思い出乞ひわずらい

水城真以

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【番外編】くれないの約束

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 桐箱を前にした於泉が目を丸くする。奇妙丸はふっ、と笑みを零しながら「土産じゃ」と言った。
「お土産……え、いいの?」
「色々あって、渡しそびれていたからな。約束したであろう」
 奇妙丸は自分の髪を結う赤い布を叩いた。艶のある緋色の布がなびく。
「開けてもいいですか?」
「無論じゃ。於泉のために職人に作らせたのだぞ」
 於泉は顔を輝かせながら箱を開けた。箱には同じ艶やかな素材の、しかし少し色の違う赤い布が入っている。

 奇妙丸は緋色の布――そして於泉には、唐紅の布を仕立てたのだった。

 奇妙丸が使っているのは、以前帰蝶が打掛を仕立てた際に出た余りの生地を使っているので、まったく同じものを用意できなかったというのもある。しかし、ひと目見た時に、於泉に似合うと思ったから選んだのだ。
「嬉しい……すごく素敵! ありがとうございます、若」
「……ああ」
 眩しい笑顔に奇妙丸は思わず目を眇めた。


「あ、抜け駆け!」


 割って入った声に、於泉は「げぇ」と顔を顰めた。
「何よ、勝蔵。勝蔵は結布なんて要らないでしょ。その辺の麻縄か野菜の蔓でも使えばいいじゃない」
「はあ? なんでだよ! ていうか若、俺には?! 筆、買って来てくれるって言ったくせに!」
「ああ、すまぬ。忘れておった」
 奇妙丸があっけらかんと言うと、勝蔵は「ひど!」と膨れっ面をした。その横顔を於泉は笑顔で見つめている。
「仕方ないなぁ。勝蔵、実はね。荒尾のお爺さまから筆が何本か贈られてきたの。帰り、うちの屋敷に寄って。好きなの持って行っていいから」
「! 本当か!?」
「うん。お爺様ったら気が早いから、まだ赤子の弟妹にも贈って来てさー」
 楽しそうに話す勝蔵と於泉は、顔を合わせれば喧嘩を繰り広げていたとは思えないくらい睦まじい。

 そして於泉の表情は、どこか穏やかで――奇妙丸に見せる、子どもじみたものとは違って見えた。

(筆くらい、よかろう)

 この間、京に行って思い知った。
 奇妙丸は、織田家のために生きることを定められた。父と――見えない力によって生まれ落ちた時から決められていた。
 だから、奇妙丸はそれを受け入れて生きるしかないのだ。きっと妻を迎える時も、一家臣の娘に過ぎない於泉ではない。織田家の役に立つ姫と結婚することになるのだろう。奇妙丸の意思は関係ない。

 そして――そんな道に、この少女を巻き込む気もさらさらなかった。

 もし京に行かなければ、別の未来が咲いていたかもしれない。
 けれど、それは考えてもせんなきことだ。過ぎ去ってしまった、あくまでも可能性の話だ。考えるだけむなしい。


(筆をやらない代わりに――お前には、俺の一番大切な娘をくれてやるんだ。それで我慢しろ)


 奇妙丸は、勝蔵相手にはしゃぐ於泉の髪に触れた。
「於泉、布をお貸し。結んであげよう」
「本当? やった!」
 元結を包むように、結布をかけていく。
 ありえたかもしれない未来を隠すように、白い紐を赤い布で覆い隠した。


***


 この何年か後、奇妙丸が本当の運命の相手との縁を手繰り寄せることを、この時はまだ誰も知らなかった。
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