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秋
一
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――ついてきている。
美津江が早足になると向こうも早足になる。美津江が歩調を緩めると向こうも歩調を緩める。確かに、ついてきているようである。美津江は着物の上から胸を押さえた。胸の奥が微かに息苦しく、痺れるようだった。
美津江は花屋に入った。美津江をついてくるものが、花屋にまで入ってくる気配はなかった。しかし、花屋の前で、美津江を待ち構えている気がした。
花屋には老夫婦がいて、菊の花束を選んでいた。誰かの墓参りか、弔いにでも行くのだろうか。夫の方は淡い紫に見える菊に鼻先を寄せ、匂いを嗅ぐような仕草をしていた。妻が夫の着物の袖を引いた。
「みっともない」
言葉は強かったが、妻の声は穏やかだった。歳をとってしゃがれていながら、どこか女らしい甘みと柔らかさが残っていた。夫は妻に着物の袖を引かれながら、菊から顔を離した。首が痩せている。
「加納も気の毒にね」
夫の声は、疲れているようにしゃがれていた。
「まだ生きようと思えば生きられたかもしれないのに」
「まだお嫁に行かない娘さんがいらっしゃるのでしょう。十九だったかしら」
「今年で二十歳だね。今まで降るように縁談があって、まとまりかけていたものもあったのに、加納が手離すのを嫌がって……」
「どうしてでしょうか?」
妻の手が、桃色の菊の、茎に触れた。黒い髪の中に、白い筋が何本か混ざっているのをまとめて簪で留めている。その簪が、妻が動くのに合わせて飴色に光った。
「妻に似ていたからだよ。自分より先に亡くなった妻に」
「以前お会いしたときは、もう何年前になるかしら?可愛らしいお嬢さんでしたわ」
「娘を通して、自分に会う前の妻の姿に会っていたつもりなのかね」
「可哀想ですわ」
「可哀想かね」
夫は低い、しゃがれ声で笑った。
「確かに、お嬢さんは可哀想だね。降るようだった縁談もこの頃はめっきり少なくなって、あの家に一人と思うと……」
「ええ」
「亡き妻に似ているからって、加納が慈しみ過ぎたんだろうね。執着に似ている」
「あなた、お嬢さんを引き取れないかしら?」
「うちにかい?」
「ええ」
「そうだねぇ……それもいいかもしれないね。そして、うちから嫁入り道具を持たせて、お嫁に出すわけだね」
美津江は老夫婦からスッと離れた。
花屋から出たとき、美津江は蘭の花束を抱えていた。顔を寄せると、仄かに甘い香りがした。この香りが、自分の肌にも染み込んだりしないかと、美津江は思った。美しい花を抱いて、美しい花の香りが体に染み込めば、内側から照らされるように肌は明るくなり、顔の形や体の線まで美しく生まれ変わるのではないか。そういう夢想を抱いて、花束に顔を寄せた。
まだ、ついてきているようだった。
何故、美津江のようなつまらない女についてきているのか分からなかった。美津江の自慢は豊かな黒髪だけで、特に美しいわけでも、人目を惹くわけでもない。世間の美しい人たちから見れば、美津江は寧ろ醜い。肌の色は白くなく、よどんでいる。だから、外出するときなどは一生懸命に白粉を叩いて、どうにか肌を白く、滑らかに見せようとするのだが、そうすると、却って肌のよどみが目立つようだった。
姉の白く、深みのある美しい肌の色に憧れた。
美津江が早足になると向こうも早足になる。美津江が歩調を緩めると向こうも歩調を緩める。確かに、ついてきているようである。美津江は着物の上から胸を押さえた。胸の奥が微かに息苦しく、痺れるようだった。
美津江は花屋に入った。美津江をついてくるものが、花屋にまで入ってくる気配はなかった。しかし、花屋の前で、美津江を待ち構えている気がした。
花屋には老夫婦がいて、菊の花束を選んでいた。誰かの墓参りか、弔いにでも行くのだろうか。夫の方は淡い紫に見える菊に鼻先を寄せ、匂いを嗅ぐような仕草をしていた。妻が夫の着物の袖を引いた。
「みっともない」
言葉は強かったが、妻の声は穏やかだった。歳をとってしゃがれていながら、どこか女らしい甘みと柔らかさが残っていた。夫は妻に着物の袖を引かれながら、菊から顔を離した。首が痩せている。
「加納も気の毒にね」
夫の声は、疲れているようにしゃがれていた。
「まだ生きようと思えば生きられたかもしれないのに」
「まだお嫁に行かない娘さんがいらっしゃるのでしょう。十九だったかしら」
「今年で二十歳だね。今まで降るように縁談があって、まとまりかけていたものもあったのに、加納が手離すのを嫌がって……」
「どうしてでしょうか?」
妻の手が、桃色の菊の、茎に触れた。黒い髪の中に、白い筋が何本か混ざっているのをまとめて簪で留めている。その簪が、妻が動くのに合わせて飴色に光った。
「妻に似ていたからだよ。自分より先に亡くなった妻に」
「以前お会いしたときは、もう何年前になるかしら?可愛らしいお嬢さんでしたわ」
「娘を通して、自分に会う前の妻の姿に会っていたつもりなのかね」
「可哀想ですわ」
「可哀想かね」
夫は低い、しゃがれ声で笑った。
「確かに、お嬢さんは可哀想だね。降るようだった縁談もこの頃はめっきり少なくなって、あの家に一人と思うと……」
「ええ」
「亡き妻に似ているからって、加納が慈しみ過ぎたんだろうね。執着に似ている」
「あなた、お嬢さんを引き取れないかしら?」
「うちにかい?」
「ええ」
「そうだねぇ……それもいいかもしれないね。そして、うちから嫁入り道具を持たせて、お嫁に出すわけだね」
美津江は老夫婦からスッと離れた。
花屋から出たとき、美津江は蘭の花束を抱えていた。顔を寄せると、仄かに甘い香りがした。この香りが、自分の肌にも染み込んだりしないかと、美津江は思った。美しい花を抱いて、美しい花の香りが体に染み込めば、内側から照らされるように肌は明るくなり、顔の形や体の線まで美しく生まれ変わるのではないか。そういう夢想を抱いて、花束に顔を寄せた。
まだ、ついてきているようだった。
何故、美津江のようなつまらない女についてきているのか分からなかった。美津江の自慢は豊かな黒髪だけで、特に美しいわけでも、人目を惹くわけでもない。世間の美しい人たちから見れば、美津江は寧ろ醜い。肌の色は白くなく、よどんでいる。だから、外出するときなどは一生懸命に白粉を叩いて、どうにか肌を白く、滑らかに見せようとするのだが、そうすると、却って肌のよどみが目立つようだった。
姉の白く、深みのある美しい肌の色に憧れた。
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