうのだという。
……というのが、表向きな噂話である。
呪姫が子どもを殺しているというのは考えにくい話だ。攫うだけならともかく、それなら神隠しの話で終わるはず。しかし、子ども達をわざわざ”殺している”などと付け加えるあたりが、人の手で話を捻じ曲げている。愛する我が子を探す母の念が怨霊になり果てたというのに、なぜ他人の子といえども娘と同じ年頃の子を殺めることになるのか。
「儂は、呪姫に乗じて何者かが子どもを攫っているのではないかと思う。……異国にでも売られていれば、どうすることもできぬな」
「……若」
ずっと文机を向いていた勝九朗がやっと声を出した。
「まさか、我らだけで事を収めようとお考えですか?」
「……そうだと言うたら?」
「おやめくださいませ」勝九朗が全身を奇妙丸に向けた。「若は、織田弾正忠家のご嫡男にございます。もし御身に大事あれば如何なされますか」
「だからこそ、じゃ」
奇妙丸は拳をきつく握りしめた。
「儂であるからこそ――此度の件に片を付けたい」
今でも夢に見る、京での出来事。
信じていた父に売られたあの日の恨みと悲しみ、そして痛み。決してなくなることはない。乗り越えたつもりでいても、奇妙丸にとっては忘れることができない傷だった。
もし売られようとしている子どもがいるなら、そうなる前に被害を減らしたい。それはこれからの日本の礎となる者を守るためであると同時に、悲鳴を上げることさえできなかった過去の自身に手を差し伸べる意味でもあった。
「無論、そなたも池田の嫡男。立場があるのは重々承知。無理に付き合えとは――」
「そうは参りません」勝九朗は仰々しい溜息を吐いた。「私はあなたの近習です。もう二度とお傍を離れぬと、決めております」
まっすぐな蘇芳の双眸に奇妙丸は目をほころばせた。きっとこの先何があっても――地獄の果てまでも、勝九朗は一緒に来てくれるのだろうと確信できた。
そして、もうひとり。
「面白くなってきたなぁ」
にこにこと膝を叩く勝蔵もまた、奇妙丸の信頼する家臣の筆頭であった。
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